学位論文要旨



No 127129
著者(漢字) 横山,由香里
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,ユカリ
標題(和) トゥレット症候群を有する青壮年者のLifeにおける困難とニーズに関する研究 : Mixed Methodを用いて
標題(洋)
報告番号 127129
報告番号 甲27129
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3739号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 講師 山崎,あけみ
 東京大学 講師 児玉,聡
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
 東京大学 教授 佐々木,司
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究の背景および目的

トゥレット症候群は、多彩な運動性チックと何らかの音声チックが1年以上見られる慢性のチック障害である。多くが幼児期後期~学童期前期に発症し、青年期に症状のピークを迎える。5歳から18歳までの有病率は概ね1%程度とされているが、青年期以降に軽快や消失が認められるため、青壮年者の有病率はそれを下回ると考えられる。

本研究では、Lifeの代表的な評価方法であるQuality of Life(QOL)のうち、健康状態が生活に与える影響を評価する健康関連QOLと、患者が期待する生活や人生に対し、現状がどの水準にあるのかを評価するLife satisfactionに着眼した。健康関連QOLの把握は、患者への支援の必要性を検討する上で有用であるが、本邦において患者の健康関連QOLを明らかにした研究は見当たらない。数少ない海外の先行研究では、トゥレット症候群患者では、身体機能を除く多領域で健康関連QOLのスコアが一般住民に比して低いことが示され、チック症状の重症度や、併存症である注意欠如多動性障害(ADHD)や、強迫性障害(OCD)が健康関連QOLを左右する可能性が報告されている。一方、トゥレット症候群患者においては、チック症状の不随意性が理解され難く、周囲からは意図的な言動とみなされる可能性があるため、他者との関係性に支障をきたすことが危惧される。したがって、チック症状や併存症がもたらす負担のみならず、社会活動の状況や他者との関係性といった社会生活が、トゥレット症候群患者のQOLにどのような影響を与えているのかを把握することが必要と考えられる。

そこで本研究では、(1)トゥレット症候群を有する青壮年者の健康関連QOLがどの領域で困難度が高いのかを明らかにし、(2)チック症状や併存症だけでなく、これまで検討されてこなかった社会生活との関連性に着眼して健康関連QOLとLife satisfactionの関連要因を探索する目的で定量的な研究を行う(研究I)。社会生活に関しては、社会活動と他者との関係性の2側面を扱うが、後者については、複雑な相互作用場面での困難であると考えられるため、定量的な研究で関連性の有無を探索した後、定性的な研究を行うことで、困難の諸相を明らかにする(研究II)。また、患者の意向を重視した支援策を検討する目的で、困難を経験したトゥレット症候群患者の願いや希望を明らかにし、ニーズについて検討する。

2. 各調査の方法と結果

本研究では、定量的な調査と定性的な調査を組み合わせるMixed Methodを採用した。

研究I

対象と方法:16歳以上の患者を対象に、2009年11月から12月にかけて郵送法による無記名自記式質問紙調査を行った。事前に年齢が把握できなかったため、患者家族会の全会員(170世帯)に送付し、62通の有効回答を得た(16歳以上からの回収率は約6割)。

変数:年齢、性別、チックの重症度、併存症(ADHD、OCD)の症状、就学・就労状況、からかい・誤解による不快な経験、差別不安・遠慮による行動の自主規制、情緒的サポート、生きる支え、健康関連QOL(Medical Outcome Study Short-Form36) 、Life satisfaction

結果:対象者の平均年齢は27.0歳(範囲:16歳~47歳)で、67.7%が男性であった。95.2%がからかい・誤解による不快な経験をしていた。21.0%は無職であった。対象者の情緒的サポートの提供者として最も大きな割合を占めたのは母親であった。対象者の健康関連QOLは、「身体機能」と「体の痛み」の下位領域を除き、同世代の国民標準値よりも有意に低かった。健康関連QOLとLife satisfactionは、チックの重症度やADHDの症状がある者で低かった。また、就労・就学状況、差別不安・遠慮による行動の自主規制、情緒的サポートと有意な関連が認められた。

研究II

対象と方法:患者家族会の会員で16歳以上の患者に文書にて協力を呼びかけ、協力意向を示した16名のうち時間調整や地理的状況、体調を考慮し11名の協力を得た。医師を通じて協力の得られた1名の患者を加え、最終的に12名の患者を対象とした。7名は男性で、協力者の年齢範囲は17歳~47歳であった。全ての面接は協力者の同意を得てICレコーダーにて録音した。面接の所要時間は、1人あたり平均97.3分であった。調査終了後、録音データから逐語録を作成した。困難や希望を体系化する際にはLoflandらの方法を参考に分析を行った。相互行為場面での困難に関してはStraussとCorbinのグラウンデッド・セオリー・アプローチを参考に分析を行った。

結果:協力者の困難は、(1)チック症状による痛みや疲れ、日常生活機能の低下、怒りや自傷への衝動といった≪制御できない衝動によってもたらされる負担≫と、(2)症状経過の不確実性やわが子に遺伝することへの不安といった≪トゥレット症候群に関する将来不安≫、(3)他者との関係性によって生じる≪耐えがたい思い≫の3つに整理された。(3)の≪耐えがたい思い≫について掘り下げたところ、協力者は、≪度重なる他者の否定的反応≫に伴って、≪耐えがたい思い≫を感じており、≪耐えがたい思い≫を経験した協力者は、他者の否定的な反応を想定して、それを避けるためにさまざまな活動を自主規制するようになっていることが示された。≪他者の否定的な反応を想定した行動の自主規制≫は、他者の否定的な反応を減じる一方で、さまざまな≪規制による不利益≫を生み出していた。以上のような困難を経験した協力者の願いや希望は、社会や医療従事者、職域、学校などでの≪認知度の向上≫や≪医療体制の改善≫であった。また、症状を見て見ぬふりをして欲しい、Webで情報が欲しいなど、症状を理解した上での支援や、支援手段の拡充といった≪支援の在り方への要望≫が述べられた。

3. 考察

3.1. トゥレット症候群患者の健康関連QOL

本調査では、健康関連QOLのうち、「身体機能」や「体の痛み」において、同世代の国民標準値と同等の水準にあることが示され、トゥレット症候群患者は一般住民に比して健康関連QOLが低いとする先行研究の結果と一致した。ただし、本研究は患者家族会の会員を対象としているため重症度や困難度が比較的高い集団である可能性がある。したがってトゥレット症候群患者一般に広げると、健康関連QOLは本研究で得られた値より良好である可能性が考えられた。

3.2. 症状や疾患のとらえ方

研究Iの結果、チックの重症度やADHDの症状が健康関連QOLならびにLife satisfactionを低下させる可能性が示唆された。これは、チックの重症度やADHDが健康関連QOLや、社会適応に影響するとする先行研究の結果を支持しており、チック症状や併存症に着眼することの重要性が再確認された。それらに加え、研究IIで明らかになった困難のうち、自傷への衝動や制御不能な怒りは、外部者が把握しづらいものであり、患者の負担が看過されないよう注意が必要と考えられた。また本研究では20歳前後の患者で症状経過に対する不安が強いことがうかがわれ、将来不安を考慮した心理面へのサポートが必要と考えられた。また、既婚者はわが子に遺伝する不安を感じていたことから、情報提供の在り方について検討する必要性があると考えられた。

3.3. 他者の否定的な反応に関する経験

研究Iでは、就労や就学といった社会活動や、差別不安・遠慮による行動の自主規制、情緒的サポートといった他者との関係性が、健康関連QOLならびにLife satisfactionと関連性を有することが示されたことから、社会活動や他者との関係性が重要な側面となっていることが推察された。そこで研究IIで他者との関係性における困難について探究したところ、患者が他者の否定的な反応を繰り返し経験し、耐えがたい思いを感じていることが示された。これはStigmaを付与されやすい人々を対象とした先行研究と類似の結果であった。さらに、耐えがたい思いを経験した患者が、それを避けるために、他者の否定的反応を想定した自主規制を行っていることも示された。その一部は先行研究と重なるものであったが、症状が他者の目に触れないよう行動を規制することによって、著しい疲労や、症状の増悪につながるという不利益はトゥレット症候群に特有の困難であると考えられた。

5. 結論

トゥレット症候群を有する青壮年者の困難とニーズを把握するため、研究Iと研究IIを行ったところ、以下の知見を得た。

本研究の対象者では、

1)対象者の健康関連QOLは、「身体機能」、「体の痛み」を除く多領域で同世代の国民標準値より低い水準にあった。

2)対象者の95.2%がからかい・誤解による不快な経験をしていた。

3)チックの重症度、ADHDの症状、就学・就労状況、差別不安・遠慮による行動の自主規制、情緒的サポートは健康関連QOLやLife satisfactionと関連性を有していた。

4)チック症状が生じることによって生じる痛みや疲れ、日常生活機能の低下、怒りや自傷への衝動といった≪制御できない衝動によってもたらされる負担≫と、症状の経過の不確実性やわが子に遺伝することへの不安といった≪トゥレット症候群に関する将来不安≫が生じていた。

5)協力者は、他者から否定的な反応をされる経験を度々経験しており、≪度重なる他者の否定的反応≫に伴って、≪耐えがたい思い≫を感じていた。そうした経験によって、協力者は他者の否定的な反応を想定し、それを避けるためにさまざまな活動を自主規制するようになっていた。≪他者の否定的な反応を想定した行動の自主規制≫は、他者の否定的な反応を減じる一方で、さまざまな≪規制による不利益≫を生み出していた。

6)協力者は、社会や医療従事者、職域、学校などでの≪認知度の向上≫や、≪医療体制の改善≫を望んでいた。また、患者の心理的側面に着目した支援、支援の対象や手段の拡充といった≪支援の在り方への要望≫が期待されていた。

以上の結果から、トゥレット症候群患者の青壮年者において、他者との関係性を中心とする社会生活に着目しながら支援を行うことの重要性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、トゥレット症候群を有する青壮年者を対象に、(1)健康関連QOLとLife satisfactionを評価指標とする定量的な研究を行った後、(2)他者との関係性を中心とする社会生活上の困難について定性的な研究を行い、患者の困難とニーズを明らかにしたものである。主たる結果は以下の通りである。

定量的な研究では、次の3点が示された。

1)対象者の健康関連QOLは、「身体機能」、「体の痛み」を除く多領域で同世代の国民標準値より低い水準にあった。

2)対象者の95.2%がからかい・誤解による不快な経験をしており、他者との関係性において困難が生じる可能性が推察された。

3)チックが重症な者、ADHDの症状がある者では健康関連QOLやLife satisfactionが、不良である可能性が推察され、チック症状や併存症に着眼することの重要性が再確認された。また、就学・就労状況、差別不安・遠慮による行動の自主規制、情緒的サポートは健康関連QOLやLife satisfactionと関連性を有していたことから、社会生活場面における他者との関係性に着目することが重要と考えられた。

定性的な研究では次の3点が示された。

4)チック症状が生じることによって生じる痛みや疲れ、日常生活機能の低下、怒りや自傷への衝動といった≪制御できない衝動によってもたらされる負担≫と、症状の経過の不確実性やわが子に遺伝することへの不安といった≪トゥレット症候群に関する将来不安≫が生じていた。

5)協力者は、他者から否定的な反応をされる経験を度々経験しており、≪度重なる他者の否定的反応≫に伴って、≪耐えがたい思い≫を感じていた。そうした経験によって、協力者は他者の否定的な反応を想定し、それを避けるためにさまざまな活動を自主規制するようになっていた。≪他者の否定的な反応を想定した行動の自主規制≫は、他者の否定的な反応を減じる一方で、さまざまな≪規制による不利益≫を生み出していた。

6)協力者は、社会や医療従事者、職域、学校などでの≪認知度の向上≫や、≪医療体制の改善≫を望んでいた。また、患者の心理的側面に着目した支援、支援の対象や手段の拡充といった≪支援の在り方への要望≫が期待されていた。

本論文では定量的な研究と定性的な研究を組み合わせるMixed Methodを用いたことによって、チック症状の重症度や併存症の負担だけでなく他者との関係性における困難の諸相が明らかとなった。小児を対象とした研究は散見されるものの、青壮年者を対象とした研究がほとんど行われていない中、これまで支援の後手に回ってきた青壮年者の困難やニーズが示唆された点で、患者理解に貢献する実証研究と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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