学位論文要旨



No 127050
著者(漢字) 喬,荊
著者(英字) Qiao,Jing
著者(カナ) キョウ,ケイ
標題(和) 変異動物の表現型の解析によるKynurenine Aminotransferase-1 (KAT-1)の生理機能の解明
標題(洋) Physiological roles of kynurenine aminotransferase-1 (KAT-1) revealed by phenotypes observed in mutant animal models
報告番号 127050
報告番号 甲27050
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3660号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 特任准教授 山内,敏正
 東京大学 特任准教授 鈴木,享
 東京大学 特任講師 高橋,倫子
 東京大学 講師 吉村,浩太郎
内容要旨 要旨を表示する

高血圧自然発症ラット(SHR)は、本態性高血圧症のモデル動物であると同時に、インスリン抵抗性や耐糖能異常、脂質異常症、さらには非肥満ではあるが相対的な内臓脂肪蓄積等を呈する、いわゆるmetabolic syndromeのモデル動物である。SHRにおけるこれらの表現型の原因遺伝子(疾患感受性遺伝子)は、いわゆるQTL(quantitative trait locus)解析により調べられ、3番染色体の血圧上昇、体重減少、心重量増加等との連鎖を示すQTLの原因候補遺伝子としてkynurenine aminotransferase-1(KAT-1)遺伝子が同定されている。KAT-1遺伝子は、肝臓や腎臓、神経系や脂肪組織などに幅広く発現し、KAT-1はトリプトファンの代謝産物であるキヌレニンをキヌレン酸に変換する酵素として知られ、生じたキヌレン酸はグルタミン酸などの興奮性アミノ酸に対する内因性拮抗物質として神経興奮に抑制的に働くものと考えられている。実際に、KAT-1遺伝子の変異をもつSHRの臓器ではKAT-1活性が有意に低下し、交感神経活動が亢進していることから、KAT-1遺伝子がSHRの高血圧原因候補遺伝子の一つとして注目されていた。

KAT-1の生理的役割を明らかにする目的で、われわれはすでにKAT-1を欠損するノックアウトマウスの作製に成功し、hybrid backgroundの段階で野生型のlittermateに比べて有意な血圧上昇を示すことを確認していた。SHRにみられる多様な表現型と、KAT-1ノックアウトマウスにみられる表現型を比較することは、KAT-1の生理的機能とSHRにおける病因の解明に重要であると考えられる。そこで、本研究において私は、C57BL/6Jに戻し交配を行ったKAT-1ノックアウトマウスを用いて、SHRとの間で詳細な表現型の比較を行った。

血行動態の変化

血行動態の評価を行う目的で、無麻酔下でtail-cuff法による測定を行った結果、両マウス群間に心拍数には変化を認めないが、収縮期血圧と拡張期血圧に関しては有意差を認め、オスのノックアウトホモマウス(HO)は野性型マウス(WT)と比較して収縮期血圧で13.8mmHg(HO 115.9±1.0mmHg vs. WT 102±1.1mmHg, p<0.0001)、拡張期血圧で6.6mmHg(HO 73.3±1.3mmHg vs. WT 66.7±1.7mmHg, p<0.01)高値を示した。また、血圧の差はメスにおいても同様に認められた。

低体重と肥満抵抗性

戻し交配を行ったF7~F8世代のマウスに関して経時的な体重測定を行うことにより成長曲線を作成した。ほとんどの測定時点で、ノックアウトホモマウスは野性型マウスに比べて低体重となる傾向が認められ、その差は12週(HO 26.0±0.2g vs. WT 27.4±0.5g, P=0.04)と23週(HO 30.3±0.3g vs. WT 33.0±0.9g, P=0.01)の時点では有意なレベルに達し、これらの傾向はメスにおいても認められた。

次に、普通食もしくは40%高脂肪食を12週間負荷後の体重と脂肪重量の増加をノックアウトホモマウスと野性型マウスの間で比較した結果、有意差には至らないものの、ノックアウトホモマウスは野性型マウスに比べて高脂肪食負荷による体重と脂肪組織重量の増加に抵抗性を示す傾向が認められた。

インスリン抵抗性と糖代謝異常

12週齢のオスマウスを用いて、血糖とインスリン感受性について検討を行った結果、普通食下においてノックアウトホモマウスは野性型マウスに比べて血糖値の上昇を示した。一方、ITTで示されるインスリン感受性に関しては、ホモマウスは野性型マウスに比べて有意に低下しており、KAT-1ノックアウトホモマウスではインスリン抵抗性が亢進していることが示された。

肥満2型糖尿病モデルにおけるKAT-1 mRNAの発現変動

さらに、KAT-1遺伝子の発現変動を調べる目的で、対照(db/m)および肥満2型糖尿病モデル(db/db)マウスの絶食後、もしくは再摂食後の各臓器におけるKAT-1 mRNAの発現を調べた。その結果、両マウス群において、再摂食により腎臓および白色脂肪組織におけるKAT-1 mRNAの発現が著明な増加を示し、逆に、骨格筋においてはその発現が著明な減少を示した。一方、肝臓においては栄養状態の影響は認められなかったが、db/dbマウスでは対照マウスに比してKAT-1 mRNAの発現が著明な減少を示し、褐色脂肪組織においては有意な変動は認められなかった。これらの結果から、KAT-1遺伝子の発現が栄養状態や病的条件下において組織特異的な変動を示すことが明らかとなった。

飲水量、摂餌量、尿量および尿浸透圧・尿生化学

24時間の飲水量は、ノックアウトホモマウス群で有意に多く(HO 8.9±0.4 mL vs. 6.1±0.4 mL, p<0.0001)、摂餌量に関しては若干ノックアウトホモマウス群で多かったが有意差は認められなかった。また、24時間の尿量も、ノックアウトホモマウス群で有意に多く(HO 754.3±61.7μl/日 vs. WT 496.9±56.0μl/日, p<0.005)、尿浸透圧に関してもノックアウトホモマウス群で有意に低い(HO 2063.6±152.6 mOsm/L vs. WT 2760.0±129.6mOsm/L, p<0.01)ことが確認された。さらに、尿中の各電解質およびクレアチニン濃度についても、ノックアウトホモマウス群では野生型マウス群に比して有意な減少を認め、すなわち、ノックアウトホモマウスは著明な低張性多尿を呈することが確認された。

腎臓における外因性バゾプレッシン(AVP)感受性

多飲・低張性多尿の尿崩症症状の原因がいわゆる中枢性によるものか腎性によるものかの鑑別を目的として、外因性に投与されたバゾプレッシン(AVP)に対する感受性を調べ両群間で比較した結果、腎臓のAVP感受性には両マウス群間で差がないことが確認された。

内因性AVP抑制下における水負荷後のデスモプレッシン(DDAVP)感受性試験と腎組織の比較

尿の再吸収能を検討するため、内因性AVPを抑制する目的で、本実験プロトコールにおいては、内因性AVP活性の抑制を行った上で外因性にDDAVPを投与してその感受性を比較検討した。各マウス群において、アルコールおよびグルコース含有水による水負荷時の尿量は、DDAVP投与によりいずれも有意な減少(WT 9.1 ±1.1 ml/日 vs. 1.4 ±0.4 ml/日, p<0.0001); HO 6.2±1.3 ml/日 vs. 1.3±0.5 ml/日, p<0.0001)を示し、逆に、尿浸透圧は有意な増加(WT 221.8±55.0 mOsm/kg・H2O vs. 1063.6±253.2 mOsm/kg・H2O, p<0.005); HO 335.2±84.2 mOsm/kg・H2O vs. 1466.5±262.9 mOsm/kg・ H2O, p<0.001)を示した。2-Way ANOVAによる比較では、尿浸透圧の増加幅はノックアウトマウス群において有意に大きかった(p<0.05)。この結果から、WTとHOマウスの間に、腎臓のAVPに対する感受性に差は認めず、HOマウスでは尿再吸収能が高いことが明らかとなった。また、腎組織標本の検討も行ったが、HEとPAS染色による比較では明らかな形態的変化を認めなかった。

水制限試験と血清バゾプレッシン濃度および血漿浸透圧の評価

次に、中枢性尿崩症の鑑別診断を行う目的で、水制限試験を行った。ノックアウトマウス群においては飲水制限により著明な尿の濃縮が生じ、尿量の減少と同時に浸透圧の増加が認められた。この結果から、HOマウスでは、内因性AVP分泌が誘発されることが確認なった。また、血清AVP濃度と血漿浸透圧は両マウス群の間で差がないことも確認された。

日中と夜間の飲水量および尿量

次に、心因性多飲症の可能性を考え、日中と夜間に分けた場合の飲水量について評価した。いずれの時間帯においても、野生型よりホモマウスで有意な飲水量の増加を示したが(日中飲水量は: HO 2.200±0.77 ml/日 vs. WT 1.4±0.05 ml/日, p<0.0001);(夜間飲水量は: HO 11.55±0.25 ml/日 vs. WT 8.15±0.017 ml/日, p<0.0001)、飲水量の差は夜間においてより大きな変化が認められた。すなわち、ホモマウスは活動時間帯である夜間にとくに飲水活動が亢進していることが分かった。また、日中と夜間の尿量に関して、いずれの時間帯においても、野生型よりホモマウスで尿量の増加傾向を認め、尿量の差はやはり夜間においてより大きな差が認められた。

血漿アルドステロン濃度とレニン活性および血清電解質と尿中カテコラミン分泌

次に、オスの血中アルドステロンとレニン活性を検討した、野性型マウスと比較してノックアウトホモマウスは血中アルドステロン濃度は有意に増加(HO 615.2±127.1 pg/ml vs. WT 275.1±44.9 pg/ml, p=0.03)、逆に、レニン活性は有意な減少(HO 615.2±127.1ng/ml/h vs. WT 275.1±44.9ng/ml/h, p=0.03)を示した。

また、血清電解質濃度については、両マウス群の間で変化が認められなかった。尿中カテコラミン分泌に関して、野性型マウスと比較してノックアウトホモマウスにおいては、三分画すべてに上昇傾向が認められた。

以上から、本研究における主な結果をまとめると、KAT-1を完全欠損するノックアウトホモマウスは1)正常に出産・発育し、2)SHRと同様に、体重と脂肪重量の減少、インスリン抵抗性亢進と血糖値の上昇、および血圧上昇等を呈する一方、3)SHRには認められない多飲・低張性多尿などの心因性多飲症状を呈した。そして、4)外因性AVP感受性には異常を認めず、尿再吸収能は高く、水制限により内因性AVP分泌が誘発され、夜間の飲水活動が有意に亢進し、夜間尿量も増加傾向を示し、5)血漿アルドステロン濃度が有意に増加、逆に、レニン活性が有意に減少し、血清AVPと血漿浸透圧および血清電解質には変化を認めず、尿中のカテコラミン分泌には増加傾向が認められた。

本研究におけるこれらの結果は、SHRにみられる多様な病態の背景にKAT-1の異常が深く関わる可能性を再確認するものとなり、さらに、それらの異常がラットとマウスの種差を越えてKAT-1の異常によって引き起こされていることが強く示唆された。また、少なくともマウスにおいては、KAT-1が血行動態の調節に加え、体液バランスの調節にも関与することがはじめて示され、KAT-1の欠損が心因性多飲症の病態モデルとなる可能性もはじめて示された。以上より、KAT-1は血行動態や体液バランスおよび代謝の調節に関わる、いわゆるmetabolic syndromeの新たな治療標的となる可能性も示唆された 。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は高血圧自然発症ラット(SHR)における高血圧を含む多様な病態の原因候補遺伝子として同定されたkynurenine aminotransferase 1(KAT-1)の生理的役割を明らかにする目的で、C57BL/6Jに戻し交配を行ったKAT-1ノックアウトマウスとKAT-1遺伝子に変異をもつSHRとの間で表現型の比較を行った。それにより下記の結果を得ている。

1.KAT-1を完全欠損するノックアウトホモマウスは正常に出産・発育する。

2.ノックアウトホモマウスは SHRと同様に、体重と脂肪重量の減少、インスリン抵抗性亢進と血糖値、および血圧の上昇を呈する。

3.SHRには認められない多飲・低張性多尿などの心因性多飲症状を呈した。すなわち、KAT-1欠損ホモマウスでは外因性バゾプレッシン(AVP)感受性には異常は認めず、尿再吸収能も高く、水制限により内因性AVP分泌が誘発されたが、夜間の飲水活動が有意に亢進し、夜間尿量も増加傾向を示した。そして、血漿アルドステロン濃度が有意に増加、逆に、レニン活性が有意に減少し、血清AVP濃度と血漿浸透圧および血清電解質濃度には異常はなく、尿中のカテコラミン分泌には増加傾向が認められた。

本研究におけるこれらの成果により、SHRにみられる多様な病態の背景にKAT-1の異常が深く関わる可能性が再確認されるとともに、それらの異常がラットとマウスの種差を越えてKAT-1の異常によって引き起こされていることが強く示唆された。また、少なくともマウスにおいては、KAT-1が血行動態の調節に加え、体液バランスの調節にも関与することがはじめて示され、KAT-1の欠損が心因性多飲症の病態モデルとなる可能性もはじめて示された。これらのことから、KAT-1は血行動態や体液バランスおよび代謝の調節に関わる、いわゆるmetabolic syndromeの新たな治療標的となる可能性も示唆された。

以上より、本論文は変異動物の表現型の解析によるKAT-1の生理機能の解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク