学位論文要旨



No 127120
著者(漢字) 井出(大河内),彩子
著者(英字)
著者(カナ) イデ(オオコウチ),アヤコ
標題(和) 在宅頸髄損傷者の健康および生活上の困難と対処の経験 : セルフケア、健康行動、身体観および健康観に焦点を当てて
標題(洋)
報告番号 127120
報告番号 甲27120
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3730号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 芳賀,信彦
 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 准教授 松山,裕
内容要旨 要旨を表示する

1. 目的

脊髄損傷者に対する高度救命救急医療は進展しており、生命予後は良好になっている。だが、脊髄損傷者において受傷による変化への適応の失敗と精神的問題の発生は依然として報告されている。さらに、頸髄損傷者では胸・腰髄損傷者よりも身体機能不全の程度が深刻であり、外傷性では突然の障害によりその受容や適応がより難しいことが予測される。

彼らの「困難」の理解が必要であるが、頸髄損傷者特有の困難やその困難の構造に着目した先行研究は不足している。また、彼らが受傷後どのような「対処」をとることで、病いとともにある人生の再構築を図っているのかを理解することが重要であるが、先行研究では、対処の構造や再構築の過程について精査されてこなかった。

本研究では、セルフケア技術の訓練を中心とする医療職の支援が頸髄損傷者の適応に与える効果や障がい受容と適応との関連について明らかにする。また、受傷後形成された身体観・健康観と対処との関連、障がいを前提とする健康行動の習得の有無について検証する。これらの解明から、当事者の困難と対処の経験に対する理解を深め、支援上の示唆を得ることを目的とする。

2. 方法

1)質的研究法を用いる理論的根拠

本研究は、頸髄損傷者の困難や対処方略を当事者の視点から記述し、帰納的に分析する。また、本研究は単にこれらの定量的な把握ではなく、彼らの身体観や健康観を踏まえた全体論的な見方や個人の事情を尋ねる際の共感的理解を適用することを目指しており、これに合致する質的研究法を採択した。

質的研究法のなかでも本研究ではフィールドワークを重視し、参与観察と面接をデータ収集法として用いるLofland & Loflandの自然主義的社会研究法を採用する。だが、データ分析では著者らもその適用を認めるグラウンディッドセオリー法を参照した。

2)参加者

全国頸髄損傷者連絡会3支部および愛媛県内の訪問看護ステーション代表者から推薦された外傷性頸髄損傷者に説明文書郵送後、メール・電話にて調査協力を依頼し、1府2県13市1郡に居住する29名(男性27名、女性2名)の参加者を得た。

3)データ収集方法

インタビューガイドを用いた半構造化面接と参与観察を平成21年4月から同年8月に行った。質問内容は、身体的・医学的状況、医療や介護の利用状況、経済状態、受傷後経験した困難とそれに対する対処、身体観・健康観、医療福祉機器の利用等である。自宅訪問による観察で得られた情報もデータとして活用した。

4)分析方法

面接内容は了解を得て録音し、逐語録からコーディングを行った。語りを困難や対処やサポートなどの内容的まとまりによって若干抽象化して最初のコードを付けるオープンコーディングの後、参加者間で共通性のあるコードをリストにし、観察データも活用しながらカテゴリー化を進めた。さらに、カテゴリー間の関係性を検討するため軸足コーディングを行い、その上で上位あるいは中核になるカテゴリーの生成を行った。分析結果の妥当性向上のために、質的研究者や参加者数名との討議を行い、修正を加えた。

5)倫理的配慮

本研究は東京大学大学院医学系研究科倫理委員会の承認を受けた。研究目的や倫理的配慮等について文書および口頭で説明し、参加者の承諾・署名を得た。

3. 結果

1)参加者の概要

参加者の平均年齢は48.1歳(range 26-77)、受傷時の平均年齢は30.7歳(range 14-69)、受傷後期間は平均16.9年(range4-36)であった。損傷脊髄レベルは、C1が2名、C3が6名、C4が10名、C5が6名、C6が3名、不明2名である。受傷原因は交通事故が15名、次いでスポーツ事故が9名である。身体機能は自力座位保持不能が22名、移動・移乗介助必要が25名、排泄介助必要が22名、入浴介助必要が28名である。主介護者は同居家族が18名、公的ヘルパーが11名である。収入は所得保障が大半である。

2)参加者の経験した主観的困難のカテゴリー

【運動機能障害自体の困難】、【身体健康管理上の困難】、【心理・情緒・気分上の困難】、【社会経済的困難】という4つの中核カテゴリーが生成された。参加者は日常生活で必要な基本的な動作をするのも難しく、自分でできて当たり前の日常生活行為ができないと語った。また、頸髄損傷由来の慢性的な症状によって、身体健康管理上の困難が生じていた。【運動機能障害自体の困難】と【身体健康管理上の困難】が身体的困難を構成し、さらに、身体的困難は、家族への負債感や身体障がい者に対するまなざしによる苦痛、社会的役割の喪失や社会交流の減少などの心理・社会的困難を伴っていた。

3)参加者の用いた対処方略のカテゴリー

【運動機能障害の程度の維持・軽快のための身体の自己管理】、【症状コントロールと健康の維持・増進のための身体の自己管理】、【心理・情緒・気分の自己管理】、【社会生活の自己管理】という中核カテゴリーが生成された。障がいへの対処としてリハビリテーションへの参加や補助具の使用などがあり、疾患・症状対処として医師の指示の遵守や経験に基づく自己判断がなされていた。これらの障がいおよび疾患への対処によって体調が安定するにつれて、健康管理における自己責任の自覚や医師とのパートナーシップの形成という対処がとられるようになっており、障がいを前提とする健康観の形成も行われていた。また、再構築の進展した参加者では、健康管理方法を選択する際にQOL概念の適用が行われていた。

心理上の自己管理では、身体機能不全と自己の受容、障がいの肯定的な側面の発見、家族介護者への負債感の軽減などの対処が行われ、自己の混乱の修復が図られている。社会生活の自己管理に含まれる対処方略には、気概を持つ、社会的役割を持つなどがあるが、障がい者だからこそできる社会的役割の充足が特に適応の良好な参加者によって実施されていた。

4. 考察

1)頸髄損傷者の主観的困難の構造と特徴

本研究は、頸髄損傷者の困難が4つの領域から構成されることを明らかにし、その主観的・客観的側面を整理した。まず、参加者の運動機能障害と随伴症状による慢性的な健康管理の必要性という二つの健康問題が、身体的困難を生じさせており、その客観的側面が、参加者の心理・社会的困難の発生に影響していることを明らかにした。次に、障がい者に対するスティグマ由来の心理的苦痛が外出機会の減少に影響を与える一方で、就労役割の喪失が心理的困難の増幅に関連しており、参加者の身体的・心理的・社会的困難は重なり合っていることが明らかになった。

2)参加者の再構築の過程とセルフケア・健康行動・身体観・健康観の変容

本研究は、セルフケアにおける疾患対処行動から健康行動への変遷と健康管理におけるQOLの積極的な追求、障がいのある身体と自己に対する受容の進展、社会参加の獲得が、参加者の再構築の進展の程度を左右することを明らかにした。運動機能障害や随伴症状に対する自己管理は、専門家への適切な求助を含むセルフケアとして行われていた。また、健康行動の形成には、障がいがあっても人間としては健康であるという積極的な健康観への転換の影響がみられ、障がいに対する肯定的な意味づけが、再構築の進展した参加者におけるQOLの積極的な追求にもつながっていると考えられた。

さらに、本研究は、心理社会的適応の達成には、身体の機能不全だけではなく、障がいをもつ自己を受容することが重要であり、そのためには、積極的な健康観への転換が不可欠であることを明らかにした。また、障がい者としての自己を積極的に受容することで、障がい者に対する否定的まなざしを恐れないことが可能になり、一般社会への積極的な参加が獲得されていくものと考えられた。

3)今後の支援への示唆

身体機能回復訓練の適応に対する効果は認められたが、心理社会的適応における個人差を縮小するための、心理面に対する直接的支援も必要と考えられた。また、介助者の存在を前提とする重度身体障がい者ならではの自立概念を理解した上で、彼らの社会的役割の獲得を支援することが重要である。さらに、今後はチームによる支援が実施されることが望ましい。

5. 結論

頸髄損傷者は、身体障がい者であり、かつ慢性疾患患者でもあるという病気特性による身体的困難を経験している。また、身体的依存を余儀なくされることが心理的困難や社会経済的困難の発生に影響を与えているが、これらは互いに重なり合い、個人史の混乱を生じさせている。参加者の再構築が進展する過程では、社会参加と障がい受容の進展に加えて、疾患対処行動から健康行動へ、さらにはQOLの追求へというセルフケア内容の変遷がみられた。なお、障がい受容については、身体の変形のみならず、障がい者としての自己も認めることが重要である。支援への示唆として、当事者が心理社会的困難に対して自ら考え行う対処を促進することが重要である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は外傷性頸髄損傷者を対象とし、彼らが受傷後に経験した「困難」および「対処」の特徴をカテゴリーとして導き出し、彼らの障がいとともにある人生の再構築への支援方法の示唆を得ることを目的に、インタビューと観察からデータを収集し、グラウンディッドセオリー法による分析を行い、下記の結果を得た。

1. 参加者の身体的困難は、運動機能不全と頸髄損傷に随伴する症状による慢性的な健康管理の必要性という二つの健康問題に由来する困難に二分された。しかも、それぞれの困難において、客観的側面と主観的側面があることが示された。そして、身体的困難の客観的側面が、彼らの心理的困難や社会経済的困難の発生に寄与していることが明らかになった。

2. 障がい由来のスティグマによる心理的苦痛が社会関係の縮小に関係する一方で、就労困難という社会的困難が家族への負債感や無力感という心理的困難に影響を与えており、頸髄損傷者の身体的・心理的・社会的困難は重なり合っていることが明らかになった。

3. 参加者の対処は運動機能障害・慢性的な症状・心理・社会生活に対する自己管理から構成された。運動機能障害に対する対処も必要なところが、慢性疾患患者が求められる自己管理とは異なる、頸髄損傷者の対処の特徴であった。

4. 参加者が行うセルフケアは、受傷直後の運動機能障害に対するリハビリテーションから在宅生活における症状管理にその焦点が移っており、しかも医療職の関与は徐々に間接的になっていた。また、彼らの生活が再構築されていくにつれて、セルフケアの目的は症状管理から健康の維持・増進に変遷し、QOLが健康管理方法の選択基準となっていた。そして、このようなセルフケアの変遷には障がいを肯定的に捉える身体観・健康観への変化が関係していると考えられた。

5. 障がい受容と社会参加の進展の程度が、参加者の障がいとともにある人生の再構築の程度を左右していた。特に、障がい受容の進展する過程には、身体の受容から自己の受容への変遷があることが頸髄損傷者の特徴であった。

以上、本論文は外傷性頸髄損傷者の主観的困難と客観的困難に着目することにより、身体的困難の客観的側面が心理・社会的困難の主観的側面の発生に影響しているという、従来報告の少なかった、彼らの困難の構造を明確化した。また、彼らの困難は多重的であり、従来行われてきたセルフケア技術の獲得という身体面を中心とする援助だけではなく、心理・社会的困難に対する援助も必要であることを示唆できた。さらに、彼らの障がいとともにある人生の再構築の過程には、症状管理を主目的とするセルフケアから健康の維持・増進を主目的とする健康行動への変遷と並んで、障がい受容と社会参加の進展がみられること、このような積極的な再構築には障がいに対して肯定的な身体観・健康観の形成が影響していることを明らかにできた。本研究で得られた再構築の過程は、従来その内容が整理されてこなかった障がい受容という概念のなかでも、特に自己受容を促進するような医療職からの支援の必要性を示唆している。本研究結果を活用することによって、彼らの再構築に役立つリハビリテーション内容や彼らの自立概念を尊重した在宅生活の支援方法の発展に貢献できると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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