学位論文要旨



No 127065
著者(漢字) 北條,宏徳
著者(英字)
著者(カナ) ホウジョウ,ヒロノリ
標題(和) ヘッジホッグシグナルによる軟骨膜における骨・軟骨前駆細胞の分化決定制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 127065
報告番号 甲27065
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3675号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 准教授 田中,栄
 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 講師 福本,誠二
 東京大学 講師 下澤,達雄
内容要旨 要旨を表示する

ヘッジホッグ(Hedgehog, Hh)シグナルは種を越えて高度に保存されており、細胞の運命決定や器官形成および個体発生において重要な役割を果たしている。脊椎動物におけるHhリガンドには、ソニックヘッジホッグ(Shh)、デザートヘッジホッグ(Dhh)およびインディアンヘッジホッグ(Ihh)の3つが存在する。この中で、Ihhは骨組織発生機構の一つである内軟骨性骨化機構において重要な役割を果たすことが知られている。

Hhシグナル伝達においては、リガンドが細胞膜上の受容体Ptchに結合し、膜タンパク質のSmoへの抑制を解除することで細胞内へとシグナルが伝達される。脊椎動物では、Gliファミリー(Gli1/2/3)がHhシグナルの標的遺伝子の転写を制御していると考えられている。Gli2とGli3については、それらの全長タンパク質に加えて、プロセシングを受けてC末が消失したものも存在し、Hhシグナルの活性化が、このプロセシングを抑制することが知られている。一方、Gli1はHhシグナルの標的遺伝子の一つであり、プロセシングは受けず活性型としてのみはたらくと考えられている。

HhシグナルはGliファミリーを介した複雑な制御機構により、様々な生理機能を発揮していると考えられている。しかしながら、Hhの生物学的機能におけるGliファミリーの寄与は十分に明らかになっておらず、その寄与様式は、生理機能に応じて異なる可能性が示唆されている。例えば、マウス脊髄発生においてGli2とGli3は協調して生理学的な機能を発揮することが知られている。また、Gli3rはマウス四肢において、Gli2はマウス神経管においてそれぞれのパターニングを特異的に制御していることが知られている。一方、Gli1は腫瘍形成といった病理学的な役割は知られているものの、器官発生等の生理学的な過程においては必要ないと考えられている。in vivoにおけるGli1トランスジェニックマウスを用いた解析の結果、Gli1が生理学的条件下においても活性型としてはたらく可能性が示唆されているが、Gli1単独の生理学的機能を明らかにした報告は存在しないのが現状である。

骨・軟骨組織において、Ihhは前肥大軟骨細胞および肥大軟骨細胞に特異的に発現している。Ihhは軟骨膜に存在する骨・軟骨前駆細胞に作用して、骨芽細胞分化過程における初期の分化を誘導し、骨芽細胞による骨殻形成を促すことが知られている。また、Hhシグナルの入力が阻害されると、骨・軟骨前駆細胞は骨芽細胞へと分化することができず、代わりに軟骨様細胞へと分化することが報告されている。そこで本研究では、Hhシグナルが骨・軟骨前駆細胞に作用し、骨芽細胞、軟骨細胞への分化決定を制御しているのではないかという仮説を立て、より詳細な解析を行った。

本研究ではまず、軟骨膜の骨・軟骨細胞の分化決定におけるHhシグナルの役割を明らかにすることを目標に、新規器官培養系の確立を試みた。従来の器官培養系は軟骨形成の解析に用いられているものの、骨殻形成を再現することができなかったため、骨芽細胞分化機構を解析することができなかった。本研究で確立された新規器官培養系は骨殻形成をin vitroで再現するだけでなく、Hhシグナル活性剤および阻害剤を曝露したところ、Hhシグナルの遺伝子欠損マウスの表現型を再現した。さらに、Hhシグナル活性剤の曝露を異なる期間で行い、骨殻形成に対する影響を検討した結果、Hhシグナルによる骨殻形成促進効果は初期の一過的な刺激で、持続曝露に匹敵する骨殻形成が認められた。

現在までの報告により、Hhだけでなく、BMPやWntシグナルも軟骨膜の骨・軟骨細胞の分化決定を制御している可能性が示唆されている。そのため、新規器官培養系を用いて、骨・軟骨細胞の分化決定におけるHh・BMP・Wntシグナルによるシグナルネットワークに関する検討を行った。新規器官培養系において、BMPおよびWntシグナル活性剤および阻害剤を曝露により、BMPおよびWntシグナルの遺伝子欠損マウスの表現型を再現することが確認された。さらに、各種薬物の同時曝露による解析の結果、骨芽細胞への分化決定機構において、Wntシグナルは、Hhシグナルにより分化の方向が規定された細胞群の細胞運命を、変更することができなかったこと、HhシグナルとBMPシグナルは協調して骨芽細胞分化を促進したこと、軟骨細胞への分化決定機構においても、Wntシグナルは、Hhシグナルにより分化の方向が規定された細胞群の細胞運命を変更することができなかったこと、およびBMPシグナルは、Hhシグナルの阻害により現れる異所性軟骨細胞の分化を促進したことが明らかとなった。

次に、Hhシグナルによる骨・軟骨前駆細胞の分化決定メカニズムに関する検討を行った。まず、Hhシグナルの活性化による下流転写因子Gliファミリーの挙動を検討した。その結果、Hhシグナルの活性化によってGli1およびGli3の発現もしくは細胞内局在が変化したのに対し、Gli2はHhシグナルには反応しないことが明らかとなった。次に、各Gliのin vitro gain-of-function解析(機能獲得実験)を行った結果、Gli1が特異的に骨芽細胞の初期分化マーカーの発現を促進させ、軟骨細胞の初期分化マーカーの発現を抑制した。さらに、Gli1遺伝子欠損型(Gli1(-/-))マウスの胎生期における骨組織を解析した結果、Gli1(-/-)中足骨では骨殻形成が認められず、軟骨膜において、骨芽細胞マーカーの発現領域の減少・消失、および軟骨細胞マーカーの異所性発現が認められた。さらに、骨芽細胞分化マーカーのプロモーター解析および軟骨細胞分化マーカーのエンハンサー解析の結果、Gli1は骨芽細胞分化過程において、プロモーター上の特定の領域に結合することで標的遺伝子の転写を介して骨芽細胞の分化を促進すること、および軟骨細胞分化過程において、エンハンサー上の特定の領域に結合することで、軟骨細胞の分化を制御する転写因子であるSox9の機能を抑制することで軟骨細胞分化を抑制する可能性が示唆された。

以上より、Gli1は軟骨膜における骨・軟骨前駆細胞の分化決定因子である可能性が示唆された。しかしながら、Gli1(-/-)マウス胎児の軟骨膜における異常は一過性であり、新生児マウスではその異常の一部が回復していたため、別の因子との機能の重複が予想された。過去の報告により、Gli1とGli2の間には神経発生・肺発生において遺伝学的重複が存在することが知られているため、骨・軟骨分化決定制御におけるGli1とGli2の機能的・遺伝学的重複の存在を検討した。in vitro機能獲得実験の結果、Gli2は単独では骨芽細胞および軟骨細胞の分化マーカー発現に影響を与えなかったのに対して、Gli1とGli2の共発現により、Gli2はGli1による骨芽細胞分化マーカーの発現誘導を増大させ、Gli1による軟骨細胞分化マーカーの発現抑制効果を増大させた。さらに、DKO(Gli1(-/-);Gli2(-/-))マウスを用いた骨組織の解析の結果、DKO新生児マウス中足骨では骨殻形成および骨芽細胞分化マーカーが全く認められず、代わりに軟骨分化マーカーの発現が認められた。また、Gli2(-/-)マウス軟骨膜由来細胞を用いたin vitro解析の結果、Gli2発現はHhシグナル活性化によるGli1発現誘導に必要であることが示唆された。

以上の結果より、本研究ではまず、生理的な骨殻形成をin vitroで再現できる新規器官培養系を確立した。本器官培養系を用いて軟骨膜における骨・軟骨前駆細胞の分化決定におけるHh, BMP, Wntシグナルの役割およびシグナルネットワークが明らかになった。即ち、Hhシグナルは軟骨膜における骨・軟骨前駆細胞の分化決定シグナルであり骨芽細胞分化誘導および軟骨細胞分化抑制を制御すること、Wntシグナルは骨・軟骨分化過程においてHhシグナルより後に作用点があり、Hhシグナルにより分化決定済みの細胞群の分化を変更することはできないこと、およびBMPシグナルは軟骨膜における骨・軟骨分化決定を直接的には制御せず、Hhシグナルにより分化決定後の骨・軟骨細胞の分化を正に制御することが明らかとなった。Hhの下流シグナルに関しては、Gli1の器官形成における生理学的な役割が世界で初めて明らかになった。Gli1は軟骨膜における骨・軟骨前駆細胞の分化決定制御因子として、骨芽細胞の初期分化促進および軟骨細胞の初期分化抑制にはたらくことが明らかとなった。軟骨膜における骨・軟骨分化決定において、Gli1とGli2には遺伝学的重複が存在するものの、異なる機能を持つことが示唆された。Gli1はHhシグナルに応答し、Hhシグナルによる骨軟骨分化決定制御における主要因子としてはたらくのに対して、Gli2はHhシグナル非応答性であり、Gli2の定常的な発現がHhシグナルによるGli1発現誘導およびGli1による骨・軟骨分化決定機構の両方に必要であることが考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は骨格形成において重要な役割を演じていると考えられるヘッジホッグ(Hh)/Gliシグナルのシグナルネットワークおよびメカニズムを明らかとするため、新規器官培養系、in vitro解析およびin vivo解析により、軟骨膜における骨・軟骨分化決定制御機構におけるHhの作用点および分化決定メカニズムの解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.生理的な骨殻形成をin vitroで再現できる新規器官培養系を確立した。

2.1.の系を用いることで、軟骨膜における骨・軟骨前駆細胞の分化決定におけるHh, BMP, Wntシグナルの役割およびシグナルネットワークが明らかになった。

・Hhシグナルによる骨殻形成促進効果には初期の一過的な刺激が必要であった。

・骨芽細胞への分化決定機構において、Wntシグナルは、Hhシグナルにより分化の方向が規定された細胞群の細胞運命を、変更することができなかった。

・BMPシグナルはHhシグナルと協調的にはたらくことで、はじめて、軟骨内骨化機構における骨形成を促進した。

・軟骨細胞への分化決定機構においても、Wntシグナルは、Hhシグナルにより分化の方向が規定された細胞群の細胞運命を、変更することができなかった。

・BMPシグナルは、Hhシグナルの阻害により現れる異所性軟骨細胞の分化・増殖を促進した。

3.Gli1およびGli3はHhシグナル反応性であるのに対して、Gli2はHhシグナルには反応しなかった。

4.Gli1は骨・軟骨前駆細胞の分化決定を制御した。

・in vitro解析において、Gli1は骨芽細胞の分化を促進し、軟骨細胞の分化を抑制した。

・Gli1(-/-)マウス胎児において骨殻の形成不全および軟骨膜における異所性軟骨細胞を確認した。

5.骨芽細胞および軟骨細胞分化マーカーの転写制御領域においてGli結合領域(GBR)を同定した。

・Gli1はAlpおよびBspプロモーター上の特定の配列に結合し、AlpおよびBsp発現を促進した。

・Gli1はCol2a1エンハンサー上の特定の領域に結合することで、Sox9のDNA結合阻害を介して、Sox9によるCol2a1発現を抑制した。

6.軟骨膜における骨・軟骨分化決定においてGli1とGli2には遺伝学的重複が存在するものの、異なる機能を持つことが示唆された。Gli1はHhシグナルに応答し、Hhシグナルによる骨・軟骨分化決定制御における主要因子としてはたらくことが考えられた。一方、Gli2はHhシグナル非応答性であり、Gli2の定常的な発現がHhシグナルによるGli1発現誘導およびGli1による骨・軟骨分化決定機構の両方に必要であることが考えられた。

以上、本論文では、Hhシグナルは軟骨膜における骨・軟骨前駆細胞の分化決定シグナルであり、Hhシグナル入力に反応して、Gli1が骨芽細胞の分化誘導および軟骨細胞の分化抑制を制御している事が明らかになった。本研究で得られた知見は、器官形成におけるHhシグナルの分子制御機構の解明につながるだけでなく、骨欠損や骨折などの骨疾患における新たな治療戦略の分子的基盤となるものと期待される。以上より本論文は学位の授与に値するものと考えられる。

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