学位論文要旨



No 127227
著者(漢字) 谷本,幸介
著者(英字)
著者(カナ) タニモト,コウスケ
標題(和) Hypoxia Inducible Factor-1α(HIF-1α)の結合部位の網羅的同定および解析
標題(洋)
報告番号 127227
報告番号 甲27227
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第674号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 准教授 秋山,泰身
 東京大学 准教授 樋口,理
内容要旨 要旨を表示する

目的および手法

HIF-1αは細胞の低酸素応答において重要な役割を担う転写因子である。本研究ではHIF-1α抗体により免疫沈降(ChIP)を行ったDNAを次世代型シークエンサーIllumina GAを用いてシークエンスを行い(以下ChIP-Seqと称する)、HIF-1α結合部位の網羅的に同定することを試みた。Illumina GAによるシークエンスを行うことでマイクロアレイ解析よりも高分解能、高感度な解析結果が得られることを期待した。また、当研究室で開発されたオリゴキャップ法とIllumina GAによるシークエンスを組み合わせたTSS-Seq法 (TSS: Transcription Start Site、転写開始点)による発現量変化解析を行い、この結果とChIP-Seq解析による結果を組み合わせることでHIF-1αにより発現制御を受ける遺伝子を特定することを試みた。オリゴキャップ法はmRNAの5'端配列を含む完全長cDNAを取得する方法であり、オリゴキャップ法によって得られたcDNAをIllumina GAによりシークエンスすることにより、各転写産物の転写開始点位置および発現量に関する情報を得ることが可能である。さらに、HIF-1αの結合部位とエピジェネティックな制御の関連性を評価するため、リンカーDNA部分をマイクロコッカルヌクレアーゼにより分解したゲノムDNAをIllumina GAでシークエンスし、ゲノムワイドにクロマチン構造解析を行った(以下Nucleosome-Seqと称する)。本研究ではChIP-Seq、TSS-Seq、Nucelosome-Seqの融合が、HIF-1α結合部位のゲノムワイドな同定と解析において従来法では得られなかった知見を得るための強力な手法となりうることを示す。

材料および実験条件

細胞は、ヒト大腸由来腺がん細胞株DLD-1と、ヒト胎児肺由来正常細胞株TIG-3を使用した。培養条件は、1%O2で24時間培養した細胞を低酸素状態、21%O2で培養した細胞を通常酸素状態とした。

結果および考察

ChIP-Seqにより得られたシークエンス結果を元にHIF-1α結合部位を同定したところ、DLD-1細胞で531ヶ所、TIG-3細胞で616ヶ所の結合部位が得られた (表1)。このうち、HIF-1αの結合配列であるHRE (Hypoxia Response Element)を含む結合部位はDLD-1細胞で441ヶ所 (83%)、TIG-3細胞で413ヶ所 (67%)であった。

HIF-1α標的遺伝子として、RefSeq遺伝子の転写開始点の上流10kbから下流1kbにHIF-1α結合部位が存在する遺伝子数を集計したところ、DLD-1細胞では220遺伝子、TIG-3細胞では185遺伝子が得られた。DLD-1細胞とTIG-3細胞で重複している遺伝子は67種類であった(図1A)。これらの遺伝子のうち、TSS-Seq解析の結果を元に、低酸素状態における発現量が通常酸素状態に比べて2倍以上に上昇している遺伝子を集計したところ、DLD-1細胞では121遺伝子、TIG-3細胞では48遺伝子が該当した。このうち、DLD-1細胞とTIG-3細胞で重複しているものは18遺伝子であった (図1B)。

特定したHIF-1α標的遺伝子について、低酸素状態におかれることで引き起こされる発現量変化をTSS-Seq解析結果を元に計算し、その分布を箱ひげ図にまとめた (図2)。その結果、標的遺伝子の低酸素刺激による発現量変化には有意に差があり、TIG-3細胞はDLD-1細胞に比べて低酸素に対する応答が少ないことが示された。加えて、この結果はHIF-1αの結合の有無と発現の活性化は必ずしも連動しないということを示唆していると考えられる。

結合部位のうち、DLD-1細胞では114ヶ所がイントロン領域に、207ヶ所が遺伝子間領域に存在した。TIG-3細胞ではそれぞれ155ヶ所、289ヶ所であった。これらの結合部位の近傍 (上流1kbから下流10kb)には表2に示す数の転写産物が存在した。イントロンに存在するHIF-1α結合部位は、Alternative Promter (AP)からの転写産物の発現制御に関与する可能性が考えられる。APから発現することでタンパク質モチーフが欠損することが予想される転写産物をInterProScanのデータから調べたところ、DLD-1細胞において93の転写産物 (46遺伝子)が当てはまることが分かった。遺伝子間領域のHIF-1α結合部位の近傍に存在する転写産物について、FLJまたはMGCのcDNAライブラリとの重複を調べたところ、7つの転写産物が重複していた。同様にmirBaseに登録されたmiRNAとの重複を調べが、重複は見られなかった。このことから、HIF-1αが制御していると考えられる遺伝子間領域の転写産物は、その多くが未知の転写産物であると考えられる。個々の機能の解明には更なる解析が必要であるが、次世代シークエンサーを用いることでイントロンや遺伝子間領域においてHIF-1αによって発現制御されると考えられる転写産物を同定することができた。

ChIP-Seq解析により同定されたHIF-1α結合部位近傍のヌクレオソーム構造をNucleosome-Seqにより解析した。その結果、DLD-1細胞、TIG-3細胞ともに、低酸素状態においてHIF-1αが結合した部位のヌクレオソームDNA占有率は低下しており、結合部位は開いたヌクレオソーム構造をとっていた (図3)。一方、通常酸素状態においても同様にHIF-1α結合部位のヌクレオソーム構造を調べたところ、HIF-1αが結合していない状態にも関わらず開いた構造をとっていることが分かった。この結果は、HIF-1α結合部位のヌクレオソーム構造はHIF-1αが結合することにより開いた構造に変化するわけではなく、HIF-1αが存在しない通常酸素状態においてもすでに開いた構造を形成していることを示している。

結論

本研究ではHIF-1αのChIP-SeqによりHIF-1αの結合部位を網羅的に同定することができた。得られた結合部位情報をTSS-Seqによる発現量情報と組み合わせることで、HIF-1αの結合とその遺伝子発現が必ずしも連動しているわけではなく、細胞の種類に大きく依存することを示した。さらに、HIF-1α結合部位のヌクレオソーム構造解析により、HIF-1αの結合部位は低酸素状態だけでなく、通常酸素状態においても開いた構造をとっていることが判明した。これはHIF-1αの結合選択性にエピジェネティックな制御が関与していることを示したデータである。本研究で示したようにChIP-SeqとTSS-Seq、Nucleosome-Seqを組み合わせた解析はHIF-1αの標的遺伝子を推定するための強力なツールであり、転写制御の理解に大きく寄与出来る手法となることが期待できる。

図1 HIF-1α標的遺伝子数

(A)転写開始点の上流10kbから下流1kbにHIF-1α結合部位が存在した遺伝子数 (B) (A)のうち、低酸素刺激により発現量が2倍以上に上昇した遺伝子数

図2 HIF-1α標的遺伝子の低酸素刺激による発現量変化の分布

図3 HIF-1α結合部位近傍のヌクレオソーム構造

赤ラインは通常酸素、青ラインは低酸素状態のヌクレオソーム占有率を示す。

表1 HIF-1α結合部位数

表2 イントロンおよび遺伝子間領域に存在するHIF-1α結合部位とその近傍の転写産物数

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、次世代シークエンサー イルミナ Genome Analyzer (GA)を用いてChIP-Seq、TSS-Seq、Nucleosome-Seqを行い、低酸素状態での遺伝子発現制御において重要な役割を担う転写因子Hypoxia Inducible Factor -1α(HIF-1α)の結合部位の網羅的同定および解析を行ったものである。ChIP-Seqの結果、HIF-1αの結合部位はRefSeq遺伝子の転写開始点近傍だけでなく、イントロン、エキソン、遺伝子間領域にも数多く存在することが明らかになった。TSS-Seqにより、これらの結合部位の近傍には低酸素状態において発現上昇する未知の転写産物が存在することが示された。この結果はAlternative Promoter (AP)からの転写制御や、miRNA等の制御にHIF-1αの制御が関与していることを示唆する結果であった。Nucleosome-Seqの結果、HIF-1αの結合部位は低酸素状態だけでなく、HIF-1αが発現していない通常酸素状態においても開いたヌクレオソーム構造をとっていることが明らかになった。これは、Hypoxia Response Element (HRE)と呼ばれるHIF-1α結合モチーフ配列の有無だけでなく、ヌクレオソーム構造がHIF-1αの結合に重要な役割を担っていることを示唆する結果であった。

本論文は、HIF-1αの結合部位、発現量解析、ヌクレオソーム解析という大規模解析を融合させることで、HIF-1αの結合部位を同定するだけでなく、結合部位のエピジェネティック構造から発現量変化に至る一連の制御について解析した初めての報告であり、低酸素状態におけるHIF-1αによる発現制御の全体像の解明に向けて大きく貢献するものであると考えられたために、博士(生命科学)を授与するのに適当であると判断された。

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