学位論文要旨



No 127109
著者(漢字) 土田,泰昭
著者(英字)
著者(カナ) ツチダ,ヤスアキ
標題(和) 5-HT4受容体作動薬クエン酸モサプリドの術後腸管麻痺に対する改善効果の検討
標題(洋)
報告番号 127109
報告番号 甲27109
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3719号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山田,芳嗣
 東京大学 准教授 清水,伸幸
 東京大学 准教授 北山,丈二
 東京大学 准教授 宇於崎,宏
 東京大学 准教授 藤城,光弘
内容要旨 要旨を表示する

背景

近年、開腹手術の術後早期からの腸管使用の有用性が指摘され、術後回復能力強化を狙った周術期プログラムであるEnhanced Recovery After Surgery(ERAS)の考え方が広まっている。具体的には、大腸手術症例について、入院前の患者教育、手術前の術前腸管処置簡略化、絶飲食期間短縮、手術中の過剰輸液回避、保温、侵襲の小さい術式の選択、手術後の疼痛管理、早期離床、経口摂取の早期再開などの工夫により、術後偶発症発症率の低減、入院期間の短縮などがえられたことが報告されている(Fearson KCH et al. 2005)。

開腹手術後には、術後腸管麻痺postoperative ileus(以下、POI)のために数日間の禁飲食を要するが、POIが軽減されればERASの確立および適応拡大に寄与すると考えられる。

POIの病態形成には、腸管の漿膜下層・筋層間に常在するマクロファージによる炎症的機序が関与していることが報告されている(Mikkelsen EB et al. 1985, Wehner S et al. 2007)。Intestinal Manipulation(以下、IM)の後に、筋層部の常在型マクロファージが活性化し、炎症性サイトカインやケモカイン、プロスタグランジンを産生し、IM施行腸管の漿膜下層・筋層間への単球および単球由来滲出性マクロファージ、好中球の浸潤を誘導し、これらの炎症細胞はiNOSを誘導し多量のNOを産生することで腸管運動障害を引き起こすと考えられている(Kalff JC et al. 2000, Hori M et al. 2001)。

腸管壁内神経叢の5-HT4Rに作用する5-HT4R作動薬は、上部および下部消化管の運動促進作用が確かめられ(Cellek S et al. 2006, Kim HS et al. 2008)、POIへの有用性が指摘されているが(De Winter BY et al. 1999, Narita K et al. 2008)、POIの炎症的側面への影響を含めた、その詳細な機序には不明な点も多い。

近年、自律神経系と消化管の炎症性疾患との関連性が指摘されている。交感神経刺激優位の状況では消化管の炎症は増悪し(Tanila et al. 1993, Kreiss C et al. 2004)、一方、副交感神経刺激優位の状況では炎症は軽減する。具体的には、LPS腹腔内投与モデル、炎症性腸疾患モデル、POIモデルなどにおいて、迷走神経刺激により炎症および腸管運動障害が軽減されることが報告されている(Borovikova et al. 2000, Ghia et al. 2006, Rongqian Wu et al. 2007, Xuan-zheng Shi et al. 2009)。迷走神経遠心路を介した抗炎症経路のリガンドにはアセチルコリンが挙げられる。迷走神経遠心路の神経終末から放出されたアセチルコリンは、本来の効果器である固有筋層の平滑筋細胞(ムスカリン受容体M2、M3)だけでなく、マクロファージの細胞膜表面に存在するα7 nicotinic ACh受容体(以下、α7nAChR)に対するリガンドとして作用し、マクロファージ細胞内におけるNFκB活性化の抑制とJak2-STAT3系のシグナル伝達促進により抗炎症作用を発揮させる(de Jonge WJ et al. 2007)。POIモデルなどのモデルにおいて、炎症および腸管運動障害がα7nAChR刺激により軽減すると報告されている(Wang H et al. 2003, de Jonge WJ et al. 2005, The FO et al. 2007)。

目的

ラットPOIモデルにおける回腸筋層部の炎症および腸管運動障害における5-HT4R作動薬による影響について検討する。特に、迷走神経遠心路やマクロファージ細胞膜上のα7nAChRを介した抗炎症作用に注目し、5-HT4R作動薬の作用機序について検討する。

方法

SDラット(7~9週齢、雄)を用いて、ペントバルビタールによる全身麻酔下に開腹し、Intestinal Manipulation(以下、IM。滅菌生理食塩水を浸した滅菌済みの綿棒にて遠位回腸の20cmを5往復擦る)を施行してPOIモデルを作成した。5-HT4R作動薬モサプリドクエン酸塩水和物mosapride citrate(以下、MOS)は手術2時間前、2時間後、6時間後に計3回投与した。術後に安楽死させたラットから回腸を摘出し、粘膜層側を剥離・廃棄して、筋層・漿膜側(筋層部)を実験に用いた。「炎症」については、各種炎症性メディエーターの定量(半定量的RT-PCR)、常在型マクロファージ、滲出性マクロファージ、好中球、肥満細胞などの炎症細胞数の定量(whole mount標本に対する蛍光免疫染色、MPO染色、トルイジンブルー染色)、「腸管運動障害」については、回腸輪走筋収縮力測定(マグヌス管)、消化管通過性(フェノールレッド経口投与60分後の胃・小腸への分布)を測定項目とした。

結果

ラットPOIモデルの回腸筋層部において、IM術後6時間後に各種炎症性メディエーター(IL-1β, IL-6, TNF-α, MCP-1, iNOS)の発現量増加、IM 12時間後に漿膜下層への肥満細胞浸潤、IM 22時間後に消化管通過性遅延・胃排出停滞、IM 24時間後に漿膜下層・筋層間の常在型マクロファージの増加および滲出性マクロファージ、好中球の著明な浸潤、回腸輪走筋収縮力低下がみられた(第1章および図15)。

腸管運動改善薬である5-HT4R作動薬MOS(0.3, 1, 3mg/kg)投与により、IM施行回腸における炎症および運動障害は有意に軽減した(第2章2-1)。MOSには5-HT4R刺激作用の他に弱い5-HT3R拮抗作用があるが、MOSによる軽減作用は5-HT4R拮抗薬GR 113808(1, 3, 10mg/kg)により、MOSによる単球・好中球浸潤に対する軽減作用、収縮力改善作用は有意に低下した。また、異なる5-HT4R作動薬CJ-033466(1mg/kg)もMOSと同等の作用を示した。POIモデルにおけるMOSによる抗炎症作用および運動障害改善作用は5-HT4Rを介することが示唆された(第2章2-2)。

次に、POIモデルにおけるMOSによる抗炎症作用および運動障害改善作用の機序を検討し、特に迷走神経遠心路およびマクロファージ細胞膜上のα7nACh受容体を介した機序に注目した。非特異的副交感神経遮断薬hexamethonium chloride(1mg/kg)投与により、MOSによる単球・好中球浸潤に対する軽減作用、収縮力改善作用は有意に低下した(第3章3-1)。また、α7nAChR拮抗薬methyllycaconitine citrate(0.087mg/kg)投与により、MOSによる単球・好中球浸潤に対する軽減作用、収縮力改善作用は有意に低下した。続いて、IM施行回腸筋層部におけるα7nAChR発現細胞を同定するために、α-bungarotoxin, α7nAChR抗体の2種類の試薬を用いた蛍光免疫染色を行なった。Control群ではα7nAChR発現は非常に乏しく、常在型、滲出性マクロファージの一部にのみ発現を認めたが、IM 24時間後にはマクロファージへの発現率は50~60%に著明に増加した。好中球、神経、平滑筋、血管内皮などにはα7nAChRの発現は認めなかった(第3章3-2)。

α7nAChRに関して、アロステリックリガンドであるsecreted mammalian leukocyte antigen 6/urokinase-type plasminogen activator receptor related protein(SLURP)-1が知られ、非神経組織から放出されることが報告されている(Knut Adermann et al. 1999, Horiguchi K et al. 2009)。SLURP-1の免疫染色を行なった。平常時の回腸筋層部には発現は稀であったが、IM 24時間後にはSLURP-1を発現する炎症細胞が顕著に増加した(第3章3-3)。

以上により、ラットPOIモデルにおいて、5-HT4受容体作動薬MOSは消化管壁内神経叢に分布する迷走神経遠心路に作用し、神経終末から放出されたアセチルコリンがマクロファージ細胞膜上のα7nAChRに作用してその抗炎症作用を発揮させることにより、回腸筋層部における炎症と運動障害を軽減させると考えられた。

結論

5-HT4受容体作動薬は回腸壁内神経叢の神経終末からのアセチルコリン放出を促進し、マクロファージ細胞膜上のα7nAChRを刺激してその抗炎症作用を発揮させ、術後腸管麻痺を改善する。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、術後腸管麻痺postoperative ileus(以下、POI)に対する5-HT4受容体作動薬投与の影響について検討した。

POIは、腸管の漿膜下層・筋層間に常在するマクロファージを主体とする炎症的機序により腸管運動障害が引き起こされて病態が形成されることが報告されている。腸管において、5-HT4受容体(5-hydroxytriptamine(5-HT, serotonin)の受容体の1つ。以下、5-HT4R)は胃・小腸・大腸の粘膜下・筋層間の壁内神経叢に存在し、蠕動運動を促進することが知られている。本研究では、腸管運動改善薬である5-HT4R作動薬モサプリドクエン酸塩水和物mosapride citrate(以下、MOS)投与のラットPOIモデルにおける炎症および腸管運動障害に対する軽減効果の有無および機序について検討し、以下の結果を得ている。

1. まず、ラットPOIモデルを作製した。ラットを全身麻酔の後開腹し、滅菌生理食塩水を浸した滅菌済みの綿棒にて遠位回腸20cmを5往復擦るIntestinal Manipulation(以下、IM)を施行し、閉腹して手術終了とした。IM術後6時間後の回腸筋層部において各種炎症性メディエーター(IL-1β, IL-6, TNF-α, MCP-1, iNOS)の発現量増加、IM 12時間後に漿膜下層への肥満細胞浸潤、IM 22時間後に消化管通過性遅延・胃排出停滞、IM 24時間後に漿膜下層・筋層間の常在型マクロファージの増加および単球(滲出性マクロファージ)、好中球の著明な浸潤、回腸輪走筋収縮力低下がみられた(結果 第1章および図15)。

2. 次に、5-HT4R作動薬MOS(0.3, 1, 3mg/kg)投与により、POIモデルのIM施行回腸筋層部における炎症(炎症性メディエーター増加、単球・好中球浸潤)および運動障害(回腸輪走筋収縮力低下、消化管通過性遅延・胃排出停滞)が軽減されることが示された(第2章 第1節)。

3. 続いて、POIモデルの炎症および腸管運動障害に対するMOSによる軽減作用の機序につき検討した。

・ 5-HT4R拮抗薬GR 113808(1, 3, 10mg/kg)投与により、POIモデルにおける炎症(単球、好中球浸潤)および運動障害(回腸輪走筋収縮力低下)に対するMOSによる軽減作用は有意に弱められた。また、MOSとは異なる5-HT4R作動薬CJ-033466(1mg/kg)投与はMOSと同等の軽減作用を示した。POIモデルにおけるMOSによる抗炎症作用および運動障害改善作用は回腸壁内神経叢の5-HT4Rを介することが示唆された(第2章 第2節)。

・ 消化管通過性の実験において、MOS単独では通過性を促進しないことが示された(図17, 18)。MOSは本来の腸管運動促進作用とは別の機序により、POIモデルにおける炎症および腸管運動障害を軽減している可能性が示唆された(第2章 第1節)。

・ 近年、迷走神経遠心路およびマクロファージ細胞膜表面に存在するα7 nicotinic ACh受容体(以下、α7nAChR)の刺激により炎症が軽減することが報告されている。

非特異的副交感神経遮断薬hexamethonium chloride(1mg/kg)投与により、POIモデルにおける炎症(単球、好中球浸潤)および運動障害(回腸輪走筋収縮力低下)に対するMOSによる軽減作用は有意に弱められた。POIモデルにおけるMOSによる抗炎症作用および運動障害改善作用は回腸壁内神経叢の5-HT4Rを介することが示唆された(第3章 第1節)。

次に、α7nAChR拮抗薬methyllycaconitine citrate(0.087mg/kg)投与により、POIモデルにおける炎症(単球、好中球浸潤)および運動障害(回腸輪走筋収縮力低下、消化管通過性遅延)に対するMOSによる軽減作用は有意に弱められた。また、α7nAChR発現細胞は平常時の回腸筋層部には稀であるが(マクロファージの一部に発現)、IM 24時間後の回腸漿膜下層・筋層間において常在型マクロファージおよび単球の50%以上に発現した。POIモデルにおけるMOSによる抗炎症作用および運動障害改善作用は回腸筋層部のマクロファージに発現するα7nAChRを介することが示唆された(第3章 第2節)。

4. α7nAChRに関して、アロステリックリガンドであるsecreted mammalian leukocyte antigen 6/urokinase-type plasminogen activator receptor related protein(SLURP)-1が知られ、非神経組織から放出されることが報告されているが、消化管における作用は不明な点が多い。本研究ではSLURP-1の免疫染色を行ない、平常時の回腸筋層部には発現は稀であったが、IM 24時間後の回腸漿膜下層・筋層間においてSLURP-1を発現する炎症細胞が顕著に増加することを見出した(第3章 第3節)。

以上、本論文は、ラット術後腸管麻痺モデルにおいて、5-HT4受容体作動薬が回腸壁内神経叢の神経終末からのアセチルコリン放出を促進し、マクロファージ細胞膜上のα7nAChRを刺激してその抗炎症作用を発揮させ、術後腸管麻痺を改善することを明らかにした。臨床において術後腸管麻痺の軽減に有用であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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