学位論文要旨



No 127078
著者(漢字) 岩澤,有希
著者(英字)
著者(カナ) イワサワ,ユウキ
標題(和) リン脂質抗原提示分子「CD1d」を介した抗リン脂質抗体による流産メカニズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 127078
報告番号 甲27078
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3688号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 准教授 金森,豊
 東京大学 講師 大須賀,穣
 東京大学 講師 江頭,正人
 東京大学 教授 高橋,孝喜
内容要旨 要旨を表示する

【序文】流産は約10~15%の妊娠におこり、その80%が胎児の偶発的染色体異常であり自然淘汰と考えられている。2回流産した者が次の妊娠で流産する確率は20~30%、3回以上流産を経験した者が次の妊娠で流産する確率は約50%と、流産回数の増加に伴ってその確率も上昇する。このことは、単なる偶然の染色体異常による流産の反復では説明困難で、母体あるいは胎児の父親にその原因がある場合があることを示している。習慣流産は3回以上自然流産を繰り返す状態と定義され,その原因は多岐にわたる。その中で最近注目されているのが、自己免疫異常の1つである抗リン脂質抗体症候群(antiphospholipid syndrome; APS)である。APSは1986年にHughesらによって抗リン脂質抗体(antiphospholipid antibody; APL)が陽性で、かつ血小板減少症、血栓症、または流産のいずれかの臨床症状を認める症候群として提唱された。周産期領域でもAPSについて様々な臨床研究がなされ、APSが習慣流産のみならず、妊娠10週以降の原因不明の子宮内胎児死亡、妊娠高血圧症候群、また胎児発育不全とも強く関連していることが明らかになってきた。実際、厚生労働省研究班の調査ではわが国の習慣流産患者のうち9.3%にAPSがあるとされている。

APSはPhosphatidylserine(PS)などの陰性荷電を持つリン脂質に対する自己抗体の産生により引き起こされるが、APLの真の対応抗原はリン脂質そのものではなく、リン脂質に結合するβ2-glycoprotein I(β2GPI)などの血漿蛋白である。β2GPIは細胞膜リン脂質に結合し血液凝固カスケード、血小板凝集やin vitroで活性化された血小板のプロトロンビナーゼ活性を抑制する因子である。β2GPI依存性抗カルジオリピン抗体は、この機能を妨げ凝固能を亢進させて血栓傾向を誘導し、胎盤内の血栓形成を促進させるために胎盤機能不全が生じ流産を引き起こすと考えられてきたが、胎盤血管形成がなされ血流が確立する妊娠9-10週以前の流産についてはそれだけでは説明困難である。

絨毛細胞は胎盤付着部位から母体子宮内膜内へと浸潤しつつExtravilllous trophoblast(EVT)へと分化していく。その分化の過程においてEVTの増殖能、浸潤能など細胞特性がダイナミックに変化してゆくことが知られている。EVTの増殖、浸潤過程においては、EVTが発現するHLA-G抗原をはじめとするHLA抗原系や、EVTと母体免疫細胞が分泌する多くのサイトカイン、ケモカイン、また血管新生関連因子など、種々の分子が働いていることが明らかになっている。その中で、本研究ではmajor histocompatibility complex(MHC) I類似の抗原提示分子であるCD1dに注目した。

本研究ではAPSを引き起こす代表的な抗リン脂質抗体であるβ2GPI依存性抗カルジオリピン抗体が、β2GPI 2分子と安定的に結合すること、CD1dが自己のリン脂質であるPSを抗原提示することに着目した。PSがβ2GPIと複合体を形成し、細胞表面に存在することはすでに報告されていることから、β2GPI依存性抗カルジオリピン抗体がCD1dを介し直接的に絨毛細胞に作用し、サイトカイン分泌を促進することにより流産に関与するのではないかと考え、母体胎児境界における胎児側CD1dと母体iNKTの相互作用、さらにはこの相互作用にβ2GPI依存性抗カルジオリピン抗体が影響して流産を引き起こす機序について検討した。

【方法】

ヒト絨毛癌由来の細胞株JEGに、CD1d遺伝子、または機能実験における陰性コントロールとして細胞外構造がCD1d、細胞内構造がCD1aであるキメラ分子(細胞内へのシグナル伝達を行わない)CD1a/dを導入し、CD1dあるいはCD1a/dを恒常的に発現するtrophoblast株JEG/CD1dおよびJEG3/CD1a/dを樹立した。次いで、CD1dあるいはCD1a/d、PS、β2GPIの細胞表面存在をフローサイトメトリー法によって観察した。またCD1dとPS-β2GPI 複合体の結合をIP-Western blot法で確認した。JEG/CD1d 、JEG3/CD1a/d、JEGに対して、抗CD1d抗体、抗β2GPI抗体単独、コントロールIgGを添加し、CD1d抗原の架橋反応が誘導されるか、炎症性サイトカインであるIL-12の発現をELISAおよび定量的RT-PCR法で検討した。また、脱落膜中の母体iNKTと胎児側CD1dの相互作用を検討するため、施設倫理委員会承認のもと、文書で同意を得た人工中絶症例から採取したヒト脱落膜から脱落膜リンパ球を分離し、iNKTの増殖誘導剤αGalCerを7日間添加して培養した。添加前後でVα24Vβ11陽性iNKTの細胞数をフローサイトメトリー法で比較した。JEG/CD1dもしくはJEGに、αGalCer刺激した脱落膜iNKTを加え共培養し、上清中のIL-12の濃度を測定した。さらに、JEG/CD1d、JEG/CD1a/d、JEGに、脱落膜iNKTを加えた共培養系に抗β2GPI抗体またはコントロールIgGを添加した群と添加しない群で、炎症性サイトカインIFNγ、IL12の産生をELISA法および定量的RT-PCR法で観察した。

【結果】フローサイトメトリー法では、JEG/CD1d/、JEG/CD1a/dの細胞表面にCD1d発現(CD1a/dの細胞外ドメインはCD1dと同一)が認められ、その発現に一致してPS、β2GPIの存在も認められた。次いで、JEG、JEG/CD1d細胞のタンパク質を抽出し、抗CD1d抗体を用いて免疫沈降をおこなった。沈殿に対してHRP標識した抗β2GPI抗体あるいは抗AnnexinV抗体(PSを検出)を用いてWesternblot法によりbandを検出した。JEG/CD1d細胞においてはβ2GPIおよびPSのbandが確認できたが、JEG細胞では認められなかった。以上より、JEG/CD1d細胞表面において、CD1d、PS、β2GPI が複合体を形成していることが確認された。抗CD1d抗体+二次抗体による架橋反応では、JEG/CD1dにおいてIL-12誘導能の増加が確認されたが、JEG/CD1a/dやJEGにおいては確認されなかった。JEG/CD1dにおけるIL-12誘導能の増加は抗β2GPI抗体単独でも認められ、抗β2GPI抗体は二次抗体なしにCD1dと相互作用をおこすことがわかった。また、脱落膜リンパ球に対するαGalCer刺激によりVα24Vβ11陽性のiNKTの細胞数が約15倍に増加し、この細胞を以下の実験で脱落膜iNKTとして使用することとした。脱落膜iNKTとJEG/CD1dとの共培養では、培養液中のIL12濃度上昇がELISA法で確認されたが、JEGとの共培養では上昇しなかった。ただし、この実験におけるIL12濃度上昇は、抗体による架橋反応で生じたIL12濃度上昇よりも弱いものであった。すなわち、CD1dと脱落膜iNKTの相互作用でも弱いながら、IL-12産生が誘導されていることがわかった。次に抗β2GPI抗体存在下で脱落膜iNKTをJEG/CD1d、JEG/CD1a/dあるいはJEGと共培養した。抗β2GPI抗体添加群とコントロールIgG添加群のIL12産生の比をとり各細胞間で比較したところ、JEG/CD1d細胞では、18時間後に抗β2GPI抗体添加群のIL12産生がコントロールIgG添加群の3倍にまで増加した。しかし、JEG/CD1a/dやJEGでは抗β2GPI抗体存在下でも、IL12産生の増加を認めず、この差は有意であった。次に同様の系でIFN-γの産生についても、抗β2GPI抗体添加群とコントロールIgG添加群の比をとり各細胞間で比較した。IL12と異なり全ての細胞の抗β2GPI抗体添加群で、18時間後にIFN-γの産生が増加する傾向にあったが、JEG/CD1d細胞においてのみ有意差を認め、JEG/CD1a/dやJEGでは有意差を認めなかった。

【考察】母体の脱落膜組織に胎児のEVTが適切に浸潤していくことが、胎盤形成が正しく行われる鍵となるが、この過程では局所で厳密にコントロールされた炎症反応が必要である。脱落膜iNKTとEVT上のCD1dの相互作用により少量産生されるIL-12はこの炎症反応に寄与していると考えられる。しかし、この母体胎児境界に抗β2GPI抗体が存在すると厳密にコントロールされた環境が乱される。本研究において、抗β2GPI抗体が存在すると、PS-β2GPI複合体を介してCD1d分子と反応し、IL12産生が増加するとともに、CD1d-脱落膜リンパ球間の相互作用によるIL12産生がさらに刺激されることが示された。また特にCD1d発現細胞と脱落膜リンパ球の接する胎児母体境界では抗β2GPI抗体存在下でIFN-γ産生が増加することがわかった。すなわち、抗β2GPI抗体が存在すると、IL12が母体IFN-γ産生細胞であるiNKT細胞を活性化させる→iNKT細胞から分泌されたIFN-γがEVT上のCD1d発現を増加させる→CD1d発現細胞からさらにIL12分泌が促進されるというサイクルが必要以上に活性化され、母体胎児境界における局所の炎症が過剰となり、流産を引き起こすことが示唆された。抗リン脂質抗体に関連した流産は胎盤内の凝固亢進による微小梗塞によるものであるとされているにもかかわらず、実際胎盤や妊娠初期の絨毛組織からは病理学的な梗塞像がみとめられることはごくまれである。このことから、抗リン脂質抗体の引き起こす流産には、別の機序が存在すると指摘されてきた。本研究により,抗β2GPI抗体による流産が、絨毛細胞上のCD1dと脱落膜iNKT細胞を介した過剰な炎症によるという新しい機序が示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、抗リン脂質抗体症候群における流産の、血栓形成以外の発症機序について検討したものである。CD1dを恒常的に発現するJEG/CD1d細胞株を作成し、母体脱落膜リンパ球と抗β2GPI抗体が絨毛細胞に与える影響について下記の結果を得た。

1.絨毛癌細胞株JEGに、自己のリン脂質を抗原提示する膜タンパク質であるCD1dを遺伝子導入して細胞株JEG/CD1dを作成し、フローサイトメトリー法及びWestern blot法でCD1dの発現と、CD1dに結合しているタンパク分子の有無を検討した。その結果、JEG/CD1dはCD1dを発現しており、β2GPI分子とリン脂質であるPhosphatidylserineの複合体が細胞膜表面のCD1dに結合していることが示された。

2.JEG及びJEG/CD1dに抗CD1d抗体(マウス)と2次抗体である抗マウスIgG抗体を添加し分子架橋反応実験を行った。細胞からmRNAを抽出し、realtime PCR法で、向炎症サイトカインIL-12の発現を検討し、さらに上清中へのIL12タンパクの分泌をELISA法で検討した。JEG/CD1dにおいて、IL12p40の発現増加が認められたが、JEGでは発現増加が認められなかった。抗CD1d抗体(マウス)と2次抗体により、CD1d分子の架橋反応が誘導されたと考えられた。

3.同様にJEG及びJEG/CD1dに抗β2GPI抗体を単独で添加した。その結果、JEG/CD1dにおいて、IL12p40の発現増加が認められたが、JEGでは発現増加が認められず、抗β2GPI抗体とCD1d分子との相互作用により、分子架橋反応と同様の反応が誘導されることがわかった。

4.ヒト脱落膜から抽出したリンパ球をinvariant natural killer T cell (iNKT)の特異的リガンドであるαGalCerで刺激したところ、脱落膜リンパ球中に占めるiNKTの割合が増加した。この脱落膜リンパ球をJEG及びJEG/CD1dと共培養した。その結果、JEG/CD1dとの共培養で上清中へのIL12分泌が増加したが、JEGとの共培養ではIL12分泌の増加は認められなかった。iNKTとCD1dとの相互作用により、炎症が誘導される可能性が示された。

5.αGalCerで刺激したヒト脱落膜リンパ球とJEG/CD1d、JEGの共培養系に、抗β2GPI抗体を添加したところ、JEG/CD1d細胞との共培養において、IL12及びIFN-γの上清中への分泌増加が認められた。抗β2GPI抗体が、iNKTとCD1dとの相互作用に影響し、さらに炎症反応を誘導する可能性が示された。

以上、本論文は抗リン脂質抗体である抗β2GPI抗体は、妊娠局所である子宮脱落膜において、過剰な炎症を誘導し、絨毛細胞に直接的に傷害を与えることによって流産の誘因となりうることを示した。本研究は、これまで血栓形成が主な原因とされてきた抗リン脂質抗体症候群の流産において、過剰な炎症という新たな流産発症機序が存在する可能性を示した点で、今後の流産治療の可能性を広げたと考えられ、医学博士の学位に値するものと考えられた。

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