学位論文要旨



No 127085
著者(漢字) 冨尾,文子
著者(英字)
著者(カナ) トミオ,アヤコ
標題(和) プロラクチンによる免疫調節転写因子T-betの調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 127085
報告番号 甲27085
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3695号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上妻,志郎
 東京大学 教授 井上,聡
 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 准教授 久米,春喜
 東京大学 講師 大須賀,穣
内容要旨 要旨を表示する

女性の生体内は、妊娠・出産の際に精子や胎児が免疫排除されないように、女性ホルモンにより巧妙に免疫系をコントロールされている。なかでも子宮は、精子や胎児が存在する生殖臓器そのものであり、緻密な免疫系のコントロールが必要となる。妊娠初期に、着床はTh1応答優位の炎症性の環境において起き、その後の妊娠維持にはTh2優位へのTh1/Th2バランスシフトが必要と言われている。また、子宮は外界と接し日常的に病原体に曝され、しばしば病原体の標的部位となる。ヒトパピローマウイルス(HPV)、単純ヘルペスウイルス(HSV)、クラミジアトラコマティス、ナイセリアゴノレア、サイトメガロウイルス等の性行為感染により侵入する病原体は、子宮頸部に持続感染する。この易感染性は子宮が女性ホルモンに影響されやすい臓器であることが関係する。

プロラクチン(以下PRL)は、妊娠4ヶ月頃より漸増し分娩直前には非妊時の10倍以上(300-500ng/ml)に上昇する。授乳期には、授乳の影響で一時的な上昇は見られるが全体的には漸減する。だが、授乳している期間は非妊時上限(30ng/ml)を下回ることはない。以上のようにPRLは妊娠・産褥を通じて変化が著しく、同時期の免疫状態に多大な影響を与えている可能性がある。

本研究の目的は、主にTh1誘導因子であるT-betに着目し、PRLによる個体全体および産婦人科特有分野としての子宮頸部粘膜局所の免疫調節機構を解明することである。

PRLは妊娠の維持、乳腺の発達、体液の恒常性維持、免疫調節など様々な身体的働きをもつポリペプチドホルモンである。ヒト非妊娠時血中濃度に相当する低用量PRL(10-30ng/ml)は炎症性免疫応答および抗体産生を促進するが、ヒト妊娠時血中濃度に相当する高用量PRL(100ng/ml)はこれらの応答を抑制すると言われている。この相反する効果の機序はまだ不明な点が多い。また、エストロゲン、プロゲステロンを含む女性ステロイドホルモンは獲得免疫・自然免疫応答に影響すると言われている。エストロゲンの獲得免疫への影響は、リンパ球や樹状細胞からのTh2サイトカイン分泌を促進することが特徴的である。エストロゲンは生殖器の上皮細胞を含む抗原提示細胞による抗原提示を抑制し、ナチュラルキラー(NK)細胞の自然免疫応答を抑制する。プロゲステロンはTh1反応を抑制し、T細胞の細胞傷害性活性を減弱させ、抗体産生能を高め、マウスとヒトで微生物の感染への感受性を高める。だが、女性ステロイドホルモンによる免疫学的変化の機序は不明な点も多い。

未熟ヘルパーT細胞の炎症性Th1反応への分化はIFN-γやIL-12などのTh1サイトカインによる他に、T-betと呼ばれる転写因子により誘導される。T-betはCD4陽性T細胞におけるTh1分化を促進する転写因子の一つであり、Th1分化の中心的役割をなす。T-betはリンパ球、種々の抗原提示細胞(単球、マクロファージ、樹状細胞、骨髄性細胞)、ヒト生殖器の上皮細胞に発現し、IFN-γの生成を促進する一方Th2サイトカインの発現を抑制している。これまでに、IFN-γ/Stat1経路、IL-12/Stat4経路がT-bet発現機構として判明している。

本研究では、第一にPRLの用量依存性の免疫調節について検討した。PRL受容体はサイトカイン受容体の一種であり、PRL受容体シグナルは主にJAK2/Stat経路を介する。本研究では、PRL受容体シグナルがJAK2/Stat経路に関与し、その結果T-bet発現の変化を通じて免疫調節を行うと仮説を立てた。そして、この仮説と、その結果生まれるCD4陽性T細胞に対する高用量と低用量PRLでの逆説的な影響について検討した。

第二に、子宮頸部局所の免疫調節について、子宮頸部リンパ球を用いて検討した。これまでに、子宮内膜上皮細胞においてエストロゲン、プロゲステロン相互はStat5の活性化により分泌期中期~後期にT-betを促進することが判明している。だが、子宮頸部に存在する粘膜リンパ球におけるT-betの変動については不明である。本研究では性周期、性ホルモン、PRLによる子宮頸部粘膜におけるTh1誘導因子T-bet、Th2誘導因子GATA-3の変動について検討した。

ヒト白血病由来のCD4陽性T細胞株である8E5細胞に、hPRL(10,30,100ng/ml)を添加し、T-bet mRNA量をreal time RT-PCR法で測定した。また、JAK2およびT-bet発現に関与する可能性のある転写修飾因子Stat1、Stat5のリン酸化パターン、JAK2/Stat経路の阻害因子であるSOCS1、SOCS3、CISのタンパク量の変化をWestern immunoblotting法で検討した。60日令の非授乳Balb/cマウス脾臓由来のCD4陽性T細胞にhPRL(0,10,30,100ng/ml)を3時間添加しT-bet mRNA量をreal time RT-PCR法で測定した。

8E5細胞において、T-bet mRNA量は低用量および高用量PRLどちらを添加しても急速に増加した。変化のパターンは同じであったが、T-bet mRNA量は、高用量PRLに比べ低用量PRLの方が高かった。低用量PRLを40分添加するとTRR(T-betのプロモーターにあり、転写促進に重要な調節部位)に結合するStat1のリン酸化は抑制された。TRR結合リン酸化Stat5は添加前に殆ど確認できなかったが、低用量PRL添加後はCD4陽性細胞において速やかに誘導され、40分添加後に基準値に戻った。リン酸化JAK2およびTRR結合リン酸化Stat5の変化のパターンは低用量PRL添加時のT-bet mRNA発現量の変化と類似していた。以上より、JAK2/Stat5経路のPRLによるT-bet発現機構への関与が示唆された。

PRL添加によりSOCS1とSOCS3は用量、時間依存的に増加した。CISも増加したがPRLとは無関係であった。JAK2のリン酸化は低用量PRL添加時には用量依存的に増加したが高用量PRL添加時には減少し基準値に戻った。TRR結合リン酸化Stat5の発現量も同様のパターンを示した。T-bet発現へのPRLの用量依存的影響の違いは短時間添加だけでなく長時間添加でも観測された。同様の結果がマウス初代CD4陽性T細胞でも確認された。

次に、文書で同意を得た女性50例(増殖期:20例、分泌期:20例、授乳期:10例)より分離した子宮頸部リンパ球におけるT-bet、GATA-3のmRNA量をreal time RT-PCR法で測定した。増殖期・分泌期・授乳期に分けて有意差検定を行った。

T-bet mRNA量は分泌期で約13倍上昇が見られた。GATA-3 mRNA量は増殖期で約4倍上昇が見られた。T-bet/GATA-3比(Th1/Th2比)は分泌期で有意に上昇していた。授乳期のT-bet mRNA量は産後11ヶ月まで漸減した。GATA-3 mRNA量は授乳期には変動が見られなかった。

本研究により、PRL/JAK2/Stat5経路とPRL/SOCS1、SOCS3経路の均衡の変化によりT-bet発現量のPRL用量依存的変化が起こることが示唆された。妊娠中のように高濃度に保たれたPRLは、女性ステロイドホルモンと共に胎児を、母親の局所的、全身的Th1応答、自然免疫応答から守っている可能性がある。

また、本研究ではサイトカイン発現の重要な調節因子であるT-bet、GATA-3両因子のヒト子宮頸部リンパ球における発現を観測し、T-bet mRNA、GATA-3 mRNAが性周期や妊娠・出産と共に変動することが判明した。本研究は、ヒト子宮頸部リンパ球を用いて粘膜免疫と性周期との関連を調べた初めての報告である。さらに、T-betの発現は分泌期に増加し、GATA-3の発現は分泌期に減少することが判明した。女性ステロイドホルモンは分泌期中期~末期に子宮内膜上皮細胞でのT-bet発現を促進するが、子宮頸部リンパ球においても、性周期でのT-bet、GATA-3発現の変動が女性ステロイドホルモンによる調節であることを強く示唆している。また、分娩直前に非妊時の10倍以上まで上昇したPRLは、授乳期に漸減する。今回、子宮頸部リンパ球において授乳期の進行と共にT-betの減少が見られた。PRL300ng/ml以上という超高用量でのT-bet発現への影響は100ng/mlという高用量レベルとは異なる調節がかかっている可能性がある。

分娩直後のT-betは高発現しており、初乳を含む最初の時期の母乳は胎児に強い免疫能を授ける大事な役割を果たしていると考えられた。

以上、本研究は、Th1誘導因子であるT-betという転写因子に着目し、妊娠・産褥期におけるPRLの変化が、異なる分子メカニズムを介して免疫系を調節することを示した。また、子宮頸部リンパ球を分離することにより、子宮頸部という場所の粘膜免疫状態を直接観測した。

女性ホルモンによる免疫調節機構は子宮頸部リンパ球に反映されることが判明した。子宮頸部リンパ球は極めて簡便に採取でき、粘膜免疫の情報をヒトから直接的に得ることができる点で今後の粘膜免疫学研究にとって大変魅力ある試料となる。今後は、子宮頸部リンパ球を用い、生殖(妊娠・産褥)、性感染症、子宮頸癌といった産婦人科領域で代表的な疾患と、女性ホルモンによる免疫調節を結びつける研究を進めることが重要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はプロラクチン(以下PRL)による妊娠・産褥期における免疫調節機構を解明するため、主にTh1誘導因子であるT-betに着目してCD4陽性T細胞および産婦人科特有分野としての子宮頸部粘膜局所での発現の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.CD4陽性T細胞株にhPRL(10,100ng/ml)を短時間(10,20,40分)添加した際のT-bet mRNA量を、real time RT-PCR法を用いて測定した。ヒト非妊娠時血中濃度に相当する低用量PRL(10ng/ml)および、ヒト妊娠時血中濃度に相当する高用量PRL(100ng/ml)どちらを添加してもT-bet mRNAは急速に増加した。変化のパターンは同じであったが、T-bet mRNA量は高用量PRLに比べ、低用量PRLの方が高かった。

2.CD4陽性T細胞株にhPRL(10ng/ml)を短時間(10,20,40分)添加した際のJAK2、Stat1、Stat5のT-bet転写量に付随するリン酸化パターンについてオリゴヌクレオチド沈降反応を利用したwestern immunoblottingを用いて検討した。リン酸化Stat1、Stat5のTRR(T-bet調節領域)への特異的結合はオリゴヌクレオチド沈降反応により確認された。リン酸化JAK2およびTRR結合リン酸化Stat5の変化のパターンは低用量PRLを添加した際のT-bet mRNA発現量の変化と類似していた。以上より、JAK2/Stat5経路のPRLによるT-bet発現機構への関与が示唆された。

3.CD4陽性T細胞株にhPRL(10,30,100ng/ml)を10分間、120分間添加した際の、JAK2/Stat経路の阻害因子であるSOCS1、SOCS3やCISのタンパク量の変化とリン酸化JAK2、Stat5のタンパク量の変化についてwestern immunoblottingを用いて検討した。PRL添加によりSOCS1、SOCS3は用量依存的、時間依存的に増加がみられた。PRL添加によりCISの増加もみられたが、用量および時間とは無関係であった。リン酸化JAK2、TRR結合リン酸化Stat5の発現量は、PRL添加10分後、120分後いずれにおいても低用量PRL(10-30ng/ml)では増加がみられたが高用量PRL(100ng/ml)では減少か変化なしの状況であった。以上より、低用量PRLではJAK2/Stat5が優位に働き、高用量PRLではSOCS1/SOCS3が優位に働くことが示唆された。

4.CD4陽性T細胞株にhPRL(10,100ng/ml)を長時間(4時間)添加した際のT-betタンパク量をwestern immunoblottingを用いて測定した。低用量PRL(10ng/ml)添加時にはT-betの増加がみられたが、高用量PRL(100mg/ml)添加時にはわずかに減少がみられた。

5.CD4陽性T細胞株にhPRL(10,100ng/ml)を長時間(3,6,9,18,36時間)添加した際のT-bet mRNA量をreal time RT-PCR法を用いて測定した。低用量PRL(10ng/ml)添加時にはT-bet mRNA量は3時間でピークを迎え、その後9時間までに基準値に戻った。高用量PRL(100ng/ml)添加時には36時間にわたりT-betの転写は抑制された。T-bet発現へのPRLの用量依存的影響の違いは短時間添加だけでなく長時間添加でも観測されることが示された。

6.60日令の非授乳Balb/cマウスの脾臓由来の初代CD4陽性T細胞にhPRL(10,30,100ng/ml)を3時間添加した際のT-bet mRNA量をreal time RT-PCR法を用いて測定した。低用量PRL(10ng/ml)添加時にはT-bet mRNA量は顕著に増加し、PRLの濃度の上昇とともに減少し、高用量PRL(100ng/ml)では基準値と差がみられなかった。

7.文書で同意を得た女性50例(増殖期:20例、分泌期:20例、授乳期:10例)より分離した子宮頸部リンパ球におけるT-bet mRNA量およびTh2誘導因子であるGATA-3 mRNA量をreal time RT-PCR法を用いて測定した。増殖期、分泌期、授乳期別に分けて有意差検定を行った。T-bet mRNA量は平均値がそれぞれ増殖期に0.530、分泌期に6.708(P=0.008)で、有意に分泌期で上昇がみられた。GATA-3 mRNA量は平均値がそれぞれ増殖期に1.619、分泌期に0.465(P=0.0003)で、有意に増殖期で上昇がみられた。授乳期のT-bet mRNA量は産後1ヶ月では1.042であったが、その後漸減し産後11ヶ月には0.002になった。GATA-3 mRNA量は授乳期には変動がみられなかった。

以上、本論文はTh1誘導因子であるT-betという転写因子に着目し、妊娠・産褥期におけるPRLの変化が、異なる分子メカニズムを介して免疫系を調節する可能性を示した。また、子宮頸部リンパ球を分離することにより、子宮頸部という局所の粘膜免疫状態を直接観測した。本研究は、これまで不明な点の多かったPRLの免疫系への調節機構の解明および子宮頸部粘膜局所における免疫状態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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