学位論文要旨



No 127087
著者(漢字) 竹村,彩
著者(英字)
著者(カナ) タケムラ,アヤ
標題(和) 血管石灰化の分子機序における血管平滑筋細胞の老化形質転換の関与 : 長寿遺伝子Sirt1による血管石灰化抑制機序
標題(洋)
報告番号 127087
報告番号 甲27087
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3697号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山岨,達也
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 准教授 矢作,直也
 東京大学 講師 長野,宏一郎
 東京大学 講師 香取,竜生
内容要旨 要旨を表示する

高齢者循環器疾患を考える上で血管石灰化は大きな問題であり、特に血管中膜に起こるメンケベルグ型石灰沈着は脈圧増大や血圧変動を惹起し、高齢者高血圧の特徴を呈する。最終的に相対的臓器虚血を誘発し、心血管イベント発症に大きく関与する。従来、血管石灰化は動脈硬化の終末像として受動的カルシウム沈着により形成されると考えられていたが、最近になり血管壁細胞、特に血管平滑筋細胞(SMC)が能動的に石灰化促進方向へと作動し、骨化と極めて類似の機構による病態、いわゆる「cell-mediated process」が主体であるであると考えられている。一方、動脈硬化の形成過程において、近年、血管構成細胞の細胞老化形質の存在が確認されている。細胞老化は2つの現象がある。細胞分裂を経ずストレス刺激により誘導される老化(premature senescence)と、細胞分裂を重ねたことによる分裂寿命を意味する老化(replicative senescence)である。ほとんどの細胞は細胞分裂数に限りがあり、細胞分裂を経て老化する。

実際、動脈硬化巣の形成において、血管構成細胞である内皮細胞と平滑筋細胞の両細胞での老化形質の存在(Senescence associated β-gal染色による陽性細胞)は報告されている。しかし、血管平滑筋細胞における細胞老化の形質転換に関しては比較的報告が少なく、特に血管石灰化現象における細胞老化の関わりについての研究はほとんどされていない。よって本研究は血管石灰化の形成過程において血管平滑筋細胞の細胞老化形質転換がどのように関与しているのか解明することを目的とした。特に、長寿遺伝子として知られているNAD依存性脱アセチル化酵素Sir2のヒトホモログであるSirt1の関与に注目し実験を進めた。

血管石灰化の発症機序の一つとして腎不全における高リン血症に注目し、0.75%アデニン含有餌によるラット腎不全モデルを用いた。腎不全誘導8週間の時点において、sacrificeする直前にレントゲン側面像を確認したところ、広範にわたる大動脈の石灰化像を認めた。アデニン投与により腎不全を引き起こし、血清クレアチニンの著明な上昇 (腎不全群3.0±0.9mg/dL vs. コントロール群0.3±0.0mg/dL)を認め、尿中アルブミン排泄の著明な上昇 (腎不全群 49.9±21.8mg/g・Cre vs. コントロール群0.0±0.0mg/g・Cre)を認め、さらに高リン血症 (腎不全群18.9±4.7mg/dL vs. コントロール群9.8±0.9mg/dL)を認めた。開胸後にも著明な石灰化が再確認された。大動脈切片のvon Kossa染色において、全周性に中膜の石灰化を認め、病理学的にメンケベルグ型を呈していた。また老化形質をとった細胞の存在および局在を調べるために、SAβ-gal染色を行った。石灰化を起こした周囲に老化形質をとった細胞が増加していた。そこで細胞老化形質の誘導と石灰化の出現を時系列で観察するために、2週間毎のサンプルに対して、SAβ-gal染色とVon Kossa染色を行った。von Kossa染色から同定できる石灰沈着は、腎不全誘導開始後4週目において、ごく微小の石灰沈着 (microscopic calcification)が一部認められたが、全体的に4週目では明らかな石灰化は認めなかった。一方、8週目の時点になると、全周性に中膜に著明な石灰化が誘導されていることが判明した。腎不全誘導においてのSAβ-gal陽性細胞の出現する時期を比較してみると、細胞老化形質 (SAβ-gal陽性細胞)が2週目ごろから出現し始め、時間依存性に増加し、4週目および8週目にはより多くの老化形質細胞が確認できた。以上より、高リン血症を伴った腎不全モデルにおいては、大動脈中膜の細胞老化形質が、石灰化の出現する時期よりも明らかに早期から誘導されていることが判明した。そこで、大動脈におけるSirt1蛋白の発現を検討したところ、2週目から減少し始め、4週目以降は著明な発現低下を示した。また、p21の発現は2週目から上昇し始め、4週以降は漸増した。すなわち、腎不全を背景とした大動脈石灰化形成にはSirt1発現低下およびp21上昇を伴った細胞老化現象が大きく関与していることが示唆される。

培養系での石灰化誘導モデルとして、ヒト大動脈平滑筋細胞(HASMC)に高濃度の無機リン(2.6mM)を添加し石灰化誘導を行った。高リン刺激により、石細胞老化形質(SAβ-gal陽性)が増加した。その老化形質誘導はNa依存性リン共輸送担体 Na-dependent phosphate cotransporter (NPC)の阻害薬により打ち消され、細胞内へのリン取り込み上昇がこの細胞老化形質の誘導に関わっていることが判明した。また、細胞老化は高リン刺激1日目からHASMCに見られ(27%vs.コントロール3%)、3日目、6日目と進むにあたり35%、67%と時間依存性に増加した。一方、石灰沈着は高リン刺激1日目には明らかな上昇は認められず、3日目には25μg/mg、6日目に104μg/mgに上昇した。このことにより、高リン刺激による培養系血管平滑筋細胞石灰化モデルにおいても、老化形質は明らかな石灰沈着の出現よりも早期の段階から誘導されていることが判明した。

高リン刺激によりSirt1発現は時間依存性に抑制され、Sirt1によって脱アセチル化されるHistone3やp53のアセチル化も増加し、Sirt1活性の低下が裏付けられた。面白いことにCyclin dependent kinases (CDKs)のinhibitorであるp21発現も高リン刺激により増加していた。そこでSirt1活性を調節することにより細胞老化現象だけでなく、石灰化現象までどのように影響を受けるのか検討した。Sirt1阻害薬であるSirtinolの添加、またはsiRNAによるSirt1のノックダウンにより、SAβ-gal陽性細胞が増加し、石灰化はさらに惹起された。逆にSirt1活性薬であるResveratrolの添加により老化細胞は減少し、最終的に石灰化抑制につながった。さらにアデノウイルスベクターによりSirt1を過剰発現させたところ、老化形質だけでなく石灰化も抑制された。細胞老化への形質転換を示唆する代表的な遺伝子発現としてp21があり、高リン刺激による石灰化とp21の関係について調べるため、p21 siRNAを用いた。p21のノックダウンにより高リン刺激により誘導される老化形質だけでなく、石灰沈着までも著明に抑制された。このことにより、高リン血症を背景とする血管平滑筋細胞の石灰化に大きく関わる老化形質にはp21が関与していることが判明した。

血管石灰化で重要な分子機序の一つとして骨芽細胞様形質転換がある。その形質転換を調べるものとして骨・軟骨細胞分化に必須の転写因子runt-related transcription factor 2:Runx2 、Alkaline phosphatase(ALP)がある。骨芽細胞マーカーであるRunx2とALPは高リン刺激により上昇傾向を見せ、Sirt1のノックダウンによりさらに著明に上昇した。一方、血管平滑筋細胞特異的分化マーカーであるCaldesmonは高リン刺激により低下し、Sirt1のノックダウンによりさらなる発現低下が認められた。以上より、高リン刺激による培養系平滑筋細胞石灰化モデルにおける分子機序として、Sirt1の発現が著明に低下することにより、血管平滑筋細胞の分化状態が抑制され、むしろ骨芽細胞様の形質への転換が誘導されることが判明した。

血管平滑筋細胞の石灰化において、nucleationの現象が起こるためにアポトーシスは重要な役割を担っており、Sirt1とアポトーシスの関係について検討した。Sirt1の活性を抑制する目的でSirt1のchemical inhibitorであるSirtinolを添加するとアポトーシスは増加し高リン刺激により増加したアポトーシスはSirtinolによりさらに増加した。Sirt1のchemical activatorであるResveratrolを添加すると高リン刺激によるアポトーシス誘導は有意に減少した。Sirt1のsiRNAを用いてSirt1をノックダウンすると、Sirtinol添加のときと同じ様にアポトーシスは増加し、高リン刺激によるアポトーシス誘導に対してもさらに増悪した。よって、Sirt1を低下させることによりアポトーシスが増加することが分かった。

今までの実験は高リン刺激による老化(premature senescence)を見てきたが、前述した動脈硬化のもう一つの老化(replicative senescence)の観点からも検討を進めた。若い細胞 (passage 7)に比べて、老化した細胞 (passage 18)は同濃度の高リン刺激(Pi:2.6mM)に対して過剰な石灰沈着を呈した。今まで検討してきたそれぞれの蛋白発現を比較してみると、replicative senescence 自体によりSirt1の発現が低下し逆にp21が上昇していた。そこに高リン刺激が加わると、さらにSirt1発現は著明に低下し、p21発現はさらに上昇した。このことから、細胞分裂を重ねた老化HASMCにおいてはSirt1が減少しており、同程度の高リン刺激によって石灰化がより過剰に亢進しやすい状態になっていることが分かった。

高リン血症を伴う腎不全を背景とした血管石灰化形成の分子機序において、長寿遺伝子として知られるSirt1が血管平滑筋細胞の老化形質を抑制し、最終的に石灰化を抑制することを示した。その過程には、平滑筋分化マーカーの低下と骨芽細胞マーカーの上昇などから裏付けられる形質転換が起こっており、Sirt1が抑制的な調節因子として大きな役割を担っていることが解明された。血管石灰化を抑制するためには「いかにSirt1の活性を増加・維持できるか」が非常に重要であり、今後の血管石灰化の治療戦略に繋がる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は血管石灰化の形成過程において血管平滑筋細胞の細胞老化形質転換がどのように関与しているのか解明するため、0.75%アデニン含有餌によるラット腎不全モデルと培養系での高リン刺激によるヒト平滑筋細胞石灰化誘導モデルにて、老化形質の有無と、長寿遺伝子として知られているNAD依存性脱アセチル化酵素Sir2のヒトホモログであるSirt1の発現の検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 0.75%アデニン含有餌によるラット腎不全モデルを用いた。アデニン投与により腎不全を引き起こし、血清クレアチニンの著明な上昇、高リン血症を認めた。開胸後にも著明な石灰化が再確認され、大動脈切片のvon Kossa染色において、全周性に中膜の石灰化を認め、病理学的にメンケベルグ型を呈していた。老化形質をとった細胞の存在および局在を調べるために、SAβ-gal染色を行うと、石灰化を起こした周囲に老化形質をとった細胞が増加していた。

2. 細胞老化形質の誘導と石灰化の出現を時系列で観察するために、2週間毎のサンプルに対して、SAβ-gal染色とVon Kossa染色を行った。von Kossa染色から同定できる石灰沈着は、腎不全誘導開始後4週目において、ごく微小の石灰沈着 (microscopic calcification)が一部認められるのみであった。一方、8週目の時点になると、全周性に中膜に著明な石灰化が誘導されていた。SAβ-gal染色では2週目から陽性細胞が認められており、先行して起こっていることが示された。

3. 腎不全ラットの大動脈におけるSirt1蛋白の発現を検討したところ、2週目から減少し始め、4週目以降は著明な発現低下を示した。また、p21の発現は2週目から上昇し始め、4週以降は漸増した。

4. ヒト大動脈平滑筋細胞(HASMC)に高濃度の無機リン(2.6mM)を添加し石灰化誘導を行った。高リン刺激により、石細胞老化形質(SAβ-gal陽性)が増加した。その老化形質誘導はNa依存性リン共輸送担体 Na-dependent phosphate cotransporter (NPC)の阻害薬により打ち消され、細胞内へのリン取り込み上昇がこの細胞老化形質の誘導に関わっていることが判明した。

5. 高リン刺激1日目からHASMCに見られ(27%vs.コントロール3%)、3日目、6日目と進むにあたり35%、67%と時間依存性に増加した。一方、石灰沈着は高リン刺激1日目には明らかな上昇は認められず、3日目には25μg/mg、6日目に104μg/mgに上昇した。高リン刺激による培養系血管平滑筋細胞石灰化モデルにおいても、老化形質は明らかな石灰沈着の出現よりも早期の段階から誘導されていることが示された。その課程においてSirt1発現は時間依存性に抑制され、Sirt1によって脱アセチル化されるHistone3やp53のアセチル化も増加し、Sirt1活性の低下が裏付けられた。Cyclin dependent kinases (CDKs)のinhibitorであるp21発現も高リン刺激により増加していた。

6. Sirt1阻害薬であるSirtinolの添加、またはsiRNAによるSirt1のノックダウンにより、SAβ-gal陽性細胞が増加し、石灰化はさらに惹起された。逆にSirt1活性薬であるResveratrolの添加により老化細胞は減少し、最終的に石灰化抑制につながった。さらにアデノウイルスベクターによりSirt1を過剰発現させたところ、老化形質だけでなく石灰化も抑制された。

7. 細胞老化への形質転換を示唆する代表的な遺伝子発現としてp21があり、高リン刺激による石灰化とp21の関係について調べるため、p21 siRNAを用いた。p21のノックダウンにより高リン刺激により誘導される老化形質だけでなく、石灰沈着までも著明に抑制された。このことにより、高リン血症を背景とする血管平滑筋細胞の石灰化に大きく関わる老化形質にはp21が関与していることが示された。

8. 血管石灰化で重要な分子機序の一つとして骨芽細胞様形質転換がある。骨芽細胞マーカーであるrunt-related transcription factor 2:Runx2とAlkaline phosphatase :ALPは高リン刺激により上昇傾向を見せ、Sirt1のノックダウンによりさらに著明に上昇した。一方、血管平滑筋細胞特異的分化マーカーであるCaldesmonは高リン刺激により低下し、Sirt1のノックダウンによりさらなる発現低下が認められた。

血管平滑筋細胞の石灰化において、アポトーシスも重要な役割を担っており、Sirt1とアポトーシスの関係について検討した。Sirt1のchemical inhibitorであるSirtinolを添加し、Sirt1のsiRNAを用いてSirt1をノックダウンするとアポトーシスは増加し高リン刺激により増加したアポトーシスはSirtinol、siRNAによりさらに増加した。Sirt1のchemical activatorであるResveratrolを添加すると高リン刺激によるアポトーシス誘導は有意に減少した。

9. 若い細胞 (passage 7)に比べて、老化した細胞 (passage 18)は同濃度の高リン刺激(Pi:2.6mM)に対して過剰な石灰沈着を呈した。今まで検討してきたそれぞれの蛋白発現を比較してみると、replicative senescence 自体によりSirt1の発現が低下し逆にp21が上昇していた。そこに高リン刺激が加わると、さらにSirt1発現は著明に低下し、p21発現はさらに上昇した。

以上、本論文は高リン血症を伴う腎不全を背景とした血管石灰化形成の分子機序において、長寿遺伝子として知られるSirt1が血管平滑筋細胞の老化形質を抑制し、最終的に石灰化を抑制することを示した。本研究は、石灰化と老化の関係を解明することにより今後の血管石灰化の予防、治療法の解明に繋がる可能性があると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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