学位論文要旨



No 127081
著者(漢字) 小泉,英樹
著者(英字)
著者(カナ) コイズミ,ヒデキ
標題(和) ヒト臍帯静脈血管内皮細胞における植物フラボノイド,イカリンによるアンドロゲン受容体を介した一酸化窒素産生機構の解析
標題(洋)
報告番号 127081
報告番号 甲27081
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3691号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 准教授 藤井,知行
 東京大学 講師 古村,眞
 東京大学 講師 飯島,勝矢
内容要旨 要旨を表示する

[背景] 植物フラボノイドであるイカリンは冠動脈拡張、心筋機能不全軽減、性機能改善、骨芽細胞増殖刺激等に効果があり、PDE5阻害作用(バイアグラと共通の作用)や一酸化窒素(NO)産生の促進等、テストステロン様作用もある。テストステロンは骨密度、筋力、愛欲等の制御の他に、冠動脈疾患を予防する。血清テストステロン低値は男性では虚血性心疾患の危険因子となり、ホルモン補充療法(HRT)の適応となる。HRTは男性では前立腺癌や心血管障害、女性では乳癌や子宮癌や静脈血栓症等の副作用が問題視され、この有害事象を抑える為、HRTの代替療法が模索されてきた。そこでステロイド骨格のないイカリンのテストステロン様作用は、副作用を考えずにアンドロゲン低下症や冠動脈疾患などの管理において、まさに代替医療の名に相応しい治療になり得る可能性がある。

NOは恒常性維持や生命現象の制御に深く関わり、血管拡張、血小板凝集抑制、抗炎症、平滑筋増殖抑制などの作用がある。NOは、神経型、内皮型、誘導型の三種のNOSアイソフォームから産生され、特に内皮型一酸化窒素合成酵素(eNOS)を介する血管内皮細胞からのNO放出は、血管の修復や新生に重要な役割を担う。

これまで、イカリンのPI3-K/Akt系やMEK/ERK1/2系の活性化に関連したNOSの刺激やNO産生促進作用が報告されているが、血管内皮細胞におけるそれらの作用機序は解明されていない。又、血管内皮細胞におけるエストロゲン受容体(ER)を介したNO産生刺激につき種々の細胞株で報告されているが、以前我々の研究班は「血管内皮細胞におけるジンセノサイドRb-1(ステロイド様作用を持つハーブの一つ)によるPI3-K/Akt系を介したeNOS活性化にアンドロゲン受容体(AR)が関与する」と報告している。本研究ではERの他、このARとイカリンによるeNOSの活性化との関連についても着目し検討を重ねた。

ステロイド骨格を持たない天然の植物性フラボノイドで、副作用を考えずに且つステロイド様効果が得られる効率的な薬剤として将来汎用される可能性を秘めているイカリンの作用機序を明らかにすべく、eNOSの活性化やNO産生刺激に関するイカリンの効果を評価し、ヒト臍帯静脈血管内皮細胞(HUVEC)におけるシグナル伝達や、ステロイドホルモン受容体との関連について解析することを研究目的とした。

[方法] HUVEC(継代数5~9)を、10%FBS含有培養液を用いて1×104 / cm2で播き、コンフルエントになるまで培養後ステロイド除去したFBS及び血清を含まない培養液で6時間培養し増殖を停止させた。阻害剤を用いた実験では、イカリンにて刺激する1時間前に阻害剤を添加した。コントロールを含め、イカリン、PD98059、wortmannin、L-NAME、ニルタマイドには溶媒にDMSO(0.001%)を使用した。eNOS、Akt、ERK1/2のリン酸化や阻害剤を用いたリン酸化反応やsiRNAトランスフェクションの評価をウエスタン・ブロットにて行った。各種薬剤で処理後のHUVECをlysis bufferに溶解し蛋白回収した。全てのサンプルはSDS-PAGEを行い、メンブレンにトランスファーし免疫ブロット解析した。siRNAの実験では、HUVECを抗生剤を含まない培養液で40-50%コンフルエントになるまで培養した。培養液を捨てトランスフェクション液1mlを注入し、トランスフェクション用試薬を用いて細胞をトランスフェクションした。2時間培養後に培養液3mlを加え、更に24時間培養後にHBSSで洗浄し、6時間スタベーションした。トランスフェクション効果は、抗ARや抗ERの抗体を用いたウエスタン・ブロットで評価した。細胞内NO産生の測定は、NOの間接的定量法の一つである2,3-ジアミノナフタレンキットを用いた蛍光法により、NO2-を測定することで評価した。イカリンとARの結合の有無は、核内受容体蛍光偏光アッセイキットを用いて評価した。

[結果] (1).イカリンは血管内皮細胞においてNO産生を増加させたが、この増加はNOS阻害剤で有意に抑制された。これは、イカリンによるNO産生の増加はNOS活性の上昇によって媒介されることを示唆している。イカリンによる急速なeNOSのリン酸化は刺激後5分より起き、60分で最大となった。このリン酸化は、濃度依存性であった。(2).イカリンによるAktのリン酸化は刺激後5分から生じ、30分で最大となった。ERK1/2のリン酸化は刺激後5分から生じ、15分で最大となった。このイカリンによるAkt及びERK1/2のリン酸化は濃度依存性であった。

イカリンによるeNOSのリン酸化は、PI3-K阻害剤・wortmanninで有意に抑制され、MEK(ERK1/2の上流キナーゼ)阻害剤・PD98059でも部分的に抑制された。

NO産生測定でも、ほぼ同様の傾向で抑制された。これらは、イカリンは主にPI3-K/Akt系を介しeNOSのリン酸化やNO産生増加を誘導するが、一部MEK/ERK1/2系も関与していることを示唆している。更にイカリンによるAktのリン酸化は、wortmanninで完全に抑制された一方、PD98059でも部分的に抑制され、又、イカリンによるERK1/2のリン酸化は、PD98059で完全に抑制されたのみならず、wortmanninでも部分的に抑制された。従って、PI3-K/Akt系とMEK/ERK1/2系との間に、クロストークの存在が示唆された。(3).イカリンによるeNOS、Akt、ERK1/2のリン酸化はAR阻害剤のニルタマイドで抑制されたが、ER阻害剤のICI182780では抑制されなかった。NO産生測定でもニルタマイドでNO産生が著明に減少したが、ICI182780では有意な変化はなかった。次に、ARの遺伝子発現の抑制をsiRNA法にて検討した。AR-siRNAでトランスフェクションされた細胞において、ARの発現は有意に減弱した。イカリンによるeNOSのリン酸化は、ARの発現抑制により有意に減弱したが、ERα-siRNAでは、有意な変化はなかった。更にイカリンによるeNOSのリン酸化亢進が、核内遺伝子の転写を介するゲノム作用によるのか、転写を介さない非ゲノム作用によるのかを検討した。eNOSの活性化は転写活性阻害剤の一つであるアクチノマイシンDで抑制されなかった。従って、イカリンによるARを介するeNOSの活性化は非ゲノム作用によると推察できる。(4).イカリンと核内ARとの結合はみられなかった。当結果と、イカリンによるeNOSの活性化がアクチノマイシンDで抑制されないことを考慮し、イカリンによるARを介するeNOSの活性化のシグナルは、genomicな作用を経由せず、何らかの情報伝達因子が媒介することによって、リガンド非依存的にシグナルが伝達されて行くものと考えた。そこで代表的なセカンドメッセンジャーのcAMPがこの経路を媒介する可能性につき着目した。イカリンによるeNOSの活性化はPKA阻害剤のH-89により抑制された。この結果から、イカリンによるeNOSの活性化にcAMP/PKA系が関与することも判明したが、cAMPがどの部位に作用しているかは未解明である。

[考察] 血管内皮細胞において、イカリンがARを介するeNOSの活性化によりNO産生を刺激することを明らかにした。

イカリンによる急速なNO産生の増加はNOS阻害剤で抑制された。イカリンによるeNOSのリン酸化は刺激後5分でみられ、60分で最大となった。この結果は、血管内皮細胞におけるNO産生の急性作用は、非ゲノム作用を介したイカリンによるeNOSのリン酸化及び活性化に帰することを示唆する。イカリンは血管内皮細胞において、AktやERK1/2のリン酸化を亢進させた。又、イカリンによって誘導されたeNOSのリン酸化は、PI3-K/Akt及びMEKの阻害剤により抑制された。これらの結果より、PI3-K/Akt系及びMEK/ERK1/2系を介した活性は、血管内皮細胞におけるイカリンによるeNOSのリン酸化に関与することが示唆された。

本研究で、イカリンによるeNOSのリン酸化がAR受容体阻害剤やAR mRNAのノックダウンにより抑制されるという結果を得たが、イカリンと核内ARの結合はみられなかった。又、イカリンによるeNOSの活性化はアクチノマイシンDで抑制されなかった。従って、イカリンのeNOS活性化作用は、リガンド非依存的にARを活性化するシグナル伝達経路による非ゲノム作用であると考えられる。

これらを踏まえて、イカリンによるリガンド非依存的なARを介するeNOSの活性化は、いかなる経路でシグナル伝達が行われているか問題提起し、代表的セカンドメッセンジャーのcAMPの関与につき検討した。イカリン及びジンセノサイドRb-1によるeNOSの活性化がPKA阻害剤により抑制されたが、細胞応答を媒介するcAMPが直接AR自体を刺激するのか、または他の二次的な経路で、cAMPによりERK1/2等が活性化しeNOSの活性化へと繋げているのか等、cAMPがどの部位に作用するのかは未解明である。しかしながら、アンドロゲン様作用を持つイカリン及びジンセノサイドRb-1によるeNOSの活性化にcAMP/PKA系が関与するという結果は、一般的に植物性アンドロゲンが、cAMP/PKA系を介してリガンド非依存的にARを刺激し機能している可能性を想像させ、これは、シグナル伝達系の始めの段階において、重要な鍵を握っていると推察される。又、イカリンによるeNOSの活性化は、非転写レベルにおいてARに特異的なことが判明したが、どの様な環境下でARを特異的に介するのかにつき考察を加えた。エストロゲンでは、膜蛋白に結合して数分で生じる迅速な細胞反応も知られ、この反応は遺伝子の転写を介さない非ゲノム作用で、これには膜受容体の存在が大きいとされる。ARにおいては、細胞膜ARの存在に関する報告はされているものの、上記のような非ゲノム作用と膜型受容体との関連については未解明で、より複雑なシグナル伝達ネットワークの存在が予想される。イカリンによるeNOSの活性化におけるARの特異的な関与には、ERにおいて生じる、細胞膜のオーファン受容体を介し、エストロゲン依存性に他の分子と複合体を形成して行っているシグナル伝達の様なものが存在する可能性もある。ステロイド骨格を持たないイカリンが、ARを介するeNOSの活性化によりNO産生を亢進させるという本研究結果は、将来的に、植物性アンドロゲンの作用解明に向けた分子生物学レベルでの実験的解析へのきっかけとなり、各種疾患におけるイカリンによる薬理学的な活性のメカニズムの更なる理解への手掛かりとなるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

イカリンは、ステロイド骨格を持たない天然の植物性フラボノイドであり、近い将来、副作用をあまり考えることなく、且つステロイド様効果が得られる効率的な薬剤として汎用される可能性がある。本研究は、このイカリンの作用機序を明らかにすべく、eNOSの活性化やNOの産生刺激に関するイカリンの効果を評価し、ヒト臍帯静脈血管内皮細胞 (HUVEC)におけるシグナル伝達経路や、ステロイドホルモン受容体との関連などについて解析したものであり、下記の結果を得ている。

(1).イカリンは血管内皮細胞においてNOの産生を増加させたが、この増加はNOS阻害剤で有意に抑制された。これは、イカリンによるNO産生の増加はNOS活性の上昇によって媒介されることを示唆する。イカリンによる急速なeNOSのリン酸化は刺激後5分より起き、60分で最大となった。このリン酸化は濃度依存性であった。

(2).イカリンによるAktのリン酸化は刺激後5分から生じ、30分で最大となった。ERK1/2のリン酸化は刺激後5分から生じ、15分で最大となった。このイカリンによるAkt及びERK1/2のリン酸化は濃度依存性であった。又、イカリンによるeNOSのリン酸化は、PI3-K阻害剤・wortmanninで有意に抑制され、MEK(ERK1/2の上流キナーゼ)阻害剤・PD98059でも部分的に抑制された。NO産生測定でも同様の傾向で抑制された。これらは、イカリンは主にPI3-K/Akt系を介しeNOSのリン酸化やNO産生増加を誘導するが、一部MEK/ERK1/2系も関与することを示唆する。更にイカリンによるAktのリン酸化は、wortmanninにて完全に抑制された一方で、PD98059でも部分的に抑制され、又、イカリンによるERK1/2のリン酸化はPD98059で完全に抑制されたのみならず、wortmanninでも部分的に抑制された。従って、PI3-K/Akt系とMEK/ERK1/2系間にクロストークの存在が示唆された。

(3).イカリンによるeNOS、Akt、ERK1/2のリン酸化はAR阻害剤のニルタマイドで抑制されたが、ER阻害剤のICI182780では抑制されなかった。NO産生刺激の実験でも、ニルタマイドでNO産生が著明に減少したが、ICI182780では有意な変化はなかった。次に、ARの遺伝子発現の抑制をsiRNA法で検討した。AR-siRNAにてトランスフェクションされた細胞では、ARの発現は有意に減弱した。イカリンによるeNOSのリン酸化は、ARの発現抑制により有意に減弱したが、ERα-siRNAでは有意な変化はなかった。更にイカリンによるeNOSのリン酸化亢進が、核内遺伝子の転写を介するゲノム作用によるものか、転写を介さない非ゲノム作用によるものかを検討した。eNOSの活性化は、転写活性阻害剤の一つであるアクチノマイシンDで抑制されなかった。従って、イカリンによるARを介するeNOSの活性化は非ゲノム作用によると推察できる。

(4).イカリンと核内ARとの結合はみられなかった。この結果とイカリンによるeNOSの活性化がアクチノマイシンDにて抑制されなかったことを考慮すると、イカリンによるARを介するeNOSの活性化のシグナルは、genomicな作用を経由せずに、何らかの情報伝達因子が媒介することによって、リガンド非依存的にシグナルが伝達されて行くものと考えた。そこで、代表的なセカンドメッセンジャーのcAMPがこの経路を媒介する可能性に着目した。イカリンによるeNOSの活性化はPKA阻害剤のH-89で抑制された。この結果から、イカリンによるeNOSの活性化にcAMP/PKA系が関与することも判明したが、cAMPがどの部位に作用しているかは未解明である。しかしながら、アンドロゲン様作用を持つイカリンによるeNOSの活性化にcAMP/PKA系が関与するという結果は、一般的に植物性アンドロゲンが、cAMP/PKA系を介してリガンド非依存的にARを刺激し機能している可能性を想像させ、これはシグナル伝達の始めの段階において重要な鍵を握っていると推察される。

以上、本論文は、血管内皮細胞において、ステロイド骨格のないイカリンが、ARを介するeNOSの活性化によりNOの産生を刺激し、これには、PI3K/Akt経路やMEK/ERK1/2経路及びcAMP/PKA経路が関与していることを明らかにした。

本研究で得られた結果は、将来的に植物性アンドロゲンの作用解明に向けた分子生物学レベルでの実験的な解析へのきっかけとなり、各種疾患における、イカリンによる薬理学的な活性メカニズムの解明に関し、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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