学位論文要旨



No 127069
著者(漢字) ,信行
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,ノブユキ
標題(和) 造血幹細胞移植における移植前の心理社会的因子と予後との関連
標題(洋)
報告番号 127069
報告番号 甲27069
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3679号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 准教授 中川,恵一
 東京大学 准教授 高橋,聡
 東京大学 准教授 小出,大介
 東京大学 准教授 井田,孔明
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

近年、血液悪性疾患の治療法として造血幹細胞移植が行われ、標準的な治療法になりつつある。しかし、造血幹細胞移植においては、生着までに待機期間が存在すること、大量化学療法や放射線照射により生命の危険が伴うことや、無菌病棟への隔離などから、様々な心理社会的問題が発生することが報告されている。また移植関連死亡、再発、二次性悪性疾患に対する予後への不安も問題となる。このように移植例が増加するに従い、移植に特有の心理社会的問題が認識されるようになり、心理社会的介入の必要性も認識されるようになってきた。

心理社会的因子が悪性疾患の生命予後に影響を与えるとの報告があるが、臨床現場では十分なエビデンスのないまま予後改善を期待した様々な心理社会的介入が試みられているため、この関連性を明らかにすることは重要な課題である。心理社会的因子と悪性腫瘍の生命予後との関連を検討した研究では、様々な悪性腫瘍が対象となっているが、全ての研究で関連が見出されたわけではない。しかしながら、この関連に対する関心は高い。

造血幹細胞移植の生命予後は、多様な生物医学的変数(基礎疾患、移植時点での病期、前処置の内容、骨髄機能を廃絶させるのか否か、幹細胞源、HLA、人口学的特性)によって左右されることが報告されている。さらに、心理社会的因子と移植後生命予後との関連について検討された研究が認められるが、一般悪性腫瘍と同様、結果については一定のコンセンサスは得られていない。

造血幹細胞移植における心理社会的因子と生命予後とに関する先行研究においては、後ろ向き研究、対象数・観察期間が不十分な研究が多いこと、予後に影響を与えると考えられる共変量を組み入れて解析していない、などの問題が見受けられ、関連の有意性を報告をしたものは、インタビュー形式よるものが多く、医師患者関係の影響を受ける事が指摘されている。またコーピングを評価している代表的先行研究であるGrulkeらの研究では、共変量としての「移植リスク」をコントロールしておらず、インタビュー形式で集められたという問題点がある。またその後のGrulkeらの研究は「移植リスク」をコントロールしている唯一の先行研究ではあるが、抑うつとの関連は指摘されているもののコーピングの評価がなされていない。

【目的】

そこで本研究では、前向き研究により、生物医学的変数(性別、年齢、移植リスク、疾患の種類、フル/ミニ移植の違い、ドナー)をコントロールした多変量解析を用い、造血幹細胞移植前の心理社会的因子と生命予後との関連について検討することを目的とした。

【方法】

対象は、東京大学医学部附属病院で造血幹細胞移植を受けた血液悪性疾患の患者であり、対象基準は、以下の通りである。a) 18歳以上であること、b) 血液悪性疾患の診断を受けていること、c) 1996年6月から2008年12月までの期間に造血幹細胞移植を受けていること。

まず移植予定患者が入院した際、心療内科医は、担当患者のもとへ訪室し、質問票(セルフエスティーム評価質問紙、ソーシャルサポート評価質問紙、Profile of Mood States: POMS、State-Trait Anxiety Inventory: STAI、Stress Coping Inventory; SCI)を配布し、無菌病棟入室までの期間に記入をお願いし、その後回収した。また移植時点での年齢、性別の他に、移植リスク、疾患の種類、前処置の内容(フル移植/ミニ移植の別)、ドナーの評価を行い、アウトカムとして、移植後の予後(総死亡)を用いた。造血幹細胞移植に関する疾患リスクは、急性白血病の第1もしくは第2完全寛解期、慢性骨髄性白血病の第1もしくは第2慢性期、化学療法反応性リンパ腫、そして不応性貧血もしくは環状鉄芽球を伴う不応性貧血の骨髄異形成症候群と低リスク疾患を定義し、その他の全ての病態は高リスク疾患と定義した。血液悪性疾患はFAB分類に従い決定され、急性骨髄性白血病、急性リンパ性白血病、慢性骨髄性白血病、非ホジキンリンパ腫、骨髄異形成症候群、再生不良性貧血、分類不能の急性白血病、ホジキン病に分けられた。前処置の違いは、フル移植とミニ移植とに分けられた。造血幹細胞移植のドナーは、HLA適合血縁骨髄、HLA適合血縁末梢血、HLA適合非血縁骨髄、HLA非適合血縁骨髄、HLA非適合血縁末梢血、HLA非適合非血縁骨髄、HLA非適合非血縁末梢血、臍帯血のいずれかに分類された。なお、本研究ではHLA適合非血縁末梢血症例はなく、自己血による移植症例はサンプルサイズが小さいため除外した。

統計解析はコックスの比例ハザード分析を用い、単変量解析および、年齢、性別、移植リスク、疾患、フル/ミニ移植、ドナーを共変量としてコントロールした多変量解析により、移植前の心理社会的因子(セルフエスティーム、ソーシャルサポート、POMS、STAI、SCI)と移植後の生命予後との関連を検討した。

【結果】

解析対象は、1996年6月から2008年12月までの期間に造血幹細胞移植を行った血液悪性疾患の患者345名(男性221名、女性124名)のうち、データ欠損の無い197名(男性127名、女性70名)から、移植前歴のある例、ATGの使用例、T cell除去例を除外した181名(男性114名、女性67名)とした。

生存時間分析の結果、単変量解析では、SCI(情動的ストラテジー)においてのみ有意差(p<0.05)を認めたが、多変量解析においてはSCI(認知的ストラテジー)とSCI(情動的ストラテジー)において有意差(p < 0.05)を認めた。

【考察】

本研究では、先行研究と比較しても長期の観察期間(最長4502日)において、年齢、性別、移植リスク、疾患、ミニ移植/フル移植、ドナーをコントロールした上で、造血幹細胞移植前の心理社会的因子と全死亡率との関連が検討された。その結果、コーピングと移植後の全死亡率との間に関連を認めた。コーピングは、下位分類である認知的ストラテジーと情動的ストラテジーに分けられるが、前者では負の関連を、後者では正の関連を認めた。

認知的ストラテジーと生命予後との間に負の相関を認めたことは、認知的ストラテジーの得点が高いほど生命予後が短い事を示している。認知的ストラテジーは、問題中心のコーピングとも呼ばれ、問題の在所を明らかにし、幾つかの解決策を考え、解決策を実際に試みるといった客観的分析的プロセスの行動傾向であるが、問題ごとに目標、課題、環境が異なるため、どのような状況にも普遍的に当てはまり役立つようなプロセスは限られる、とされる。造血幹細胞移植は、多くの患者にとっては未経験の問題であるため、それまで蓄えてきた問題解決のプロセスが活用されにくい。また、患者自身が移植治療において問題点を明らかにし、解決策を考え、試みるといった行動は実際には限られる。Breznitzは、重病であることがわかった場合、認知的ストラテジーにより問題の解決を図ろうとすると、その解決策が限定されることから、情報を集めれば集めるほど逆に不安を募らせ、精神的な苦痛が増加する、と述べている。

一方、情動的ストラテジーと生命予後との間に正の相関を認めたことは、情動的ストラテジーの得点が高いほど生命予後が長いことを示している。情動的ストラテジーは、情動中心のコーピングとも呼ばれ、問題を出来るだけ小さく考えたり、問題から遠ざかってみたりと、現実に起こっている状況を変えることなしに出来事の解釈を変化させることで苦痛を低減させるプロセスである。広い範囲の様々な状況の中で普遍的に用いることができ、応用範囲が広い、とされる。また、Lazarusは、情動的ストラテジーを効果的に用いることによって、重病などの逆境的条件下にもかかわらず、肯定的に(前向きに)考えようとするなら、苦痛が軽減し、気分の状態も改善する可能性が高くなる。また諸条件が否定的なままであっても、非常に能動的に世界と関わり続けることが出来る、と述べている。造血幹細胞移植では、前述の通り、患者自身が問題点を明らかにし、解決策を考え、試みるといった行動は制限されやすい。それゆえ、現実を変えることなく、非特異的に応用でき精神的苦痛を低減させる情動的ストラテジーが高いことが重要となる可能性が高い。

解析の結果、ハザード比はSCI(認知的ストラテジー)で1.053、SCI(情動的ストラテジー)で0.951であったが、これは1ポイント得点が上がる際のハザード比であり、SCI(認知的ストラテジー)の最少得点の患者と最大得点の患者とで比較した場合、リスク比は13.93である。同様にSCI(情動的ストラテジー)のリスク比は8.61である。このことから十分に介入の余地のある因子であると考えられた。

また本研究では、その他の心理社会的因子(抑うつ、セルフエスティーム、ソーシャルサポート、不安)のいずれにおいても、移植後の生命予後との間に関連を認めなかった。また、死因について「腫瘍死」と「それ以外」に分類し、死因と各独立変数との関連についてロジスティック回帰分析を行った結果、移植リスクを除いていずれの独立変数との間にも有意な関連は認められなかった。

【結論】

本研究の結果は、造血幹細胞移植患者において、移植のリスクなどの変数をコントロールしても、移植前のコーピングという心理社会的因子が、移植後の生命予後と関連することが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、造血幹細胞移植を受けた患者の生命予後に対する心理社会的因子の関連性を明らかにするため、血液悪性疾患の患者を対象に移植前に質問紙による心理社会的評価を行い、その予後を追跡したものであり、以下の結果を得ている。

1.生存時間分析(単変量)により、造血幹細胞移植前の心理社会的因子(セルフエスティーム、ソーシャルサポート、POMS、STAI、SCI)と移植後の生命予後との関連について解析を施行したところ、SCI(情動的ストラテジー)においてのみ有意差(p<0.05)を認め、相対リスク [95%信頼区間]は1.023[1.002, 1.043]であった。その他の心理社会的因子において有意差を認められなかった。

2.生存時間分析(多変量)により、造血幹細胞移植前の心理社会的因子(セルフエスティーム、ソーシャルサポート、POMS、STAI、SCI)と移植後の生命予後との関連ついて共変量(年齢、性別、移植リスク、疾患、フル移植/ミニ移植、ドナー)をコントロールした上で解析を施行したところ、SCI(認知的ストラテジー)とSCI(情動的ストラテジー)で有意差(p<0.05)を認め、相対リスク[95%信頼区間]は各々、1.053 [1.018, 1.088]、0.951 [0.913, 0.990]であった。

つまり、SCI(認知的ストラテジー)が1ポイント上がる毎に死亡リスクは5.3%上昇し、SCI(情動的ストラテジー)が1ポイント上がる毎に死亡リスクは4.9%低下していた。

3.本研究では、その他の心理社会的因子(抑うつ、セルフエスティーム、ソーシャルサポート、不安)のいずれにおいても、移植後の生命予後との間に関連を認めなかった。

4.死因は「腫瘍死」と「それ以外」に分類し、死因と全ての独立変数との関連についてロジスティック回帰分析を行った結果、移植リスクを除くいずれの独立変数においても死因との間に有意な関連は認められなかった(移植リスクにおいて関連が認められたのは、移植リスクが高いほど「それ以外」による死亡が多いという、定義上必然の結果である)。

以上、これまでの先行研究では、共変量として「移植リスク」をコントロールしておらず、また「移植リスク」をコントロールした場合でも、コーピングの評価がなされたものはない。本研究は、年齢、性別、移植リスク、疾患、前処置の内容、ドナーなどの共変量(生物医学的変数)をコントロールした上で、これまで得られてこなかったコーピングと生命予後との関連を示したものであり、移植患者における心理社会的介入に科学的な根拠を与え、その重要性に貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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