学位論文要旨



No 127121
著者(漢字) 池田,真理
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,マリ
標題(和) 妊婦のアタッチメント・スタイルが産後うつ病発症に及ぼす影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 127121
報告番号 甲27121
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3731号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 島津,明人
 東京大学 教授 上妻,志郎
 東京大学 准教授 吉内,一浩
 東京大学 准教授 金生,由紀子
 東京大学 講師 村山,陵子
内容要旨 要旨を表示する

I 緒言

産後うつ病は出産後の母親の10-20%が罹患するといわれている。産後うつ病に罹患した母親は、子どもの成長発達に悪影響を及ぼし、さらに子どもへの虐待との関連も報告されている。これまでの研究で、産後うつ病は出産後の女性ホルモンの急激な低下のみならず、妊娠期の抑うつや不安、精神疾患の既往、結婚満足度などの心理社会的要因も強く影響していることが報告されている。本研究では、それらの要因に加えて、これまであまり検討されてこなかった妊婦の対人関係の持ち方であるアタッチメント・スタイルに着目して、産後うつ病との関連について検討することを目的とした。アタッチメント・スタイルと産後うつ病については、海外の先行研究で、妊婦のアタッチメント・スタイルが不安定であると、産後うつ病のリスクが高くなるという報告があるが、本邦では未だ産後うつ病とアタッチメント・スタイルとの関係は明らかになっていない。産後うつ病を予防する視点からも、これまでに明らかになっている産後うつ病のリスク要因にアタッチメント・スタイルを加えてそれぞれの要因の影響を評価することが必要であると考えた。産後うつ病の予防的視点からも、関連する要因を妊娠期から把握し、適用可能性のある心理社会的支援の示唆が得られると考えた。

II 方法

1.対象者と調査方法

対象は都内大学医学部附属病院1施設の母親学級出席者、または産科外来通院中の妊婦で、20歳以上、調査時点で結婚していて、重大な身体疾患や妊娠合併症の無い者とした。調査は妊娠後期と出産後1ヶ月の2時点で行った。

妊娠32週以降(T1)に自記式質問紙の回答を依頼した。質問項目は、人口統計学的情報(年齢、学歴、職業、同居者、暮らし向き)と精神科既往の有無、妊娠体験のうけとめ(悩ませるもの、気持ちが高まるもの)、産後うつ病の情報の有無、妊娠後期の抑うつ、及び既存尺度(産後うつ病予測尺度:PDPI-R、家族関係尺度:FRI、エジンバラ産後うつ病自己調査票:EPDS)であった。次にアタッチメント・スタイル面接(以下、ASI)を実施し、第1相において、アタッチメント対象(夫と他2名)との関係の安定性を測定し、標準型、非標準型に評定した。次に第2相において、他者との関係性を妨げるものである7つの尺度により測定し、「とらわれ型」、「恐れ型」、「怒り-拒否型」、「引っ込み型」「明らかな安定型」に評定した。出生時在胎日数、出生時体重、分娩様式、分娩所要時間、出血量などの産科的情報は診療録から情報収集した。出産後1ヶ月健診時(T2)にM.I.N.I.精神疾患簡易構造化面接を行った。その後、自記式質問紙で、EPDS、マタニティブルーについて尋ね、続いて、出産の振り返り、退院後の育児の様子、他者との関係性について面接(産後面接)を実施した。91名から同意を得て、84名にASIを実施した。選定基準を満たさなかった6名、産後面接を辞退した1名、産後に入院した1名を除いた76名を分析対象とした。

2.分析方法

T2のM.I.N.I.精神疾患簡易構造化面接で陽性だった者を「産後うつ病」とし、それを従属変数として、T1で測定した要因についての単変量解析を行った。次に、産後うつ病を従属変数として、単変量解析で有意差のあった要因とモデルの理論上必要な要因を独立変数とした多重ロジスティック回帰分析を行った。ASIと産後面接については、面接の逐語録の質的内容分析を行った。

III 結果

1.対象者の特徴

対象者の平均年齢は33.4歳、最終学歴は大学・大学院卒が54名(71.1%)で、職業を持つ者が41名(53.9%)と半数を上回った。暮らし向きは14名(18.4%)が「ゆとりがある」、62名(81.6%)が「普通」と答えた。13名(17.1%)が精神科の受診経験があり、19名(25%)が流産の経験があり、9名(11.8%)が不妊治療の経験があった。また、婦人科疾患の既往がある者は10名(13.2%)であった。

妊娠体験のうけとめについての得点は、「悩ませるもの」が7.7±2.4、「気持ちが高まるもの」は10.9±1.2であった。産後うつ病についての知識は、知っている者が64名(84.2%)、また、知っていた方が良いと思う者が70名(92.1%)であった。

2.対象者のアタッチメント・スタイルの特徴

ASIの結果は、標準型が45名(59.2%)、非標準型は31名(40.8%)だった。第2相では「とらわれ型」が2名(2.6%)、「恐れ型」が17名(22.4%)、「怒り-拒否型」が7名(9.2%)、「引っ込み型」が17名(22.4%)、「明らかな安定型」が33名(43.4%)と評定された。

3.産後うつ病に影響を与える要因

産後うつ病と判定されたのは、16名(21.1%)であった。単変量解析で産後うつ病と有意な関連があった変数は、婦人科疾患の既往、妊娠体験のうけとめの「悩ませるもの」、「気持ちが高まるもの」、妊娠後期の抑うつ、アタッチメント・スタイル(標準型、非標準型の2値)であった。子宮内膜症、子宮筋腫などの婦人科疾患の既往は、産後うつ病群が有意に多かった。妊娠体験のうけとめの「悩ませるもの」は非産後うつ病群が有意に低く、「気持ちが高まるもの」は非産後うつ病群が有意に高かった。妊娠後期の抑うつ(EPDS)は産後うつ病群が有意に高かった。

アタッチメント・スタイルで非標準型と評定された者は、産後うつ病群で10名(62.5%)、非産後うつ病群で21名(35.0%)であり、産後うつ病群で、非標準型の占める割合は有意に多かった。対象者の産科的要因及び児の属性に関しては、産後うつ病群と非産後うつ病群で有意な差がある要因はなかった。

産後うつ病を従属変数として、リスク要因を独立変数としたロジスティック回帰分析を行った結果、有意に関連していたのは、暮らし向き(OR 0.04, 95%CI:0.002-0.729, p=0.030)、妊娠後期の抑うつ(OR 15.83, 95%CI:1.001-250.274, p=0.050)、アタッチメント・スタイル(OR 7.57, 95%CI:1.171-48.913, p=0.034)の3変数であった。この回帰モデルと、アタッチメント・スタイルを除いたモデルのROC分析を行った結果、AUCは0.872(p<0.01、95%CI:0.766-0.978)と0.844(p<0.01、95%CI:0.741-0.946)となり、アタッチメント・スタイルを含めることで産後うつ病の予測性が高まることが分かった。

3.アタッチメント・スタイルと産後うつ病との関連

産後うつ病群の16名のASIの内容を質的分析した結果、夫とのアタッチメント関係が不安定、夫が単身赴任等で同居していない、夫に妊娠・出産に関連した悩みの打ち明けをしていない、また夫の共感的な応答が少ないことがあげられた。また、自己信頼が高い特徴があった。産後面接で語られた内容で共通していたのは、出産後の育児を予想以上に負担に感じ、期待したサポートが得られなかったり、出産時に子どもが黄疸や不整脈などにより医療的介入を受けていたことであった。

本研究では、引っ込み型の構成比が高かったため、引っ込み型で産後うつ病になった者とならなかった者を比較した。その結果、産後うつ病になった者は、夫の共感が期待できないと思い相談をせず、また、話をしても夫から情緒的な応答は得られていなかった。また、出産後の子育てが自分の思うようにならなかったり、授乳指導の場などで高い自己信頼を傷つけられるなど、自信を喪失して精神的に不安定になっていた。一方、産後うつ病になっていなかった者は出産を機に、夫や重要他者に打ち明けができていた。

IV 考察

産後うつ病の発症を予測する要因として、ロジスティック回帰分析から、暮らし向き、妊娠後期の抑うつ、アタッチメント・スタイルが示された。産後うつ病のリスク要因としてアタッチメント・スタイルを含めることが、産後うつ病の予測性を高めることが明らかになり、妊婦のアタッチメント・スタイルに着目することの重要性が確認できた。

産後うつ病群のASIと産後面接の内容の質的分析から、妊娠期に出産やその後の育児についての不安を夫と共有することの重要性が示唆された。また、夫との関係性が良好であっても、出産後に夫が不在ということが大きく影響して、精神的に不安定になることが推察された。アタッチメント・スタイルを構成する態度では、自己信頼が高く、自立していて自己統制感を重要視する人が多く、産後に自分で統制できない状況が出てきたときに非常に戸惑っていることを示唆していた。産後面接では、育児が予想以上に大変であること、期待したサポートが得られないこと、自身の体の回復が予想以上に遅いこと、母乳育児などが思い通りに行かず自信喪失するなどといったことが産後うつ病のリスクを高めていると考えられた。また、アタッチメント・スタイルに関わらず、子どもが出産時に医療的介入を受けた場合に、産後うつ病のリスクが高くなっており、自責の念にかられたり、心配が募ったりと、その後も抑うつ症状が続くことが伺えた。出産後に来院する母乳外来や産褥健診などの機会に医療側からの適切なサポートと、家族からの支援が必要と考える。

これまでの海外の研究では、引っ込み型は産後うつ病との関連が無かったと報告されているが、本研究の引っ込み型で産後うつ病になった者は、夫への打ち明けレベルが低く、人に相談をしないという共通点が浮かび上がった。出産までは、人に頼ることなく物事を上手く処理できていても、出産後は情緒的・実質的なサポートが必要となり、適切に希求できずにいると産後うつ病になる可能性があることが示唆された。引っ込み型も他の非標準型と同様に産後うつ病のリスクは高い可能性があるため、このタイプに対しては共感的な関係形成を働きかけ、他者にサポートを希求できるような支援を行うことが必要と考えられる。一方、引っ込み型で産後うつ病にならなかった者は、出産前から夫と妊娠・出産に関する気持ちの打ち明けができていたり、出産を機に夫に気持ちを含めた打ち明けが出来るようになっていることが伺え、これまでのアタッチメント・スタイルを肯定的な方向へ変化させた可能性が示唆された。

本研究の対象者は都市部の大学付属病院に受診する者で、アタッチメント・スタイルは先行研究と比較して非標準型の構成が高いという特徴をもつ集団であった。また、サンプルサイズの関係で、一部の信頼区間が広くなった。今後はサンプル数を確保し、地域差も鑑みた複数の施設で研究を行う必要がある。以上の限界はあるが、これまであまり重視されてこなかったアタッチメント・スタイルと産後うつ病との関連について検討したことは意義があると考える。今後の展望としては、妊娠期からアタッチメント・スタイルを含めたリスク要因を把握して、リスクの高い妊婦に対しては出産とその後に向けて、アタッチメント・スタイルに添った心理社会的支援について検討していくことが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、出産後の女性が罹患する、産後うつ病の発症に影響を与える心理社会的要因影響を評価するために、妊娠後期と出産後1ヶ月の2時点において、質問紙調査と面接調査の前向き調査を行い、多変量解析を試みたものである。さらに、妊婦のアタッチメント・スタイルが産後うつ病発症に及ぼしている影響については、質的分析を行っており、下記の結果を得ている。

1.単変量解析の結果では、婦人科疾患の既往、妊娠体験のうけとめの「悩ませるもの」、「気持ちが高まるもの」、妊娠後期の抑うつ、及びアタッチメント・スタイルが、産後うつ病の発症に関連した要因であることが明らかになった。

2.単変量解析によって産後うつ病と関連があった要因、及び本研究の概念モデルの理論上、必要とした要因を独立変数とした多重ロジスティック回帰分析を行った結果、有意に関連していたのは、暮らし向き、妊娠後期の抑うつ、アタッチメント・スタイルであった。暮らし向き、妊娠後期の抑うつについては、これまでの研究でリスク要因として報告されているところであり、本研究の対象者に関しても同様の結果が得られた。

3.本研究で、あらたに加えたアタッチメント・スタイルの不安定さが産後うつ病の発症に影響を及ぼす事が明らかになった。また、アタッチメント・スタイルをリスク要因に含める多重ロジスティック回帰モデルの方が産後うつ病の予測性を高めることが確認できた。

4.ASIと産後面接の質的分析を行った結果、産後うつ病を発症した者は、(1)夫に対して妊娠・出産・育児についての打ち明けを、気持ちを含めてしていない、(2)打ち明けたことに対して、夫の共感的な応答が少ない、(3)出産後の生活に夫が単身赴任などで不在(物理的距離)、(4)自己信頼が高く、自分だけで物事を対処したいスタイルを持つ、(5)育児が予想以上に大変で負担に感じていたり、期待したサポートを周囲から得られなかった、(6)出産時に児に医療的介入が必要だった、(7)出産後の自身の体調回復が予想以上に時間がかかったといった特徴が明らかになった。

5.引っ込み型の人は、出産までは人に頼らず物事を処理できていても、産後は情緒的・実質的なサポートが必要となり、それを適切に希求できずにいると産後うつ病になる可能性があり、他の非標準型と同様に産後うつ病を発症するリスクがあることが分かった。一方、引っ込み型でも出産を機に夫や重要他者に打ち明けができ、その時に適切な情緒的応答を得た者は、産後うつ病になっておらず、それまでのアタッチメント・スタイルを肯定的な方向へ変化させた可能性が示唆された。

6.本研究は、妊婦のアタッチメント・スタイルを妊娠期から把握することによって、それぞれの妊婦のアタッチメント・スタイルに添った心理社会的支援の可能性を示唆した。

以上、本論文は産後うつ病において、個人の属性、産科的要因、及び心理社会的要因の影響を明らかにした。産後のメンタルへルスに及ぼす影響として対人関係であるアタッチメント・スタイルに着眼した点で独創的であり、これまで本邦において報告がなかった妊婦のアタッチメント・スタイルと産後うつ病の関連を明らかにし、妊婦の心理や行動の理解や支援のあり方に対して重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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