学位論文要旨



No 127177
著者(漢字) 上野,傑
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,スグル
標題(和) 転移を促進する腫瘍微小環境としての肝アシアロ糖蛋白質受容体による糖鎖認識
標題(洋) Carbohydrate recognition by the hepatic asialoglycoprotein receptor manifests tumor microenvironment promoting metastasis
報告番号 127177
報告番号 甲27177
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1405号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 准教授 武田,弘資
 東京大学 准教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

がんは日本における死因第一位の疾患であり、2009年の癌による死亡数は344,000人で、総死亡数の30%を占める。科学の進歩と共に、がんの診断・治療は着実に向上しているが、依然として転移が大きな障壁として存在している。実際、がんは早期に発見され、外科的に切除可能であれば良好な生存率を示すが、発見が遅れ遠隔転移が生じている場合には予後が悪いことが知られている。従って、がんの治療改善のためには転移の分子機構を解明し、その抑制法を確立することが必要である。

転移は原発組織での局所増殖、遠隔臓器へと転移する過程では脈管内への侵襲や、転移臓器での内皮細胞との接着、脈管外への浸潤、さらには転移臓器での血管新生を伴う増殖など複雑なプロセスによって構成され、これらのプロセスの成立にはがん細胞と微小環境との相互作用が重要である。

糖鎖認識分子(レクチン)は病態を制御するシステムに重要な機能を発揮している事が広く知られている。これまで植物レクチンががん細胞表面の糖鎖に結合する事で細胞機能に影響を及ぼす事が報告されており、レクチンとがん細胞表面の糖鎖の相互作用ががん病態において重要である事が示唆されるが、内在性レクチンが腫瘍微小環境においてどのような役割を担っているか、またその分子機構は明らかでなかった。

アシアロ糖蛋白質受容体(Asialoglycoprotein receptor:ASGR)は肝実質細胞に特異的に発現するレクチンであり、ASGR1とASGR2のヘテロオリゴマーにより形成されている。これまでガラクトース及びN-アセチルガラクトサミンを末端に持つ糖蛋白質のエンドサイトーシスレセプターとしての機能が報告されてきたが、微小環境因子としてがんの病態に関与するか否かは不明であった。

【研究の目標】

本研究は、がん転移の機構を解明し、がん治療を改善することを長期的目標とした。つまり、腫瘍微小環境における内在性レクチンとがん細胞表面の糖鎖との相互作用の役割を明らかにし、新たながん転移治療法の確立を目指した。

具体的には、肝実質細胞に発現するASGRと、がん細胞上の糖鎖との相互作用が転移性に影響を与えるのか、またその分子機構を明らかにすることを短期的目標にした。

【方法・結果】

第一章:ASGRは3LL細胞の肺転移を促進する

腫瘍微小環境における内在性レクチンとがん細胞表面の糖鎖の相互作用の役割を明らかにするため、がんの転移にASGRが関与するか否かを検証した。

Asgr1遣伝子欠損型マウス(Asgr1-/-)及び同腹野生型マウスの肝臓に、マウス肺癌細胞株3LL細胞を移植して、肝臓から肺への自然転移モデルを作成した。Asgr1-/-ではASGR2の発現も抑制されているため、Asgr1-/-は肝実質細胞に機能的なASGRを発現しないことが報告されている。ホタルルシフェラーゼ発現3LL-Luc2細胞を、Asgr1-/-または同腹野生型マウスの肝臓の外側左葉に移植した。14日後に肺懸濁液のルシフェラーゼ活性を測定することで肝からの肺転移を評価した。肝移植部位における原発巣の大きさに差は認められながったが、野生型マウスに比べAsgr1-/-では3LL細胞の肝臓からの肺への転移性が低いことが明らかになった(図A)。

ASGRは3LL細胞に直接結合することが、組換え型ASGR1(recombinant ASGR1:rASGR1)を用いたフローサイトメトリーにより確認されている。そこでASGRの細胞表面への直接的な結合が、3LL細胞の肺転移に影響を与えるか否かを検証するため、rASGR1を添加した培地で3LL細胞を培養し、尾静注モデルを用いて肺転移性を評価した。その結果、対照群に比べ、rASGR1共存下で48時間培養した3LL細胞ではその転移性が上昇した(図B)。これらの結果からASGRは腫瘍微小環境において3LL細胞に直接作用することで、その後の肺転移を促進する事が示された。

第二章:ASGRは3LL細胞のMMP-9発現を誘導し、浸潤を促進する

ASGRと3LL細胞の相互作用による肺転移促進の機構を解明するため、ASGRによる3LL細胞の機能変化をin vitroにて解析した。rASGR1は3LL細胞のin vitroにおける形態、フィブロネクチンに対する接着能、増殖能、遊走能に影響を及ぼさなかったが、トランスウェルチャンバーを用いた細胞浸潤アッセイにて3LL細胞の浸潤能を有意に促進した。

がん細胞の浸潤過程では、がん細胞から産生されるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP-2/9)などを介した細胞外マトリックスの分解が重要である事が知られている。そこで次にrASGR1により3LL細胞のMMP発現が誘導されるかに関して検討した。rASGR1を添加して培養した3LL細胞の培養上清を回収し、上清中のMMP量をゼラチンザイモグラフィーにて定量した。対照群に比べ、rASGR1添加群でMMP-9量が有意に高かった。

更にrASGR1添加により、3LL細胞のMMP-9mRNA発現誘導が見られた。一方で、MMP-2量には変化は見られなかった。

以上の結果から、rASGR1により3LL細胞の浸潤が促進し、肺転移が増加した原因の一つとして、MMP-9の発現が誘導されたためである事が示唆された。

ASGR添加によるMMP-9発現誘導が、ASGRとがん細胞表面の糖鎖との相互作用の結果である事を証明するため、抗ASGR1を用いた阻害実験を行った。本研究室で樹立された抗ASGR1は、rASGR1の糖鎖結合を阻害する。3LL細胞を抗ASGR1またはコントロールIgGの共存下で、rASGR1を添加して48時間培養し、上清に含まれるMMP-9をゼラチンザイモグラフィーにより定量した。またrASGR1共存下で24時間培養した後の3LL細胞におけるMMP-9発現を蛍光染色により検討した。rASGR1添加によって培養上清に含まれるMMP-9量が高く、また細胞内発現の誘導が認められ、これらは抗ASGR1の共存下でそれぞれ阻害された。これらの結果からASGRは3LL細胞上の糖鎖との結合を介してMMP-9発現を誘導している事が示された。

さらに内在性のASGRと3LL細胞上の糖鎖との相互作用について、ASGRを生体内で発現する肝実質細胞と3LL細胞の共培養系を確立してin vitroにおける検討を行った。Asgr1-/-または野生型マウスより肝実質細胞を回収し、単層培養した。24時間後、肝実質細胞をASGRのレクチン活性が失われない条件下でグルタルアルデヒド固定し、さらに阻害条件においては固定後の肝実質細胞に抗ASGR1またはコントロールIgGを加えた。これらの条件下において3LL細胞を肝実質細胞上に播種し、48時間後の培養上清に含まれるMMP-9をゼラチンザイモグラフィーにより定量した。Asgr1-/-由来の肝実質細胞と3LL細胞の共培養系の培養上清に含まれるMMP-9量は、野生型のそれに比べ著しく低下した。また野生型マウス肝実質細胞上で培養した3LL細胞で見られたMMP-9量は、抗ASGR1を添加した条件下で低下した。以上の結果より、ASGRは3LL細胞表面の糖鎖との結合を介して、MMP-9発現を誘導していることが示された。

また他のがん細胞株に関しても、ASGRによる細胞機能の変化を評価した。ヒト大腸癌細胞株HT-29、マウス大腸癌細胞株colon38、マウス悪性黒色腫細胞株B16-F10において、rASGR1によるMMP-9発現誘導が検出された。以上の結果より、幾つかのがん細胞株に関してもASGRによる細胞機能の変化が起こる事が示された。

第三章:ASGRはEGFR-ERK経路を介して3LL細胞のMMP-9発現を誘導する

次にASGRと糖鎖との相互作用によって、3LL細胞にどのような経路を介した活性化シグナルが伝達されるのかについて、rASGR1を添加して培養した事によるMMP-9発現の誘導を指標として、96種類の特異的阻害剤を用いたスクリーニング系により探索した。その結果、AG1478(EGF受容体-リン酸化阻害剤)及びPD98059(ERK-リン酸化阻害剤)の前処理により、rASGR1添加後の3LL細胞におけるMMP-9発現誘導の抑制が見られた。

そこでrASGR1を添加して培養した3LL細胞におけるシグナル経路の活性化を評価した。3LL細胞を無血清条件下で24時間培養した後にrASGR1を添加すると、EGFR、ERK、JNKのリン酸化が起こり、ERKのリン酸化はEGFRの特異的阻害剤であるAG1478の前処理により阻害された。またrASGR1を添加して4時間後のMMP-9mRNA発現誘導は、PD98059またはAG1478により阻害された。

以上の結果は、ASGRはがん細胞上の糖鎖と相互作用することで、EGFR-ERK経路を介したシグナル伝達により3LL細胞のMMP-9発現を誘導していることを強く示唆している。またrASGR1添加後のERKのリン酸化がEGFRの特異的阻害剤で抑制されたことを考慮すると、ASGRによる活性化シグナルはEGFRを上流とするERK活性化を介した経路であると推察される。

【考察】

がんの転移を構成する複雑なプロセスには、がん細胞と微小環境との相互作用が重要である。レクチンは病態を制御するシステムに重要な機能を発揮している事が広く知られているが、内在性レクチンが腫瘍微小環境においてどのような役割を担っているか、未だ不明な点が多い。そこで、本研究では腫瘍微小環境における内在性レクチンとがん細胞表面の糖鎖との相互作用の役割を明らかにすることを目的とした。

第一章では、肝実質細胞に発現するアシアロ糖蛋白質受容体(ASGR)が、3LL細胞に直接作用し、肺転移を促進することを示した。これまで腫瘍微小環境としての内在性レクチンの機能は報告されておらず、非常に重要な発見である。

第二章では、ASGRががん細胞の機能に与える影響を評価し、浸潤能を促進することを示した。この原因の一つとして考えられるMMP-9の発現が、ASGRにより誘導される事が示され、HT-29細胞やcolon38細胞でもASGR依存的なMMPの発現誘導が観察された。以上の結果から、3LL細胞の肝臓を介した肺転移過程において、ASGRががん細胞の浸潤能を調節することで、肺転移を促進した事が示唆された。

第三章では、ASGRにより活性化される3LL細胞のシグナル経路の同定を行い、EGFRを介したERK経路の活性化が、MMP-9の発現誘導に関与していることが示された。これまでEGFRの二量体形成には、細胞外ドメインに付加している糖鎖が重要であることが報告されている。ASGRがEGFR表面の糖鎖に結合することで細胞内にシグナルが入る事が示唆され、現在EGFRを候補として機能的リガンドの同定を行っている。

ASGRはERK経路の他にJNK経路も僅かながら活性化したことから、下流のFosとJunが活性化され、転写因子AP-1の結合部位をプロモーターに持つ遺伝子の転写誘導が起こる事が示唆される。MMP-9の転写調節領域にはAP-1結合部位があるが、MMP-2の転写調節領域には無いことが、ASGRによるMMP-9の選択的な発現誘導の理由の一つとして考えられる。MMP-9だけでなく、AP-1結合部位をプロモーターに持つ様々な蛋白質の転写誘導が示唆され、浸潤過程以外へのASGRの影響を今後調べていきたいと考えている。

興味深いことに、EGFRの活性化はリガンド濃度により異なることが報告されている。つまりEGFRを介した刺激は、リガンドが低濃度の場合は細胞増殖に影響を与え、高濃度の場合は細胞浸潤に影響を与えるというリガンド濃度に依存したシグナル経路の選択性が報告されてきた。EGFRがASGRの機能的リガンドであると仮定すると、ASGRにより3LL細胞の浸潤能が促進され、増殖能が影響を受けなかった原因のーつとして、ASGRがリガンド高濃度と類似した条件でEGFRに刺激を与えた事が示唆される。これらの点に関しても、機能的リガンドが同定された後に、詳細な活性化シグナル伝達の分子機構の解明に取り組みたいと考えている。

【結論】

本研究では肝実質細胞に発現するASGRが、腫瘍微小環境において糖鎖への結合を介して3LL細胞側にシグナルを伝えることで肺転移を促進する事を明らかにした。またASGR共存下によるMMP-9発現誘導が、EGFR-ERK経路を介したシグナル伝達の活性化に因る事を示した。ASGRは糖蛋白質の取り込み機能が広く知られる一方で、がん病態における役割はほとんど知られておらず、本研究でASGRによるがん細胞表面の糖鎖への活性化シグナル伝達の分子機構を明らかにしたことの意義は大きいと考える。今後はがん細胞表面の糖鎖の同定を進めると共に、ASGRと糖鎖の相互作用が肺転移過程の浸潤以外のプロセスにも影響を与えるか解明したいと考えている。

本研究により、原発巣を離れたがん細胞が肝臓に到達して留まることによって浸潤・転移性を獲得するという新しいパラタイムが示され、転移治療の改善に貢献することが期待される。

図:ASGRは3LL細胞の肺転移を促進する

(A)肝原発巣からの3LL細胞自然肺転移モデルにおけるAsgr1遺伝子欠損型マウスでの転移の低下(n=4-5マウス/グループ)(*p<0.05)

(B)実験的肺転移モデルにおけるrASGR1前処理による3LL細胞の転移の促進(n=6-7マウス/グループ)(*p<0.05)

審査要旨 要旨を表示する

「Carbohydrate recognition by the hepatic asialoglycoprotein receptor manifests tumor microenvironment promoting metastasis(転移を促進する腫瘍微小環境としての肝アシアロ糖蛋白質受容体による糖鎖認識)」と題する本論文では、肝臓の実質細胞表面に発現しているカルシウム依存型の糖鎖認識分子(レクチン)が、肝臓に血行性に遊走、流入したがん細胞の表面に結合することによりがん細胞の肺への転移性を増強することを明らかにした。がん細胞が宿主の微小環境とりわけ臓器特異的な因子の作用によってより高い転移性を持つように性質を変える可能性は予想されていたが、その全容は明らかでなかった。本研究で発見され検証された一連の過程は、糖鎖と糖鎖認識分子の相互作用という分子レベルでの機構解明を含め、がんの生物学に新たなパラダイムを提案している。これまで微小環境のがんの進行における役割は、炎症応答ががん細胞の増殖を促進し、結果として変異の蓄積が加速することによってがんの悪性度を高めるというシナリオが考えられてきた。一方、血流に乗ったがん細胞が、特定の臓器(ここでは肝臓)を通過する、あるいは一時的に留まる間に転移性を獲得するという機構はこれまで全く知られていなかった。また、内在性の糖鎖認識蛋白質であるレクチンがこのような形でがん転移に関与する可能性は検証されたことがなかった。本論文では、肝臓実質細胞にのみ発現する細胞表面C型レクチンである肝臓アシアロ糖蛋白質受容体(ASGR)に注目し、この分子の存在が肺転移を増強することをこの分子の遺伝子ノックアウトマウスを用いることによって明確に示し、この分子の結合によってがん細胞がマトリックスメタロプロテアーゼの産生を上昇させること、このようながん細胞の変化はEGF受容体を介して起こることを証明した。これらの発見がそれぞれ一章としてまとめられている。

第一章では、3LL細胞の肺転移形成においてASGRが肺転移を促進することが遺伝子欠損マウスを用いて検証された結果が述べられている。ASGRはASGR1とASGR2のヘテロダイマーで形成されているがAsgrl遺伝子を欠損させることによりASGR2も発現が消失することから、Asgr1遺伝子欠損マウスを用いている。このマウス及び同腹野生型マウスの肝臓に、ホタルルシフェラーゼ発現マウス肺癌細胞株3LL細胞を移植して、肝臓から肺への自然転移モデルを作成した。遺伝子欠損マウスで肝移植部位における原発巣の大きさに差は認められなかったが、肺への転移性が低いことが明らかになった。ASGRの細胞表面への結合が3LL細胞の肺転移に影響を与えるか否かを検証するため、リコンビナントASGR1を添加した培地でこの細胞を培養し、尾静注して肺転移性を評価した。その結果未処理群に比べ転移性が上昇していることが判明し、転移性上昇がASGRから3LL細胞への直接の効果であることが明らかになった。

第二章では、ASGRが3LL細胞に与える影響をin vitroで解析するために、先ず浸潤能を評価し、その分子的な背景を探った結果が述べられている。3LL細胞をリコンビナントASGR存在下で培養すると、形態、細胞外マトリックス分子に対する接着性、増殖能、及び遊走能に変化が見られなかったが、細胞外マトリックスを通しての浸潤性が上昇していることがトランスウエルチャンバーを用いた測定により明らかとなった。さらに、ASGRの結合により細胞外マトリックス分解酵素の一つであるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)-9の発現がmRNA及び蛋白質のレベルで誘導される事が示された。Asgr1遺伝子欠損または野生型マウスより肝実質細胞を回収し、単層培養し、ASGRのレクチン活性が失われない条件下でグルタルアルデヒド固定し、3LL細胞と接触した状態で培養し、48時間後に上清に含まれるMMP-9を測定して比較した。

Asgr1遺伝子欠損マウス由来の肝実質細胞を用いた場合はMMP-9量が著しく低かった。同様な結果は後者の培養系に抗ASGRレクチン活性阻害抗体を添加した場合にも見られた。以上より、3LL細胞の肺転移過程においてASGRが糖鎖を介してがん細胞に結合し、MMP-9産生を誘導することにより浸潤能を増強させ、肺転移を促進したと推定された。

第三章では、3LL細胞において、ASGRの結合からMMP-9の発現誘導に至るシグナル伝達の経路を解明する試みが述べられている。3LL細胞を無血清条件下で24時間培養した後にリコンビナントASGR1を添加すると、EGFR、ERK、JNKなどのリン酸化が顕著に起こり、ERKのリン酸化はEGFRの特異的阻害剤であるAG1478の前処理により阻害された。またリコンビナントASGR1によるMMP-9 mRNA発現誘導も、PD98059またはAG1478により阻害された。従って、ASGRの結合により活性化される3LL細胞では、EGFRを介したERK経路の活性化が、MMP-9の発現誘導に関与していることが示された。ASGRはがん細胞上の糖鎖と相互作用することで、EGFR-ERK経路を介したシグナル伝達により3LL細胞のMMP-9発現を誘導していることを強く示唆した。またASGRによる活性化シグナルはEGFRを上流とするERK活性化を介した経路であると推定された。

以上の様に、本研究により、原発巣を離れたがん細胞が肝臓に到達して留まることによってASGRとの相互作用によって浸潤・転移性を獲得して肺転移するポテンシャルが高くなるという新しいパラダイムが示された。実験の主要な部分に用いられたのは3LL細胞であるが、ヒト大腸がんHT-29細胞などでもASGR依存的なMMP-9の発現誘導が観察されたこと、直腸がん以外の下部消化管のがんが肺転移を形成する際は肝転移巣が存在するという臨床的な知見があることを考慮すると、本研究で実験的に明らかにされた現象はヒトのがんの生物学として極めて重要であると判断できる。これらの結果は、糖鎖生物学、実験病理学及び腫瘍免疫学に資するところが大である。よって、本研究を行った上野傑は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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