学位論文要旨



No 127095
著者(漢字) 稲垣,善則
著者(英字)
著者(カナ) イナガキ,ヨシノリ
標題(和) 肝癌細胞の増殖及び浸潤における異常プロトロンビン(DCP)の役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 127095
報告番号 甲27095
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3705号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 准教授 北山,丈二
 東京大学 講師 別宮,好文
 東京大学 講師 和田,郁雄
 東京大学 講師 吉田,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

肝細胞癌の腫瘍マーカーとして臨床的に利用されている異常プロトロンビン(以下DCP)は、その血清値の上昇が門脈浸潤や肝内転移の発生と強く相関することが明らかとなっている。さらに、我々が過去に実施した免疫組織化学的研究においては、肝細胞癌の癌部組織やその周辺の非癌部組織においてDCPの高発現が認められた患者群で予後が有意に悪化したことから、肝細胞癌の病態悪化へのDCPの関与が示唆された。一方、臨床学的に証明されたその相関性に基づき、肝癌細胞の増殖に対するDCPの効果に関する検討が実施された。肝癌細胞の一種であるHep3B細胞及びSK-Hep-1細胞を用いた検討の結果、当該細胞のDNA合成がDCPの添加によって活性化されることが見出されたほか、その増殖の活性化には細胞膜に存在する受容体型チロシンキナーゼであるc-Metの活性化が重要であるという報告がなされた。また、DCPによる肝癌細胞の増殖の活性化は移植癌モデルマウスを用いたin vivo研究でも証明され、静脈内へのDCPの投与によって移植癌組織の大きさが有意に増大した。従って、肝癌細胞より分泌されるDCPが、c-Met受容体を介して肝癌細胞に対して増殖因子様の効果を誘導することが明らかとなり、肝癌患者の病態悪化へのDCPの直接的関連性が示唆された。しかし、前述したようにDCPの高発現は癌細胞の脈管への浸潤や他の部位への転移といった病態と強く関連することが示唆されているが、それらの現象におけるDCPの生物学的効果に関しては明らかではない。本研究では、肝癌細胞の増殖や浸潤に及ぼすDCPの生物学的効果を検討し、DCPの発現性と肝癌の病態との関連性についての解明を試みた。さらに、DCPによる細胞増殖活性化のメカニズムにおいて主要因子として機能することが示唆されているc-Metに対する阻害剤を用いたin vitro実験を実施し、肝癌細胞の増殖抑制におけるc-Metの機能阻害の有効性を検討した。

【方法】

複数種の肝癌培養細胞に対して10~160ng/mLの範囲の各濃度に調製したDCPを作用させ、24時間後及び48時間後における肝癌細胞の増殖に対する効果をWST-8ホルマザンの産生に基づく手法を用いて解析した。肝癌細胞の浸潤に対するDCPの効果を検討するために、人工マトリゲルを用いたBoyden chamber法を実施した。同時に、癌細胞の浸潤における主要な現象であるタンパク質分解に関わる各種酵素の活性を測定する目的で、各濃度のDCPとの共培養後の培養上清を材料としたGelatin zymography法を実施した。また、各濃度のDCPと共培養させた肝癌細胞の細胞溶解液を材料としたWestern blot法を実施し、肝癌細胞内における増殖及び浸潤に関連する各種タンパク質の発現性を解析した。そして、上記のDCPによる肝癌細胞の増殖活性化効果において重要な役割を果たすとされているc-Metに対する阻害剤SU11274(pyrrole-indoline化合物)を用いて、各種肝癌細胞の増殖抑制におけるc-Metの活性化阻害の効果をMTT法に基づいて解析した。

【結果】

肝癌細胞の増殖は、解析を実施したいずれの細胞においてもDCPの添加量依存的に亢進した。また、当該条件下における各種肝癌細胞のタンパク質の発現変化をWestern blot法により解析した結果、リン酸化型c-Metの発現がDCPの添加量依存的に亢進していたことから、過去の研究において示唆されていた通りDCPの添加がc-Metの活性化を誘導することが認められた。一方、肝癌細胞の浸潤に対するDCPの影響をin vitro下で実施するBoyden chamber法にて検討した結果、飢餓条件下でのDCPの添加によってマトリゲルを浸潤する肝癌細胞数が増加することが確認された。このDCPによる肝癌細胞の浸潤能の活性化も、DCPの添加量依存的な傾向を示した。同時に、飢餓状態の条件下で培養した肝癌細胞に対して各種濃度のDCPを作用させて浸潤に関連するタンパク質の発現と活性化の状態を解析したところ、癌細胞の浸潤において主要な働きをするMMP-2やMMP-9の高発現及び活性化の亢進がDCPの添加量依存的に誘導された。従って、飢餓条件下におけるDCPの存在は、MMP-2及びMMP-9の発現上昇と活性化の亢進を介して肝癌細胞の浸潤を誘導する効果をもつことが示唆された。そして、このMMP-2及びMMP-9の高発現の誘導に貢献している細胞内のメカニズムを解明することを目的として、飢餓条件下で培養した肝癌細胞に対して各濃度のDCPを120分間作用させた際の細胞内におけるシグナル伝達関連タンパク質の発現変化を解析した。その結果、多くの癌細胞において活性化が認められ、MMP-2及びMMP-9の高発現誘導にも重要な役割を果たすことが示唆されているc-Raf-MEK1/2-ERK1/2シグナル伝達経路の各種因子の高発現がDCPの添加によって誘導されることが明らかとなった。このDCPによる各種因子の高発現の誘導は、DCPの添加量依存的に顕著なものとして検出されたことから、当該伝達経路におけるリン酸化カスケードの活性化がDCPの添加量依存的に亢進しているものと考えられた。一方、上記の研究の結果により、DCPによる各種肝癌細胞に対する増殖活性化効果は、活性化型c-Metの発現亢進と深い関連性があることが過去の研究と同様に示された。そこで、本研究ではc-Metの活性化を阻害する効果をもつ低分子化合物SU11274を用いて、肝癌細胞の増殖に対する当該物質の効果を検討した。その結果、HepG2細胞をはじめとする種々の肝癌細胞に関して、SU11274の添加条件下における細胞増殖の抑制効果を検出した。なお、増殖抑制効果が示されるSU11274濃度は肝癌細胞の種類によって異なったものの、2.5μM以上の濃度範囲では顕著な増殖抑制効果が共通して認められた。SU11274を添加しない条件下と比較して肝癌細胞の増殖を50%阻害する時のSU11274濃度を示すIC50値は、肝癌細胞の種類及びSU11274との共培養時間によって小規模な差があり、48時間培養した場合は6.35~8.24μM、72時間培養した場合は6.75~8.08μMであった。さらに、DCPによる肝癌細胞の増殖活性化への当該化合物の効果を検討する目的で、160ng/mLのDCP及び2.5μMのSU11274を各種肝癌細胞に対して作用させて増殖への影響を解析した。その結果、160ng/mLのDCPのみを添加した条件と比較して双方の物質を添加した条件ではいずれの細胞の増殖も有意に抑制された。従って、c-Metの活性化阻害はDCPによって誘導される肝癌細胞の増殖活性化効果を抑制できることが示唆された。

【結語】

肝癌細胞によって産生されるDCPは、肝癌細胞の増殖及び浸潤を活性化させることから、DCPの高発現が肝癌の病態の説明に有用であることが示された。また、c-MetはDCPによる種々の生物学的効果の誘導に重要であり、その阻害剤は肝癌細胞の増殖抑制効果の誘導に有効であることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、肝細胞癌の腫瘍マーカーとして臨床学的に利用され、癌の脈管浸潤などの病態の悪化との相関性が示唆されている異常プロトロンビン(以下、DCP)がもつ癌細胞に対する生物学的効果を明らかにすることを目的に肝癌細胞を用いた各種生化学的解析を実施したものであり、下記に示すような結果を得た。

1.各種肝癌細胞に対して10~160ng/mLのDCPを作用させ細胞の増殖に対する効果を解析した結果、いずれの細胞においてもDCPの添加量依存的に増殖の活性化が認められた。また、細胞増殖に関連する受容体の発現量へのDCPの効果を解析した結果、リン酸化型c-Metの発現がDCPの添加量依存的に亢進していたことから、DCPの添加がc-Metの活性化を誘導することが確認された。

2.各種肝癌細胞を無血清培養によって飢餓状態にさせた後、10~160ng/mLのDCPと共にマトリゲル上に播種しBoyden chamber法にて細胞の浸潤を解析した結果、DCPの添加によって浸潤細胞数が増加することが確認され、その傾向はDCPの添加量依存的であった。肝癌細胞の浸潤において重要な役割を果たすことが示唆されているタンパク質分解酵素MMP-2及びMMP-9の活性及び発現量へのDCPの効果をそれぞれGelatin Zymography法及びWestern blot法によって解析した結果、MMP-2及びMMP-9の双方においてDCPの添加による活性化の亢進と発現量の増加が認められた。なお、各種MMPに関するこれらの効果も浸潤細胞数と同様にDCPの添加量依存的な傾向を示した。

3.各種MMPの発現量の増加に寄与することが示唆されているシグナル伝達経路であるc-Raf-MEK1/2-ERK1/2経路の活性化へのDCPの効果を明らかにする目的で、当該因子のリン酸化型タンパク質の発現量をWestern blot法で解析した結果、飢餓状態の各種肝癌細胞を160ng/mLのDCPと120分間共培養することによりリン酸化型ERK1/2の発現量が有意に増加した。そして、同一の培養時間において10~160ng/mLのDCPと共培養させた各種肝癌細胞におけるc-Raf及びMEK1/2の発現量を解析したところ、いずれの細胞においてもリン酸化型c-Raf及びリン酸化型MEK1/2の発現量の増加がDCPの添加量依存的な傾向で認められた。

4.肝癌細胞表面上に発現する受容体型チロシンキナーゼであるc-MetがDCPによる細胞増殖の活性化において重要な役割を担うことが示唆されたことから、c-Metの活性化阻害剤であるSU11274を各種肝癌細胞に対して0.625~10μMの濃度で作用させ増殖への効果を解析した結果、細胞の種類によって傾向は異なったが2.5μM以上の領域で顕著な増殖抑制効果を検出した。さらに、DCPによる肝癌細胞の増殖活性化への当該化合物の効果を検討する目的で、160ng/mLのDCP及び2.5μMのSU11274を各種肝癌細胞に対して作用させて増殖への影響を解析したところ、DCPのみを添加した条件と比較して双方の物質を添加した条件ではいずれの細胞の増殖も有意に抑制された。

以上、本論文はDCPが肝癌細胞の増殖及び浸潤において重要な生物学的役割を担うことを示し、その高発現が肝癌の病態の説明に有用であることを明らかにした。受容体c-Metの阻害剤がDCPによる肝癌細胞の増殖活性化効果を抑制する結果と併せて、本研究は肝癌の病態進行メカニズムの解明や分子標的治療への応用に関する研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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