学位論文要旨



No 127221
著者(漢字) 菊田,真吾
著者(英字)
著者(カナ) キクタ,シンゴ
標題(和) イネ害虫トビイロウンカにおけるSugar transporterの生理的役割
標題(洋)
報告番号 127221
報告番号 甲27221
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第668号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員教授 野田,博明
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
内容要旨 要旨を表示する

序論

トビイロウンカ (Brown planthopper, BPH; Nilaparvata lugens)はイネから栄養分や水分を摂取する害虫である。これまでBPHを防除するために、様々な薬剤や耐虫性イネ品種が開発されてきた。しかしBPHはことごとく、こうした薬剤や耐虫性イネを打破してきた。残念ながら耐虫性イネに対する抵抗性の獲得の機構についてはほとんど明らかにされていない。本研究室で継代飼育しているBPHには、抵抗性イネASD7を摂食できるタイプと摂食できないタイプが混在していた。これらの差異をオリゴマイクロアレイを用いて、遺伝子発現を調査したところ、耐虫性イネASD7を摂食できるBPHでは、sugar transporter遺伝子の発現が誘導された。BPHのsugar transporterに着目することにより、BPHの抵抗性打破機構を含むウンカ吸汁機構の解明の糸口が見つかるかもしれないと考えられた。また、生物において糖はトランスポーターを通じて細胞間を輸送されることがわかっているものの、昆虫におけるsugar transporterの研究報告は非常に限られている。Sugar transporterの機能を明らかにし、生理的な役割を追究することにより、BPHの糖の摂取メカニズムや糖の恒常性維持など昆虫の栄養生理の一端を明らかにできると考えられる。

結果と考察

Sugar transporter候補遺伝子の探索と遺伝子発現プロファイル

BPHのみならず昆虫におけるsugar transporter遺伝子の情報は十分ではない。そこでBPHのsugar transporter遺伝子の配列、組織別発現状況に関する情報を得た。当研究室で構築されたBPH cDNA ESTデータベース内にsugar transporter候補遺伝子として93のESTクローンをみつけた。それらのcDNA配列は不完全なため、3'RACE、5'RACEにより、cDNA全長解析を行ったところ、18遺伝子 (Nlst1~18) がsugar transporterをコードしていた。このうちもっともEST数が多かったNlst1は、2007年にイギリスの研究グループにより報告されたNlHT1グルコーストランスポーターであった (Price et al., 2007) 。Nlst遺伝子の組織発現ならびにステージ別発現分布をRealtime RT-PCRで解析したところ、これらの遺伝子の発現は組織やステージによって多様であった。

アフリカツメガエル卵母細胞を用いたトランスポーター機能解析系の検討

Sugar transporterはアミノ酸配列を比較すると共通の特徴を示すが、輸送分子の特定や輸送活性は、細胞に当該のトランスポーターを発現させて機能を解析する必要がある。本研究では、内在性トランスポーターの活性が低いと考えられているアフリカツメガエル卵母細胞にBPHのトランスポーターを発現させた。トランスポーター遺伝子のORFを含むベクターコンストラクトからcRNAを作製し、アフリカツメガエル卵母細胞にインジェクションすることで、細胞膜上にトランスポーターを発現させた。発現させた卵母細胞を糖液に入れ、卵母細胞内に取り込まれた糖を糖分析用のカラムを備えたHPLCやRI標識化合物により検出した。既知のNlHT1 (NlST1)について取り込みの検討をしたところ、グルコーストランスポーターであることが確認できた。トランスポーターの機能解析はアフリカツメガエル卵母細胞に発現させる実験系が有用であると考えられた。

中腸に発現するNlSTトランスポーターの機能解析

昆虫は中腸を介して糖を吸収すると考えられているが、sugar transporterの解析がほとんど行われていないので、その実体の多くは不明である。本研究では中腸に発現するNlSTトランスポーターのうち、耐虫性イネASD7を摂食することで発現が誘導されたNlst6と摂食時に発現が誘導されたNlst16の機能解析を行った。BPHはイネの師管液を吸汁するので、イネの師管液をインセクト・レーザー法で回収し、糖成分をHPLCで分析したところ、スクロースだけが検出された。中腸に発現するNlSTトランスポーターはスクロースあるいはその構成糖であるグルコースやフルクトースを取り込んでいる可能性が考えられた。機能解析の結果、NlST6はグルコースやフルクトースの濃度勾配に依存したトランスポーターであった。NlST6は耐虫性イネASD7を摂食するときに発現が高まったが、スクロースから分解されたグルコースとフルクトースの取り込みと耐虫性イネとの関係は今後の課題である。

次に、NlST16の機能を解析したところ、グルコースの濃度勾配によるトランスポーターであった。Nlst16は摂食時に一過的に発現を上昇することで、NlST1によるグルコースの取り込みをサポートしていると考えられた。NlST1, 6と16はいずれも糖の濃度勾配によるトランスポーターである。そこで生理学的側面から、中腸においてエネルギー非依存的に糖の取り込みを行えるかどうかを、糖濃度を測定することにより検討した。師管液からは15%のスクロースが検出された。BPH体液中からは血糖 (トレハロースとミオイノシトール)のみが検出され、イネから取り込まれるグルコースやフルクトースは検出されなかった。従って、中腸を隔てた外部と生体内には大きなグルコースとフルクトースの濃度差があり、中腸に発現するNlST1, 6と16は糖の濃度勾配により、エネルギー非依存的にグルコースやフルクトースを生体内へと輸送していると考えられた。

飢餓状態に脂肪体で発現するNlST11の機能解析

NlST11は飢餓条件下において発現が誘導され、その発現部位は脂肪体であった。昆虫の脂肪体はほ乳類の肝臓に相当し、生体内の代謝を司る機能をもつと考えられ、飢餓条件下では、生体内に不足する糖をトランスポーターを介して輸送していると考えた。NlST11の機能解析を行ったところ、NlST11はグルコース/フルクトーストランスポーターであった。脂肪体内に存在するグリコゲンは、飢餓状態において分解されたことから、グリコゲン分解産物であるグルコースがNlST11を介して脂肪体外へと輸送されている可能性が考えられた。

マルピーギ管に発現するH+-トレハロースシンポーターNlST8によるエネルギー獲得

昆虫のトレハローストランスポーターは様々な昆虫から同定されており (Kanamori et al., 2010) 、遺伝子系統樹を作製すると、単一のcladeを形成する。NlST8はこのCladeに属し、トレハローストランスポーターと考えられる。アフリカツメガエル卵母細胞を用いた解析では、NlST8は既知のトレハロース濃度勾配によって輸送するタイプとは異なり、プロトン勾配によるトレハロースシンポーターであった。NlST8は脂肪体とマルピーギ管に発現していた。トレハロースは脂肪体内で産生されて、体液へ輸送され血糖となると考えられる。マルピーギ管は排泄器官であるが、排泄物からはトレハロースは検出されなかった。生体内の過剰な塩や代謝最終産物などを排泄するためには、エネルギーが必要なので、NlST8は血糖のトレハロースをマルピーギ管へ輸送する働きがあると推定された。BPHの体液中のトレハロースの濃度は低く、体液からマルピーギ管へトレハロースを輸送するためには、トレハロースの濃度勾配の駆動による輸送よりも二次的能動輸送で積極的にトレハロースを取り込んでいる可能性がある。

本研究により昆虫の糖輸送システムの一端を明らかにした。耐虫性イネ吸汁によって誘導されるBPH sugar transporterの同定をはじめ、様々な環境条件に応じて発現が誘導されるトランスポーターの生理的役割を追究した結果、次のような知見を得た。1, イネから糖を取り込むためにエネルギー非依存型の糖の濃度勾配のトランスポーターが機能する。イネ師管液と生体内の糖の濃度差を利用していると考えられる。2, 栄養供給が乏しい飢餓状態において、脂肪体から糖を供給するために機能すると考えられるグルコーストランスポーターを見出した。3, 多細胞生物で初めてH+-トレハロースシンポーターを同定した。このトランスポーターはトレハロースを輸送し、生体内の恒常性の維持に関わると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、序論と総合考察の他に4章からなり、序論では、研究対象であるトビイロウンカの紹介と研究に至った経緯などが述べられている。第1章から第4章までが、調査実験の内容とその考察になっており、そのあとに総合考察が続く。

本論文は、吸汁性の昆虫であるトビイロウンカが寄主植物であるイネから糖を摂取した時、どのように糖が体内に取り込まれ、利用されるかをSugar transporter(糖トランスポーター)の役割に注目して解明したものである。これまで、昆虫の糖トランスポーターについては研究が少なく、本研究で行われた機能解析は注目に値する。まず、トビイロウンカのトランスポーターをESTデータベースから網羅的に拾い出し、配列解析を行った。この内容は、第1章「トビイロウンカSugar transporter候補遺伝子の探索と発現プロファイル」で紹介されている。

第2章では、トビイロウンカの18個のトランスポーター遺伝子のうち、中腸で発現しているトランスポーター遺伝子NlST1, NlST6, NlST16について、アフリカツメガエル(Xenopus)の卵母細胞に発現させ、その糖の取り込み機能を解析した。その結果、NlST1とNlST16はグルコースを、NlST6はグルクトースとフルクトースを輸送することを明らかにした。これらは、イネの師管液内のスクロースの分解産物であるグルクトースとフルクトースがウンカの中腸から体内に取り込まれること、そして、糖の濃度依存的に取り込まれることを明確に示している。

第3章では、脂肪体で発現しているNlST11遺伝子の働きについて、ウンカが摂食している時と飢餓の時を比較することにより、考察している。NlST11トランスポーターは、グルコース/フククトーストランスポーターであり、脂肪体からの糖の輸送を司っていることが指摘された。

第4章では、トレハローストランスポーターを扱っている。トレハロースは昆虫の血糖として重要な糖であるが、このトランスポーターは脂肪体とマルピーギ管に特に発現していた。しかも、上記の各トランスポーターが糖の濃度勾配によって輸送されるトランスポーターであったの対して、このトレハローストランスポーターは、プロトン勾配を利用したシンポーターであった。

本論文は、これまでほとんど機能解析されていなかった昆虫の糖トランスポーターの役割を、トビイロウンカを通じて明らかにした先駆的な研究で、今後の昆虫の糖の輸送システムに関する研究のみならず、昆虫のエネルギー代謝全般に大きく貢献する内容である。

なお、本論文第1章と第2章の一部は、黄川田隆洋、萩原優香、中島信彦、野田博明との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク