学位論文要旨



No 127168
著者(漢字) 李,賢哲
著者(英字)
著者(カナ) リ,ケンテツ
標題(和) ホスファチジルイノシトール特異的脂肪酸転移酵素LPIAT1の機能解析
標題(洋)
報告番号 127168
報告番号 甲27168
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1396号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 有田,誠
内容要旨 要旨を表示する

【序】

ホスファチジルイノシトール (PI)は、イノシトール環にリン酸基が付加されたポリホスホイノシタイド (PIPs)の前駆体であり、PIPs 結合蛋白質の時空間的制御、細胞の増殖、遊走、細胞骨格制御、小胞輸送など様々な生命現象に関与するリン脂質である。PIは極性頭部だけでなく脂肪酸鎖についても特徴的な構造を持つことが知られており、その大部分はsn-1 位にステアリン酸 (18:0)、sn-2位にアラキドン酸 (20:4)を有する。しかしながら、PI が何故このような特徴的な脂肪酸組成を持つのか、その生物学的意義はこれまで明らかになっていない。

私は修士課程において、線虫C. elegansを用いたRNAi スクリーニングにより、PIにアラキドン酸を導入する脂肪酸転移酵素、mboa-7を同定した (Lee et al, Mol. Biol. Cell, 2008)。私は博士課程において、哺乳動物におけるPI 脂肪酸分子種の生物学的意義を明らかにするため、マウスにおけるmboa-7の相同分子(LPIAT1; Lysophosphatidylinositol acyltransferase 1)に着目し、LPIAT1 欠損細胞ならびにLPIAT1 欠損マウスを用いて、機能解析を行った。

【方法と結果】

1. LPIAT1 欠損マウスの脳はPI およびPIPsの脂肪酸組成が変化する

LPIAT1 欠損マウスでは各臓器においてアラキドン酸をPI へ導入する脂肪酸転移活性が完全に欠失している。そこで、表現型が強く見られる脳に着目し(後述)、PIの脂肪酸組成が変化しているか、ガスクロマトグラフィーおよびマススペクトロメトリーを用いて詳細に調べた。その結果、LPIAT1 欠損マウスの脳では野生型に比べてPI 中のアラキドン酸 (20:4n-6)の量が有意に減少しており、不飽和度の低い脂肪酸やドコサヘキサエン酸 (DHA; 22:6)を持つ分子種に置き代わっていた。また、LPIAT1 欠損マウスの脳におけるPIPsの脂肪酸組成についても調べた結果、アラキドン酸量が減少しており、PIと同様の脂肪酸組成の変化が起こっていた。以上の結果から、LPIAT1 欠損マウスの脳では、PIに加えてPIPsの脂肪酸組成も変化していることが分かった。

2. LPIAT1 欠損細胞におけるPIPs 量の変化

PIPsの脂肪酸組成の変化がPIPsの量に影響を与えるか調べるため、マウス胎児線維芽細胞 (MEF)を用いてPIPs 量の測定を行った。MEFをイノシトールを含まない培養液で12時間培養した後、トリチウム標識したイノシトールを添加し、24時間後にラベルされたPI およびPIPsの量をHPLCを用いて計測した。その結果、LPIAT1 欠損MEF 細胞ではPIの量には変化はなかったが、PIPsのうち、イノシトール環の3 位がリン酸化されたPI3Pの量が増加していることが分かった。また、神経初代培養細胞を用いた同様の実験においてもPI3P 量が増加している傾向にあった。以上のことから、LPIAT1の欠損によるPIの脂肪酸組成の変化が、PI3Pの合成、あるいはPI3Pの分解に影響を与える可能性が考えられた。

3. LPIAT1 欠損神経細胞におけるアラキドン酸の動態

LPIAT1の脂肪酸代謝における寄与を細胞レベルで調べるため、神経初代培養細胞に放射標識したアラキドン酸を加え、その動態を調べた。その結果、PI へのアラキドン酸の取り込みが34%減弱し、相補的にPC への取り込みが増加した。また、放射標識後にチェイスすると、野生型マウス由来の細胞ではPIにおけるアラキドン酸量が次第に減少するのに対し、LPIAT1 欠損マウス由来の細胞ではほとんど変化しなかった。このことから、LPIAT1 欠損神経細胞ではPIにおけるアラキドン酸の代謝回転が抑制されていることが明らかになった。

4. LPIAT1 欠損マウスは大脳皮質の層構造形成に異常を示す

脳の層構造は胚発生後期に生じた神経細胞の脳室側から大脳皮質の表層側への順次的な移動により構築される。これまでの解析から、LPIAT1 欠損マウスでは大脳皮質の層構造が乱れており、全体的に萎縮していることが分かっていた。大脳皮質の層構造の異常の原因として、LPIAT1 欠損マウスにおいて神経細胞の移動が異常である可能性が考えられた。そこで、胚発生後期であるE15.5に生じる神経細胞をBrdUで標識し、E18.5におけるBrdU ポジティブな細胞の大脳皮質における分布を調べた。その結果、LPIAT1 欠損マウスの大脳皮質ではBrdU ポジティブな細胞が野生株に比べ、より脳室側に多く分布しており、神経細胞の移動が遅延していることが分かった。

大脳皮質の萎縮の原因として、LPIAT1 欠損マウスの大脳皮質において、(1)神経細胞の分化が異常である可能性、および、(2)神経細胞の細胞死が亢進している可能性、が考えられる。神経細胞への分化についてマーカー分子 (βIII-tubulin, Tbr1 & MAP2)の抗体染色で調べた結果、LPIAT1 欠損マウスでは神経細胞の分化は正常であった。また、BrdU ポジティブな細胞の数には顕著な差はなかったことから、LPIAT1の欠損は神経細胞の増殖には影響していないと考えられた。次に、TUNEL アッセイを行った結果、LPIAT1 欠損マウスの大脳皮質ではアポトーシスが過剰に起こっていることが分かった。以上のことから、LPIAT1 欠損マウスの大脳皮質では神経細胞移動の異常により層構造の乱れが、アポトーシスの亢進により萎縮が引き起こされることが示唆された。

5. LPIAT1 欠損により神経突起が減退する

LPIAT1 欠損マウスの神経系における異常を細胞レベルで解析するため、初代培養神経細胞の形態を観察した。その結果、LPIAT1 欠損マウス由来の神経細胞では神経突起を持つ細胞の割合が有意に減少していることが分かった。また、野生株由来の神経細胞に比べ、神経突起の長さが有意に短いことが分かった。このことから、神経細胞の突起伸展の異常がLPIAT1 欠損マウスの大脳皮質の形態異常の一因である可能性が示唆された。

【総括】

本研究において私は、(1) 哺乳動物LPIAT1 がPI へのアラキドン酸の導入に寄与しており、生体膜におけるPIの脂肪酸組成を規定すること、(2) PIの脂肪酸組成の変化に伴ってPIPsの脂肪酸組成も変化すること、(3) LPIAT1 欠損細胞ではPI3Pの量が増加していること、(4) LPIAT1の欠損により神経細胞の移動や細胞死、突起伸展に異常を来たし、その結果、脳において著しい形態異常を示すことを明らかにした。PI3Pはエンドサイトーシスなどの小胞輸送やオートファジーに重要な役割を担うPIPsとして知られている。線虫のLPIAT1 欠損変異体においてmtm-3 (PI3P 3-phosphatase)を発現抑制すると、顕著に成長が抑制されるという結果を得ており、LPIAT1の欠損によってPI3Pの増加に高感受性になっていることが示唆される。一方、最近PIのPI3P へのリン酸化を担うキナーゼであるClass III PI 3-キナーゼの欠損マウスが大脳皮質の層構造形成に異常を来すという報告がなされている。LPIAT1の欠損によって起こるPI3P 量の増加と脳の表現型との関係は現時点では不明であるが、LPIAT1の欠損によって、PIの脂肪酸組成が変化することでPI3P 量の厳密な制御機構が破綻し、このことが大脳皮質の層構造形成に異常を来す原因なのではないかと考えている。

今後、なぜPIのアラキドン酸量の減少がPI3P 量の増加を招くのか、それがどのように脳の表現型と結びつくのかを明らかにすべく、LPIAT1 欠損マウスや細胞を用いて研究を進めていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

ホスファチジルイノシトール (PI)は、イノシトール環にリン酸基が付加されたポリホスホイノシタイド (PIPs)の前駆体であり、PIPs 結合蛋白質の時空間的制御、細胞の増殖、遊走、細胞骨格制御、小胞輸送など様々な生命現象に関与する。PIは極性頭部だけでなく脂肪酸鎖についても特徴的な構造を持ち、その大部分はsn-1 位にステアリン酸 (18:0)、sn-2 位にアラキドン酸 (20:4)を有する。しかし、PI が何故このような特徴的な脂肪酸組成を持つのか、その生物学的意義は明らかになっていない。李賢哲は修士課程において、線虫C. elegansを用いたRNAi スクリーニングによりPIにアラキドン酸を導入する脂肪酸転移酵素、mboa-7を同定した。この研究を発展させ、博士課程においてマウスにおけるmboa-7の相同分子 (LPIAT1; Lysophosphatidylinositol acyltransferase 1)に着目し、LPIAT1 欠損細胞ならびにLPIAT1 欠損マウスを用いて、機能解析を行い、以下の点を明らかにした。

まず、李は、作製したLPIAT1 欠損マウスでは各臓器においてアラキドン酸をPI へ導入する脂肪酸転移活性が完全に欠失していることを確認した。さらに、表現型が強く見られる脳に着目し、PIの脂肪酸組成を調べた結果、LPIAT1 欠損マウスの脳では野生型に比べてPI 中のアラキドン酸 (20:4n-6)の量が有意に減少しており、不飽和度の低い脂肪酸やドコサヘキサエン酸 (DHA; 22:6)を持つ分子種に置き代わっていることを明らかにした。また、LPIAT1 欠損マウスの脳におけるPIPsの脂肪酸組成についても調べ、PIと同様の脂肪酸組成の変化が起こっていることを明らかにした。

次に、李は、マウス胎児由来の線維芽細胞 (MEF)を用いてPIPs 量の測定を行った。その結果、LPIAT1 欠損MEF 細胞ではPIの量には変化はなかったが、PIPsのうち、イノシトール環の3 位がリン酸化されたPI3Pの量が増加していることを見出した。以上のことから、LPIAT1の欠損によるPIの脂肪酸組成の変化が、PI3Pの合成、あるいはPI3Pの分解に影響を与える可能性を示した。

脳の層構造は胚発生後期に生じた神経細胞の脳室側から大脳皮質の表層側への順次的な移動により構築される。LPIAT1 欠損マウスでは大脳皮質の層構造が乱れており、全体的に萎縮していることが分かっていた。李は、大脳皮質の層構造の異常の原因として、LPIAT1 欠損マウスにおいて神経細胞の移動が異常である可能性を考えた。そこで、胚発生後期であるE15.5に生じる神経細胞をBrdUで標識し、E18.5におけるBrdU ポジティブな細胞の大脳皮質における分布を調べた。その結果、LPIAT1 欠損マウスの大脳皮質ではBrdU ポジティブな細胞が野生株に比べ、より脳室側に多く分布しており、神経細胞の移動が遅延していることを見出した。次に、神経細胞への分化についてマーカー分子の抗体染色を行い、LPIAT1 欠損マウスでは神経細胞の分化は正常であることが判明し、また、BrdU ポジティブな細胞の数には顕著な差を認めなかったことから、LPIAT1の欠損は神経細胞の増殖には影響していないことを秋からにした。さらに、TUNEL アッセイを行った結果、LPIAT1 欠損マウスの大脳皮質ではアポトーシスが過剰に起こっていることを見出した。以上のことから、李は、LPIAT1欠損マウスの大脳皮質では神経細胞移動の異常により層構造が乱れ、さらにアポトーシスの亢進により萎縮が引き起こされることを示した。

最後に、李は、LPIAT1 欠損マウスの神経系における異常を細胞レベルで解析するため、初代培養神経細胞の形態を観察した結果、LPIAT1 欠損マウス由来の神経細胞では神経突起を持つ細胞の割合が有意に減少していることを見出した。また、野生株由来の神経細胞に比べ、神経突起の長さが有意に短いことも見出した。このことから、李は。神経細胞の突起伸展の異常がLPIAT1 欠損マウスの大脳皮質の形態異常の一因である可能性を示唆した。

以上、李は、(1) 哺乳動物LPIAT1 がPI へのアラキドン酸の導入に寄与しており、生体膜におけるPIの脂肪酸組成を規定すること、(2) PIの脂肪酸組成の変化に伴ってPIPsの脂肪酸組成も変化すること、(3) LPIAT1 欠損細胞ではPI3Pの量が増加していること、(4) LPIAT1の欠損により神経細胞の移動や細胞死、突起伸展に異常を来たし、その結果、脳において著しい形態異常を示すことを明らかにした。これらの成果は、PIの脂肪酸鎖の生理機能を明らかにするとともに、脳形態形成におけるPIの脂肪酸の意義を明らかにした点で、博士(薬学)に値すると判断した。

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