学位論文要旨



No 127057
著者(漢字) 田中,悌史
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,トモフミ
標題(和) ヒト冠動脈平滑筋におけるSerum Amyloid A及びLysophosphatidylcholineの生理作用 : TRPチャネルの役割
標題(洋) Effects of Serum Amyloid A and Lysophosphatidylcholine on Human Coronary Artery Smooth Muscle Cells : Roles of Transient Receptor Potential Channels
報告番号 127057
報告番号 甲27057
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3667号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 特任教授 山崎,力
 東京大学 特任准教授 眞鍋,一郎
 東京大学 教授 小野,稔
 東京大学 講師 本村,昇
内容要旨 要旨を表示する

血清アミロイドA(SAA)およびリソフォスファチジルコリン(LPC)はいずれも冠動脈疾患患者においてその血中濃度が上昇することが知られている。SAAは血中において高比重リポ蛋白質(HDL)に結合するアポリポプロテインの一種であり、急性期蛋白であるSAA1, SAA2および常時発現するSAA4のサブファミリーからなる。SAAの血中濃度は急性炎症の際には約1000倍になるとも言われているが、その血中濃度と冠動脈疾患との関連も示唆されており、罹患病変枝数などの重症度との相関も報告されている。一方、LPCはリソレシチンとも呼ばれ、低比重リポ蛋白質(LDL)の酸化物質である酸化LDLの主要構成物質である。LPCは、SAAと同様、粥状硬化性疾患や急性および慢性炎症性疾患で重要な役割を担っていると考えられており、実際、冠動脈疾患患者において、LPCの血中濃度や、LPCが生体内で生成される際に必要となる酵素の一つであるレシチンコレステロールアシルトランスフェラーゼ(LCAT)の酵素活性も上昇することが報告されている。

このようにSAA 、LPCはいずれも冠動脈疾患においてその血中濃度が上昇することが報告されているが、近年、これらの物質は疾患のマーカーとしての役割のみならず、物質そのものが粥状硬化を促進する作用を持つことが示唆されている。しかし、その具体的な分子生物学的作用については不明な点が多い。現在までにSAAおよびLPCは細胞内カルシウム濃度を上昇させることが報告されており、このカルシウム動態の変化が、SAA/LPCによる細胞機能に影響を与えていると推測されている。Transient receptor potential(TRP)チャネルはこのカルシウム動態に関与するチャネルの一つとして考えられているが、SAAやLPCによるシグナル伝達に関与していることも推測されている。TRPチャネルはTRPC、TRPV、TRPM、TRPA、TRPP、TRPMLの6つのサブファミリーからなり、さらにTRPCにはC1-C7、TRPVにはV1-V6、TRPMにはM1-M8までのサブタイプが報告され、それぞれ生体内において様々な機能を担っていると考えられている。SAA、LPCによるカルシウム動態の変化に関与するTRPチャネルについてはいくつかの報告があるが、いまだ特定のTRPチャネルは定まっておらず、さらにそのチャネルを活性化させるまでのシグナル伝達経路に関してはほとんど不明である。

そこで本研究ではSAA及びLPCのヒト冠動脈平滑筋(hCASMCs)に対する作用について、TRPチャネルおよびシグナル伝達経路という観点から検討を行った。Fura2-AMを用いた2波長励起法、リバース・トランスクリプターゼ-ポリメラーゼ・チェイン・リアクション法(RT-PCR法)、リアルタイムRT-PCR法、免疫染色法、ウェスタンブロッティング法、RNA干渉 (small interfering RNA, siRNA)の手法を用いて実験を行った。

細胞はヒト冠動脈平滑筋(hCASMCs)を培養し、2-5代、継代したものを使用した。Fura2-AMを用いた2波長励起法による細胞内カルシウム測定では、SAA、LPCいずれも細胞内カルシウム濃度上昇を誘発し、しかもその効果は細胞外液にカルシウムイオンが存在するときに著明に認められた。このことから、SAAおよびLPCによる細胞内カルシウム濃度上昇は、主に細胞外のカルシウムイオンが何らかのチャネルを介して細胞内に流入することによって起こることが示唆された。しかもいずれによる作用もL型およびT型カルシウムチャネル拮抗薬では阻害されず、非特異的なTRPチャネル拮抗薬であるガドリニウムイオンや2-APB、SKF96365などによって抑制されたことから、SAAやLPCによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇に対するTRPチャネルの関与が示唆された。

hCASMCsにおけるRT-PCR法では、TRPC、TRPV、TRPMチャネルのサブタイプの中で、C1, C4, V1, V2, V4, M7, M8の発現が確認され、さらにこれらのなかで免疫染色法やウェスタンブロッティング法において、C1, C4, V4, M7の発現が確認された。

一方、コレラ毒素(cholera toxin, CTX)や百日咳毒素であるpertussis toxin (PTX)はG蛋白結合型受容体と共役したGs蛋白質やGi蛋白質をそれぞれ活性化・阻害することで、それに引き続くシグナル伝達経路を介するイオンチャネル等の効果器の作用に影響を及ぼす。CTXやPTXを前処置したヒト冠動脈平滑筋細胞において細胞内カルシウム動態について検討すると、SAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇はCTXでは阻害されず、PTXにより著明に阻害された。一方、LPCによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇はいずれの前処置によっても阻害されなかった。さらにSAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇はホスホリパーゼC(PLC)の阻害薬であるU73122によっても阻害されたことから、Gi蛋白質およびPLCを介したシグナル伝達経路を介している可能性が考えられた。従来までの報告においてGi蛋白質による活性化が確認されているのはTRPC4であり、TRPC4は今回本研究で行ったRT-PCRや免疫染色、ウェスタンブロッティングにおいてもhCASMCsにおける発現が確認された。さらにSAAによるカルシウムイオン濃度上昇は2-APBやSKF96365で抑制されたという点も、その過程におけるTRPC4の関与について矛盾しないと考えられた。そこでSAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇効果におけるTRPC4の関与を明らかにするため、TRPC4に対するsmall interfering RNA (siRNA)を用いた検討を行った。培養ヒト冠動脈平滑筋細胞にTRPC4に対するsiRNAをtransfectionさせて、TRPC4をノックダウンさせた細胞では、TRPC4のmRNA発現が抑制されるとともに、SAAによる細胞内カルシウムイオン濃度の上昇が抑制された。このことから培養ヒト冠動脈平滑筋細胞においてSAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇にはTRPC4が関与していることが裏付けられた。

さらに細胞内マグネシウムイオン濃度測定のため、細胞内マグネシウムイオンに対する特異的なプローベであるmag-fura2-AMを用いた同様の2波長励起法を施行した。その結果LPCはカルシウム同様、細胞内マグネシウムイオン濃度上昇を誘発すること確認されたが、SAAによるこの作用は認められなかった。TRPチャネルサブタイプのうち、TRPM6およびM7は細胞内マグネシウムホメオスタシスにも関与していることが従来から報告されている。今回本研究で行ったRT-PCRや免疫染色、ウエスタンブロッティグンでもTRPM7の発現は確認されており、これらの実験結果からLPCによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇にはこれらのTRPチャネルが関与している可能性が示唆された。

これらの実験結果から明らかとなったことをまとめると以下のとおりである。(1)SAAおよびLPCはいずれも細胞外液からのカルシウムイオン流入によって細胞内カルシウムイオン濃度を上昇させる。(2)SAAおよびLPCによる細胞内へのカルシウムイオン流入にはTRPチャネルが関与していると考えられた。(3)LPCとは対照的にSAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇にはG蛋白質のうちGi蛋白を介してPLC活性を上昇させることが必要である。(4)ヒト冠動脈平滑筋細胞においてはTRPチャネルのサブファミリーのうち、TRPC1、C4、V1、V2、V4、M7、M8が発現している可能性がある。(5)これらのTRPチャネルのうち、SAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇にはTRPC4が関与している。

今後、LPCによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇に関与するチャネルを特定するとともに、SAAやLPCによるこれらの作用がどのような細胞機能に関与し、結果として動脈硬化促進につながるのかを明らかにすることが必要と考えられる。さらには、本研究の結果から、冠動脈疾患を含めた動脈硬化性疾患の新しい治療の標的として特異的なTRPチャネルの阻害薬という可能性が示唆されたが、現時点では特異的なTRPチャネルの阻害薬は明らかとなっておらず、今後臨床的にはさらなる検討が必要であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は動脈硬化および炎症病態において重要な役割を担っていると考えられているserum amyloid A (SAA)およびlysophosphatidylcholine (LPC)の分子生物学的役割を明らかにするため、培養ヒト冠動脈平滑筋細胞におけるSAAおよびLPCの作用について、特にシグナル伝達機構やイオンチャネルに注目して検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.Fura2-AMを用いた細胞内カルシウムイオン濃度測定の結果、SAAおよびLPCは培養ヒト冠動脈平滑筋細胞において細胞内カルシウムイオン濃度を上昇させる。これは細胞外カルシウムfreeの状態と比較して、細胞外カルシウム存在下で著明に認められたことから、SAAおよびLPCによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇は主に細胞外からの流入によることが示唆された。

2.SAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇は非特異的なTRPチャネル阻害薬である2APB、SKF96365によって抑制されたことからTRPチャネルの関与が示唆された。LPCによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇はL型およびT型カルシウムチャネル阻害薬では抑制されず、非特異的陽イオンチャネル阻害薬であるガドリニウムで抑制された。

3.培養ヒト冠動脈平滑筋細胞においてはTRPチャネルファミリーのうち、TRPC1、C4、V1、V2、V4、M7、M8の発現が確認され、さらに免疫染色およびウエスタンブロッティングの結果から、C1、C4、V4、M7の発現が確認された。

4.受容体に共役するG蛋白質のうち、Gs蛋白質の活性化薬であるコレラ毒素(CTX)、Gi蛋白質の阻害薬である百日咳毒素(PTX)を用いた検討では、SAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇はPTX前処置細胞で抑制された。しかしLPCによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇はいずれの毒素を前処置した細胞においても影響が認められなかった。またホスホリパーゼ(PLC)阻害剤であるU73122を用いた検討でも、SAAによるカルシウムイオン濃度上昇のみ抑制された。このことからSAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇にはGi蛋白質-ホスホリパーゼを介したシグナル伝達経路が関与していることが推測された。

5.これらのシグナル伝達経路に関与するTRPチャネルの特定のため、TRPC4に対するsmall interfering RNA (siRNA)による検討を行った。TRPC4に対するsiRNAをtransfectionさせた培養ヒト冠動脈平滑筋細胞においては、TRPC4のmRNA発現が抑制されるとともに、SAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇が抑制された。このことから培養ヒト冠動脈平滑筋細胞におけるSAAによる細胞内カルシウムイオン濃度上昇にはTRPC4が関与していることが裏付けられた。

以上、本論文は培養ヒト冠動脈平滑筋細胞(hCASMCs)において、fura2-AMを用いた検討から、SAAおよびLPCが細胞内カルシウムイオン濃度を上昇させることを明らかにした。さらに百日咳毒素・コレラ毒素・PLC阻害薬を用いた検討からSAAによるこの作用にはGi蛋白質-ホスホリパーゼ系のシグナル伝達経路を介していることが明らかとなり、さらにsiRNAによる検討からTRPC4が関与していることが明らかとなった。

本研究は今まで未知に等しかったSAAによるヒト冠動脈平滑筋細胞におけるシグナル伝達経路の一端を解明し、動脈硬化および炎症病態における分子生物学的機構の解明に貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51475