学位論文要旨



No 127151
著者(漢字) 佐藤,伸一
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,シンイチ
標題(和) 新規細胞死誘導剤を基盤とした酸化的ストレス誘導性ネクローシスの分子機構解明
標題(洋)
報告番号 127151
報告番号 甲27151
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1379号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
 東京大学 講師 花岡,健二郎
内容要旨 要旨を表示する

【研究背景・研究目的】

細胞死の研究は、これまで生体内で最も良く観察されるアポトーシスを中心に盛んに行われ、実行因子のカスパーゼの発見を契機にして詳細な制御機構が解明されてきた。これに対して物理的傷害で偶発的に起きるような膜機能の破綻を形態的な特徴とするネクローシスはこれまで制御されない細胞死として考えられ、あまり研究対象とされてこなかった。しかし近年では神経変性疾患・虚血性疾患への関与や、いくつかのネクローシス制御機構の存在が提唱され、アポトーシスのバックアップとして働く古典的なプログラム細胞死であるとする説もある(Golstein,P.and Kroemer,G.,Trends Biochem.Sci.,2007,32,37.)。よって本細胞死の分子機構解明は未だ決定的な治療法の無い上記の疾患の理解のみならず、細胞死研究において大きなブレイクスルーになると考えられる。

古くから酸化的ストレスとネクローシスの関連が知られていたが、酸化的ストレスを与える薬剤の標的選択性の低さからそのメカニズム解明は困難であった。そこで筆者は、選択性の高いネクローシス誘導剤の開発とその標的同定を通じて本細胞死の分子機構解明を目指した。

【酸化的ストレス誘導性ネクローシスの解析ツールHecro Triggerの創製】

我々は酸化的ストレス誘導性ネクローシスの選択的な抑制剤IM-54(Dodo,K.et al,Bioorg.Med.Chem.Lett,2005,15,3114.)を用いた評価系により、カテプシンの阻害剤として知られるCathepsin Inhibitor-1(CATI-1;Fig.1A)と酸化的ストレスを与える薬剤が同種のネクローシスを誘導することを見出した。しかし、他のカテプシン阻害剤を検討した結果、ネクローシス誘導活性とカテプシン阻害活性は相関しないことがわかり、CATI-1はカテプシンとは別の標的分子に作用しネクローシスを誘導していることが示唆された。

一方、CATI-1のC末構造はカテプシン活性中心のシステインと反応性を示すことで知られているが、ネクローシス誘導活性には必須であったため、ネクローシスの制御分子を同様にラベル化している可能性が考えられた(Fig.1B)。

このように本研究では標的タンパク質と共有結合を形成する低分子化合物を用いることで、未だ不明な細胞死制御因子を直接ラベル化して同定するという戦略をとった。これは、遺伝子操作技術を主に用いて研究を進める従来の生物学的手法にはないものであり、本研究の特色である。

そこで、ネクローシス制御分子の同定を行うべく、CATI-1をリードとし、ネクローシス誘導活性を保持させつつ、カテプシン阻害活性を除去することを目標に構造展開を行った。その結果、カテプシン阻害活性をほとんど示さずに強いネクローシス誘導活性を示すNecro Trigger-1(NT-1;Fig.1C)およびその蛍光プローブNT-2(Fig.1D)の創製に成功した。

【Necro Trigger・酸化的ストレスによる細胞死シグナルの解析】

従来酸化的ストレスの誘導に用いられてきた過酸化物は自身が活性酸素(ROS)として振る舞うため、これらを用いたROSグナルの解析は困難な点が多いが、Necro Trigger自身は酸化力を持たないため、生体内で二次的に発生する活性酸素に焦点を当てて解析することができる。この利点を活かし、酸化的ストレス誘導性ネクローシスに関わるROSシグナルを解析した。その結果、Necro Triggerや酸化的ストレスはミトコンドリア電子伝達系-complex IIIからsuperoxide anionの発生により細胞内のROSの急激な上昇(ROSのバースト)、膜過酸化反応を引き起こし、ネクローシスを誘導することを明らかにした(Fig.2)。

【Necro Trigger標的タンパク質の同定】

構造展開により得られた蛍光プローブNT2を用いて、Necro Triggerの標的タンパク質の同定を試みた。NT-2の細胞内局在の観測によりNecro Triggerの標的タンパク質はミトコンドリアに局在することが示唆されたので、HL-60細胞をNT-2処理した後、ミトコンドリアを精製した。これを二次元電気泳動、質量分析法を用いたプロテオミクス手法に付すことにより、数種のNT2結合タンパク質を同定した。その中から、酸化的ストレス誘導性のネクローシスに関与しているタンパク質を特定するために、tBHP処理時でのNT-2によるラベル化実験を行ったところ、VDAC(Voltage-dependent Anion Channel)1,2においてtBHPとNT-2の競合効果が認められた。

そこでHEK293T細胞中、VDAC1、VDAC2それぞれのタンパク質に対してsiRNAによるノックダウンを行った。その結果、VDAC1ノックダウン時により高い効果でtBHPならびにNT-1によるROSシグナル誘導や細胞死誘導が抑制され、VDAC1の酸化的ストレス誘導性ネクローシスへの関与が示唆された。

VDAC1はミトコンドリア外膜に局在する多機能性のチャネル型タンパク質であり、生体内の様々なタンパク質と複合体を形成することが知られている.VDAC1は複合体を形成するタンパク質の活性の調節や、複合体形成によるVDAC1自身の機能特性のチューニングによって生体内で多機能性を発揮していると考えられる。VDAC1のカスパーゼ活性の調節によるアポトーシスへの関与は知られていたが、カスパーゼ非依存的な細胞死やネクローシスへの関与は未だほとんど明らかとなっていない。そこで筆者はNecro Triggerの結合タンパク質として同定されたVDAC1が酸化的ストレスの標的分子であり、そのセンサーとして働いているという仮説を立て、以降の解析を進めた。

【Necro TriggerはVDAC1のシステイン残基を分子修飾し、複合体形成を抑制する】

VDAC1による酸化的ストレスのセンシング機構の解明を目指し、まずNecro Triggerの結合サイトの同定を試みた。NT-2によるVDAC1のラベル化が、tBHPやシステインのキャッピング剤であるiodoacetamideで競合されることや、NT-1処理によりVDAC1の変性時の分子内ジスルフィド形成反応が抑制されるという知見により、Necro TriggerはVDAC1のシステイン残基を修飾していると推定した。そこで、VDAC1タンパク質を精製(VDAC1-His)、既知の手法でフォールディングさせ、これを用いて結合サイトの同定を試みた。VDAC1はその配列中に二箇所のシステイン残基(Cys127、Cys232)を含んでいる、VDAC1の酵素消化断片での解析、ならびに、各システイン残基変異体のVDAC1-Hisを用いた実験の双方において、Necro TriggerはCys127を分子修飾していることが示唆された。

次に、ラット肝臓由来のミトコンドリアを材料に、クロスリンカーを用いた実験系により、Necro TriggerがVDAC1の複合体形成に与える影響を検討した。既存の報告では、アポトーシス刺激時においてはVDAC1複合体化の促進が観測されるとされているが、興味深いことにNT-1によるネクローシス刺激においては逆に、複合体形成を抑制した。

【総括・考察】

筆者が独自に開発した新規細胞死誘導剤Necro Triggerを用いた分子機構解明研究によって、以下のFig.3に示す酸化的ストレス誘導性ネクローシスの分子機構が示唆、考察された。

・酸化的ストレスによりミトコンドリア外膜でVDAC1-Cys127残基が酸化され、酸化的ストレスが感知される。

・活性酸素センシングに関わるVDAC1の複合体が解離し、ミトコンドリア内膜-電子伝達系にシグナルが伝わり、complex IIIよりROSのバーストが起きる。

・それに伴い、電子伝達系の破綻によるミトコンドリア膜電位の低下によりATPが枯渇する。バーストした活性酸素は細胞内で膜の酸化反応などにより様々な生命機能を損傷しネクローシスに至る。

以上の研究成果によって、上記に示す酸化的ストレス誘導性ネクローシスの分子機構の一端を提唱することができたと考えている。

Fig.1 本研究で用いたケミカルツールの創製戦略と構造

Fig.2 ネクローシス誘導時の電子顕微鏡写真HL60細胞

Fig.3 総括Necro Triggerを用いた解析により見出したシグナル変化

審査要旨 要旨を表示する

佐藤伸一は「新規細胞死誘導剤を基盤とした酸化的ストレス誘導性ネクローシスの分子機構解明」と題して、以下の研究を行った。

細胞内のシグナル伝達物質として機能する活性酸素は生命の維持において無くてはならないものであり、酸化的ストレスによる細胞死誘導はこれまでに幅広く研究され、膨大な報告が挙げられている、近年、酸化的ストレスの応答機構と細胞死誘導への関連性が徐々に明らかになってきてはいるが、分子機構に基づいた報告例は少なく、未だ不明な点が多いのが現状である。その原因として、細胞外からの酸化的ストレス刺激は生体内で複雑な活性酸素経路の活性化を起こすこと、与える酸化的ストレスの量で誘導される細胞死経路が異なること、従来の酸化的ストレスとして用いられている薬剤の標的選択性の低さなどが酸化的ストレスにより誘導される細胞死シグナルの解析を困難にしている原因であると考えられる。

佐藤は有機合成化学の手法により、酸化的ストレス誘導性のネクローシスを解析するため、本細胞死に関わる酸化的ストレスのセンシング因子に選択的なケミカルツールを開発した、さらにこれらを、分子生物学を用いた分子機構解明研究に適用・応用させることによって酸化的ストレス誘導性ネクローシスの分子機構解明を目指した。

指導委託先の理化学研究所・袖岡有機合成化学教室では独自の評価系によってカテプシンの阻害剤で知られるCathepsin Inhibitor-1(CATI-1;図1-A)が酸化的ストレスと同種のネクローシスを示すことを見出していた。そこで、佐藤はカテプシン阻害活性とネクローシス誘導活性が相関しないことから、CATI-1はカテプシンとは別のタンパク質に作用することでネクローシスを誘導していると考え、CATI-1からの構造展開を行った。また、構造展開の過程でシステイン残基と反応性を示すCATI-1のC末構造はネクローシス誘導活性には必須であったため、これら活性化合物はネクローシス制御タンパク質を共有結合により直接ラベル化しており、本特性は標的同定の際に大きなメリットになると考えた(図1-B)。

構造展開の結果、カテプシン阻害活性をほとんど示さずに強いネクローシス誘導活性を示すNecro Trigger-1(NT-1;図1-C)およびその蛍光プローブNecro Trigger-2(Nr-2;図1-D)と命名した化合物群の創製に成功した。

従来酸化的ストレスの誘導に用いられてきた過酸化物は自身が活性酸素(ROS)として振る舞うため、これらを用いたROSシグナルの解析は困難な点が多いが、Necro Trigger自身は酸化力を持たないため、生体内で二次的に発生する活性酸素に焦点を当てて解析することができる。この利点を活かし、酸化的ストレス誘導性ネクローシスに関わるROSシグナルを解析した。その結果、Necro Triggerや酸化的ストレスはミトコンドリア電子伝達系-complex IIIからsuperoxide anionの発生により細胞内のROSの急激な上昇(ROSのバースト)、膜過酸化反応を引き起こし、ネクローシスを誘導することを明らかにした。

ネクローシス制御タンパク質の同定においては、Necro Trigger、酸化的ストレスに共通の標的タンパク質として、ミトコンドリア外膜に局在するチャネル型のタンパク質VDAC1,2を同定した.また、VDAC1のノックダウンによって、上記のROSシグナルの上昇とそれに伴うネクローシス誘導が抑制されることを見出した。さらに、VDAC1を詳細に解析した結果、Necro Triggerや酸化的ストレスは鉄イオンの存在によって、VDAC1-Cys127の分子修飾および酸化が促進されること、VDAC1の複合体形成変化を介してネクローシスのシグナルが伝わることが示唆された。

以上、佐藤は有機合成化学、分子生物学の分野の知識、技術を習得、駆使し、ケミカルツールの開発、生物学的活性評価を行い、新たな酸化的ストレスのセンシング機構とそれによるネクローシス誘導機構の提唱までに至った。これらの研究成果は酸化的ストレスによる細胞死という重要な生命現象の分子機構解明に貢献するものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値すると判断した。

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