学位論文要旨



No 127148
著者(漢字) 乾,朋彦
著者(英字)
著者(カナ) イヌイ,トモヒコ
標題(和) エクテナサイジン743の合成研究
標題(洋)
報告番号 127148
報告番号 甲27148
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1376号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 客員教授 世永,雅弘
 東京大学 准教授 杉田,和幸
 東京大学 講師 松永,茂樹
 東京大学 講師 横島,聡
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【背景・目的】

エクテナサイジン743(1)は1992年、Rinehart らによってカリブ海原産のホヤEcteinascidia turbinate から単離、構造決定されたテトラヒドロイソキノリンアルカロイドである1。種々の腫瘍細胞に対して強力な細胞増殖抑制作用を示し、現在抗癌剤として汎用されているマイトマイシンC、タキソールなどの数百倍の活性を持つという報告や、それらの抗癌剤に抵抗性のある症例に対しても効果があるという報告がなされ、これまでにない作用機序を持つ化合物として注目を集めてきた。そして欧米諸国における臨床試験で良好な結果を収め、現在欧州で軟部組織肉腫治療薬として承認されており、今後適応症の拡大も期待されている。それに伴い需要の増大が予想されるが、現在その供給は発酵法により大量に得られるシアノサフラシンB からの半合成2に依存しており、化学合成による供給が必要不可欠となってきている。また硫黄原子を含む10員環ラクトンを有するなど、その複雑かつ特異な構造から合成化学的にも非常に興味深い化合物である。このような背景の中、これまでに当研究室を含む3例の全合成3,4,5、2例の形式合成6,7、そして先に述べた半合成が報告されている他、世界各地で活発に合成研究がなされているが、いずれも大量供給に耐えられる合成経路であるとは言えない。そこで私は大量合成に適した、実用的な1の合成法の確立を目指して研究に着手した。

【逆合成解析】

逆合成解析をScheme 1に示す。1の下部テトラヒドロイソキノリンユニットと硫黄原子を含む10員環ラクトン部位は合成の終盤にて構築する方法が既に確立されているので、私は鍵中間体として五環性化合物2を設定し、2をジアルデヒド3の1つのアルデヒド部位に対するフェノールからの分子内付加反応で構築することとした。3の2つのアルデヒド部位を逆合成的に結合すると、二重結合を有する化合物4 がその前駆体として考えられる。4は5の環化反応により得ることとし、5のテトラヒドロイソキノリン構造はアルデヒド6とアミン7とのPictet-Spengler 反応を用いて構築することとした。アルデヒド6はエナミン9に対する芳香環ユニット8とのジアステレオ選択的なHeck 反応によって導けると考えた。

【実験・結果】

Heck 反応においてハロゲン化アリールを用いる場合、多くの場合加熱条件を必要とし、今回の系においては二重結合の異性化が懸念された。そこで私は低温でも反応が進行するジアゾニウム塩を用いる手法を選択することとした。そこでまずジアゾニウム塩の前駆体であるアニリン16の合成に着手した(Scheme 2)。

セサモール(10)のフェノール性水酸基をMOM 基により保護し、位置選択的なリチオ化を経てメチル基を導入し12とした。MOM 基を除去した後、ジアセトキシヨードベンゼンを用いて酸化することによりパラキノンモノアセタール13を得た。13に対しシアン化ナトリウムを作用させることで、一挙に芳香環化まで進行したフェノール14を得ることができた。フェノール性水酸基をBn 基にて保護し、ニトリルの水和とHofmann 転位反応を行いメチルカーバメートへと変換し、その加溶媒分解により目的のアニリン16 へと導くことができた。

続いてピログルタミン酸から調製したエンカーバメート18とのHeck 反応を行った。すなわちアニリン16に対し亜硝酸t-ブチル及び三フッ化ホウ素ジエチルエーテル錯体を作用させることによりジアゾニウム塩17を調製し、Correia らの条件8にてHeck 反応を行ったところ、目的の成績体19を高収率かつ単一のジアステレオマーとして得ることができた。

得られた成績体19を用い、次の鍵反応であるPictet-Spengler 反応を行った(Scheme 3)。水素化ジイソブチルアルミニウムを用いてアルデヒド20とし、別途調製したアミン7との反応を行ったところ、目的の成績体21 及び5員環部位が酸化されたピロール22の生成が確認できた。ピロール22の生成機構としては21もしくはそれに至る中間体の空気酸化が考えられたので、溶媒を脱気し、低温にて反応を行ったところ、22の生成を抑制することはできるものの、21の収率は低収率に留まった。その原因としてアルデヒド20の有する電子豊富な芳香環部位によって、基質が酸化反応に対し不安定になっていることが考えられた。そこでこの合成経路については断念し、別の方法で骨格構築を行うこととした。

すなわち4はエナミド23に対する、芳香環ユニットとのHeck 反応で得ることとし、23のビシクロ[3.3.1]骨格は2つの異なる側鎖を有するジケトピペラジン24 からPictet-Spengler 反応を用いて構築することとした(Scheme 4)。

まずPictet-Spengler 反応前駆体29の合成を行った(Scheme 5)。安価なL-グルタミン酸から4工程にて導ける25と別途調製したアルデヒド26とのPerkin 型縮合反応は円滑に進行し、縮合体27 が良好な収率で得られた。続いて二重結合部位を立体選択的に還元し、さらに5工程を経て環化前駆体29 へと導いた。次に29に対し酸性条件下でのビシクロ[3.3.1]骨格構築の検討を行った。種々酸および溶媒を検討したところ、溶媒としてフッ素置換アルコール溶媒を用いた時のみ、望みの環化体31の生成が認められたが、同時にアシルイミニウムイオン30 からエナミドへの異性化が進行した32も得られた。最終的にギ酸とヘキサフルオロイソプロピルアルコールの系が最も良好な結果を与え、31 が収率41%で得られることがわかった。

1) K. L. Rinehart et al., Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 89, 11456 (1992); 2) I. Manzanares et al., Org. Lett., 2, 2545(2000); 3) E. J. Corey et al., J. Am. Chem. Soc., 118, 9202 (1996); 4) T. Fukuyama et al., J. Am. Chem. Soc., 124, 6552 (2002); 5) J.Zhu et al., J. Am. Chem. Soc., 128, 87 (2006); 6) S. J. Danishefsky et al., Angew. Chem. Int. Ed., 45, 1754 (2006); 7) R. M.Williams et al., J. Org. Chem., 73, 9594 (2008); 8) C. R. D. Correia et al., Org. Lett., 5, 305 (2003)

Scheme 1

Scheme 2

Scheme 3

Scheme 4

Scheme 5

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エクテナサイジン743(1)は1992年、Rinehart らによってカリブ海原産のホヤEcteinascidia turbinate から単離、構造決定されたテトラヒドロイソキノリンアルカロイドである。種々の腫瘍細胞に対して強力な細胞増殖抑制作用を示し、現在抗癌剤として汎用されているマイトマイシンC、タキソールなどの数百倍の活性を持つという報告や、それらの抗癌剤に抵抗性のある症例に対しても効果があるという報告がなされ、これまでにない作用機序を持つ化合物として注目を集めてきた。そして欧米諸国における臨床試験で良好な結果を収め、現在欧州で軟部組織肉腫治療薬として承認されており、今後適応症の拡大も期待されている。それに伴い需要の増大が予想されるが、現在その供給は発酵法により大量に得られるシアノサフラシンB からの半合成に依存しており、化学合成による供給が必要不可欠となってきている。また硫黄原子を含む10員環ラクトンを有するなど、その複雑かつ特異な構造から合成化学的にも非常に興味深い化合物である。このような背景の中、これまでに3例の全合成、2例の形式合成、そして先に述べた半合成が報告されている他、世界各地で活発に合成研究がなされているが、いずれも大量供給に耐えられる合成経路であるとは言えない。そこで乾は大量合成に適した、実用的な1の合成法の確立を目指して研究に着手した。

乾はScheme 1に示す逆合成解析に基づいて合成研究を行った。即ち1の下部テトラヒドロイソキノリンユニットと硫黄原子を含む10員環ラクトン部位は合成の終盤にて構築する方法が既に確立されているので、鍵中間体として五環性化合物2を設定し、2をジアルデヒド3の1つのアルデヒド部位に対するフェノールからの分子内付加反応で構築することとした。3の2つのアルデヒド部位を逆合成的に結合すると、二重結合を有する化合物4 がその前駆体として考えられる。4は5の環化反応により得ることとし、5のテトラヒドロイソキノリン構造はアルデヒド6とアミン7とのPictet-Spengler 反応を用いて構築することとした。アルデヒド6はエナミン9に対する芳香環ユニット8とのジアステレオ選択的なHeck 反応によって導けると考えた。

Heck 反応においてハロゲン化アリールを用いる場合、多くの場合加熱条件を必要とするため二重結合の異性化が懸念された。そこで乾は低温でも反応が進行するジアゾニウム塩を用いる手法を選択することとした。そこでまずジアゾニウム塩の前駆体であるアニリン16の合成に着手した(Scheme 2)。

セサモール(10)のフェノール性水酸基をMOM 基により保護し、位置選択的なリチオ化を経てメチル基を導入し12とした。MOM 基を除去した後、ジアセトキシヨードベンゼンで酸化してパラキノンモノアセタール13を得た。13に対しシアン化ナトリウムを作用させて、一挙に芳香環化まで進行したフェノール14を得た。次に、フェノール性水酸基をBn 基にて保護し、ニトリルの水和とHofmann 転位反応を行いメチルカーバメートへと変換し、更に加溶媒分解して目的のアニリン16 へと導いた。

続に、ピログルタミン酸から調製したエンカーバメート18とのHeck 反応を行った。即ちアニリン16に対し亜硝酸t-ブチル及び三フッ化ホウ素ジエチルエーテル錯体を作用させてジアゾニウム塩17を調製し、Heck 反応を行ったところ、目的の成績体19を高収率かつ単一の生成物として得ることができた。

得られた19を用い、次の鍵反応であるPictet-Spengler 反応を行った(Scheme 3)。水素化ジイソブチルアルミニウムを用いてアルデヒド20とし、別途調製したアミン7との反応を行ったところ、目的の成績体21 及び5員環部位が酸化されたピロール22の生成が得られた。種々の条件を試みたが目的物21の収率改善には至らず、この合成経路については断念し、別の方法で骨格構築を行うこととした。

即ち、4はエナミド23に対する、芳香環ユニットとのHeck 反応で得ることとし、23のビシクロ骨格はジケトピペラジン24 からPictet-Spengler 反応を用いて構築することとした(Scheme 4)

まず乾はPictet-Spengler 反応の前駆体29の合成を行った(Scheme 5)。安価なL-グルタミン酸から4工程で導ける25と別途調製したアルデヒド26とのPerkin 型縮合反応は円滑に進行し、縮合体27 が良好な収率で得られた。続いて二重結合部位を立体選択的に還元し、さらに5工程を経て環化前駆体29 へと導いた。次に29に対し酸性条件下でのビシクロ[3.3.1]骨格構築の検討を行った。種々酸および溶媒を検討したところ、溶媒としてフッ素置換アルコール溶媒を用いた時のみ、望みの環化体31の生成が認められたが、同時にアシルイミニウムイオン30 からエナミドへの異性化が進行した32も得られた。最終的にギ酸とヘキサフルオロイソプロピルアルコールの系が最も良好な結果を与え、31 が収率41%で得られることがわかった。

以上、乾はエクテナサイジン743の合成研究において、ビシクロ[3.3.1]骨格の構築及び芳香環ユニットの導入に関し、重要な知見を得ることができた。この成果は、薬学研究に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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