学位論文要旨



No 127223
著者(漢字) 野村,俊尚
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,トシヒサ
標題(和) ホンモンジゴケにおける銅耐性と細胞分化に関する研究
標題(洋) Studies on Copper Tolerance and Cell Differentiation in Scopelophila cataractae
報告番号 127223
報告番号 甲27223
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第670号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 准教授 鈴木,穣
 東京大学 准教授 樋ロ,正信
内容要旨 要旨を表示する

序論

ホンモンジゴケ (Scopelophila cataractae)は、寺院の銅葺き屋根の下や銅鉱山の周辺など銅濃度の高い環境下に生育し、体内に銅を蓄積する興味深いコケ植物である。注目すべき特徴として、他の重金属蓄積植物に比べても突出して高い銅蓄積能 (1-3%) が挙げられる。また、ホンモンジゴケは、ほぼ例外なく高濃度の銅存在下で生育している。このような銅が高濃度に存在する環境をホンモンジゴケがどのような機構を用いて探しているのかは未だ知られていない。これまでのホンモンジゴケに関する研究では、生育地点の記載および銅の蓄積部位や含有量を明らかにする目的のための野外から採取した植物試料の分析化学的解析が主であった。しかし、野外から試料を採取するアプローチでは、安定した性質の試料が持続的に得られないことなどから、生理学・分子生物学的手法による解析は困難であり、そのためにホンモンジゴケの生理機能については未だほとんど明らかにされていない。そこで本研究では、ホンモンジゴケ原糸体の継代培養株を新たに作出し、これを用いてホンモンジゴケの銅に対する耐性および応答性を解析することで、このコケの持つ独特な生理機能や生態を明らかにすることを目指した。特に「ホンモンジゴケは好銅性なのか?」「どのような仕組みで自然界に点在する高濃度の銅存在環境を探し、移動して、定住しているのか?」という問いはこのコケの生存戦略を知る上で重要であり、これらの問いに答えることが本研究の主要な目的である。

結果と考察

1. ホンモンジゴケ原糸体細胞における重金属耐性および蓄積特性に関する解析

1-1ホンモンジゴケ原糸体継代培養株の確立

0.5%次亜塩素酸溶液で滅菌処理したホンモンジゴケの茎葉体 (茨城県の寺院の銅屋根下に生育)を、BCDAT培地で培養後、再生した原糸体を液体あるいは寒天培地上で継代培養し (23℃, 16/8 h 明/暗周期)、実験材料として用いた。

1-2ホンモンジゴケ原糸体培養株を用いた銅耐性能の解析

蘚類のモデル植物であるヒメツリガネゴケ原糸体細胞を高濃度の銅 (1-5mM CuSO4)に暴露すると数時間で、液胞の形態変化やミトコンドリアの断片化が引き起こされるが、ホンモンジゴケにおいては、それらの形態に大きな影響は生じないことが確認された (図1A)。一方で、1mM過酸化水素処理では両者ともに液胞とミトコンドリアの形態変化が誘導された (図1A)。これらの結果から、ホンモンジゴケは高濃度の銅に暴露されても、酸化ストレスを生じさせない機構を有する可能性が示唆された。さらに、銅無添加区と比較して、銅添加区で2週間培養したコロニーで成長量 (コロニーの直径) が上回ることから、ホンモンジゴケは好銅性を持つことが示唆された (図1B, C)。加えて、ヒメツリガネゴケと比較して、ホンモンジゴケは亜鉛、ニッケル、コバルト、銀といった銅以外の重金属に対しても耐性能を有することが明らかになった。

1-3銅耐性への細胞壁の関与

ホンモンジゴケは細胞壁に銅を高蓄積するため、細胞壁が銅のブロッカーとして機能している可能性が示唆されていた。これを検証するために、原糸体細胞から細胞壁を除去したプロトプラストを調整し、銅耐性能の検定を行った。その結果、プロトプラストにおいても高い銅耐性能が確認されたことから (図1D)、銅耐性能は重金属を排出する細胞膜局在の輸送体など、細胞壁以外の細胞機能によって生じる可能性が示唆された。

1-4ホンモンジゴケ原糸体細胞における重金属蓄積の特異性の解析

Mn, Fe, Co, Ni, Cu, Zn, Ag, Pb (全て硫酸イオン化合物)を各々20μMずつ添加した液体培地でホンモンジゴケ原糸体を一週間培養後、ICP-MSによりそれぞれの含有量を測定した。その結果、ホンモンジゴケ原糸体細胞は、他の添加金属と比較して銅と鉛を取り込んで蓄積しやすいことが明らかになった (図2)。

2. 銅によるホンモンジゴケの細胞分化制御機構の解析

2-1原糸体における無性芽形成への銅添加の影響

日本やアメリカ、ヨーロッパにおいて、高濃度の銅存在環境下に分布するホンモンジゴケは、胞子体ではなく無性芽を形成することで無性的に分布を拡大させることが知られている。そこで、この無性芽形成機構にホンモンジゴケ独自の分布拡大様式の機構解明の鍵があるのではないかと考え、ホンモンジゴケ原糸体における無性芽形成 (図3A) への銅添加の影響を調べた。その結果、添加した銅濃度依存的に無性芽形成が抑制されることが示された (図3B-D)。銅添加による無性芽形成抑制効果は金属キレーターEDTAの共添加で打ち消されたため、銅イオンが無性芽形成を直接的に抑制しているものと考えられる。これらの結果から、銅濃度が低い環境、つまりホンモンジゴケにとって種間競争が厳しく生存に不利な環境では定住せず、蘚類の生育ステージ初期である原糸体の段階で無性芽を大量に形成して、積極的に次の新しい場所に移動するというモデルが考えられた (図5)。また、この無性芽形成の抑制効果は、亜鉛、ニッケル、コバルト、鉄、銀といった銅以外の重金属添加では引き起こされなかった (図3E)。この結果は、ホンモンジゴケが重金属の中でも銅に特異的なセンシング機構を備える可能性を示唆するとともに、ホンモンジゴケが自然界で高濃度の銅環境下に偏在的に分布することの説明になりうると考えられる。

2-2カウロネマ細胞分化への銅添加の影響

蘚類の原糸体において通常の発達ステージでは、発芽したクロロネマ細胞からカウロネマ細胞が分化する。その後、カウロネマ細胞から芽分化が生じ、これが成長することで茎葉体が形成される。このカウロネマ細胞分化への銅添加の影響を解析したところ、銅添加はカウロネマ細胞への分化を促進することが新たに明らかになった (図4A)。

2-3銅依存的な細胞分化の制御機構へのオーキシンシグナル系の関与

銅による細胞分化の制御機構を明らかにするため、一般的に蘚類のカウロネマ分化に対し促進作用を有するオーキシン添加の影響を解析した。その結果、オーキシン添加 (IAAあるいはNAA 0.5μM)は、銅添加時と同様に無性芽形成の抑制とカウロネマ細胞分化の促進を引き起こした (図4B)。さらに、銅添加によるカウロネマ分化促進は、オーキシン受容体 (TIR1/AFBs)を特異的にブロックするオーキシン作用阻害剤PEO-IAAにより抑制されることを確認した (図4C)。これらの結果から、銅依存的な細胞分化の制御機構にはオーキシンシグナル系が関与する可能性が示唆された。

まとめ

本研究では、ホンモンジゴケ原糸体培養株を用い、これまでにほとんど明らかにされていなかったホンモンジゴケの重金属耐性と蓄積および銅に対する応答性の解析を行った。まず、ホンモンジゴケ原糸体細胞が、銅とその他の重金属に対して耐性能を持つこと、銅添加は原糸体の成長促進を促すことを明らかにした。さらに銅耐性能はプロトプラストにおいてもみられたことから、主な銅蓄積の場である細胞壁以外の細胞機能が耐性能に関与する可能性が示唆された。また、重金属蓄積能を解析した結果、ホンモンジゴケは、銅と鉛を特異的に蓄積しやすいことが見い出された。さらに、ホンモンジゴケは、環境中の銅濃度に応じて、オーキシンシグナル系を介した細胞分化の切り替え機構を有していることが新たに明らかになった。特に、銅濃度が低い環境で、原糸体成長が抑制される代わりに、無性芽形成が促進されるという結果は、なぜ自然界においてホンモンジゴケのコロニーが低濃度の銅存在環境下に見い出せないのかという疑問に対する回答になると考えられる。また、この細胞分化制御は、銅以外の重金属添加ではみられないことから、ホンモンジゴケが銅特異的なセンシング機構を有している可能性をも示唆する。これは、ホンモンジゴケが他の重金属ではなく、銅の存在する環境下でのみコロニーを形成することの説明になると考えられる。このような特定の重金属の存在による細胞分化の調節機構は、重金属高蓄積植物であるホンモンジゴケが、生存戦略のために進化の段階で独自に獲得してきたものであると推測され、重金属高蓄積植物の生態や進化を考える上で興味深い。現在は、本研究で明らかになったホンモンジゴケの銅に関する生理現象の分子機構解明に取り組んでいる。

図1 A. 銅暴露 (3時間)によるホンモンジゴケとヒメツリガネゴケにおけるミトコンドリアの形態変化. bar=5 μm. B,C. ホンモンジゴケ原糸体コロニー成長への銅添加の影響. 矢印 : 原糸体コロニーの端. D. 銅暴露 (24時間) したホンモンジゴケとヒメツリガネゴケのプロトプラスト.

図2 ホンモンジゴケ原糸体細胞における重金属蓄積の特異性.

図3 A. 原糸体の先端部に形成された無性芽. bar=50 μm. B. 銅添加の無性芽形成への影響. bar=1mm. C,D. 銅添加の無性芽形成数への影響. 白い斑点 : 無性芽. bar=2mm. E. 様々な重金属添加による無性芽形成数への影響.

図4 A. 銅添加によるカウロネマ細胞分化への影響. B. オーキシン添加によるカウロネマ細胞分化への影響. C. オーキシン作用阻害剤PEO-IAA添加の銅依存的カウロネマ細胞分化への影響.

図5 本研究の結果から推測されるホンモンジゴケの高濃度銅環境への分布拡大様式.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章から構成されており、第1章では、ホンモンジゴケの銅耐性および蓄積特性について、第2、3章では、ホンモンジゴケの銅による細胞分化の制御機構について述べられている。

本論文の研究対象であるホンモンジゴケ (Scopelophila cataractae)は、寺院の銅葺き屋根の下や銅鉱山の周辺など銅濃度の高い環境下に生育し、体内に銅を蓄積する興味深いコケ植物である。このコケの注目すべき特徴として、他の重金属蓄積植物に比べても突出して高い銅蓄積能が挙げられる。また、ホンモンジゴケは、ほぼ例外なく高濃度の銅存在下で生育している。このような銅が高濃度に存在する環境をホンモンジゴケがどのような機構を用いて探しているのかは未だ知られていない。これまでのホンモンジゴケに関する研究では、生育地点の記載および銅の蓄積部位や含有量を明らかにする目的のための野外から採取した植物試料の分析化学的解析が主であった。しかし、野外から試料を採取する手法では、安定した性質の試料が持続的に得られないことなどから、生理学・分子生物学的手法による解析は困難であり、そのためにホンモンジゴケの生理機能に関する知見は非常に乏しかった。そこで論文提出者は、本論文の研究遂行にあたり、まず野外から採取したホンモンジゴケ茎葉体を材料に、原糸体の無菌培養株を確立した。これを実験材料に用いることで、これまで技術的に困難であったホンモンジゴケの重金属耐性と蓄積および銅に対する応答性の実験的な解析を行うことを可能にした。本論文の研究では、特に「ホンモンジゴケは好銅性なのか?」「どのような仕組みで自然界に点在する高濃度の銅存在環境を探し、定住しているのか?」という疑問に重点を置き、これらの問いに答えることを主要な目的としている。

第1章では、まず、ホンモンジゴケ原糸体細胞が、他の植物種(ヒメツリガネゴケ)と比較して、非常に高い銅耐性能を有し、主な銅蓄積の場とされている細胞壁を除いたプロトプラストにおいても、耐性能は保持されたままであることを確認している。この結果は、細胞壁以外の細胞機能が耐性能に関与する可能性が高いことを新たに示すものである。さらに、ホンモンジゴケは、銅以外にも亜鉛、ニッケル、コバルト、銀といった重金属に対しても耐性能を有することを新たに見出し、このコケがファイトレメディェーション等の技術応用に有用である可能性を示した。また、重金属蓄積能を解析した結果、ホンモンジゴケは、ヒメツリガネゴケと比較して特に、銅を特異的に蓄積しやすいことを見い出している。この結果は、ホンモンジゴケは銅を特異的に蓄積する機構を有すると共に、銅を蓄積させることは何らかの生理学的な意義をもつ可能性を示唆する。

第2および3章では、ホンモンジゴケが環境中の銅濃度に応じて、オーキシンシグナル系を介した細胞分化の切り替え機構を有していることを新たに明らかにした。特に、銅濃度が低い環境で、原糸体成長およびカウロネマ細胞分化が抑制される代わりに、無性芽形成が促進されるという結果は、なぜ自然界においてホンモンジゴケ茎葉体のコロニーが低濃度の銅存在環境下に見い出せないのかという疑問に対する回答になると考えられる。加えて、この細胞分化制御は、銅以外の重金属添加ではみられないことから、ホンモンジゴケが銅特異的なセンシング機構を有している可能性をも示唆する。これは、ホンモンジゴケが他の重金属ではなく、銅の存在する環境下でのみコロニーを形成することの説明になると考えられる。このような特定の重金属の存在による細胞分化の調節機構は、重金属高蓄積植物であるホンモンジゴケが、生存戦略のために進化の段階で独自に獲得してきたものであると推測され、重金属高蓄積植物の生態や進化を考える上で興味深い結果である。上記の研究内容は、これまでに報告例がなく、高いオリジナリティを有することが認められる。なお、これらの研究は、論文提出者が主体となって遂行し、仮説の検証および考察を行ったものである。

従って、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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