学位論文要旨



No 127089
著者(漢字) 深井,志保
著者(英字)
著者(カナ) フカイ,シホ
標題(和) 高齢者の日常生活機能低下におけるアンドロゲンの役割
標題(洋)
報告番号 127089
報告番号 甲27089
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3699号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本間,之夫
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 講師 長野,宏一郎
 東京大学 講師 大須賀,穣
 東京大学 教授 甲斐,一郎
内容要旨 要旨を表示する

アンドロゲンの血中濃度は20歳前後にホルモン分泌のピークがあり、加齢に伴い徐々に低下する。主要なアンドロゲンであるテストステロンは性腺だけでなく筋肉、骨、脳、骨髄、血管など全身の様々な臓器・組織に対する生理作用を有するため、加齢に伴うテストステロンの低下は高齢男性における筋肉量・筋力の低下、骨粗鬆症および骨折、身体機能の低下、虚弱、うつ、認知機能の低下、貧血などにも関与すると報告されている。このように、男性においては、ホルモン濃度も、身体および認知機能を含めた精神機能も加齢とともに低下するが、両者の関連に関するこれまでの報告はその殆どが地域在住の白人の健常中高年男性を対象とした主に欧米からのものであり、本邦での報告はなく、また、より虚弱な要介護高齢者における日常生活機能障害との関連について疫学研究はまだ報告がない。一方、内因性テストステロンと生命予後との関連についてはこれまでに海外でいくつかの報告があるが、統一した見解には至っておらず、同様の研究は本邦では見られない。さらに、今後ホルモン補充療法など新たな治療法を探索するためにも、その適応となるホルモン値の基準とともに補充療法の効果がどれだけ期待できるかもエビデンスを積み上げていく必要がある。

アンドロゲンは男性だけでなく女性にも存在する。閉経後の女性ではエストロゲンの産生が著しく低下しているが、卵巣からはテストステロンが産生され続けているため、閉経後はエストロゲン濃度よりむしろアンドロゲン濃度の方が心身の様々な症状に関係する可能性がある。しかし、高齢女性におけるアンドロゲンの役割についてもほとんどわかっていない。

このように、高齢男性における内因性アンドロゲンと身体・脳機能、生命予後との関連、およびアンドロゲン補充療法の効果については断片的には報告があるものの、統一した見解には至っておらず、また、日本人のデータはない。そこで、本研究の目的は、(1)要介護高齢男女の虚弱化、日常生活機能(ADL、認知機能、抑うつ度・意欲)低下の包括的な予測因子としての性ホルモンの意義を明らかにすること、(2)高齢男女の生命予後悪化因子としてのアンドロゲンの意義を明らかにすること、(3)高齢男性の健康増進のための介入方法としてのアンドロゲン補充療法の可能性を検討することである。また、対照として健常な中高年男性において、血清アンドロゲン濃度の経年変化およびアンドロゲンが健診項目や日常生活活力度との間に関連があるかについても調査した。

具体的には以下の4つの検討を行った。

研究1. 要介護高齢男女において、血中アンドロゲン濃度と日常生活機能(ADL、認知機能、抑うつ度・意欲)に独立した関連があるか、またその関連に性差が存在するかを明らかにすること(横断研究)。さらに、高齢男性の虚弱化、日常生活機能低下の予測因子としてのアンドロゲンの意義を明らかにすること(縦断研究)。

研究2. 要介護高齢男女の生命予後因子としてのアンドロゲンの意義(アンドロゲン低値が短命と関連するか)を明らかにすること。

研究3. 認知機能障害を有する高齢男性におけるテストステロン補充療法の認知機能に対する効果を検討すること。

研究4. 健常な中高年男性における血清アンドロゲン濃度の経年変化と健診項目および活力度との関連を明らかにすること(横断研究および縦断研究)。

【方法】

研究1:長野県塩尻地区の介護施設に入所・通所中の70歳以上の要支援~要介護高齢者208名(男性;108名、82±7歳、女性;100名、81±6歳)を対象とし、空腹時採血により血清性ホルモン濃度(総および遊離テストステロン、dehydroepiandrosterone (DHEA)、DHEA sulfate (DHEA-S)、エストラジオール)を測定し、同時に調べた高齢者総合機能評価(CGA); 基本的ADL (Barthel Index)、手段的ADL (Lawton and Brody's;IADL)、認知機能(長谷川式簡易知能評価スケール; HDS-R)、抑うつ (Geriatric Depression Scale)、意欲 (Vitality Index、鳥羽)の各スコアとの関連を解析した。縦断研究は、上記の対象のうち、男性については3年後に生存していた33名における機能低下の追跡調査を行った。

研究2:血清アンドロゲン濃度測定と日常生活機能評価を実施した上述の介護施設に入所中あるいは通所中の要支援~要介護高齢者のうち218名(男性;121名、70-96歳、女性;97名、70-95歳)を対象とし、生死と死因を追跡調査し、最長52か月間(平均追跡期間は男性32ヶ月、女性45ヵ月)の観察期間における全死亡を解析イベントとした生命予後を調べた。観察開始時の血清総テストステロン、遊離テストステロン、DHEA-S値によって3群に層別化し、各群の累積生存率をKaplan-Meier法で,ハザード比をCox比例ハザードモデルにより解析した。

研究3:デザインは非ランダム化オープン比較試験で、上述の介護施設に入所中あるいは通所中の要支援~要介護高齢男性のうち、DSM-IVにてmild cognitive impairment (MCI) またはアルツハイマー型認知症と診断された男性11名(81±7歳)を対象とした。脳梗塞の既往、前立腺がん治療中または既往、PSA高値(基準値を越える場合)、塩酸ドネぺジル内服中あるいは抗アンドロゲン療法・アンドロゲン補充療法を受けた者、また、血清ホルモン濃度および認知・身体機能に影響する可能性のある疾患、低栄養および著明なADL低下例は除外した。書面による同意のもとTestosterone Undecanoate (Andriol(R)) 40mg/日を服用して頂いた。対照群として、年齢、認知機能をマッチさせた男性13名をおき、投与前、3・6か月後に認知機能評価(HDS-R, MMSE)、性ホルモンと一般生化学測定を実施した。

研究4:社内検診に参加した都内メーカーに勤務する40~65歳の男性139名において、血清性ホルモン濃度(総および遊離テストステロン、DHEA-S、E2)を5年間隔で測定し、その変化及び健診項目(臍周囲径、血圧、脂質、糖代謝など)との関連を検討した。また、同時にアンケートにより、日常生活の活力度の指標であり、気分・意欲,認知,心身の健康,社会参加の4つのドメイン(計20項目、40点満点) からなる活力度指標を評価し、ホルモン濃度との関連を解析した。

【結果】

研究1. 要介護高齢者において、性ホルモン濃度と日常生活機能の関連には性差がみられ、男性において総テストステロンは基本的および手段的ADL (単相関係数R=0.292, R=0.261)、認知機能 (R=0.393)、意欲 (R=0.246)と、DHEAおよびDHEA-Sは認知機能 (R=0.390, R=0.393)と、エストラジオール(E2)は認知機能 (R=0.266) および意欲 (R=0.291)とそれぞれ有意に相関し、テストステロンの血中濃度が高いほど全般的な日常生活機能レベルが高く、この関連は年齢、栄養状態、基礎疾患とは独立していた。尚、総テストステロンよりも遊離テストステロンのほうが認知機能・意欲との関連は強かった。一方、女性においてはDHEAが日常生活機能の一部と関連し、DHEA-SおよびDHEAと基本的ADLのみに相関が見られた (R=0.280, R=0.293)。

縦断研究では、男性において、3年後のアンドロゲン濃度は登録時に比べていずれも有意に低下したが(総テストステロン:-116±122mg/dL、遊離テストステロン:-2.0±2.8 pg/mL、DHEA-S:-12±22μg/dL)、登録時のアンドロゲン濃度はその後のCGA各項目の低下の予測因子とはならなかった。しかし、総および遊離テストステロンの経年変化とCGAの各指標を統合した虚弱度(CGA-based 'frailty+disability scale)の経年変化との間には負の関連が見られた(R=-0.506, R=-0.350)。

研究2. 観察期間中、男性では27例, 女性では28例が死亡した(死亡率はそれぞれ86.5/1000人・年、69.9/1000人・年)。死因は男女ともに心血管疾患が最も多く、続いて呼吸器感染症、悪性腫瘍の順であった。

男性において累積生存率をKaplan-Meier法で比較したところ、テストステロン低位群の死亡率が最も高く、3群間で有意差をもって総死亡率に差が見られた。また、年齢、栄養指標、日常生活機能、合併疾患を共変量に用いたCoxの比例ハザードモデルを用いた解析でも、低位群はそれ以上の群と比べて死亡率は有意に高く(HR 3.27; 95% CI 1.24-12.91), 要介護高齢男性におけるテストステロン低値は独立した生命予後の予測因子であった。一方でE2, DHEA-S濃度によって同様の解析をしたところ、死亡率に差は見られなかった。

女性では、DHEA-S濃度によって3群にわけて比較したところ、低位群の死亡率が最も高く、3群間で有意差をもって総死亡率に差が見られた。Coxの比例ハザードモデルを用いて上述の因子で補正した場合、DHEA-S低位群のそれ以上の群に対する死亡リスクはHR 4.42 (95% CI 1.51-12.90)であった。尚、女性においては登録時のテストステロン、E2濃度は生命予後と関連しなかった。

研究3.テストステロン補充療法6か月後にはHDS-R、MMSEともに有意に増加したが、対照群では変化はなかった。Barthel Index、Vitality Indexは、両群とも明らかな変化が見られず、群間にも差が見られなかった。テストステロン投与群において、3および6ヶ月後の早朝空腹時のテストステロン濃度を含めた性ホルモン濃度は有意に変化しなかったが(data not shown)、Andriol(R)内服6時間後のpost-dose levelは865±231nmol/Lまで上昇していた。テストステロン投与群において自覚的有害作用や肝障害、PSA上昇など臨床検査値異常はみられなかった。

研究4. 2002年、2007年いずれの横断調査においても、年齢と遊離テストステロン(r=-0.399, p <0.001 in 2002; r=-0.458, p <0.001 in 2007)およびDHEA-S(r=-0.233, p=0.02 in 2002; r=-0.336, p <0.01 in 2007)との間に負の相関を認めたが、総テストステロンとは有意な相関を認めなかった。また、5年間でいずれの性ホルモン濃度の変化も有意でなかった。40代と50代で分けた解析でも同様であった。ホルモン濃度と健診項目との関連を横断的に調べた結果、年齢調整後に2002年と2007年の両年で共通して見られたのは遊離テストステロンと血中ヘモグロビン濃度との関連のみであった。また、各ホルモン濃度の変化と健診項目の変化との関連についてもいずれの項目でも認めなかった。また、横断調査、追跡調査とも、性ホルモンと活力度指標との間に関連は見られなかった。

【結論】

性ホルモン濃度と日常生活機能および生命予後との関連には性差がみられ、男性においては血清テストステロン濃度が高いほど全般的な日常生活機能レベルが高いほか死亡リスクも低かった。高齢女性においては女性ホルモンを含む全ての性ホルモンが同年代の男性と比べて低く、DHEA(-S)のみが日常生活機能の一部と関連し、DHEA-S濃度が高いほど死亡リスクが低かった。一方、対照として調べた健常中高年男性においては内因性アンドロゲンは高く維持されており、血清ホルモン濃度と健診項目および活力度との関連は明らかでなかった。今後、ARTの対象として虚弱高齢者が考慮されるべきである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、(1)要介護高齢男女の虚弱化、日常生活機能(activities of daily living ; ADL、認知機能、抑うつ度・意欲)低下の包括的な予測因子としての性ホルモンの意義を明らかにすること、(2)高齢男女の生命予後悪化因子としてのアンドロゲンの意義を明らかにすること、(3)高齢男性の健康増進のための介入方法としてのアンドロゲン補充療法(androgen replacement therapy ; ART)の可能性を検討することを目的としたものであり、加えて本研究目的の対照として、(4)健常な中高年男性において、血清アンドロゲン濃度の経年変化およびアンドロゲンが健診項目や日常生活活力度との間に関連があるか、についても検討し、下記の結果を得ている。

1. 要介護高齢者において、性ホルモン濃度と日常生活機能の関連には性差がみられ、男性においてテストステロンの血中濃度が高いほど、ADL、認知機能、意欲といった全般的な日常生活機能レベルが高く、女性においてはdehydroepiandrosterone (DHEA) が日常生活機能の一部と関連し、基本的ADLとのみ、正の相関を認めた。性ホルモンと日常生活機能との関連は、年齢、栄養指標、疾患とは独立していた。男性において登録時のアンドロゲン濃度はその後の機能低下の予測因子とはならなかったが、アンドロゲンの経年変化と虚弱度の経年変化との間には相関が見られた。

2. 要介護高齢男性における血清テストステロン低値、要介護高齢女性における血清DHEA-sulfate(DHEA-S)濃度低値は年齢、栄養指標、基礎疾患とは独立して、その後の生命予後(短命)と関連した。

3. 軽度認知機能障害を有する高齢男性に対する6カ月間の経口テストステロン補充療法により、認知機能の指標である長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)、Mini-Mental State Examination (MMSE)ともに有意に改善したが、対照群では変化はなかった。

4. 健常中年男性では、5年間の血清性ホルモン濃度の変化は顕著でなく、血圧や肥満、脂質・糖代謝指標および活力度との関連も明確でなかった。

以上、本研究は、日本人の要介護高齢男女におけるアンドロゲンの日常生活機能および生命予後との関連、高齢男性の認知機能に対するARTの効果を明らかにした。高齢男性のアンドロゲン濃度が中高年男性よりも低下していることは明らかであり、筋肉増強効果のあるアンドロゲンの分泌低下が高齢男性の虚弱化と関連していることは容易に想像ができるが、これまで日常生活機能障害の側面からアンドロゲンの意義について研究した報告はほとんど無かった。内因性アンドロゲンと身体・脳機能、生命予後との関連、およびARTの効果については断片的には報告があるものの、そのほとんどが海外において健常中高年男性を対象に検討されたものであり、また、高齢女性におけるアンドロゲンの意義について検討したものは限られていた。本研究の結果により、虚弱高齢男性もARTの対象となり得る可能性が示唆された。すなわち、本研究により、高齢者の日常生活機能および予後改善の介入方法としての内因性アンドロゲンの維持および補充療法の将来性に展望が開けたと言える。

本研究は高齢男女の日常生活機能低下におけるアンドロゲンの意義の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク