学位論文要旨



No 127175
著者(漢字) 林,ゆかり
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,ユカリ
標題(和) 神経細胞プレシナプス形成におけるNotchシグナルの機能解析
標題(洋)
報告番号 127175
報告番号 甲27175
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1403号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 松本,則夫
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 池谷,裕二
 東京大学 特任准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

Notchは高度に保存された細胞膜受容体蛋白質であり、隣接した細胞の細胞膜上に発現するリガンドと細胞間相互作用によるシグナル伝達を介して、さまざまな器官の発生過程において重要な役割を果たす。リガンドを受容したNotchは、連続した二段階の限定切断を受け、細胞内ドメイン(NICD)が切り出されて核内に移行し、直接標的遣伝子の転写活性化を引き起こす。このNICD産生が起きる二段階目の切断は、γセクレターゼが担うことが知られている。

近年、Notchの発現量を低下させたトランスジェニック動物において、学習や長期記憶形成に異常が見られることが示され、Notchシグナルがシナプス可塑性に関与する可能性が示唆されている。一方Notchシグナルが神経幹細胞の分化や維持の調節に重要な役割を果たすことが知られているが、分化を終えた神経細胞におけるNotchシグナルの役割はほとんど明らかにされていない。私は修士課程において、神経細胞に対するNotchリガンド刺激が、プレシナプス小胞膜蛋白質の発現量を増加させること、その効果がNotch依存性であることを見出した。博士課程においてはさらにその分子機構と生理的意義について研究を行った。

【方法・結果】

1.Coculture系によるJagged1刺激により、シナプス小胞膜蛋白質の発現量が増加する。

神経細胞におけるNotchシグナルの活性化を行いその効果を観察するため、NIH3T3細胞に、NotchのリガンドであるJagged1を過剰発現させ、マウス大脳皮質由来初代培養神経細胞と共培養(coculture)した。ウエスタンブロット解析により、プレシナプスに存在するシナプス小胞膜蛋白質synaptophysin1や小胞性グルタミン酸トランスポーター1(VGLUT1)の蛋白質発現量が、Jagged1を発現するNIH3T3細胞とのcocultureで増加することが明らかになった(図1)。一方小胞性GABAトランスポーター(VGAT)の発現量には大きな変化が観察されず、Jagged1の効果はグルタミン酸作動性神経細胞に特異的であると考えられた。

Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質発現量増加がNotchシグナルを介したものかどうかを明らかにするため、NTKOマウス(遺伝子型Notch1 flox/flox;Notch2flox/flox;Notch3-/-)由来初代培養神経細胞と組み換えアデノウイルスを用いたCreリコンビナーゼ発現系により、in vitroにおいてNotch1、2、3をすべてノックアウトした初代培養神経細胞を作製して検討を行った。Notehノックアウト培養神経細胞では、Jagged1によるsynaptophysin1、VGLUT1の発現量増加が抑制されていた(図2)。したがって、Jagged1によるNotchシグナルの活性化が、シナプス小胞膜蛋白質発現量を増加させることが示唆された。

2.Coculture系においてJagged1は、機能的プレシナプスの形成を増加させる。

Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質増加が、機能的なプレシナプスの形成に与える影響を調べるため、シナプス小胞に存在する膜蛋白質synaptotagmin1の内腔側に対する抗体の取り込み実験を行った。機能的プレシナプスにおいては、高カリウム刺激による脱分極刺激を行うと、シナプス小胞からの神経伝達物質放出の後、小胞のリサイクリングが生じる。この際、リサイクリングを起こしたシナプス小胞へ抗synaptotagmin1抗体を取り込ませることで、機能的プレシナプスを標識することができる。NIH3T3細胞とのcoculture後、抗体取り込み実験を行ったところ、Jagged1発現NIH3T3細胞とのcocultureにおいては、機能的プレシナプスの免疫染色シグナルが増加していることがわかった(図3)。この結果から、Jagged1刺激が、機能的プレシナプスの形成を増加させることが示唆された。

3.Notchノックアウト培養海馬神経細胞においてVGLUT1の発現量が低下する。

マウス脳におけるNotchの発現を免疫染色により検討したところ、大脳皮質および海馬において、Notch1の神経細胞への発現が確認された(図4)。そこで、神経細胞においてNotchがシナプス小胞膜蛋白質の発現量を調節することを確かめるため、Notchをノックアウトさせた神経細胞を免疫染色により観察した。NTKOマウス由来海馬初代培養神経細胞にCreリコンビナーゼとVenusを共発現させ、培養10日目に、免疫染色により軸索におけるVGLUT1発現量を検討した。その結果、Creリコンビナーゼを発現するNotchノックアウト海馬神経細胞の軸索においては、単位長さあたりのVGLUT1の免疫染色シグナル量が、有意に低下していることを見出した。したがって、グルタミン酸作動性神経細胞でNotchをノックアウトすると、VGLUT1蛋白質の発現量が減少することが示唆された(図5)。

4.Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質増加は、NICDの産生を必要としない。

Notchシグナルによるシナプス小胞膜蛋白質増加の分子メカニズムを調べるため、まず、NICD産生を抑制するγセクレターゼ阻害剤DAPT処理下においてcocultureを行ったところ、Jagged1発現NIH3T3細胞によるsynaptophysin1、VGLUT1の発現量増加は、抑制されなかった(図6)。また初代培養神経細胞に対してDAPT処理を行っても、これらの蛋白質発現量に大きな影響は観察されなかった。このことから、Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質増加にγセクレターゼ活性は必要ないことが示唆された。そこで、NICDの産生を引き起こさない変異型Jagged1であるSlalom変異体(Slm)をNIH3T3細胞に発現させ、cocultureを行ったところ、野生型Jagged1と同様に、Slm変異体によっても、synaptophysin1、VGLUT1の発現量が増加すること、また、その効果はNTKOマウス由来神経細胞を用いてNotch1、2、3をノックアウトすることにより抑制されること(図7)が明らかになった。さらに、定量的RT-PCR法を用いて解析した結果、野生型Jagged1およびSlm変異体発現NIH3T3細胞とのcocultureにより、synaptophysin1、VGLUT1のmRNA発現量に大きな変化は見られなかった(図8)。これらの結果から、Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質増加は、NICD産生を介した転写レベルでの発現量増加によるものではないことが示された。

【まとめ・考察】

これまでにほぼすべての種類のNotchシグナルがγセクレターゼ依存性のNICD産生を介していることが示されているが、ショウジョウバエ神経細胞においてはγセクレターゼ非依存性シグナルの存在が示唆されていた。本研究により、哺乳類神経細胞においても、リガンド刺激による、NICD非依存的な新奇Notchシグナル経路が、グルタミン酸作動性神経細胞におけるプレシナプス形成を調節する可能性が示された。本研究の成果は、シナプス形成の分子機構において、またNotchシグナル伝達機構の理解においても、新しい概念を提唱する点で意義を有するものと考えられる。今後は、NICD非依存的Notchシグナルの分子メカニズムを明らかにするとともに、神経細胞におけるNotchシグナルがシナプス形成に果たす役割を、個体レベルで明らかにしていきたい。

図1 初代培養神経細胞とNIH3T3細胞のcocultureにおけるシナプス小胞膜蛋白質のウエスタンブロット解析

図2 NTKOマウス由来神経細胞におけるcocultureのウエスタンブロット解析

図3 高カリウム刺激依存的抗体取り込み実験によるcocultureにおける機能的プレシナプスの免疫染色面積当たりの抗synaptotagrnin1抗体の免疫蛍光染色シグナルを定量し、平均値を比較した。Scale bar:5μm,n=4,Mean±SE.,*P<0.05.

図4 マウス大脳皮質神経細胞(*印)におけるNetch1の免疫染色Scal bar:5μm.

図5 NTKOマウス由来培養海馬神経細胞の軸索におけるVGLUT1の免疫色シグナルの定量軸索の長さ当たりのVGLUT1免疫蛍光染色シグナルを定量した。Scal bar:2μm,n=4or5,Mean±SE.,*P<0.05.

図6 cocultureにおけるJagged1のシナプス小胞膜蛋白質増加効果に対するγセクレターゼ阻害剤DAPTの影響ウエスタンブロットにおけるシグナル強度を定量した。n=26or18,Mean±SE.,*P<0.05,**P<0.01.

図7 NTKOマウス由来神経細胞とJaaaed1 Slm変異体発現NIH3T3細胞のcocultureのウエスタンブロット解析

図8 coeultureにおけるmRNA発現量の定量n=4,Mean±SE.

審査要旨 要旨を表示する

Notchは高度に保存された細胞膜受容体蛋白質であり、隣接した細胞の細胞膜上に発現するリガンドと細胞間相互作用によるシグナル伝達を介して、さまざまな器官の発生過程において重要な役割を果たす。リガンドを受容したNotchは、連続した二段階の限定切断を受け、細胞内ドメイン(NICD)が切り出されて核内に移行し、直接標的遺伝子の転写活性化を引き起こす。このNICD産生が起きる二段階目の切断は、γセクレターゼが担うことが知られている。

近年、Notchの発現量を低下させたトランスジェニック動物において、学習や長期記憶形成に異常が見られることが示され、Notchシグナルがシナプス可塑性に関与する可能性が示唆されている。一方Notchシグナルが神経幹細胞の分化や維持の調節に重要な役割を果たすことが知られているが、分化を終えた神経細胞におけるNotchシグナルの役割はほとんど明らかにされていない。申請者は、神経細胞に対するNotchリガンド刺激が、プレシナプス小胞膜蛋白質の発現量を増加させること、その効果がNotch依存性であることを見出した。博士課程においてはさらにその分子機構と生理的意義について研究を行った。

1.Coculture系によるJagged1刺激により、シナプス小胞膜蛋白質の発現量が増加する。

神経細胞におけるNotchシグナルの活性化を行いその効果を観察するため、NIH3T3細胞に、NotchのリガンドであるJagged1を過剰発現させ、マウス大脳皮質由来初代培養神経細胞と共培養(coculture)した。ウエスタンブロット解析により、プレシナプスに存在するシナプス小胞膜蛋白質synaptophysin1や小胞性グルタミン酸トランスポーター1(VGLUT1)の蛋白質発現量が、Jagged1を発現するNIH3T3細胞とのcocultureで増加することが明らかになった。―方小胞性GABAトランスポーター(VGAT)の発現量には大きな変化が観察されず、Jagged1の効果はグルタミン酸作動性神経細胞に特異的であると考えられた。

Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質発現量増加がNotchシグナルを介したものかどうかを明らかにするため、NTKOマウス(遺伝子型Notch1flox/flox;Notch2flox/flox;Notch3-/-)由来初代培養神経細胞と組み換えアデノウイルスを用いたCreリコンビナーゼ発現系により、in vitroにおいてNotch1、2、3をすべてノックアウトした初代培養神経細胞を作製して検討を行った。Notchノックアウト培養神経細胞では、Jagged1によるsynaptophysin1、VGLUT1の発現量増加が抑制されていた。したがって、Jagged1によるNotchシグナルの活性化が、シナプス小胞膜蛋白質発現量を増加させることが示唆された。

2.Coculture系においてJagged1は、機能的プレシナプスの形成を増加させる。

Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質増加が、機能的なプレシナプスの形成に与える影響を調べるため、シナプス小胞に存在する膜蛋白質synaptotagmin1の内腔側に対する抗体の取り込み実験を行った。機能的プレシナプスにおいては、高カリウム刺激による脱分極刺激を行うと、シナプス小胞からの神経伝達物質放出の後、小胞のリサイクリングが生じる。この際、リサイクリングを起こしたシナプス小胞へ抗synaptotagmin1抗体を取り込ませることで、機能的プレシナプスを標識することができる。NIH3T3細胞とのcoculture後、抗体取り込み実験を行ったところ、Jagged1発現NIH3T3細胞とのcocultureにおいては、機能的プレシナプスの免疫染色シグナルが増加していることがわかった。この結果から、Jagged1刺激が、機能的プレシナプスの形成を増加させることが示唆された。

3.Notchノックアウト培養海馬神経細胞においてVGLUT1の発現量が低下する。

マウス脳におけるNotchの発現を免疫染色により検討したところ、大脳皮質および海馬において、Notch1の神経細胞への発現が確認された。そこで、神経細胞においてNotchがシナプス小胞膜蛋白質の発現量を調節することを確かめるため、Notchをノックアウトさせた神経細胞を免疫染色により観察した。NTKOマウス由来海馬初代培養神経細胞にCreリコンビナーゼとVenusを共発現させ、培養10日目に、免疫染色により軸索におけるVGLUT1発現量を検討した。その結果、Creリコンビナーゼを発現するNotchノックアウト海馬神経細胞の軸索においては、単位長さあたりのVGLUT1の免疫染色シグナル量が、有意に低下していることを見出した。したがって、グルタミン酸作動性神経細胞でNotchをノックアウトすると、VGLUT1蛋白質の発現量が減少することが示唆された。

4.Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質増加は、NICDの産生を必要としない。

Notchシグナルによるシナプス小胞膜蛋白質増加の分子メカニズムを調べるため、まず、NICD産生を抑制するγセクレターゼ阻害剤DAPT処理下においてcocultureを行ったところ、Jagged1発現NIH3T3細胞によるsynaptophysin1、VGLUT1の発現量増加は、抑制されなかった。また初代培養神経細胞に対してDAPT処理を行っても、これらの蛋白質発現量に大きな影響は観察されなかった。このことから、Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質増加にγセクレターゼ活性は必要ないことが示唆された。そこで、NICDの産生を引き起こさない変異型Jagged1であるSlalom変異体(Slm)をNIH3T3細胞に発現させ、cocultureを行ったところ、野生型Jagged1と同様に、Slm変異体によっても、syfiaptophysin1、VGLUT1の発現量が増加すること、また、その効果はNTKOマウス由来神経細胞を用いてNotch1、2、3をノックアウトすることにより抑制されることが明らかになった。さらに、定量的RT-PCR法を用いて解析した結果、野生型Jagged1およびSlm変異体発現NIH3T3細胞とのcocultureにより、synaptophysin1、VGLUT1のmRNA発現量に大きな変化は見られなかった。これらの結果から、Jagged1によるシナプス小胞膜蛋白質増加は、NICD産生を介した転写レベルでの発現量増加によるものではないことが示された。

これまでにほぼすべての種類のNotchシグナルがγセクレターゼ依存性のNICD産生を介していることが示されているが、ショウジョウバエ神経細胞においてはγセクレターゼ非依存性シグナルの存在が示唆されていた。本研究により、哺乳類神経細胞においても、リガンド刺激による、NICD非依存的な新奇Notchシグナル経路が、グルタミン酸作動性神経細胞におけるプレシナプス形成を調節する可能性が示された。以上のごとく、本研究の成果は、シナプス形成の分子機構において、またNotchシグナル伝達機構の理解においても、新しい概念を提唱する点で発生生物学、神経生物学分野に貢献するものであり、博士(薬学)の学位に値するものと考えられる。

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