学位論文要旨



No 127125
著者(漢字) 小澤,未緒
著者(英字)
著者(カナ) オザワ,ミオ
標題(和) 日本語版Premature Infant Pain Profileの開発と新生児期に受ける痛み経験が前頭前野の活動に及ぼす影響に関する近赤外分光法による検証
標題(洋)
報告番号 127125
報告番号 甲27125
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3735号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 真田,弘美
 東京大学 准教授 金生,由紀子
 東京大学 講師 春名,めぐみ
 東京大学 講師 山崎,あけみ
 東京大学 特任講師 五石,圭司
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、序論、第1章、第2章、結論で構成されている。第1章の内容は、第2章で用いる尺度の信頼性・妥当性の検証が目的であり、本研究の核となる結果は、第2章である。

序論

わが国では、全出生数に占める低出生体重児の出生数と割合は増加傾向にあり、2008年の低出生体重児の出生数は全出生数の9.6%を占めるに至っている(財団法人母子衛生研究会, 2010)。これらの児のほとんどは生後に何らかの治療を必要とするため、Neonatal Intensive Care Unit (NICU)やGrowing Care Unit (GCU)に入院し、痛みやストレスを伴う処置を受けることとなる。特に処置やケアに伴う痛み経験は、NICU・GCUに入院した児は、そうでない児と比較すると圧倒的に多く、新生児期に受ける痛み体験がその後の情動発達やストレスシステムに及ぼす影響が懸念されている。アメリカ小児科学会は、反復的もしくは持続的な痛みは新生児の疼痛反応システムを変え、痛みへの感受性・感情・行動・学習に影響を及ぼす恐れがあるとしているが(Batton et al.2006)、一方で新生児の痛みの評価は対象が自分で痛みを表現できないことからゴールドスタンダードがなく、効果的で安全な疼痛ケアが確立していないことも指摘されている(Anand, 2006)。近年、痛みの研究では、functional MRIやPET、Near infrared spectroscopy (NIRS)などの脳機能イメージング手法を用いて、痛みと感情についての関連が検証されつつあり、健常なヒトの皮膚に熱やレーザーなどの刺激を加えると、主として視床、島、前帯状回、体性感覚野(一次、二次)、前頭前野の活動性が見られることが明らかとなっている(Apkarian et al.2005)。新生児を対象としたいくつかの先行研究でも、この脳機能イメージング手法(NIRS)が用いられており、早産児であっても痛み(採血)に対して体性感覚野で大脳皮質の脳血液量変化が見られること、採血に対し表情変化がなかった児の場合でも体性感覚野の脳血液量変化が見られることが報告され(Slater et al. 2008)、既存の新生児疼痛評価尺度[Premature Infant Pain Profile (PIPP)]では測定できない新生児の痛みの反応がNIRSによって評価できるのではないかと期待されている。しかし、NIRSを用いた新生児の痛み研究は非常に数が限られており、体性感覚野以外の痛みに対する大脳皮質の活動は検証されていない。またNICU・GCU入院児のように、生後から反復的に処置や採血された経験のある児は、経験のない新生児と比較すると痛みに対する脳血液量変化に違いがみられるのかどうかについても検証されていない。そこで本研究では、経験、学習、情動、ストレスに深く関連のある前頭前野の活動を採血時に測定し、既存の疼痛評価尺度との関連を検証した。また、生後初めて皮膚穿刺(採血)を経験する群を対照群とし、出生後に皮膚穿刺を経験した群と前頭前野の活動と既存の評価尺度との関連に違いがあるかどうか比較することとした。本研究の目的は次の4点である。

1.新生児の疼痛評価尺度として最も使用されているPremature Infant Pain Profile(PIPP)の日本語版を作成し、信頼性・妥当性を検証すること

2.出生後に皮膚穿刺経験のない正期産児の出生後初めての採血時に、前頭前野の脳活動を測定しPIPP得点と比較すること

3.出生後に皮膚穿刺経験のある正期産児と早産児の在胎37~42週相当時に実施される採血時に、前頭前野の脳活動を測定しPIPP得点と比較すること

4.前頭前野の脳活動とPIPP得点の関連性は、出生後の皮膚穿刺経験の有無で違いがあるか検証すること

第1章:日本語版PIPPの信頼性・妥当性の検証

【背景】適切な疼痛管理には評価尺度が必要であるが、わが国には信頼性・妥当性が検証された新生児の疼痛評価尺度がない。【目的】日本語版Premature Infant Pain Profileの信頼性・妥当性を検証し、臨床及び研究で利用可能かを検討すること。【方法】101名の早産児及び正期産児を対象に採血時にデータ収集を行った。日本語版PIPPを用いて安静時、接触時、穿刺時、終了時の反応を評価した。分析は評価者間信頼性、内的整合性、構成概念妥当性を検討するために、級内相関係数の算出、クロンバックα係数の算出、繰り返しのある分散分析を行った。【結果】10名の同一穿刺場面を6名の採点者が別々に評価した各項目の級内相関係数は、0.83-0.91と高く、内的整合性を示すクロンバックα係数は0.71であり信頼性は保たれていた。また穿刺時の得点は安静時、接触時、終了時のいずれの得点よりも有意に高く、構成概念妥当性をも保たれていた。【結論】日本語版PIPPは、正期産児及び早産児のどちらでの利用可能な新生児の疼痛評価尺度として、国内での臨床及び研究で利用可能であると考えられた。

第2章:手背静脈穿刺時における前頭前野の活動とPIPP得点の関連

【背景】成人における前頭前野の活動は、痛みとストレスのどちらとも関連があることが明らかにされているが、新生児を対象とした研究はない。【目的】新生児期に受けた皮膚穿刺経験は、侵害受容性刺激に対する前頭前野の活動とPremature Infant Pain Profile (PIPP)得点との関連に影響を及ぼすか明らかにすること。【方法】スクリーニング目的もしくは定期検査の目的で実施された採血時の前頭前野の活動の測定とPIPPによる痛みの評価を実施した。対象者は、状態の安定した在胎37-42週相当の80名の正期産児及び早産児で、データ収集時の採血が出生後初めての皮膚穿刺経験となる正期産児を対照群(n=30)、データ収集までに皮膚穿刺経験のある正期産児を正期産児群(n=20)、データ収集時までに皮膚穿刺経験のある早産児を早産児群(n=30)とした。【結果】採血時の前頭前野の活動とPIPP得点の関連は3群間で異なるパターンを示した。対照群では、左右前頭前野の活動がPIPP総得点(右側前頭前野r=0.49; 左側前頭前野r=0.40)とPIPP表情得点(右側前頭前野r=0.53; 左側前頭前野r=0.37)と有意な相関が見られた。正期産児群では、前頭前野の活動とPIPP得点には有意な関連はみられなかった。早産児群では、左右前頭前野の活動がPIPP生理得点と有意な相関が見られ(右側前頭前野r=0.36; 左側前頭前野r=0.41)、左側前頭前野の活動のみPIPP総得点と有意な相関(r=0.40)が見られた。【結論】新生児期の皮膚穿刺経験の違いで、痛み刺激に対する前頭前野の活動とPIPP得点の関連は異なるパターンを示した。対照群では前頭前野の活動は痛みに特異的な反応である表情変化と関連があり、早産児群では痛みよりもストレスを反映する生理的変化と関連していることが示された。本研究によって、新生児期に繰り返し受ける痛み経験が情動反応やストレスシステムに及ぼす影響を検討する上での新たな知見が示された。

結論

本研究において、第1章と第2章の結果より、新生児の疼痛評価及び新生児期に受ける痛み経験が痛み刺激に対する前頭前野の活動に及ぼす影響について以下の点が明らかとなった。

1.カナダで開発された原版PIPPをもとに日本語版PIPPを作成し、信頼性と妥当性を検証した結果、評価者間信頼性及び内的整合性、構成概念妥当性は先行研究と同様の傾向であり、日本語版PIPPは、国内における新生児の疼痛評価尺度として研究や臨床場面で有用であると考えられた。

2.採血に対する前頭前野の活動とPIPP得点は各群において有意な違いは見られなかったが、前頭前野の活動とPIPP得点の関連パターンは、各群で異なっていた。

3.新生児期に繰り返し受ける侵害受容性刺激をくりかえし受けることによって、痛み刺激に対する前頭前野の活動が変化し、その後の児の情動発達やストレス反応に影響を及ぼす可能性が考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、新生児期にNeonatal Intensive Care Unit(NICU)やGrowing Care Unit(GCU)で受ける痛み経験が、新生児の痛みの表出や前頭前野の活動に影響を及ぼすかどうかを明らかにするため、出生後に皮膚穿刺経験のない対照群、出生後に皮膚穿刺経験のある正期産児群・早産児群の採血時の反応について、日本語版Premature Infant Pain Profile(PIPP)と近赤外分光法によって評価し比較を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.カナダで開発された原版PIPPをもとに日本語版PIPPを作成し、信頼性と妥当性を検証した結果、評価者間信頼性及び内的整合性、構成概念妥当性は先行研究と同様の傾向であり、日本語版PIPPは、国内における新生児の疼痛評価尺度として研究や臨床場面で有用であることが示された。

2.仮説どおり、採血時のPIPP得点と前頭前野の活動の大きさは3群間で有意な違いは見られなかったが、PIPP得点と前頭前野の活動の関連パターンは3群間で異なっていた。すなわち、対照群では、前頭前野の活動はPIPP総得点及びPIPP表情得点と中程度の有意な関連がみられ、感情を司る前頭前野の活動がPIPPで測定した痛みの強さと痛みに対する情動反応を表すPIPP表情得点と関連があることが示されたが、出生後に皮膚穿刺経験を受けた正期産児群では前頭前野の活動とPIPP得点の関連は見られなかった。さらに、早産児群の前頭前野の活動は、ストレス反応をより示しているPIPP生理得点との関連が示された。

3.新生児期に侵害受容性刺激を繰り返し受けることによって、痛み刺激に対する前頭前野の活動が変化し、その後の児の情動発達やストレス反応に影響を及ぼす可能性が示唆された。

以上、本論文は、新生児期の反復的な痛み経験が新生児の脳発達に及ぼす影響について、高次機能を司る前頭前野の活動を検討した初めての研究である。本研究で、出生後に皮膚穿刺経験のない対照群と出生後に皮膚穿刺経験のある皮膚穿刺群では、皮膚穿刺時の前頭前野の活動とPIPP得点との関連パターンが異なることが示された。また、開発した日本語版PIPPの信頼性・妥当性は海外の先行研究と同様の結果であった。本研究のこれらの結果は、普及が十分でない新生児の疼痛緩和ケアの確立に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考える。

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