学位論文要旨



No 127203
著者(漢字) 大川,万里生
著者(英字)
著者(カナ) オオカワ,マリオ
標題(和) 光電子分光によるイッテルビウム系近藤物質の電子構造の研究
標題(洋)
報告番号 127203
報告番号 甲27203
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第650号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 准教授 中辻,知
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 榊原,俊郎
 東京大学 教師 谷口,耕治
内容要旨 要旨を表示する

f電子を含む希土類やアクチノイドの化合物には,低温で近藤効果により電子有効質量が自由電子の100-1000倍にも達する物質群がある.これら「重い電子系」と呼ばれる物質は,希薄磁性合金での孤立磁性イオンによる不純物近藤効果とは異なり,希土類・アクチノイドが磁性イオンとして結晶格子の構成要素となっている.このような高濃度近藤系において,電子間Coulomb斥力が強く局在的なf電子が低温で重い遍歴電子へと変容する過程は古くから盛んに研究されてきた.また,f電子系は,量子臨界現象や非従来型超伝導,金属絶縁体転移など物性物理において特に興味を持たれる現象が広範に実現することから,強相関電子系研究で重要な地位を占めている.

光電子分光は物質の電子構造を直接観測するこのできる実験手法であり,物質科学の研究において幅広く威力を発揮している.しかしながら,表面敏感な実験手法であるため,f電子系のような特異な表面状態を形成する物質のバルク電子状態を観測するためには,バルク敏感な低エネルギー紫外光及び高エネルギーの硬X線が光源として必要である.ただし,このような光源を用いた光電子分光を実現するには,非常に高エネルギーまたは低エネルギーの光電子を高精度で検出する高度な技術が必要であり,今世紀に入りようやく実現してきた.我々は,これら放射光硬X線と紫外レーザーを用いた先端的なバルク敏感光電子分光を用い,超伝導や量子臨界現象を示すYbAlB4系物質の価数状態および近藤絶縁体YbB12のギャップ構造の研究を行った.

1. 量子臨界性を示す重い電子系超伝導体β-YbAlB4における強い価数揺動状態

f電子系は物質により重いFermi液体状態や反強磁性など様々な基底状態をとり,それらは圧力,磁場といった非熱的パラメータで制御することができる.特に磁気秩序の相転移温度が絶対零度となる量子臨界点のまわりでは,低温で磁気的量子揺らぎの効果が支配的となり,系の物理量はFermi液体論で記述できない異常金属として振る舞う.さらに,量子臨界点の周りで発現する非従来型超伝導はCe系などで多数報告されており,磁気揺らぎに起因する非従来型超伝導が実現していると考えられている.β-YbAlB4は, Yb系で初めて報告された超伝導体(Tc=80 mK)であり,さらに極低温においても非Fermi液体的な振る舞いを示し,圧力・磁場といった外部パラメータを導入せず相図の量子臨界点上にある.このことから,加圧や磁場の導入が困難な光電子分光を用いて,量子臨界現象に迫るのに最適な物質といえる.光電子スペクトルからわかる情報として代表的なものに構成イオンの価数がある.Yb系重い電子化合物において,Yb価数の整数値(3+)からのずれは,近藤効果によるYb 4f電子と伝導電子の混成の強さを反映しており,この実験を行うことで,本物質の量子臨界現象の起源について考察を行うことができる.そこで,我々はバルク敏感硬X線光電子分光を用いて,β-YbAlB4のYb価数の定量的評価を試みた.その結果,β-YbAlB4のYb 3d内殻光電子スペクトルにおいて,Yb 3d準位はスピン軌道相互作用により3d5/2と3d3/2に分裂し,そのいずれにも2価と3価の多重項構造が確認できた.β-YbAlB4のYbサイトは全て等価であることから,本物質はYb価数が整数値3+からずれている価数揺動系であることが分かる.Yb価数の値を定量的に評価するために,スペクトル形状にAl 1s準位の影響がない3d5/2準位のフィッティングによる解析を行った.ここで,Yb価数は,2価成分と3価成分のピーク面積比として得られ,その値は2.80+であった.これほど強い価数揺動と量子臨界点が共存する物質は他に例が無く,この結果はDoniach相図のような磁気相関のみを考慮した単純な量子臨界点の描像がβ-YbAlB4に対しては適用できないことを強く示唆している.また,このような特異な振る舞いがYb系で唯一発見されている超伝導体で生じているという事実は興味深く,価数揺動が超伝導状態の形成に何らかの役割を果たしている可能性がある.

2. 重い電子系α-Yb(Al,Fe)B4におけるYb価数のFeドープ量依存性

YbAlB4化合物は結晶多形であり,前節での量子臨界性・超伝導を示すβ型と,ab面内において空間反転対称性を持たないα型(基底状態はFermi液体)が存在する.両物質とも,最近の研究からAlをFeで置換することで加わる化学的圧力効果により反強磁性秩序が誘起されることがわかっている.さらに興味深いことに,α-YbAlB4は約1%のFeドープで量子臨界点が誘起される.従って,α-Yb(Al,Fe)B4のFeドープ量を制御することで,相図上の量子臨界点を含む広範囲にわたる測定が可能となる.そこで我々は,硬X線光電子分光によるα-Yb(Al,Fe)B4のYb価数のFeドープ量依存性を調べ,本系おける量子臨界現象と4f電子の振る舞いについて議論を行った.その結果,量子臨界点の存在が示唆されるx=0.01-0.02付近において,β-YbAlB4と同様におよそ2.8価の強い価数揺動を示し,さらにYb価数の跳びが存在することが明らかになった.最近の理論で,1次の価数転移(first order valence transition: FOVT)量子臨界点近傍における価数の振る舞いと量子臨界現象が議論されている.このモデルによれば,α-YbAl1-xFexB4における量子臨界現象は,Feドープにより化学的圧力が加わりFOVT量子臨界点至近の価数クロスオーバー領域を横切ったことによる可能性がある.我々の結果は,本物質における量子臨界現象が臨界磁気ゆらぎに加え価数転移量子臨界点における臨界価数ゆらぎという新しい量子臨界現象を考慮されるべきであることを示唆しているといえる.また,α-YbAlB4とβ-YbAlB4は極低温以外では物性が非常に似通っており,β-YbAlB4が示す量子臨界現象および超伝導においても臨界価数ゆらぎの役割に興味が持たれる.

3. 近藤絶縁体YbB12におけるギャップ状態の温度変化とそのダイナミクス

希土類化合物の中に近藤効果的な現象が見られるにも関わらず,低温で絶縁体として振る舞う物質があり,これらは近藤絶縁体(あるいは近藤半導体)と呼ばれている.YbB12は近藤温度TK=250 Kの価数揺動系で,低温で絶縁体となる典型的な近藤絶縁体である.そのギャップ形成機構は,結晶場分裂したYb 4f7/2の四重項基底状態Γ8が伝導電子と混成することでFermi準位にギャップが生ずると考えられている.我々は,極超高分解能のレーザー光電子分光装置によるYbB12のギャップの詳細な温度依存性の測定と,ポンプ・プローブ時間分解光電子分光装置によるFermi準位近傍の電子の過渡特性を調べ,ギャップ形成の直接観測を試みた.その結果,高分解能測定によるYbB12スペクトルの温度依存性をからは,降温とともにFermi準位におけるスペクトル強度が低下し,15-50 meVに複数のピーク構造が成長している様子が見られた.熱分布の影響を除いた状態密度のFermi準位およびピーク位置17 meVにおけるスペクトル強度の温度変化をプロットすると,高温(200 K以上)から徐々にFermi準位上の状態密度が減少していき,特徴的な温度T*=110 Kで急激にギャップが開き出しピークが成長することが明らかになった.これは,T*が混成ギャップが開く特性温度であることを示唆する.しかしながら,7 eV励起光によるバルク敏感測定でもFermi端が明確に観測されており,金属的な表面状態の影響を排除できておらず,擬ギャップか真のギャップかを判別できない.そこで,時間分解光電子分光による光励起電子の過渡特性の測定を行った.その結果,低温ではポンプ光により励起された電子が長時間緩和(寿命 >100 ps)せず,高温ではこのような長時間緩和成分は明確には見られない振る舞いが観測された.この長時間成分の強度の温度変化を見ると,100 K付近で不連続に増大している様子がみられ,この温度はギャップの温度変化の高分解能測定から得られたT*と一致している.長時間成分の存在はギャップがFermi準位上に開いたことに依ると考えられ,T*が混成ギャップの特性温度であることが確認できた.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「光電子分光によるイッテルビウム系近藤物質の電子構造の研究」と題し全6章で構成されており、放射光硬X線や紫外レーザーを用いたバルク敏感な光電子分光法による、YbAlB4系化合物の量子臨界現象及び近藤半導体YbB12における混成ギャップ形成の研究についてまとめたものである。

第1章では、重い電子系物質の物性を概観し、その理論モデルや量子臨界現象、価数揺動現象について解説を行っている。その上で、本研究の目的について述べている。

第2章では、実験手法として用いられた光電子分光法の原理及び測定系の解説が行われている。

第3章及び第4章では、YbAlB4系化合物の量子臨界現象について、硬X線光電子分光によるYb価数状態の測定を通して考察している。第3章で対象となっている量子臨界超伝導体β-YbAlB4では、Yb3d内殻スペクトルに二価と三価の両方の成分が明確に観測され、価数揺動系であることを明らにした。Ybイオンに対する原子多重項計算によるYb3d多重項を基にスペクトルの解析を行ったところ、Yb価数は約2.8価と評価されている。このような強い価数揺動が量子臨界点と共存する例は他になく、β-YbAlB4の量子臨界現象を理解するには新しい枠組みが必要であると結論し、価数ゆらぎの役割の重要性を指摘している。

一方、第4章ではα-Yb(Al,Fe)B4のYb価数のFeドープ量依存性について報告されている。この物質はFeドープによる化学圧力で基底状態をフェルミ液体から反強磁性秩序相へ制御することができ、相図上の量子臨界点を跨いだ測定が可能となる。Yb価数のFeドープ量依存性の測定結果から、量子臨界点にある組成付近で、価数が急激に増加することが明らかにされている。この結果は、臨界価数ゆらぎによる量子臨界現象の理論から予測されている振る舞いであり、本物質において臨界磁気ゆらぎに加えて臨界価数ゆらぎに起因する新しい量子臨界現象の可能性が実験的に示唆されている。さらに、反強磁性領域においてもYb価数2.9以下という比較的強い価数揺動状態にあることが明らかとなり、遍歴磁性による臨界磁気ゆらぎの影響も考慮する必要があることを明らかにしている。

第5章では、近藤半導体YbB12の混成ギャップ形成の振る舞いについて、超高分解能レーザー光電子分光と時間分解光電子分光を用い検証されている。レーザー光電子分光によるフェルミ準位近傍の電子構造の超高分解能測定からは、伝導電子と4f電子の混成によるピーク構造が明瞭に観測され、さらに未報告の微細構造の存在を明らかにした。温度変化の測定からは、混成ギャップ形成を特徴付ける約100Kの特性温度が明確に定義されている。ポンプ・プローブ時間分解光電子分光からは、特性温度以下において、光励起された電子が伝導体の底に溜まり緩和しない振る舞いが観測され、フェルミ準位で混成ギャップが開き半導体となっていることの証拠が得られている。

最後に第6章で本研究全体の総括がなされている。

以上、論文提出者は本研究で、近藤物質における量子臨界現象や混成ギャップ形成について、Yb化合物を対象に研究が行われた。YbAlB4系物質については、硬X線光電子分光によるYb価数状態の定量評価から、本系の量子臨界現象が従来の枠組みでは説明できないことを示し、それが臨界価数揺らぎという新しい量子臨界現象である可能性を強く示唆する結果を得ている。また近藤半導体YbB12では、超高分解能レーザー光電子分光及び時間分解光電子分光を用い、その混成ギャップの構造と形成過程の詳細を明らかにしている。そしてこれらの手法が、電子状態におけるギャップ構造の研究に有用であること示した。本研究で得られた成果は、強相関電子系の研究において重要な意義があり、物性物理学の進展に寄与するところは大きい。

なお、本論文の一部は松波雅治、石坂香子、江口律子、田口宗孝、Ashish Chainani、高田恭孝、矢橋牧名、玉作賢治、西野吉則、石川哲也、久我健太郎、堀江直樹、中辻知、辛埴各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験、解析を行ったものであり、また共同研究者全員の同意承諾書が提出されていることに鑑み、論文提出者の寄与は十分であると判断できる。

従って、本委員会は論文提出者に対し博士(科学)の学位を授与できると認める。

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