学位論文要旨



No 127077
著者(漢字) 阿部,裕一
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ユウイチ
標題(和) 転写調節因子EYA4の全前脳胞症発症への関与についての検討
標題(洋)
報告番号 127077
報告番号 甲27077
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3687号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 井上,聡
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 田中,輝幸
 東京大学 講師 滝田,順子
 東京大学 講師 亀井,良政
内容要旨 要旨を表示する

【目的】全前脳胞症 (Holoprosencephaly: HPE)は、胎齢18-28日に生じる脳の左右分割不全による先天性の脳奇形である。ソニック・ヘッジホッグ (SHH)をはじめとして様々な原因遺伝子が知られているが、約70%の患者ではその原因遺伝子は不明であり、他の原因遺伝子の存在や環境因子などの関与も疑われている。

今回HPE亜型の症例においてG-バンド法による染色体異常や既知のHPE原因遺伝子の検査における異常が認められないため、高密度オリゴヌクレオチドマイクロアレイ解析をおこない、6番染色体長腕6q22.31から23.2にかけて10.4 Mbpの欠損を見いだした。この欠損領域には80の遺伝子が含まれていたが、その中にHPE原因遺伝子の一つである転写因子SIX3との相互作用の可能性のある転写調節因子EYA4遺伝子のプロモーター領域からexon 2までが含まれていることに注目した。

EYAファミリータンパクはSIXファミリータンパクとの相互作用によって転写を調節する。EYA4は4種類のEYAファミリー遺伝子の1つで、中枢、顔面、耳、四肢末端の初期発生中に発現する転写調節因子であり、遺伝性感音難聴や拡張型心筋症の原因遺伝子として知られているが、HPEとの関連の報告はない。そこで本研究では、6番染色体長腕の欠損部分の詳細な解析おこなった上で、マウス初期発生におけるEya4発現時期と局在に関する解析、EYA4と既知のHPE原因遺伝子であり転写調節因子として知られるSIX3との相互作用について分子生物学的手法を用いて解析し、EYA4の原因候補遺伝子としての可能性についての検討をおこなった。

【方法】症例:1歳8ヶ月男児、精神運動発達の遅れで精査、頭部MRI画像上大脳頭頂部での左右半球分離不全の所見でありMiddle interhemispheric variant (MIH) タイプのHPEと診断した。

遺伝子検査を含む研究については家族による同意及び倫理委員会の承認を得た上で、症例の末梢血リンパ球ゲノムを用いて既知のHPE原因遺伝子変異の有無に関する検索、高密度オリゴヌクレオチドマイクロアレイ解析をおこなった。更にマイクロアレイの結果を元に染色体欠損部断端の塩基配列解析をおこなった。

Whole-mount in situ hybridization (WISH)によるマウス胚におけるEya4の発現パターンの解析をおこない、発生過程における脳での発現の有無を検証した。

今回注目しているSIX3とEYA4、及びSIXとEYAの相互作用が明らかになっているSIX2、EYA1を含めたタグ付きタンパクの発現ベクターを作成し以後の実験で用いた。

SIX3とEYA4の複合体形成の解析目的に、タグ付きSIX2、SIX3、EYA1、EYA4発現ベクターを動物培養細胞に遺伝子導入し、発現したタンパクを細胞ライゼートとして回収し免疫沈降を実施、共沈したタンパクをSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動で展開した後にウエスタンブロットで検出した。更にEYA4のN末側の機能ドメインであるvariable region (VR)の欠損変異体とC末側のEya domain (ED) 欠損変異体を作製して同様に免疫沈降をおこない、EYA4分子内におけるSIX3との結合に関与する部位の同定を試みた。欠損変異体を含めたEYA4、EYA1、SIX2、SIX3発現ベクターをルシフェラーゼレポータープラスミドと共に培養細胞に遺伝子導入し、ルシフェラーゼアッセイをおこなった。また細胞内局在を調べるために、EGFPタグ付きのEYA4、DsRedタグ付きSIX3の発現ベクターを培養細胞に単独もしくは同時に遺伝子導入し、細胞内局在の解析をおこなった。

【結果】症例の末梢血リンパ球ゲノムについて主な既知のHPE原因遺伝子であるSHH、ZIC2、SIX3、PTCH1 およびTGIF1の翻訳領域について塩基配列の解析をおこなったが、各遺伝子のエクソン及びイントロン部分の塩基配列に変異は確認できなかった。

マイクロアレイ解析では染色体6q22.31から23.2にかけてシグナルの低下を認め、6番染色体長腕の片アレルにおける10.4 Mbpの欠失が疑われた。染色体欠損部断端の塩基配列解析の結果、実際に6番染色体長腕に10.4 Mbpの欠損があり、EYA4のexon 2までを含む80の遺伝子が欠損範囲に含まれることが明らかとなった。断端の塩基配列の解析結果より、再結合によって生じるキメラ遺伝子の存在は否定した。

マウス胚におけるEya4発現解析をWISHでおこなった結果、E10.5前後で前脳-終脳における発現を認めた。

免疫沈降では、既に結合が報告されているEYA1とSIX2、SIX3の組み合わせ以外に、新たにEYA4とSIX3の複合体形成が観察された。EYA4欠損変異体とSIX3の免疫沈降においては、VR欠損変異体とSIX3の結合は認められたが、ED欠損変異体とSIX3の結合は見られなかった。

3種類のレポータープラスミドを用いてSIX3とEYA4の機能的な相互作用の解析目的におこなったルシフェラーゼアッセイでは、コントロールとの比較でSIX3単独でルシフェラーゼ比活性は有意に上昇、EYA4単独では上昇を認めなかったが、SIX3とEYA1またはEYA4の組み合わせによりSIX3単独より有意な比活性の上昇を認めた。またSIX2単独ではルシフェラーゼ比活性の有意な上昇は認めなかったが、EYA1またはEYA4の存在下で有意な上昇を認めた。免疫沈降で用いたEYA4欠損変異体を用いたルシフェラーゼアッセイでは、SIX3とED欠損変異体及びVRの大幅な欠損変異体の組み合わせにおいて、全長EYA4とSIX3の組み合わせに比べて比活性の有意な低下を示した。

タグ付きEYA4とSIX3の培養細胞内における局在及び共存在における局在の変化についての解析では、SIX3単独では核に、EYA4単独では細胞質と核のどちらにも分布するが、SIX3の存在下ではEYA4は核に局在する傾向を認めた。

【考察】今回MIH variantタイプのHPE症例のリンパ球ゲノムに対して原因解析目的におこなった高密度オリゴヌクレオチドマイクロアレイ解析によって、G-バンド法によって検出されなかった6番染色体長腕に10.4 Mbpの欠損を発見できたことから、HPEをはじめとする原因が完全には明らかとなっていない先天性疾患におけるスクリーニング検査として、ゲノムワイドなマイクロアレイは有用であると考えた。

欠損部分に含まれる80の遺伝子には脳で発現する遺伝子や機能不明の遺伝子も含めてHPE発症に関与する可能性は否定できないが、HPE原因遺伝子の一つであるSIX3との相互作用の可能性がある転写調節因子、EYA4の転写開始コドンの存在するexon 2までが欠損領域に含まれており、EYA4の欠損による量的発現の減少がHPE発症に関与すると考えた。また、EYA4遺伝子のexon 1、2の欠損が発症の原因であると考えた場合、残存したexon 3以降に存在する開始コドンからの翻訳による異所性のEYA4変異体の発現がHPE発症へ関与した可能性は否定できない。

マウス胚を用いたWISHによるEya4の発現パターンの確認では、HPE発症の時期と考えられている脳の左右分割の時期と重なるE10.5を中心に前脳での発現を認め、HPE原因候補遺伝子の発現パターンとして矛盾しない結果と考えた。

免疫沈降の実験ではSIX3とEYA4の結合が認められ、更にEYA4の欠損変異体を用いた免疫沈降の実験結果よりSIX3との結合にはEYA4のC末側にあるED が関与することが示唆された。

SIX3とEYA4の機能的相互作用の解析目的でおこなったルシフェラーゼアッセイでは、各レポーターに組み込んだプロモーター配列に対するSIX3の転写調節作用についてEYA4が増強効果を示す一方で、EYA4欠損変異体を用いた実験では、免疫沈降の結果で判明した、SIX3との複合体形成が不可能なED欠損変異体だけでなく、大きくVRを欠損した変異体も増強効果を示さなくなることから、SIX3の転写調節作用の増強には、EYA4のVRが重要であると考えられた。

また培養細胞内の局在についてもSIX3存在下においてEYA4は核に局在する傾向を認めており、機能的な相互作用を示す結果であると考えられた。

これらの結果からEYA4は分子内機能ドメインであるEDを介してHPE原因遺伝子の一つであるSIX3と複合体を形成し、VRを介して機能的に相互作用を示し、正常の脳の発生において重要な役割を果たしていると考えられるが、片アレルにおけるEYA4の欠損によって発現の量的な低下が生じた場合には、EYA4とSIX3の関連する転写調節障害がおこりHPEを発症すると考えた。

【結論】G-バンド法で正常核型を示したMIHタイプのHPE1才男児例のリンパ球ゲノムに対しておこなった高密度オリゴヌクレオチド-マイクロアレイ検査において、6番染色体長腕に10.4Mbpの欠失を見いだした。この欠損領域に含まれる転写制御因子EYA4はヒトでのHPE発症時期にあたるマウスの胎生E10.5前後で一過性に脳に発現していることが判明した。EYA4は分子内機能ドメインであるEDを介してHPE原因遺伝子の一つであるSIX3と物理的・機能的に相互作用を示しており、EYA4の量的発現の低下によるSIX3の機能不全を介したHPEの発症が考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、先天性脳奇形である全前脳胞症 (HPE) 亜型症例のリンパ球ゲノムに対して高密度オリゴヌクレオチドマイクロアレイ解析をおこない、解析結果より判明した6番染色体長腕の10.4 Mbpの欠損領域に含まれていた転写調節因子EYA4をHPE原因候補遺伝子と疑い、既知の原因遺伝子SIX3との相互作用を中心に解析し、HPE原因候補遺伝子としての可能性についての検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. G-バンド法では正常核型を示すHPE症例のリンパ球ゲノムをサンプルとし、主な既知のHPE原因遺伝子であるSHH、ZIC2、SIX3、PTCH1 およびTGIF1の翻訳領域について塩基配列の解析をおこなった。各遺伝子の全コーティングエクソン及びイントロン-エクソン接合部分の塩基配列に異常は認めなかったため、HPE発症の原因解析目的に高密度オリゴヌクレオチドマイクロアレイ解析をおこない、6番染色体長腕に10.4 Mbpの欠損を発見した。HPEの原因として染色体異常が原因のことも多いが、6番染色体長腕22.31から23.2にかけて10.4 Mbpの欠損部分とHPEとの関連を示唆する症例は本報告が初めてであり、G-バンド法で検出困難な染色体欠損を検出できたことからも、HPE症例における原因検索の手段として、マイクロアレイ解析は有用であることが示された。

2. 欠損領域には80の遺伝子が存在し、この中にHPE原因候補遺伝子があるものと考えた。80の遺伝子の中には既知のHPE原因遺伝子は存在していなかったが、EYA4を含む12の遺伝子は脳での発現が確認されているものであった。本研究の結果からは、EYA4以外にもこれらの染色体欠損領域に含まれていた中枢に発現する遺伝子や機能不明の遺伝子の中に、HPE発症に関与する遺伝子が存在する可能性は否定できなかった。

3. 本研究ではHPE原因遺伝子の一つであるSIX3との相互作用の可能性がある転写調節因子、EYA4が欠損領域に含まれていることに注目した。染色体欠損部分にはEYA4遺伝子のプロモーター領域とexon 1、2までが含まれていた。EYA4遺伝子の翻訳開始ATGはexon 2上に存在しているため、欠損アレルからは正常な転写、翻訳が不可能であると考えたが、第1開始コドンからの正常な翻訳は不可能でも、exon 4に存在する2個のATGを用いてN末端側の29個ないし31個のアミノ酸を欠損した欠失変異体が翻訳される可能性は否定できなかった。

4. EYA4をHPE原因候補遺伝子と仮定した場合、発現の時期と局在を明らかにすることがHPEの発症にEYA4の欠損が関与するという仮説において必要であると考え、マウスの発生過程において、HPE発症の時期と考えられている脳の左右分割の時期であるE9.5から11.5付近におけるEya4の発現の検証をおこなった結果、Eya4はマウスの発生過程において前脳の左右分割前の時期に相当するE10.5をピークに脳での一過性の発現を認めることが示された。

5. SIXタンパクとEYAタンパクとの相互作用の報告があるが、EYA4についてはSIX3との相互作用は証明されていなかった。本研究では、免疫沈降法を用いてSIX3がEYA4とタンパク複合体を形成することを示した。

6. EYA4とSIX3の結合についての詳細を調べるためにEYA4の欠損タンパクを作製し相互作用を確認する実験をおこなった。その結果、N末側にあるvariable region (VR) 欠損変異体はSIX3との複合体形成が認められたが、C末側にあるeya domain (ED) 欠損変異体はSIX3との複合体形成が確認できなかった。このことからEYA4とSIX3の複合体形成にはEYA4のEDが関与していることが示された。

7. 更にタンパク相互作用・機能解析の目的でルシフェラーゼアッセイをおこなった。レポーターにはSIX4結合が確認されているATP1A1 response element、Six3自身によって発現調節がおこなわれているSix3プロモーター領域、HPE発症で重要なSHH経路の細胞内伝達分子であるGliの結合配列をレポーター遺伝子上流に組み込んで実験をおこなった。これらのレポータープラスミドを用いたルシフェラーゼアッセイで、SIX3によって上昇する比活性がEYA4によって更に増強されるという結果が得られたことから、SIX3とEYA4の間に機能的相互作用が示された。

8. 欠損タンパクを用いたルシフェラーゼアッセイの実験において、免疫沈降の結果でSIX3とのタンパク複合体の形成が不可能なEYA4のC末側のED欠損変異体だけでなく、N末側を大きく欠損したVR変異体がSIX3と機能的相互作用を示さなかったことから、N末側のVRはSIX3との機能的な相互作用において転写活性化能を有することが示された。

9. 培養細胞にSIX3とEYA4を同時に遺伝子導入することによって、単独では細胞質と核に存在するEYA4が、SIX3存在下において核に局在する傾向を認めており、細胞内においても相互作用認めることが示された。

以上、本論文はG-バンド法では正常核型を示すHPE症例に対しておこなったマイクロアレイ解析によって6番染色体長腕の微少欠損を発見し、その欠損領域に含まれていた転写調節因子EYA4をHPE原因候補遺伝子と考えて既知の原因遺伝子SIX3との相互作用を中心に解析した結果、これまで報告のなかったSIX3とEYA4の間の強い相互作用を明らかにしたものである。本研究はHPEの発症メカニズムについて大きな発見であっただけでなく、今後転写制御に関するメカニズムや脳神経系の発生メカニズムの解明に大きく寄与することが期待されるものであり、学位の授与に値するものである。

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