学位論文要旨



No 127110
著者(漢字) 中村,真樹
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,マサキ
標題(和) TSC-22はRas/MAPKの下流で発現上昇し、細胞の増殖を抑制する
標題(洋)
報告番号 127110
報告番号 甲27110
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3720号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,伸一
 東京大学 准教授 小川,誠司
 東京大学 准教授 石川,晃
 東京大学 講師 榎本,裕
 東京大学 講師 鈴木,基文
内容要旨 要旨を表示する

がんは、がん遺伝子やがん抑制遺伝子などの構造異常やエピジェネティクな異常を経て多段階に発生・進展する。さらに、様々な遺伝子発現の変化が、がんの複雑な病態や治療感受性を修飾している。従って、これらの遺伝子群の異常の実態を把握し、その機能を明らかにすることは、がんの診断や治療、そして予防を考える上で重要である。特に、がんの発生から進展で重要となる細胞の異常増殖にはRas経路の活性化が重要な働きをしていることが知られており、がん細胞の細胞増殖機構におけるRas経路の役割を明らかにすることは、がんの基礎研究における重要な課題のひとつである。

TGF-β-stimulated clone-22 (TSC-22)は、当初マウスの骨芽細胞においてTGF-βの刺激により発現が上昇する遺伝子として同定された。ヒトのTSC-22は第13番染色体q14に位置し、18kDのタンパクをコードしている。このタンパクにはロイシンジッパー構造とTSC-box構造が含まれるが、DNA結合部位は含まれていない。TSC-22は抗癌剤vesnarinone、TGF-βを含むさまざまな増殖因子、follicle-stimulating ホルモン(FSH)、tumor necrosis factor α(TNFα)、インターフェロンγ、インターロイキン-1β、fibroblast growth factor-2(FGF-2)、プロゲステロン、そしてepidermal growth factor(EGF)などの刺激で発現が上昇することが報告されている。また、乳がん細胞株においてTSC-22はプロゲスチンによって発現上昇し、細胞増殖を抑制する;胃がん細胞株においてはTSC-22の過剰発現がカスパーゼ-3の活性化と細胞のアポトーシスを誘導する;唾液腺がん細胞株において、TSC-22の過剰発現により細胞の増殖が抑制される、といった報告から、TSC-22は腫瘍形成抑制的に働く転写因子であることが示唆されているが、正確な機能についてはまだわかっていない。

我々の研究室における先行研究により、リンパ球系細胞株Ba/F3細胞においてチロシンキナーゼ型レセプターFlt3-ITDの下流でTSC-22の発現が上昇することが示された。白血病、特に急性骨髄性白血病(AML)、急性Bリンパ球性白血病(ALL)、急性Tリンパ球性白血病(T-cell ALL)の一部、慢性骨髄性白血病(CML)において、Flt3の高発現が高い頻度で見られる。Flt3の細胞膜直下部分での重複変異(internal tandem duplication within the juxtamambrane domain of the Flt3 gene (Flt3-ITD))あるいは、835番目のアスパラギン酸における点変異(an activating mutation at aspartic acid 835 (D835) in the tyrosine kinase domain of Flt3 (Flt3-TKD))がそれぞれAMLの20-30%、7%にみられ、AMLにおいて最も高い頻度で見られる遺伝子変異の一つとして知られている。この二つのFlt3遺伝子変異は、共にFlt3の恒常的な活性化を引き起こし血球系細胞株の因子非依存的な増殖につながるが、幾つかの大規模研究によりAMLにおいてFlt3ITDを持つものはより予後が悪いことが分かっている。そこで、Flt3-ITDとFlt3-D835Vを導入した細胞を用いてcDNAマイクロアレイ アナリシスを行ったところ、我々はFlt3-D835Vでのみ発現が上昇する遺伝子としてTSC-22を同定するに至った。一方、Flt3の下流にはRas/MAP kinase経路があり、恒常的に活性化したFlt3の下流ではRasおよびMAP kinase経路が恒常的に活性化していることが報告されている。そこで、私はTSC-22がRasおよびMAP kinase経路の下流で発現制御される遺伝子であるか否かに興味を持つに至った。

HRas (v-Ha-ras Harvey rat sarcoma viral oncogene homolog)は、1980年代初めに膀胱癌細胞株T24細胞、およびEJ細胞において同定されたヒトにおける初めてのがん原遺伝子であり、KRasやNRas などのRas ファミリーに属し、それがコードするタンパク質はGTPaseとして数多くのシグナル形質導入の初期に活躍し、下流のRaf / MAPKへとリン酸化シグナルを伝達する。遺伝子の点突然変異によりアミノ酸置換が生じることにより、活性化型に変化し、がん化を誘導する性質も報告されている。

本研究ではまず、TGF-β-stimulated clone-22 (TSC-22)のタンパクレベル、RNAレベルの発現がRas経路の活性化によって上昇し、転写レベルでもRasによる制御を受けていることを確認した。

続いて、TSC-22およびその欠失変異をNIH3T3細胞に過剰発現させて細胞増殖を比較することにより、TSC-22のTSC-boxが細胞増殖抑制において重要な働きをしていることを見出した。これは、ソフトアガーコロニーアッセイ、ならびに免疫不全マウス(NOD/SCIDマウス)を用いたin vivo腫瘍形成実験においても同様の結果であった。

また共焦点顕微鏡によるTSC-22の細胞内局在観察により、定常状態では細胞質に存在するTSC-22がRas経路の活性化に伴って細胞質から核内へ移行していることを確認した。これらの実験によりTSC-22は細胞質から核内へ移行して細胞増殖抑制効果を発揮していることを示した。

次にTSC-22とH-Rasのタンパクレベルでの会合を、GST融合タンパクを用いたプルダウンアッセイで示した。TSC-22と相同性の非常に高いTSC-boxならびにロイシンジッパー構造を持つファミリー遺伝子であるGlucocorticoid induced leucine zipper (GILZ)はRasおよびRafと直接会合し、Ras経路を抑制することが報告されている。そこでTSC-22についてもRas経路の抑制効果を検証したが、TSC-22による明らかな抑制効果はみられず、RasとTSC-22の会合の生理的な意味については今後の研究の課題として残された。

さらに我々はTSC-22欠損マウスを用いて実験を行った。野生型ならびにTSC-22欠損マウスの胎児繊維芽細胞(Mouse Embrionic Fibroblast : MEF)を用いた実験では、TSC-22欠損MEFが野生型に比べてRasによる細胞老化(セネッセンス)に導入されにくいことを確認した。セネッセンスはアポトーシスに並んで細胞ががん遺伝子によるがん化を免れる一つの機構だと考えられており、TSC-22が欠損することでMEF細胞がよりがん化しやすい状態になっていることが示唆された。Rasとの関係を明らかにするには至らなかったが、欠損マウスを用いた二つの発がん実験(DEN肝がんモデルおよび、BBN膀胱がんモデル)では、TSC-22欠損マウスにより多くのがんが形成されることを示した。

以上より、TSC-22はRas下流で発現が上昇し、細胞質から核内に移行することで細胞の増殖を抑制しており、TSC-22がRasの負の制御因子として働いていることが示唆された。また、TSC-22はRasによる細胞のセネッセンスの導入に必要であることが示唆され、TSC-22欠損マウスには薬剤による肝臓がん、膀胱がんがより発生しやすいことが分かった。これらにより、TSC-22ががんの発生を抑制する方向に働く遺伝子であることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

がんの発生から進展で重要となる細胞の異常増殖にはRas経路の活性化が重要な働きをしていることが知られており、がん細胞の細胞増殖機構におけるRas経路の役割を明らかにすることは、がんの基礎研究における重要な課題のひとつである。

本研究は、マウスの骨芽細胞においてTGF-βの刺激により発現が上昇する遺伝子として同定されたTransforming growth factor-β (TGF-β)-stimulated clone-22 (TSC-22)の機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. IPTGによりRas-G12V(Rasの活性型)を発現するBa/F3細胞、ならびにβ-estradiolによってRafが活性化するBa/F3細胞を用いてウェスタンブロットを行い、TSC-22がRasおよびRafの下流でタンパクレベルで発現上昇することを確かめた。またNIH3T3細胞においても、同様にRasの下流でTSC-22がタンパクレベルで発現上昇することを確認した。また、Ras-G12Vを発現させた細胞から抽出したRNAを用いたrealtime-PCR法により、TSC-22がRasの下流でメッセンジャーRNAレベルで発現上昇することを確認し、TSC-22のプロモーター領域を用いたルシフェラーゼアッセイにより、TSC-22の転写活性がRasの活性化に伴って上昇することを確かめた。

これらの実験により、TSC-22がRas/MAPKの下流で発現上昇する遺伝子であることを確かめた。

2. TSC-22を発現させたNIH3T3細胞を用いて、TSC-22が細胞の増殖を抑制することが確認された。さらにEdU取り込みアッセイ、細胞周期観察により、TSC-22を発現した細胞ではDNA合成が低下しG0/G1期の細胞が増加していることを確認した。

また、TSC-22のdeletion mutantを用いた解析により、TSC-22のうちTSC-boxという部分が細胞増殖抑制効果の発揮に重要な役割を担っていることを確かめた。

ソフトアガーコロニーアッセイ、NOD/SCIDマウスを用いたXenograftモデルにおいて、Ras-G12VならびにTSC-22を発現した細胞はコロニー形成、腫瘍形成が抑制されていたことから、TSC-22が活性型RasによるNIH3T3細胞の形質転換を抑制することが示唆された。

3. TSC-22ならびにそのdeletion mutantとGSTの融合タンパクを作成し、プルダウンアッセイを行った。この実験により、TSC-22とH-Rasがタンパクレベルで会合していることが確かめられた。Deletion mutantの解析によりTSC-22のN末端のNuclear Export Signal (NES)がこの結合に重要であることが確認された。

4. 共焦点顕微鏡を用いた細胞内局在の観察により、TSC-22は定常状態では細胞質に局在していることが確かめられた。また、Rasの活性化に伴ってTSC-22が細胞質から核内へ移行していることが確認された。

5. 野生型マウスならびにTSC-22欠損マウスからマウス胎児繊維芽細胞 (Mouse Embryo Fibroblast ; MEF)を作成して、Ras-G12Vを発現させて細胞老化 (Senescence)を誘導したところ、TSC-22欠損MEFは野生型MEFに比べてSenescenceに誘導されにくいことが確認された。Senescenceは細胞ががん化を免れる機序の一つと考えられており、TSC-22を欠損した細胞はがん化しやすい傾向にあることが示唆された。

6. TSC-22欠損マウスを用いた発がん実験を行った。ジエチルニトロサミン (DEN)を生後15日のマウスの腹腔に単回投与する肝臓がんモデル、N'-ブチル-N'-ニトロサミン (BBN)を20週間内服させる膀胱がんモデルにおいて、いずれもTSC-22欠損マウスではより多くの腫瘍が発生することが確認された。これらの実験によってTSC-22欠損マウスは何らかの機序でがんを発生しやすいことが確かめられた。しかし、これらのマウスモデルにおいては腫瘍におけるRasの活性化は不明であり、RasとTSC-22の関係を明らかにするには至らなかった。

7. 東京大学泌尿器科において膀胱全摘除術を施行した患者のサンプルを用いて、TSC-22の免疫染色をおこなった。TSC-22が細胞質に染色される場合と、核に染色される場合の二つのパターンがあることが分かった。しかし、これらのサンプルから得たゲノムDNAを用いてH-Rasコドン12および13の変異を検索したところ、染色パターンと遺伝子変異の間に関連性はみられず、何らかの他の機序でTSC-22の染色パターンが変化している可能性が示唆された。

以上、本論文はTSC-22がRas/MAPKの下流で発現上昇し、細胞の増殖を抑制することを明らかにした。また、Rasとの関連は不明であるが、TSC-22欠損マウスはがんを発生しやすいことを確かめた。本研究はTSC-22の細胞増殖抑制効果の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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