学位論文要旨



No 127115
著者(漢字) 坊垣,昌彦
著者(英字)
著者(カナ) ボウガキ,マサヒコ
標題(和) 重症敗血症における内皮型一酸化窒素合成酵素(NOS3)の心保護効果
標題(洋)
報告番号 127115
報告番号 甲27115
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3725号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 准教授 村上,新
 東京大学 講師 張,京浩
 東京大学 講師 玉井,久義
 東京大学 講師 土肥,眞
内容要旨 要旨を表示する

敗血症は感染に起因した全身性炎症反応症候群(systemic inflammatory response syndrome: SIRS)と定義され、その発症頻度は増加傾向にあるとされている。抗菌薬の早期投与や人工呼吸管理の改善をはじめとする治療法の進歩により全体の死亡率は減少傾向にはあるものの、重症敗血症患者においては、依然として死亡率は25-50%と高く、医学的また医療経済的にも非常に重要な問題となっている。一酸化窒素(NO)が敗血症の病態生理に深く関与していることは広く認識されているが、その役割および作用機序に関しては、まだ十分には解明されていない。

NOは生体内では主としてNO合成酵素(NOS)によって合成され、生体内情報伝達物質として作用する。NOSは少なくとも3種類が知られており、主に神経細胞に発現しているNOS1(neuronal NOS:nNOS)、炎症等の刺激によって様々な細胞に発現するNOS2(inducible NOS:iNOS)、主に内皮細胞・心筋細胞等に発現しているNOS3(endothelial NOS:eNOS)がある。NOS1とNOS3は恒常的に発現しているのに対して、NOS2は誘導型であり刺激のない状態では発現レベルは低いとされる。

敗血症においては、NOS2によって産生された大量のNOが血圧低下や臓器機能不全をもたらすと考えられており、実際、エンドトキシン投与による敗血症モデルにおいては、NOS2の遺伝的欠失あるいはNOS2の阻害薬の投与によって臓器障害が改善されることが示されている。しかし、敗血症患者に非特異的なNOS阻害薬を用いた臨床試験では、動物実験の結果とは対照的に、NOS阻害薬により死亡率が増加したため早期に臨床試験が中止となった。動物実験と患者で研究デザインが異なっていることも重要な要素ではあるが、用いられたNOS阻害薬が非選択的であったことは結果に大きな影響を及ぼしていると考えられ、この臨床試験の結果は敗血症においてはNOS2の選択的抑制が重要である可能性を示すとともに、NOS1およびNOS3がむしろ保護的に作用することを間接的に示唆するものであった。

敗血症におけるNOS3の役割に関しては、NOS3を過剰発現させたトランスジェニックマウスを用いた研究ではNOS3の保護作用が示されているものの、内在性に発現しているレベルのNOS3が保護的であるかどうかは依然として不明である。NOS3の臓器保護における役割については、心不全領域で多くの研究がなされてきており、虚血再灌流モデル、圧負荷心不全モデルなどを用いてNOS3が保護的に作用していることが示されている。慢性心不全においてNOS3が保護的に作用するメカニズムに関してはまだ十分には解明されていないが、近年、心不全のメカニズムとしてミトコンドリア機能が重要であることが指摘されている。ミトコンドリア機能の調節にNOS3が関与しているとの報告も散見され、慢性心不全におけるNOS3の心保護作用のメカニズムのひとつとしてミトコンドリア機能調節異常の可能性も考えられる。

以上のことから、敗血症におけるNOS3の臓器保護効果を検討する上で、特に敗血症性心不全においてNOS3が保護的に作用するのではないかと考えられ、本研究では心機能を中心に検討することとした。endotoxin投与モデルは必ずしも臨床的な敗血症の病態生理を反映していないと指摘されていることを考慮して、臨床的な敗血症に近いとされるpolymicrobial sepsisモデルを採用した。本研究の目的は、『NOS3ノックアウトマウス(NOS3KO)では敗血症性心不全が増悪すること』、言い換えれば『内因性に発現しているレベルのNOS3が敗血症において心保護効果をもつこと』を証明することである。

<実験方法の概要>

実験動物 :オスの野生型(WT)またはNOS3KO(C57BL/6系統、月齢2-6、体重20-30グラム)

敗血症モデル:消化管穿孔によるpolymicrobial sepsisモデル(Colon Ascendens Stent Peritonitis: CASP)

主な検討項目:CASP後の心機能について、in vivo、単離心筋細胞レベルで検討した。また、心機能障害のメカニズムを検討するため、心筋ミトコンドリア機能を比較し、さらに心臓および他臓器の(肝・肺)の炎症性サイトカインの発現レベルを比較した。

<結果>

NOS3KOではWTと比較して、敗血症徴候がより早く出現し、生存時間は有意に短かったことからNOS3欠失がpolymicrobial sepsisの重症化に関与していることが示唆された。

CASP22時間後に施行した血行動態測定では、WTに比べてNOS3KOでは収縮能・拡張能ともに心機能障害が増悪していた。

単離心筋細胞においてもCASPによって心筋細胞の機能は収縮能、拡張能ともに障害されたが、その程度はNOS3KOにおいてWTよりも重篤であった。心筋線維のカルシウム感受性にはNOS3KOとWTで大きな差はなく、心筋細胞の機能障害が重篤化する原因として、カルシウム調節機構の障害の程度がNOS3KOにおいてWTよりも大きいことが考えられた。

CASP22時間後に単離した心筋細胞ではミトコンドリア膜電位が低下していたが、この膜電位の低下はNOS3KOにおいてWTよりも有意に大きかった。またCASP22時間後に心筋ミトコンドリアを単離したところ、NOS3KOのミトコンドリアではカルシウム負荷によるミトコンドリア膜透過性遷移(MPT)がWTよりも早く生じる傾向が認められた。さらに、CASP後のミトコンドリアではATP合成能が低下していたが、この合成能の低下はNOS3KOにおいてWTよりも増悪していた。

心臓での炎症性サイトカインの遺伝子発現レベルは総じてCASPにより上昇したが、上昇の程度はNOS3KOにおいてWTよりも大きい傾向があり、NOS3欠失によりCASP後の心筋の炎症が増悪することが示唆された。また、肝・肺においてもCASP後の炎症性サイトカインの発現レベルはNOS3KOにおいて有意に上昇の程度が大きく、NOS3欠失によって全身性に炎症が増強されることが示唆された。

なお、心臓においてはNOS3欠失によるNOS1あるいはNOS2の代償性発現は認められず、心臓組織中のNO代謝産物の濃度にも差は認められなかった。

<考察>

本研究ではNOS3欠失によって敗血症による心機能障害が悪化することがマウスpolymicrobial sepsisモデルを用いて示された。NOS3KOにおいては、CASP後の心機能は収縮能・拡張能ともにWTよりも強く障害され、単離心筋細胞を用いた解析では、細胞内カルシウム濃度の調節機構が障害されていることがわかった。これらの障害はミトコンドリアの機能低下、なかでもミトコンドリアのATP合成能の低下と関連していたが、ATPは細胞内カルシウム濃度の調節に重要な筋小胞体Ca2+-ATPaseの機能の決定因子とされている。また、NOS3KOではpolymicrobial sepsisによって、心臓を含めて全身性に炎症が増強していた。以上をあわせると、NOS3欠失によりpolymicrobial sepsisにともなう心臓組織の炎症が増強し、それによって心機能が増悪する、言い換えれば内因性のNOS3は心臓組織の炎症を抑制し、心臓保護的な役割を果たすことが示された。また、保護作用のメカニズムとして、ミトコンドリア機能の維持によって細胞内カルシウム調節機構の障害を抑制することが重要であることが示唆された。

本研究ではpolymicrobial sepsisにおいてNOS3が心臓の炎症を抑制し、またミトコンドリアの機能障害を抑制することが示されたが、その分子メカニズムについてはほとんどわかっていない。NOシグナル系が重要なことは当然であるが、血漿中濃度や組織中濃度といった指標では、NO分子の役割を十分に解明することはできない。NO合成酵素には細胞内局在があることもわかっており、今後はNOSおよびNOの細胞内局在を考慮した議論が重要になってくると思われる。また、sepsisは多臓器不全をひきおこす全身の炎症性病態であり、心機能障害においても他臓器の機能障害の影響は無視できない。本研究でもNOS3KOによって肝臓、肺の炎症も増悪しており、NOS3の心保護効果のメカニズムとして、全身の炎症を抑制することに加えて心臓で臓器特異的に作用するメカニズムが存在するかどうかは不明である。今後、NOS3のconditional knock outマウスが使用可能となり、これらの未解決の問題の解明が進むことが期待される。

以上、本研究では、NOS3欠失により、polymicrobial sepsisにともなう心機能障害が増悪すること、この心機能障害は心筋細胞のカルシウム調節機構の障害の増悪をともなっており、その原因としてミトコンドリア機能障害が重要であることが示唆された。この結果からは、NOS3が臨床的敗血症において臓器保護効果を持つことが予想され、将来的にはNOS3の機能を調整することが、敗血症性心不全の治療の目標となる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、敗血症による臓器障害の進行過程における一酸化窒素(NO)の役割を解明するため、遺伝子改変マウスを用いて重症敗血症モデル(CASP)を作成し、心機能障害を中心に重症敗血症における一酸化窒素合成酵素(NOS3)の役割を検討したものであり、下記の結果を得ている。

1. NOS3ノックアウトマウス(NOS3KO)では野生型(WT)と比較して、CASP後の敗血症徴候がより早く出現し、生存時間は有意に短かった。このことからNOS3欠失が敗血症の重症化に関与していることが示唆された。

2. CASP22時間後に施行した血行動態測定では、WTに比べてNOS3KOでは収縮能・拡張能ともに心機能障害が増悪していた。また、心筋細胞レベルでもCASP22時間後に単離した心筋細胞の機能は収縮能、拡張能ともに障害されていたが、その程度はNOS3KOにおいてWTよりも重篤であった。心筋線維のカルシウム感受性にはNOS3KOとWTで大きな差はなく、心筋細胞の機能障害が重篤化する原因として、カルシウム調節機構の障害の程度がNOS3KOにおいてWTよりも大きいことが考えられた。

3. CASP22時間後に単離した心筋細胞ではミトコンドリア膜電位が低下していたが、この膜電位の低下はNOS3KOにおいてWTよりも有意に大きかった。またCASP22時間後に単離したミトコンドリアを比較すると、NOS3KOのミトコンドリアではカルシウム負荷によるミトコンドリア膜透過性遷移(MPT)がWTよりも早く生じる傾向が認められた。さらに、CASP後のミトコンドリアではATP合成能が低下していたが、この合成能の低下はNOS3KOにおいてWTよりも増悪していた。

4. 心臓での炎症性サイトカインの遺伝子発現レベルは総じてCASPにより上昇したが、上昇の程度はNOS3KOにおいてWTよりも大きい傾向があり、NOS3欠失によりCASP後の心筋の炎症が増悪することが示唆された。

5. 肝・肺においてもCASP後の炎症性サイトカインの発現レベルはNOS3KOにおいて有意に上昇の程度が大きく、NOS3欠失によって全身性に炎症が増強されることが示唆された。

6. 心臓においてはNOS3欠失によるNOS1あるいはNOS2の代償性発現は認められず、心臓組織中のNO代謝産物の濃度にも差は認められなかった。また、CASP10時間後の血漿中のNO代謝産物の濃度にもNOS3欠失の影響は認められなかった。

以上、本研究はNOS3欠失により、polymicrobial sepsisにともなう心機能障害が増悪すること、この心機能障害は心筋細胞のカルシウム調節機構の障害の増悪をともなっており、その原因としてミトコンドリア機能障害が重要であることを示唆した。本研究はこれまで十分に検討されてこなかった"内在性発現レベルのNOS3"の敗血症性心不全における保護効果を明らかにした点で、今後の敗血症性心不全のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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