学位論文要旨



No 127149
著者(漢字) 梅田,暢大
著者(英字)
著者(カナ) ウメダ,ノブヒロ
標題(和) BODIPYの光反応に基づく長波長可視光で機能するケイジド化合物の開発
標題(洋)
報告番号 127149
報告番号 甲27149
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1377号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

序論

現代の生命科学研究において、生物を「視る」ための計測・分析技術と、生物を「操る」ための摂動技術は、ともに欠かすことのできない実験技術の両輪である。解除光照射によってその活性を回復させることができるケイジド化合物は、摂動の非侵襲的な時空間制御を可能にする数少ない技術の一つであり、これまでも時間と空間を観測軸に持つ細胞内イベントの解明に利用されてきた。

第1章

BODIPY誘導体の光反応に基づいたケイジド化合物の解除光長波長化とその生体応用

【研究の背景】従来の一光子励起による光分解性保護基(ケイジ基)はその分解(アンケイジ)に350nm程度の紫外光を必要とするため、解除光の細胞傷害性や組織透過性の低さが問題となるほか、紫外域に対応した光学系が実験系に必須になるなど実用上の観点からも不便が多い。長波長可視光でのアンケイジを可能にする二光子励起法も、特殊な光学系を必要とするため簡便性に欠け、励起範囲の拡張性も乏しい。私は、蛍光団として知られるBODIPY (Boron dipyromethene)の新規光反応に基づき、長波長可視光により一光子アンケイジ可能なケイジド化合物の開発研究を行なった。

【研究の内容】私が本学修士課程において見出した、4位にPhenol類を導入したBODIPY誘導体の可視光照射依存的なPhenol誘導体の脱離反応(Scheme 1)において、光反応量子収率の最適化、および光反応機構の解明を目的とし、4-phenoxy BODIPY誘導体を合成、4位に導入したPhenol誘導体のHOMOエネルギーレベル(以下HOMOレベル)とその分光学的および光化学的性質との関係を精査した(Table 1)。その結果、BODIPYの蛍光量子収率φflに関しては、HOMOレベル-0.24 hartree付近を境界として蛍光の消光が観測され(Table 1)、消光機構として4位phenyl基からBODIPYへの光誘起電子移動(PeT)が働いていることが示唆された。一方光反応量子収率φuに関しては、PeTによる消光機構が働いていないと考えられる誘導体は低い反応量子収率を示したが、PeTにより消光していると考えられる誘導体の多くは高い反応量子収率を示すことが明らかになり(Figure 1 a)、4-phenoxy BODIPY誘導体の光反応には、4位phenyl基からBODIPYへのPeTが必要であることが示唆された。

この仮説を別の角度から検証するため、BODIPYのπ共役系を拡張した長波長型誘導体であるDHNB (Dihydronaphtho-BODIPY)を基本骨格とし、Phenol類を導入した誘導体を合成(Figure 1 b)、その分光学的および光化学的性質を精査した。その結果、7-Hydroxycoumarinを導入したDHNB-m7HCはDHNBと同等の高い蛍光性を有し、光反応量子収率も低かった一方で、3,4-dimethoxyphenolを導入したDHNB-mOPh(OMe)2はPeTによる蛍光の消光が観測され、光反応の進行が確認された(Figure 1 c, d)。即ち、DHNBを骨格とした誘導体においても、PeTによる蛍光の消光機構が働いている誘導体が高い反応量子収率を有していることが明らかになり、Phenol誘導体の光脱離反応に、Phenol誘導体からBODIPYへのPeTが必要であることをより強く示唆する結果となった。また、修飾したphenyl基のHOMOレベルを調整することで、DHNBを600nm以上の長波長領域の光を解除光とするケイジ基として利用可能であることが明らかになった

次に、BODIPYケイジド化合物の生体応用可能性を示すため、BODIPYの光反応に基づき、500nmの可視光でアンケイジ可能なケイジドヒスタミンcHAを開発し(Figure 2 a)、HeLa細胞への適用を試みた。Histamine (HA)はHeLa細胞膜上のH1受容体を介して小胞体からのCa2+放出を誘導し、細胞質における一過性のカルシウム濃度上昇を引き起こす。cHAはキュベット中で解除光照射依存的にHAを放出することが確認されたが、HeLa細胞においてcHA存在下で光照射を行なっても一過性のCa2+上昇は観測されなかった。

BODIPYに由来するcHAの蛍光によりその分布を観察したところ、cHAはその高い脂溶性のためにHeLa細胞に取り込まれ、膜構造に集積していることが分かった(Figure 2 b)。このことから、光照射時にcHAが細胞内に集積しており、細胞外液にHAが十分放出されなかったために細胞応答が得られなかったと考えられた。そこで、BODIPYの2,6位にカルボキシ基を導入したケイジドヒスタミンcHA-COOHを開発(Figure 2 a)、HeLa細胞外液に添加してその分布を蛍光観察し、細胞外液に一様に分布していること(Figure 2 c)、キュベット中でHAを光照射依存的に放出することを確認した(Figure 2 d)。cHA-COOH細胞外液存在下に可視光照射を行なったところ、光照射依存的な一過性のCa2+濃度上昇が観測され、この応答はH1阻害剤pyrilamineによって選択的に阻害された(Figure 2 e)。cHA-COOH非存在下での光照射は細胞応答を引き起こさなかったことから、細胞外液に一様に分布したcHA-COOHから放出されたHAがH1受容体を介して細胞応答を誘起したと考えられる(Figure 2 f)。以上の結果から、構造修飾によるケイジド化合物の適切な分布制御を行なうことで、BODIPYをケイジ基としたケイジド化合物は長波長一光子励起可能なケイジド化合物として生体試料にも応用可能であることが示された。

第2章

ケイジドRapamycinの蛋白質複合体化によるsmall GTPaseの局所的活性化

【研究の背景】細胞内におけるRhoファミリーsmall GTPase (以下Rho GTPase)のダイナミックかつ精細な活性制御は、細胞遊走、貪食、細胞接着、分泌といった多様な細胞運動に密接に関わっている。細胞遊走における細胞内シグナルの流れは、近年の蛋白質可視化技術によって明らかになってきているが、Rho GTPaseの振る舞いに関してさらに深い知見を得るためには、これまでの可視化技術に加えて、これらRho GTPaseの活性をSubcellularレベルで制御する技術が必要である。Johns Hopkins大学のInoueらは、Ramaycin誘導体(Rapalog)によるFKBP-FRBヘテロ二量化を利用して、Rapalog依存的なRho GTPase活性化を誘導する実験系を開発した。この系を利用して、Rapalogの局所的な投与を可能にするケイジドRapamycinを開発すれば、Rho GTPaseの時空間制御が可能になると考えられる。

【研究の内容】Rapamycinのケイジド化合物はこれまで数例の報告例があるが、いずれも光照射前のバックグラウンド活性を十分に抑制できておらず、Subcellularレベルでの局所的ヘテロ二量化は達成されていない。私は、光開裂性のリンカーでRapamycinと蛋白質を結合したRapamycin蛋白質複合体を設計することで、Rapamycinのバックグラウンド活性を十分に抑えたケイジドRapamycinが開発可能であると考えた。すなわち、蛋白質と複合体化し細胞外に滞留させることで、細胞質内でのヘテロ二量化誘導活性をほぼ完全に失わせ、光照射によりリンカーが切断されると、膜透過性のRapalogが光照射部位でのみ放出され、局所的なヘテロ二量化を誘導すると考えられる(Figure 3)。蛋白質-小分子の結合ペアとしてはAvidin-Biotinペアを、リンカーの光開裂部位としては、4,5-Dimethoxy α-methyl nitrobenzyl 基を採用し、Rapamycin cRbを合成、PBS中過剰量のAvidinと混合しサイズ濾過カラムで精製することでcRb-Avidin複合体cRb-Aを得た。

まず、YFP-FKBP 融合蛋白質(YF)と細胞膜上に発現するFRB (LDR)を発現させたHeLa細胞に対してcRb-Aを添加し、UV照射を行なった。RapalogによるFKBP-FRB二量化はYFの細胞膜移行を誘導する。細胞全体に対しcRb-A存在下UV照射を行なった結果、照射直後からYFの細胞膜移行が観察された一方で、UV照射なしの場合はYFの細胞膜移行は観測されず、cRb-AはRapamycinのバックグラウンド活性を十分に抑えたケイジドRapalogとして機能することがわかった。

次に、開発したcRb-Aを用いてSubcellularレベルでのRho GTPase活性化を試みた。NIH3T3細胞に、Rac活性化因子であるTiam1とYFの融合蛋白質、YFP-FKBP-Tiam1 (YF-Tiam1)とLDRを発現させた形質転換細胞において、Rapalogは細胞辺縁部におけるラフリングの形成を誘導する。cRb-A存在下局所的なUV照射を行なった結果、UV照射直後から照射部位近傍の細胞辺縁部に限局したラフリング形成が確認された(Figure 4 a)。細胞を4象限i~ivに分割し、各象限でのラフリング形成の頻度を定量化した結果、局所UV照射を行なったi象限では全ての細胞でラフリングの形成が認められたのに対して、その他の象限ではほとんどの細胞でラフリング形成は観察されなかった(Figure 4 b, p<0.0002)。一方で細胞全域に対するUV照射は細胞辺縁部全体でのラフリングを誘導した(Figure 4 b)。この結果から、cRb-AとUV照射によってRacのSubcellularレベルでの局所的活性化が可能であることが示された。

総括

本研究で、私はケイジド化合物に関して2つの研究を行なった。BODIPYをケイジ基として用いた長波長一光子励起ケイジド化合物の開発研究では、BODIPYケイジドヒスタミンを開発、HeLa細胞に応用し、BODIPYケイジド化合物が500nm以上の可視光で一光子アンケイジ可能かつ生体応用可能なケイジ基として利用できることを示した。また、DHNBが600nmというより長波長の光照射でアンケイジ可能なケイジ基として利用可能であることも示した。開発したBODIPYケイジド化合物は、500nm以上の可視光で一光子励起可能な初めてのケイジド化合物であり、解除光の組織透過性の高さと照射領域の広域拡張性を活かし、動物個体や組織レベルでの小分子光制御法としての発展が期待される。第2章における、ケイジド化合物の蛋白質複合体化戦略に基づいた細胞内シグナル制御研究では、Rapamycinのケイジド化合物を、Biotinを介してAvidinと複合体化させることでバックグラウンドの二量化活性を抑制し、SubcellularレベルでのRacの細胞局所的活性化に成功した。本手法はRac以外のシグナル蛋白質へも容易に拡張可能であると考えられ、細胞遊走などの細胞運動におけるシグナル伝達機構のより詳細な解明に寄与することが期待される。

Scheme1.Reactionschemeoflight-inducedphenolreleasefrom4-phenoxyBODIPYderivatives.

Table1.HOMOenergyleveloftheincorporatedphenolderivativesandspectroscopicandphotochemicalpropertiesof4-phenoxyBODIPYderivatives.

Figure1.(a)HOMOenergylevelanduncagingquantumefficienciesof4-phenoxyBODIPYderivatives.(b)ChemicalstructureandfluorescencequantumyieldsofDHNB-m7HCandDHNB-mOPh(OMe)2.(c-d)PhotoreactiontimecourseofDHNB-m7HC(c)andDHNB-mOPh(OMe)2(d)uponirradiationof620nmlight.

Figure2.(a)ReactionschemeofhistaminereleasefromcHAandcHA-COOH.(b-c)ConfocalfluorescenceimagesofcHA(b)andcHA-COOH(c)inHeLaepithelialcells.(d)TimecourseofcHA-COOHandhistamineinaqueoussolutionuponirradiationofvisiblelight.Irradiationintensity:21mW/cm2.(e)TimecourseofnormalizedfluorescenceintensityofCa2+indicatorRhod2inHeLacellsuponirradiation(graybar)of470-495nmlightinthepresenceof1μMcHA-COOHwith/without1μMpyrilamine.(f)FluorescenceincreaseinHeLacellsuponirradiationofuncaginglightundervariousconditions.Errorbar:Standarddeviation;Scalebar:50μm.

Figure 3. Schematic of spatially confined protein dimerization using caged rapamycin-avidin conjugate (cRb-A) and UV light. UV irradiation cleaves the linker between rapamycin and biotin, resulting in the release of chemical dimerizer (HE-Rapa) and its by-product. The released dimerizer then diffuses into cells and induces dimerization between FKBP-POI (protein of interest) and plasma membrane anchored FRB only in the proximity of the irradiated region (shown as a blue circle).

Figure4.SpatiallyconfinedruffleformationinatransfectedNIH3T3cellinducedbylocalizedUVirradiationwithcRb-Aconjugate.(a)ConfocalfluorescenceimagesofYF-Tiam1beforeandafterlocalUVirradiationat365nm(yellowcircle).(b-c)FrequencyofruffleformationineachquadrantwithlocalorglobalUVirradiationinthepresenceofcRb-A.Cellsweredividedintoquadrantswiththeirradiatedspotintheareai(b)andruffleformationwascountedineachquadrant(c).Scalebar:10μm.

審査要旨 要旨を表示する

現代の生命科学研究において、生物を「視る」ための計測・分析技術と、生物を「操る」ための摂動技術は、ともに欠かすことのできない実験技術の両輪である。解除光照射によって可視化活性あるいは薬理活性などを回復させることができる光分解性保護基(ケイジ基)を有する化合物は、摂動の非侵襲的な時空間制御を可能にする数少ない技術の一つである。本研究ではケイジド化合物に関して2つの研究を行なった。

BODIPY誘導体の光反応に基づいたケイジド化合物の解除光長波長化とその生体応用

従来の一光子励起によるケイジ基はその分解(アンケイジ)に350nm程度の紫外光を必要とするため、解除光の細胞傷害性や組織透過性の低さが問題となるほか、紫外域に対応した光学系が実験系に必須になるなど実用上の観点からも不便が多い。長波長可視光でのアンケイジを可能にする二光子励起法も、特殊な光学系を必要とするため簡便性に欠け、励起範囲の拡張性も乏しい。本研究では、蛍光団として知られるBODIPY (Boron dipyromethene)の新規光反応に基づき、長波長可視光により一光子アンケイジ可能なケイジド化合物の開発研究を行なった。

BODIPYをケイジ基として用いた長波長一光子励起ケイジド化合物の開発研究では、光誘起電子移動(PeT)による蛍光の消光機構が働いている誘導体が高い反応量子収率を有し、光脱離反応に蛍光団BODIPYへのPeTが必要であることを明らかにした。また、HOMOレベルに基づいた分子設計により600nm以上の長波長領域の光を解除光とするケイジド化合物も開発した。

生体系への応用として、BODIPYケイジドヒスタミンを開発、HeLa細胞に応用し、BODIPYケイジド化合物が細胞中で500nm以上の可視光で一光子アンケイジ可能であり、アンケイジによりヒスタミン活性を時空間的に制御して生成させることが出来ることを示した。また、化合物DHNBが600nmという長波長の光照射でアンケイジ可能なケイジ基として利用可能であることも示した。開発したBODIPYケイジド化合物は、500nm以上の可視光で一光子励起可能な初めてのケイジド化合物であり、解除光の組織透過性の高さと照射領域の広域拡張性を活かし、動物個体や組織レベルでの小分子光制御法としての広く応用できることが期待される。

ケイジドRapamycinの蛋白質複合体化によるsmall GTPaseの局所的活性化

細胞内におけるRhoファミリーsmall GTPase (以下Rho GTPase)のダイナミックかつ精細な活性制御は、細胞遊走、貪食、細胞接着、分泌といった多様な細胞運動に密接に関わっている。細胞遊走における細胞内シグナルの流れは、近年の蛋白質可視化技術によって明らかになってきているが、Rho GTPaseの振る舞いに関してさらに深い知見を得るためには、これまでの可視化技術に加えて、これらRho GTPaseの活性をSubcellularレベルで制御する技術が必要である。Inoueらは、Ramaycin誘導体(Rapalog)によるFKBP-FRBヘテロ二量化を利用して、Rapalog依存的なRho GTPase活性化を誘導する実験系を開発した。この系を利用して、Rapalogの局所的な投与を可能にするケイジドRapamycinを開発すれば、Rho GTPaseの時空間制御が可能になると考えられる。

Rapamycinのケイジド化合物はこれまで数例の報告例があるが、いずれも光照射前のバックグラウンド活性を十分に抑制できておらず、Subcellularレベルでの局所的ヘテロ二量化は達成されていない。本研究は、光開裂性のリンカーでRapamycinと蛋白質を結合したRapamycin蛋白質複合体を設計することで、Rapamycinのバックグラウンド活性を十分に抑えたケイジドRapamycinが開発可能であるとの仮説に基づいて行われた。すなわち、蛋白質と複合体化し細胞外に滞留させることで、細胞質内でのヘテロ二量化誘導活性をほぼ完全に失わせ、光照射によりリンカーが切断されると、膜透過性のRapalogが光照射部位でのみ放出され、局所的なヘテロ二量化を誘導すると考えられる。この仮説に基づいて、新規化合物を設計・合成し、その細胞局所的活性化を検討した。その結果、Rapamycinのケイジド化合物を、Biotinを介してAvidinと複合体化させることでバックグラウンドの二量化活性を抑制し、SubcellularレベルでのRacの細胞局所的活性化に成功した。本手法はRac以外のシグナル蛋白質へも容易に拡張可能であると考えられ、細胞遊走などの細胞運動におけるシグナル伝達機構のより詳細な解明に寄与することが期待される。

上記の成果は薬学研究に寄与するところは大であり、博士(薬学)の学位に値するものと高く評価された。

UTokyo Repositoryリンク