学位論文要旨



No 127094
著者(漢字) 板谷,慶一
著者(英字)
著者(カナ) イタタニ,ケイイチ
標題(和) 単心室循環に関する流体力学的考察 : エネルギー安定性から見たFontan手術とNorwood手術の最適化について
標題(洋) Fluid Dynamical Considerations on the Single Ventricle Physiology: Energetic Optimization of the Fontan and Norwood Procedures.
報告番号 127094
報告番号 甲27094
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3704号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國土,典宏
 東京大学 教授 杉浦,清了
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 北山,丈二
 東京大学 講師 香取,竜生
内容要旨 要旨を表示する

本学位論文は解剖学的にも生理学的にも複雑で今日でも遠隔期予後が問題視されている単心室症の手術において、術後どのような血流が得られどのように単心室に心負荷を与えうるかという極めて実践的な問題を、循環生理学と非圧縮流体の流体力学に基づき理論的に解明するという新たな試みである。本研究ではNorwood手術とFontan手術に関する流体力学モデルを作成したが、手法の正確さや厳密さを吟味することは当然として、単に物理学の問題を計算するのみにとどまらず、生理学的な現象をどのように流体力学で表現するかという方法論に関する充分な考察を行い、得られた計算結果から外科治療戦略をどのように考えるかという臨床上の議論を充分に尽くすことに主眼を置いた。

本学位論文は全部で7章からなり、1章は背景、2章から4章までがFontan手術に関する議論で、2章でFontan循環に関する駆動力について考察した上で、3章、4章で各々心外導管型Fontan手術で用いる人工血管径、狭小肺動脈症例でのFontan手術の適応の限界について議論した。5章はNorwood手術に関する議論で、患者ごとのモデルを用いた検証を行った。6章では1章から5章まで議論の中心となってきたにも関わらず、これまで数値モデルでのみ計算されてきたエネルギー損失について、臨床検査でも計測できる可能性がありうるかという議論を行った。7章は結論で研究の限界と今後の研究の展望について言及した。

各章の要約は以下の通りである。第1章は臨床的背景と理論的背景であり、流体力学の単心室症手術への応用について説明した。単心室症では新生児期姑息手術、Glenn手術、Fontan手術と段階的手術がなされ、Fontan術後の遠隔期予後は現在でも大きな問題である。中でも左心低形成症候群の第一段階手術のNorwood手術は最も難易度の高く予後不良とされる。これらの手術後は血流動態が大きく変化するため、血流を詳細に解析することで術式の是非を評価できる可能性がある。また、1.2節ではTotal Pressure (全圧)による流れのエネルギー損失の定義を述べた。我々はこれが血管内の拍動流では血液の粘性摩擦によって生じるエネルギー損失とほぼ同値であることを流体力学の基礎運動方程式であるNavier-Stokes方程式を積分し証明することに成功した。また1.3節ではエネルギー損失の心負荷に与える影響を明確にするために、単心室の心拍出の仕事量を簡易的に計測する方法を示し、全体の生成されたエネルギーを評価し、エネルギー損失の大きさの目安とした。

第2章はFontan術後肺循環(Fontan循環)のメカニズムの解明を目指した。Fontan術後肺血流は右室による駆出はないが、必ずしも定常流とは限らず、実際肺動脈圧波形は大きな呼吸性変動と微細な心拍変動とを複合した波形を呈する。我々はFourier変換の手法によりこの波形を呼吸変動と心拍変動の成分に分離することに成功した。12例の術後のカテーテル検査での肺動脈圧波形を用い、各々の変動幅と患児の呼吸機能、心機能(主に拡張能)との関係を調べた。呼吸変動の変動幅は横隔神経麻痺症例では著明に低下し呼吸が引き込み駆動力であると考えられた。一方で心拍変動の変動幅は心室拡張能の指標である等容性拡張期のmax -dp/dt, 時定数tau, 拡張末期圧との相関から、拡張能が悪いほど変動幅が大きくなることが示された。電気回路に模した数理モデル(lumped parameter model)の結果から、心拍変動は心拡張による能動的引き込みではなく、心室からの受動的な反射波を見ていることが分かった。呼吸が駆動力になっていることをより精密に証明するために、5例の患者で圧・流速同時計測カテーテルワイヤーを用いた計測を行い、波動の駆動力を検出するための指標であるwave intensity (WI)を計測した。WIは通常動脈系では左心室の圧縮駆動力を反映して収縮期の早期と末期に二峰性のpeakを持つが、Fontan循環では吸気時に大きな陰性peakを取ることが示され、WI呼吸変動成分は吸気時の早期と末期に二峰性の陰性peakを持ち、これは引き込み駆動力を反映していることが示された。さらにこのWI呼吸成分の波形は横隔神経麻痺症例では麻痺側のみで波形が乱れることが分かった。Fontan循環では呼吸が能動的な駆動力として働いていることが示された。

第3章と第4章では以上のメカニズムを踏まえた上でFontan手術の流体力学モデルを作成した。第3章ではFontan手術での至適人工血管径を解明した。術後1年後のカテーテル検査の平均値をもとに、14, 16, 18, 20 ,22mm人工血管のモデルを作成し、コンピューターで流体シミュレーションを行った。呼吸性の変動を加味し、安静時と運動負荷2段階での条件を設定した。14mm人工血管では運動負荷時に特にエネルギー損失が大きく増加した。20mm以上の人工血管のモデルでは呼気時に上大静脈血流が人工血管内に流入し、また人工血管外側で逆流を生じ、血流がよどむことが分かった。過大な人工血管では大きなよどみを生じた。結果から16mm, 18mmの人工血管が最適であること結論付けられた。

第4章では狭小肺動脈でのFontan手術の適応限界について解明した。肺動脈の発育はFontan術後の良好な肺循環に必須であり、かつてはPAI(pulmonary artery index)として(左右肺動脈断面積)/(体表面積)が250以上あることがFontan手術の適応とされたが、近年では250以下でも術後経過に問題がないとする臨床報告が多い。三章と同様の手法を用い肺動脈径を変えたモデルを作成し、Fontan循環が成立するPAIの下限値を調べた。狭小な肺動脈はそれ自体が抵抗となり中心静脈圧が上がりすぎ、循環が破綻することが示された。PAI 100以下では急激にエネルギー損失が増加し、下大静脈圧が上昇することが分かった。下大静脈圧の上限を17mmHgとするとPAIの下限値は安静時で80、運動負荷時で110であると結論付けられた。

第5章ではNorwood手術での大動脈再建方法の最適化について議論した。単心室のエネルギー損失は低圧低流速のFontan循環よりも高圧高流速での大動脈で大きくなる可能性がある。左心低形成症候群のNorwood手術では再建後の大動脈内で乱流を生じ大きなエネルギーを損失している可能性がある。一方でNorwood手術では複数の施設から様々な大動脈再建方法が報告されている。術式の異なる9例のNorwood術後CTデータから3次元形状を構築し、流体シミュレーションを行い、術式違いがどのようにエネルギー損失に影響するかを検討した。大動脈弁狭窄例では主肺動脈、上下行大動脈、大動脈弓を統合する形で再建すると吻合のスペースが広く、大動脈弓もなだらかでshear stressが小さくエネルギーを温存することが分かった。大動脈弁閉鎖例は特に大動脈弓の角度が急峻になりやすく、急峻な大動脈弓はshear stress、エネルギー損失を増大させた。大動脈弓小弯側から下行大動脈へ縦切開を置くことでなだらかな大動脈弓が再建されることが示唆された。

第6章ではエネルギー損失の臨床検査での計測可能性について議論した。エネルギー損失は複雑な血流動態を評価する上で有用な指標であるが、従来の全圧によるエネルギー損失は圧と流速の両方の分布が分からなければ計算できないため、流体シミュレーションでのみ算出可能で、臨床検査での実計測はされたことがない。第6章前半では2章で紹介した圧・流速同時計測カテーテルワイヤーを用いてFontan循環でエネルギー損失が実測できることを示し、また誤差の程度を評価した。第6章後半はその他の臨床検査でのエネルギー損失の計測の可能性を議論した。近年のMRI、超音波での血流可視化技術を用いれば第1章で示した粘性摩擦のエネルギー損失であれば算出可能である。我々は速度分布データから粘性摩擦のエネルギー損失を計測するシステムを作成した。この粘性摩擦のエネルギー損失と従来の全圧によるエネルギー損失との比較を行った。単純な血管狭窄モデルや血管吻合モデルの流体シミュレーション結果では従来の全圧によるエネルギー損失と粘性摩擦からもとまるエネルギー損失はかなりの精度で一致することが分かった。のみならず粘性摩擦のエネルギー損失は局所の情報を与え、流れの効率を詳細に評価する上で非常に有力な指標となることが分かった。

第7章は結論を述べた。Fontan手術やNorwood手術で生じる流れのエネルギー損失は単心室の心拍出の仕事量のうち数%から10%前後になり、エネルギー損失を低く抑えることが遠隔期の心機能の予後を良好に保つ上で重要であると考えられる。一方で本研究は数理モデルの限界である「成長」や「変性」などの生命現象らしい因子を組み込むことは出来ておらず、またほとんどのモデルは弾性を加味しないモデルであった点、末梢循環でのエネルギー損失は評価されていない点、などが本研究の限界であり今後の課題と考える。物理学的な位置づけを明確にすると、エネルギー損失は本来、エネルギーの「生成」→「輸送・伝播」→「損失」といった一連の流れの中で議論されるべき事柄であり「生成」が単心室の心機能とするならば「輸送・伝播」は血管の弾性や変性と深く関わる事柄だと考える。このような系統的な研究を今後の課題とする。

本学位論文は扱う主題と技法が比較的まれなものであるため、大半が先行研究の非常に少ない独自性の強いものとなったが、各章で十分な文献的考察を行い、独りよがりなものにならないよう十分配慮した。また先行研究は少ないものの解剖学的にも生理学的にも複雑な単心室循環で血流動態を明らかにしたいという動機は古くから根強く存在しており、本学位論文がこのような根強い動機に答え、今後の研究の礎を築くものとなることを目指した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は解剖学的にも生理学的にも複雑で、今日でも遠隔期予後が問題視されている単心室症の手術において、循環生理学と流体力学に基づき術後の血流動体を理論的に詳細に評価し、心負荷を予測し、最適な術式を検証するという新たな試みであり、以下の結果を得ている。

1.Total Pressure (全圧)による流れのエネルギー損失は血管内の拍動流では血液の粘性摩擦によって生じるエネルギー損失とほぼ同値であることをNavier-Stokes方程式を積分し証明した。また単心室の心拍出の仕事量を簡易的に計測する方法を示し、Fontan手術やNorwood手術部位ではエネルギー損失が単心室の心拍出仕事量の数%から10%前後に相当し、これを減らすことが心負荷を軽減する可能性があることを示した。

2.呼吸性変動と心拍変動とが複合したFontan手術後肺動脈圧波形をFourier変換の手法を用いて、呼吸変動と心拍変動の成分に分離する手法を確立した。12例の術後肺動脈圧波形をこの方法に基づき解析した。結果、呼吸変動は横隔神経麻痺症例では著明に低下し、呼吸が能動的引き込み駆動力であることが示さた。一方で心拍変動と心室拡張能の指標である等容性拡張期のmax -dp/dt, 時定数tau, 拡張末期圧との相関から、拡張能が悪いほど心拍変動が大きくなることが示された。lumped parameter modelの結果から、心拍変動は心拡張による能動的引き込みではなく、心室からの受動的な反射波を見ていることが示された。

3.Fontan手術後1年後のカテーテル検査の平均値をもとに、14, 16, 18, 20 ,22mm人工血管のモデルを作成し、コンピューターによる流体シミュレーションを行った。呼吸性の変動を加味し、安静時と運動負荷2段階での条件を設定した。14mm人工血管では運動負荷時に特にエネルギー損失が大きく増加した。20mm以上の人工血管のモデルでは呼気時に上大静脈血流が人工血管内に流入し、また人工血管外側で逆流を生じ、血流がよどむことが分かった。過大な人工血管では大きなよどみを生じた。これは臨床上の観測結果とよく一致した。結果から16mm, 18mmの人工血管が最適であること結論付けられた。

4.狭小肺動脈でのFontan手術の適応限界について肺動脈径を変えたモデルを作成し、Fontan循環が成立するPAIの下限値を検討した。狭小な肺動脈はそれ自体が抵抗となり中心静脈圧が上昇し、循環が破綻することが示された。PAIの下限値は安静時で80、運動負荷時で110であると結論付けられた。

5.左心低形成症候群のNorwood手術で術式の異なる9例のNorwood術後CTデータから3次元形状を構築し、患者別流体シミュレーションを行い、術式違いがどのようにエネルギー損失に影響するかを検討した。大動脈弁狭窄例では主肺動脈、上下行大動脈、大動脈弓を統合する形で再建すると吻合のスペースが広く、大動脈弓もなだらかでshear stressが小さくエネルギーを温存することが分かった。大動脈弁閉鎖例は特に大動脈弓の角度が急峻になりやすく、急峻な大動脈弓はshear stress、エネルギー損失を増大させた。大動脈弓小弯側から下行大動脈へ縦切開を置くことでなだらかな大動脈弓が再建される可能性が示唆された。

6.従来の全圧によるエネルギー損失は圧と流速の両方の分布が分からなければ計算できない。近年のMRI、超音波での血流可視化技術を用いれば粘性摩擦のエネルギー損失であれば算出可能であり、我々は速度分布データから粘性摩擦のエネルギー損失を計測するシステムを作成した。このシステムを用い、粘性摩擦のエネルギー損失と従来の全圧によるエネルギー損失とを比較した。単純な血管狭窄モデルや血管吻合モデルの結果では両者のエネルギー損失はかなりの精度で一致することが示され、さらに粘性摩擦のエネルギー損失は局所の情報を与えることが分かった。

以上、本論文はFontan手術やNorwood手術で流れのエネルギー損失を低く抑える術式を種々の条件で検討し議論した。本研究は臨床的evidenceの少ない複雑心奇形手術において、これまで困難とされた生理学的な流体力学モデルを確立し、詳細な血流解析結果から術式の是非を理論的に解明したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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