学位論文要旨



No 127080
著者(漢字) 神田,祥一郎
著者(英字)
著者(カナ) カンダ,ショウイチロウ
標題(和) 家族性巣状糸球体硬化症発症機構に関する研究 : TRPC6変異による過剰活性化メカニズムの解明
標題(洋)
報告番号 127080
報告番号 甲27080
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3690号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上妻,志郎
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 准教授 北中,幸子
 東京大学 准教授 中村,元直
 東京大学 講師 飯島,勝矢
内容要旨 要旨を表示する

巣状糸球体硬化症(focal segmental glomerulosclerosis, FSGS)はネフローゼ症候群の原因の1つでありその35%を占める。多くは特発性であるが、1950年代より家族性FSGSの存在が知られていた。長い間その原因は不明であったが、近年分子生物学的手法の進歩とともに、家族性FSGSや先天性ネフローゼ症候群の連鎖解析が行われNephrin、Podocin、ACTN4、CD2AP、Neph1などの原因分子の存在が明らかとなり、これらの多くは糸球体上皮細胞(podocyte)、特にスリット膜と呼ばれる糸球体上皮細胞足突起間の細胞接着装置に存在していた。その結果スリット膜が蛋白濾過における主要な構成成分として注目されている。現在ではスリット膜は単なる接着分子としてのみならず、細胞内にシグナルを伝えるシグナル受容体であることも明らかとなり、スリット膜が様々なシグナルのplatformとして働いていることも分かってきている。

スリット膜でのシグナル伝達研究の1つとして、チロシンリン酸化によるスリット膜の機能制御が注目されている。例えば、腎発生期やネフローゼ実験モデルでNephrinやNeph1のチロシンリン酸化が平常時に比べ亢進し、チロシンリン酸化が細胞内シグナルを修飾し細胞骨格を変化させること、Neph1がチロシンリン酸化を受け、アダプター蛋白Grb2を介しERK活性を制御していることが報告されている。

TRPC6(transient receptor potential C)は6回膜貫通型Ca2+チャネルで、血管平滑筋をはじめ多くの組織に発現していることが知られている。腎臓ではpodocyteのスリット膜に発現しているが、2005年にその遺伝子異常で成人発症の家族性巣状糸球体硬化症が起こることが報告された。

培養細胞を用いて変異TRPC6のチャネル活性を測定したところ、いくつかの変異では活性が増大していることや、微小変化型ネフローゼや膜性腎症などの後天性ネフローゼにおいてその発現が増加していることから、podocyteにおける過剰なCaシグナルが病態発症に関与することが示唆されている。

その一方これまでにFSGSにおいて約10種類のTRPC6変異が報告されているが、活性に影響を与えない変異も存在し、活性単独では病態を説明することができずその発症メカニズムは不明な部分が多い。

またin vitroの実験系により、TRPC6がSrc family tyrosine kinaseによってチロシンリン酸化を受け、活性が増大することが知られている。

今回私はTRPC6チャネルのチロシンリン酸化を介した活性化メカニズムの詳細とそのメカニズムの病態形成への関与について解明すべく解析を行った。

まず、ビオチン化実験により受容体刺激の下流においてTRPC6がSrc family tyrosine kinaseにより細胞内のチロシンリン酸化を受け、膜発現量が増加することを見いだした。TRPC6細胞内領域に存在するチロシンをフェニルアラニンに変えた変異体を8種類(Y31F, Y50F, Y85F, Y107F, Y206F, Y208F, Y284F, Y895F)作成し、HEK293T細胞と培養podocyteにおいて、TRPC6のリン酸化依存的膜移行を解析したところ、Y284F変異の膜移行が消失することから、TRPC6のリン酸化を介した膜移行には、N末細胞内領域に存在するY284のリン酸化が関与していた。

リン酸化したY284に結合する蛋白質がTRPC6の膜移行を促進する、と仮説を立て、ペプチドプルダウン実験を行った。Y284周囲のアミノ酸からなるペプチド(リン酸化/非リン酸化)を用いて、HEK293T細胞のcell lysateをプルダウンし銀染色を行ったところ、リン酸化Y284ペプチドに特異的に結合する分子量140kDの蛋白を見出した。この蛋白をゲルから切り出し、プロテアーゼ処理を行い、作られたペプチドを質量分析計(LC-MS/MS)を用いて解析し、Y284のリン酸化に伴う結合蛋白としてPLC-γ1を同定した。一方si-RNAによりPLC-γ1のノックダウンを行ったところ、リン酸化依存的なTRPC6の膜移行が抑制され、Y284のチロシンリン酸化とPLC-γ1との結合が膜移行に必須であることが分かった。

次にTRPC6とスリット膜構成蛋白との相互作用を解析した。共免疫沈降法を行い、スリット膜の主要構成蛋白であるNephrinがTRPC6とY284のリン酸化依存的に結合し、TRPC6- PLC-γ1結合を阻害した。つまりNephrinはPLC-γ1と競合的にリン酸化TRPC6と結合した。GST-Nephrin-CD(cytoplasmic domain)のdeletion変異を複数作成し、これらを用いてプルダウン実験を行い、TRPC6-Nephrin結合に必要なNephrin部位を1216-1227の12個のアミノ酸からなる領域と同定した。

NephrinのTRPC6機能への影響を解析した。ビオチン化実験では、Nephrin存在下においてTRPC6のリン酸化依存的膜移行が減少した。またTRPC6のチャネル活性をCaインジケーター(Fura-2/AM)を用いて測定すると、Nephrinを共発現することによりリン酸化TRPC6を介したCa流入が抑制された。以上より、NephrinはPLC-γ1と競合的にTRPC6に結合することでTRPC6のリン酸化依存的膜発現およびチャネル活性化に対し、抑制的に働くことが分かった。

TRPC6との結合に必要なNephrinの細胞内領域を同定したが(Nephrin(1216-1227))、Cell-penetrating peptideを用いた方法でこの領域のペプチドをHEK293T細胞および培養podocyteの細胞内に導入したところ、このNephrinペプチド(1216-1227)はTRPC6-PLC-γ1複合体の膜発現およびchannel活性を抑制する効果を持っていた。

報告されているTRPC6の患者変異についても同様にNephrinとの結合を解析した。解析した6つの変異の内5つにおいてNephrinとの結合が低下していた。また患者変異TRPC6の機能に対するNephrinの影響を調べると、全ての変異でNephrinによる抑制を受けず膜発現およびチャネル活性が増大していた。

以上よりTRPC6のリン酸化を介した活性化は促進的なPLC-γ1と抑制的なNephrinによって制御され、患者変異ではNephrinによる抑制制御が減弱し、TRPC6機能が亢進していることが明らかになった。この結果は糸球体上皮細胞特異的なチャネルの制御機構の存在を意味し、一般的な培養細胞でのチャネル活性測定単独では明らかにならなかった病態発症メカニズムを説明しうるものである。多くのネフローゼ症候群においてNephrinの発現が低下しており、これらの病態でNephrinのチャネル活性抑制への抵抗性がこの細胞におけるCaホメオスタシスを変化させていると考えられた。またNephrinペプチド(1216-1227)はTRPC6機能を抑制することから、podocyte内に導入する適切な方法があれば新たな治療法となりうる可能性が示唆された(Pat. Pend.)。

審査要旨 要旨を表示する

TRPC6(transient receptor potential C)は6回膜貫通型Ca2+チャネルであり、腎臓ではpodocyteのスリット膜に発現しているが、2005年にその遺伝子異常で成人発症の家族性巣状糸球体硬化症が起こることが報告された。TRPC6はチロシンリン酸化により活性化されることが知られており、本研究は活性化メカニズムの詳細とそのメカニズムの病態形成への関与について解明すべく解析を行ったものであり、以下の結果を得ている。

1. ビオチン化実験では受容体刺激の下流においてTRPC6がSrc family tyrosine kinaseにより細胞内のチロシンリン酸化を受け、膜発現量が増加した。TRPC6細胞内領域に存在するチロシンをフェニルアラニンに変えた8種類の変異体(Y31F, Y50F, Y85F, Y107F, Y206F, Y208F, Y284F, Y895F)によるリン酸化依存的膜移行を解析したところ、Y284F変異の膜移行が消失した。TRPC6のリン酸化を介した膜移行には、N末細胞内領域に存在するY284のリン酸化が関与していることが示された。TRPC6 Y284周囲のリン酸化/非リン酸化ペプチドを用いたプルダウン実験により、リン酸化したY284の結合蛋白としてPLC-γ1を同定した。si-RNAを用いたPLC-γ1のノックダウンでは、リン酸化依存的なTRPC6の膜移行が抑制された。以上より、Y284のチロシンリン酸化とPLC-γ1との結合がTRPC6の膜移行に必須であることが示された。

2. TRPC6とスリット膜構成蛋白との相互作用を解析するために行った共免疫沈降法を用いた実験では、スリット膜の主要構成蛋白であるNephrinがTRPC6とY284のリン酸化依存的に結合し、TRPC6-PLC-γ1結合を阻害した。GST-Nephrin-CD(cytoplasmic domain)のdeletion変異を複数作成し、これらを用いてプルダウン実験を行い、TRPC6-Nephrin結合に必要なNephrin部位を1216-1227の12個のアミノ酸からなる領域と同定した。

3. NephrinのTRPC6機能への影響を2つの系(膜発現および細胞内へのCa流入)で解析した。ビオチン化実験では、Nephrin存在下においてTRPC6のリン酸化依存的膜移行が減少した。Caインジケーター(Fura-2/AM)を用いて細胞内へのCa流入を測定すると、Nephrinを共発現することによりリン酸化TRPC6を介したCa流入が抑制された。以上より、NephrinはPLC-γ1と競合的にTRPC6に結合することでTRPC6のリン酸化依存的膜発現およびチャネル活性化に対し、抑制的に働くことが示された。

4. TRPC6との結合に必要なNephrinの細胞内領域を同定したが(Nephrin(1216-1227))、Cell-penetrating peptideを用いた方法でこの領域のペプチドをHEK293T細胞および培養podocyteの細胞内に導入したところ、このNephrinペプチド(1216-1227)はTRPC6-PLC-γ1複合体の膜発現およびchannel活性を抑制した。In vivoでpodocyte内に導入する適切な方法があればTRPC channelopathyに対する新たな治療法となりうる可能性が示唆された。

5. 報告されているTRPC6の患者変異についても同様にNephrinとの結合を解析すると、解析した6つの変異(P112Q, N143S, S270T, K874X, R895C, E897K)の内5つにおいてNephrinとの結合が低下していた。また患者変異TRPC6の機能に対するNephrinの影響を調べると、全ての変異でNephrinによる抑制を受けず膜発現およびチャネル活性が増大していた。以上よりTRPC6のリン酸化を介した活性化は促進的なPLC-γ1と抑制的なNephrinによって制御され、患者変異ではNephrinによる抑制制御が減弱し、TRPC6機能が亢進していることが明らかになった。

以上本論文はpodocyte特異的なTRPC6チャネルの制御機構の存在と、一般的な培養細胞でのチャネル活性測定単独では明らかにならなかった病態発症メカニズムを明らかにしたものであり、病態理解に重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

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