学位論文要旨



No 127222
著者(漢字) 齋藤,洋平
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,ヨウヘイ
標題(和) 膵臓がんに対して有効な化学療法剤の開発を目指して : SN-38内包ミセル製剤NK012による膵臓がん局所制御と抗TF抗体による浸潤・転移制御
標題(洋)
報告番号 127222
報告番号 甲27222
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第669号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員教授 松村,保広
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 准教授 久恒,辰博
 東京大学 准教授 松本,直樹
内容要旨 要旨を表示する

序論

膵臓がんは、最も予後不良のがんの一つとされており、局所進展が早く著しい浸潤・転移が認められるという特徴をもつ。現在、ゲムシタビンが標準化学療法として適用されているが、奏効率が10%未満(Br J Cancer, 73; 101-105, 1996)と非常に低い。この理由として(1)膵臓がん組織は血管が乏しく、間質が豊富である (J Gastroenterol, 40; 518-525, 2005) ためにがん細胞に抗がん剤が充分に到達しないという膵臓がん病理の組織学的特性が考えられる。この生理的バリアーにより血管から漏れ出た抗がん剤ががん細胞まで届きにくい。さらには(2)著しい浸潤・転移が起こるという特徴が挙げられる。現在、このような特徴を持つ膵臓がんに効果的な治療法を見出すことが必要とされている。

がん治療におけるDrug Delivery System(DDS)は正常組織と腫瘍組織の脈管系の違いに基づいて腫瘍特異的に薬剤をデリバリーする方法である。すなわち、腫瘍組織の血管は、正常組織の血管に比べ構造的に疎で、血管透過性が非常に亢進している。そのため、正常血管では漏れ出さないような高分子物質であっても腫瘍血管においては漏出する。さらに腫瘍組織ではリンパ回収系が欠失しているため、漏れ出した高分子物質が回収されずに蓄積する(Cancer Res, 46; 6387-6392, 1986)。この現象に基づき、低分子抗がん剤をミセルやリポソームで内包させたDDS製剤が作られてきた。ミセル化やリポソーム化が施され高分子化されたDDS製剤は、腫瘍血管から特異的に漏れ出し蓄積するため、腫瘍特異的にデリバリー可能であるとともに、正常組織における副作用が軽減される。このようにDDS製剤は腫瘍血管依存的に作用する。そのため卵巣がんや乳がんのように血管が豊富ながんでは効果があるが、膵臓がんのように血管が乏しいがんでは効果が低いとされている。

そこで、本研究では、はじめに膵臓がんに有効なDDSの特徴を見出し、膵臓がん増殖を制御すること、さらには膵臓がんの浸潤・転移抑制法の開発することを目的とした。

結果と考察

1.ヒト膵臓がんの増殖や血行性肝転移を模倣するマウスモデルの確立に成功した。

上記したように、ヒト膵臓がんは血管が乏しく間質が豊富である。転移・浸潤に関しては、隣接臓器に著しい浸潤を引き起こし、遠隔臓器には血流にのって転移するという特徴をもつ。よって、膵臓がんに有効な治療法開発にはまず膵臓がんの特徴を踏まえた適切な動物モデルの確立が必須である。そこでまずは、腫瘍血管が乏しく、膵臓でのがん増殖を引き起こす動物モデルを作製することとした。生体発光を用いたin vivo imagingを可能とするため、ルシフェラーゼ遺伝子を導入したヒト膵臓がん細胞株SUIT-2/Lucを免疫不全マウスの膵臓に直接移植した膵臓がん同所移植モデルマウスを作製した。移植後、in vivo imagingにより膵臓局所でのがんの生着と増殖を観察した。その結果、移植1週目で膵臓にがんが生着し、経時的に増殖することがわかった(図1)。また、SUIT-2をマウスの皮下に移植した膵臓がん皮下移植モデルと比較して、同所移植モデルでは、有意に腫瘍血管数が少ないことが示された。

続いて血行性転移を抑制する治療実験に使用するマウスモデルの確立を目指した。ヒト膵臓がん転移は、門脈からがん細胞が血流に入り込み、肝臓に転移するのが最も一般的である。そこで、本研究では門脈から直接がん細胞を注入し、肝転移を引き起こさせる門注肝転移モデルを作製した。

マウスを開腹し、門脈から直接ヒトすい臓がん細胞株であるBxPC3/Lucを注入したところ、肝臓に限局してルシフェラーゼ活性が観察された。以上の実験により、(1)腫瘍血管が乏しく、膵臓でのがん増殖を引き起こすモデルと(2)血行性肝転移を引き起こすモデルの作製に成功し、以下の治療実験に用いることとした。

2.SN-38内包ミセル製剤NK012は膵臓がん同所移植モデルにおいて有意な腫瘍縮小効果が認められた。

本研究の治療実験で用いるDDS製剤はSN-38が内包されているミセル体であるNK012である。NK012の特徴として、以下の点があげられる。

すなわち他のDDS製剤に比べて、内包されている抗がん剤が数日かけて徐放的にリリースされる。これは、内包されているSN-38 がミセル内核を形成するポリマーにエステル結合で付加されているためである。著者は以前NK012が、血管が乏しく間質が豊富である膵臓がん皮下腫瘍に効果的であったことを証明した。

そこで本研究では、よりヒト膵臓がんの臨床像を模倣している膵臓がん同所移植モデルを用いて、NK012が膵臓がん増殖抑制に効果はあるかどうかを調べた。膵臓がんの標準治療薬ゲムシタビンとの治療効果を比較したところ、NK012はゲムシタビンに比べ、膵臓がんを有意に腫瘍縮小させ、生存期間を延長させた(図2)。

またHPLCや蛍光顕微鏡での薬剤分布の検討の結果、NK012は同所移植モデルにおいても長時間腫瘍に留まり続けることがわかった。膵臓がんに対してNK012の効果が高かった理由として、SN-38の作用メカニズムが時間依存的であること、またSN-38のリリースが徐放的におこることが考えられ、血管が乏しく間質が豊富ながんにおいてもがん組織中のがん細胞集団に充分な量の抗がん剤が届くという結論に達した。

3. 外因系血液凝固因子Tissue Factor (TF) 中和抗体は、膵臓がん浸潤抑制と血行性転移抑制に機能した。

上記したように膵臓がんは著しい浸潤・転移を引き起こす。そこで、続いて、膵臓がんの浸潤・転移抑制法の確立を目指すこととした。著者は外因系血液凝固開始因子TFに着目した。膵臓がんは全ての固形がんのなかでがんを伴った静脈性血栓症が最も高い割合で発症することが知られている。さらにTFと膵臓がんとの関係を調べてみると、TFが膵臓がん組織で過剰に発現していること(Br J Surg, 82; 1101-1104, 1995)、TF強発現患者の予後が悪いこと(Clin Cancer Res, 11; 2531-2539, 2005)、さらには、TFは浸潤能獲得に至る前段階の組織に発現が見られ始めること(Clin Cancer Res, 13; 2870-2875, 2007)が報告されている。細胞膜貫通型タンパクであるTFは血液凝固促進と細胞内シグナル伝達という2つの機能を有する。すなわち細胞外では外因系血液凝固カスケードを誘導することにより、血液凝固を引き起こす。また細胞内では、Protease activated receptor-2を介して細胞内シグナルを誘導する。筆者は最近TFがin vitroでのがん細胞浸潤に促進的に働き、それはTFの細胞内シグナルを介してMMP-9の発現上昇によるものであることを明らかにしている。そこで著者は、TFの細胞内シグナルを抑制することで浸潤を抑制し、細胞外の血液凝固カスケードを阻害することでがん細胞が血液中で細い血管に詰まり、そこから転移する機構を抑制できるのではないかと考えた。また筆者はこれまでにTFの細胞内シグナル、細胞外血液カスケードの両方を抑制するTF中和抗体1849cを確立している。そこで、TFに対する中和抗体1849cを用いて膵臓がんの浸潤や血行性転移を抑制できるのかどうかを上記で作製した動物モデルを用いて検討することにした。

まず、同所移植モデルを用いて周辺臓器への浸潤や遠隔臓器への転移を抑制するのかどうかを検討した。TFの発現が高いBxPC3/Lucをマウス膵臓に同所移植し、経時的にin vivo imagingを用いて評価したところコントロール群では、がん細胞を示すルシフェラーゼ発光活性が膵臓を中心に全身に観察されたのに対して1849cを投与した群では膵臓部に限局していた。またコントロール群に比べて1849c 投与群マウスの生存期間も延長された。また浸潤の度合いをスコア化したところ、1849cを投与した群でコントロール群に比べ、有意に浸潤スコア値が小さかった (図3)。

続いて、1849cが血液凝固カスケードを抑制することにより、血行性転移を抑制するということをより直接的に証明するため、BxPC3/Lucを門脈から直接血流内に注入する門注肝転移モデルを作製し、1849cの抗転移作用を評価した。その結果、コントロール群に比べ、1849cを投与した群ではがん細胞の注入後、5時間から10時間の間にルシフェラーゼ活性が有意に下がることが明らかとなった。また4日後には強い活性減少がみられた (図4)。以上の結果から1849cはTFの機能を抑制することで周辺臓器への浸潤や血流を介した転移を抑制することが明らかとなった。

結論

膵臓がんは、膵臓局所でのがん増殖に加えて、著しい浸潤・転移が起こるために、その両面からの視点で治療法を検討しなければならない。腫瘍血管が乏しく、間質が豊富である膵臓がんには、DDS製剤は効果が低いとされてきたが、本研究を通してNK012のように内包されている抗がん剤が効率よくリリースできれば、膵臓がんにおいても有意な腫瘍縮小効果があることがわかった。浸潤・転移に関しては、外因系血液凝固因子であるTFの細胞内シグナル、細胞外血液凝固カスケードを両方抑制することが膵臓がんの局所浸潤や血行性転移を抑制する有用な治療選択肢になることが示唆された。

図1.膵臓がん同所位移植モデルにおける膵臓局所のがん増殖と浸潤

SUIT-2/Lucをマウスの膵臓に移植後、1週目から3週目にかけてのがんの増殖と浸潤をin vivo imagingにより観察した。

図2.SUIT-2/Luc同所移植モデルにおけるNK012、CPT-11、ゲムシタビンの腫瘍縮小効果

SUIT-2/Lucをマウスの膵臓に移植後、3週目からNK012、CPT-11、ゲムシタビンを最大投与量で投与した。治療開始から12日後に腫瘍体積を測定した。NK012群とそれぞれの群を比較した。

図3.同所移植モデルを用いた1849cの浸潤抑制の評価

図4.門注肝転移モデルを用いた1849cの血行性転移抑制の評価

1849cを投与後に門脈からBxPC3/Lucを直接、血流に注入した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、難治性がんとして知られている膵臓がんに対して有効な治療法の開発に成功し、その詳細について第1章から第4章にわたり記述している。第1章は、研究の背景として膵臓がんの治療法についてと膵臓がんに抗がん剤が奏功しにくい理由について記述している。第2章では、SN-38 内包ミセル製剤である NK012を用いた治療実験について述べられている。第3章では、血液凝固因子 Tissue Factorに対する中和抗体を用いることで膵臓がんの脅威である浸潤や転移を抑制する治療法の開発について述べられている。最後の第4章には、総合考察として本研究で開発した2種類の治療法についての臨床応用の可能性について述べられている。

第1章の背景では、膵臓がんが他のがんに比べて5年生存率が低い理由について既存の論文を参考にわかりやすくまとめられている。さらに、膵臓がんに有効な治療法がない理由について、膵臓がんの病理学特徴に着目し、抗がん剤のデリバリーしにくさと浸潤・転移を著しく引き起こすためであるという2点に焦点をあてている。著者は膵臓がん新規治療法を開発するにつき、この2つの特徴に沿った仮説をたてている。これは、現在の膵臓がん治療効果が低い理由を考慮に入れているということで評価できる点である。

第2章では、抗がん剤のデリバリーのしにくさに焦点をあて、Drug Delivery Systemという方法論に着目している。本実験で 用いたNK012という薬剤は膵臓がん同所移植モデルにおいて有効な抗腫瘍効果を示している。著者は、この理由として、EPR 効果によって、腫瘍特異的に薬剤が集積したあとに長時間腫瘍内に留まり、内包している抗がん剤を効率よくリリースしたためであると結論付けている。NK012に内包されている SN-38は濃度依存的ではなく、時間依存的に効果をしめす。そのため、長時間腫瘍内に暴露され続ける必要がある。しかし、本研究で従来の低分子抗がん剤は投与直後には腫瘍全体に分布するが、短時間で消失することが示された。一方で DDS 製剤である NK012は長時間腫瘍内に抗がん剤が存在し続ける環境を作り出すことを明らかとした。本研究の知見は、単に膵臓がんに有効な抗がん剤を見出すといった各論に留まらず、抗がん剤デリバリーが困難な腫瘍にどのように抗がん剤を使用すればよいかの方法論について提案した。

第3章では、膵臓がんの浸潤・転移を抑制する方法について述べられている。血液凝固カスケードは、がんと強い関連性があることが臨床上で昔から示されていたが、そこに着目し治療法を開発するという視点は既往の研究に類をみないものである。本研究では、外因系血液凝固因子 Tissue Factor (TF)に着目している。TFは、細胞外では血液凝固を促進し、細胞内では細胞内シグナル伝達を引き起こす。その2つの作用のいずれもがんの浸潤・転移カスケードに関与しているということが報告されている。著者はこの点に着目し、TFの2つの機能を同時に抑制することで強い転移・浸潤の抑制効果を得ることができるのではないかという仮説を打ち立てたことは評価に値する。実験方法として、著者は浸潤と血行性転移を評価するための膵臓がんマウスモデルを確立した。膵臓がんの浸潤や血行性転移を適切に評価するモデル系が少ないことを考えると著者が確立した膵臓がん同所移植モデルと門注肝転移モデルの2種類のモデルは今後の転移浸潤に対する治療法を開発する研究に非常に有用であると考えられる。著者はこの2つのマウスモデルにTFの機能を抑制する中和抗体を投与する新規治療法を提案している。この抗体を用いることで膵臓がん同所移植モデルの生存期間を有意に延長させ、また門注肝転移モデルの肝臓へのがん細胞の転移も有意に抑えられることがわかった。

第4章では、まとめとして本研究で確立した2つの治療法の臨床応用の可能性について記述している。臨床応用の際に考慮にいれるべき事項である副作用をどのように最小限度に抑えるのかという点や今回確立した2つの治療方法を併用することでより効果のある治療法になる可能性があるという提案をしている。動物実験に留まらず、将来的な臨床応用を視野にいれた本論文の記述内容は非常に評価できる点である。

なお、本論文の第2章は、安永正浩、黒田順一郎、古賀宣勝、との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものである。また、第3章は、安永正浩、黒田順一郎、古賀宣勝、橋本侑季、高橋遍との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものである。よって論文提出者の寄与が充分であると判断する。

従って、論文提出者 齋藤 洋平を博士 (生命科学)の学位を授与できるものであると認める。

UTokyo Repositoryリンク