学位論文要旨



No 127228
著者(漢字) 森中,紹文
著者(英字)
著者(カナ) モリナカ,アキフミ
標題(和) タンパク質の酸化に依存した細胞内シグナル伝達の解析
標題(洋) Analysis of intracellular signaling depending on protein oxidation
報告番号 127228
報告番号 甲27228
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第675号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 藤田,直也
 東京大学 准教授 秋山,泰身
 東京大学 准教授 樋口,理
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

過酸化水素(H2O2)に代表される活性酸素(reactive oxygen species: ROS)は、酸化ストレスを生じてDNAの損傷やタンパク質の凝集を引き起こし、細胞を傷害する毒物としてよく知られる。その一方でROSは細胞内において能動的に産生される生理的なセカンドメッセンジャーでもある。しかしROSによるシグナル伝達の分子メカニズムの多くは未解明なのが実情である。そこで私はその一端を解明するため、酸化タンパク質の還元酵素thioredoxin (TRX)と、酸化によって多量体を形成するタンパク質peroxiredoxin I (PRX I)に着目し、Semaphorin 3A (Sema3A)による神経軸索の誘導におけるTRXの役割、およびp53による細胞死におけるPRX Iの役割を解析した。

I. TRXはCRMP2の酸化に依存したリン酸化、および神経軸索の誘導を仲介する

【背景】

TRXはジスルフィド結合の還元酵素としてよく知られるが、ROSによるシグナル伝達における役割はよく判っていない。そこで私はTRXの新しい基質タンパク質を探索することで、TRXの役割を解明しようと試み、Semaphorin 3A (Sema3A)シグナルに必要なタンパク質collapsin response mediator protein 2 (CRMP2)を同定した。

Sema3Aは神経軸索を誘導する分泌タンパク質であり、そのシグナル伝達にはglycogen synthase kinase 3 (GSK-3)によるCRMP2のリン酸化が必要であるが、そのメカニズムには不明な点が多い。またSema3AシグナルにはROSによるシグナル伝達の重要性が示唆されるものの、その分子メカニズムは全くの未知であり、CRMP2のリン酸化とROSとの関係もまた不明である。

【結果および考察】

1. TRXの基質候補CRMP2の同定

TRXはまずCys32が基質の酸化Cys残基とジスルフィド複合体を形成し、さらにCys32とCys35の間にジスルフィド結合を移動することで基質を還元する(Figure 1A)。Cys35をSer残基に置換した変異体TRX C35Sは基質とジスルフィド複合体を形成するも、その結合はdithiothreitol (DTT)などで還元されないと切断されない。そこでTRX C35Sを安定して発現する細胞株を樹立した。さらにTRX C35Sの免疫沈降によって共沈した基質をDTTで分離したのち、質量分析法により同定したところ、主要な基質としてCRMP2を同定した(Figure 1B)。そしてTRXとCRMP2がH2O2刺激に依存してジスルフィド結合による複合体を形成することを確認し、さらにその複合体はTRXとCRMP2 Cys504の間によることを突き止めた。

2. Sema3Aによるシグナル伝達におけるTRXとCRMP2の相互作用の重要性

TRXとCRMP2の相互作用のSema3Aシグナルにおける重要性を検討した。神経細胞の軸索にある成長円錐はSema3Aによって崩壊する(Figure 2A)。そこでCRMP2とTRXそれぞれの野生型および変異体を神経細胞に発現させ、Sema3Aによる成長円錐の崩壊を解析した。その結果、TRXと相互作用しない、Cys504をSer残基に置換した変異体CRMP2 C504Sの発現によってSema3Aによる成長円錐の崩壊が抑制されることを発見した(Figure 2B)。また、優性阻害の変異体TRX C32/35Sの発現や、RNA干渉によってTRXの発現を抑制することでも成長円錐の崩壊は抑制された。さらにSema3Aシグナルによる成長円錐の伸長方向の転換や、マウス胎児の大脳皮質における神経細胞の移動においても、これらの変異体の発現によって異常が認められた。

3. TRXを介したCRMP2のリン酸化の分子メカニズム

TRXとCRMP2の相互作用がSema3Aシグナルを制御する分子メカニズムを解析した。まずH2O2によってGSK-3によるCRMP2のリン酸化が増加すること、TRXによってそのリン酸化がさらに増幅されることを発見した(Figure 3A)。またCRMP2 C504SやTRX C32/35Sの発現ではそれらは起こらないことも見出した。H2O2によるCRMP2の酸化はTRXに還元される。しかしH2O2によるCRMP2のリン酸化はTRXに促進される。これらは一見、矛盾するがTRXはCRMP2を還元するときに一時的にジスルフィド結合による複合体を形成することを考慮に入れると解決される。つまりジスルフィド結合によってTRXと複合体を形成したCRMP2こそがリン酸化されると考えた(Figure 3B)。実際にCRMP2 単量体と比較してTRXとジスルフィド複合体を形成したCRMP2はよりリン酸化されることを確認した。

【結論】

以上からSema3Aによって産生されたH2O2はCRMP2を酸化してTRXとの間にジスルフィド結合による複合体を形成させることで、CRMP2のリン酸化を促進してシグナルを伝達すると考えられる。本研究は今まで未解明であったタンパク質の酸化によるSema3Aシグナルの一端を解明するものである。またジスルフィド結合による複合体がシグナル伝達に重要であるという報告は本研究が先駆けであり、TRXやその類縁タンパク質が今回の分子メカニズムによって他のシグナル伝達を制御している可能性も考えられ、今後のさらなる研究が期待される。

II. 多量体PRX Iはp53によるMST1の活性化に不可欠である

【背景】

PRX Iは酸化ストレスから細胞を保護する主要なH2O2分解酵素であるが、過剰なH2O2に曝されると多量体を形成する性質を持つ。多量体PRX IはH2O2分解活性を失い、代わりにシャペロン様活性を示すことが知られるが、ROSによるシグナル伝達における役割はわかっていない。

一方、mammalian Ste20-like kinase 1 (MST1)はH2O2によって活性化されるリン酸化酵素であり、がん抑制タンパク質p53によって活性化されて細胞死を引き起こす。しかしH2O2によるMST1活性化の分子メカニズムや、p53によるMST1の活性化にH2O2が関係しているのかはわかっていない。私は多量体PRX IがH2O2によるMST1活性化を仲介し、さらにp53はH2O2産生によってMST1を活性化しているのではないかと考え、PRX IとMST1の相互作用の解析を始めた。

【結果および考察】

1. 多量体PRX IはMST1と特異的に結合することで、MST1を活性化する

PRX Iの多量体形成がPRX IとMST1の結合にどのような影響を与えるのかを解析した。PRX Iが多量体を形成しない定常状態ではPRX IとMST1は弱くしか結合しないが、H2O2で細胞を刺激することでPRX Iの多量体形成を促進すると、より強く結合した。さらにH2O2がなくても多量体を形成する変異体PRX I C173Sは定常状態でもMST1と強く結合し、逆に多量体を形成しないPRX I C52S変異体はH2O2で細胞を刺激しても弱くしか結合しなかった。

次にPRX IとMST1の結合がMST1の活性化と相関するかを解析した。H2O2によるMST1の活性化は自己リン酸化の増加によるものであり、その増加はPRX Iによって増幅された(Figure 4A)。さらにPRX I C173S変異体は定常状態でもMST1の自己リン酸化を強く促進し、逆にPRX I C52S変異体はH2O2によるMST1の自己リン酸化を増幅しなかった。これらから多量体PRX IはMST1に結合することでMST1の自己リン酸化を促進していると考えられた。またU2OS骨肉腫細胞においてRNA干渉によってPRX Iの発現を抑制すると、H2O2によるMST1の自己リン酸化は抑制されることや、MST1による細胞死がPRX Iの野生型やC173S変異体によって促進されることを発見した(Figure 4B)。これらから多量体PRX IがMST1のH2O2による活性化に重要であると結論した。

2. PRX Iはp53によるMST1の活性化と細胞死を制御する

PRX IによるMST1活性化の、p53による細胞死における重要性を検討した。p53は抗がん剤シスプラチンによってその発現が誘導され、ROSを産生することで細胞死を引き起こす。そこでU2OS細胞をシスプラチンで処理したところ、PRX Iが多量体化することや、PRX IとMST1の結合が強化されることを発見した。さらにシスプラチン処理によるMST1の自己リン酸化の増加、および細胞死はPRX IのRNA干渉によって抑制された(Figure 5A)。また、p53欠損マウス胎児線維芽細胞ではシスプラチンで処理してもPRX Iは多量体を形成しないことや、MST1の自己リン酸化が起こらないことから、これらはp53に依存することが判った(Figure 5, B and C)。

【結論】

以上からH2O2によって多量体を形成したPRX IはMST1と特異的に結合し、MST1の自己リン酸化を促進することでMST1を活性化することが判った。さらに多量体PRX IによるMST1の活性化はp53による細胞死に重要であることも判明した。本研究はp53による細胞死の新たな分子メカニズムを解明するものであり、抗がん剤シスプラチンによるがん治療の改善に役立つ可能性がある。

Figure1.TRXの基質候補CRMP2の同定

(A)TRXによる基質タンパク質の還元と、TRXC35S変異体を利用した基質タンパク質探索の模式図。

(B)TRX変異体を安定して発現するNIH3T3繊維芽細胞からTRX変異体を免疫沈降し、共沈したタンパク質をDTTで分離した。さらにSDS-PAGEとそれに続く銀染色によって基質候補のタンパク質を展開、検出した。

Figure2.Sema3Aによるシグナル伝達におけるTRXとCRMP2の相互作用の重要性

(A)Sema3Aによる神経軸索の成長円錐崩壊の模式図。神経軸索の成長円錐はSema3Aによって崩壊する。

(B)CRMP2の野生型もしくは変異体を発現させたDRG細胞を0.5nMSema3Aで30分間刺激したのち、固定およびローダミンファロイジン染色した。糸状仮足が2本以下の成長円錐を崩壊したとして計測した。*はp〈0.05を示す。

Figure3.TRXを介したCRMP2のリン酸化の分子機構

(A)示されたタンパク質を発現させたCOS7細胞を100μMH202で30分間刺激したのち細胞を回収し、さらに示された抗体を用いて免疫プロッティングを行った。

(B)TRXを介したCRMP2のリン酸化の模式図。酸化されたCRMP2はTRXとジスルフィド結合による複合体を形成し、GSK-3にリン酸化される。

Figure4.多量体PRXIはMSTIを活性化する

(A)示されたタンパク質を発現させたCOS7細胞を100μMH,O,で30分間刺激したのちに回収し、さらに示された抗体を用いて免疫プロッティングを行った。

(B)示されたタンパク質を発現させたU20S細胞を固定、DAPI染色したのち細胞死の割合を計測した。*はp〈0.05を示す。

Figure5.PRXlはp53によるMST1の活性化と細胞死を制御する

(A)対照もしくはPRxIに対するsiRNAを導入したu20s細胞をシスプラチンで24時間処理したのちに回収し、さらに示された抗体を用いて免疫プロッティングを行った。

(B)野生型もしくはp53欠損MEFをシスプラチンで24時間処理したのちに回収し、NativePAGEもしくはSDS-PAGEで展開したのち抗PRXI抗体を用いて免疫プロッティングを行った。

(C)野生型もしくはp53欠損MEFをシスプラチンで24時間処理したのちに回収し、示された抗体を用いて免疫プロッティングを行った。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はタンパク質の酸化修飾による細胞内シグナル伝達の分子メカニズムの解明を目的としている。本論文は2章からなり、第1章は軸索ガイダンス分子セマフォリンによる神経軸索の誘導における、酸化タンパク質の還元酵素チオレドキシンと微小管重合の促進タンパク質CRMP2の相互作用の役割について、第2章はがん抑制タンパク質p53による細胞死における、酸化によって多量体を形成するタンパク質ペルオキシレドキシンとがん抑制タンパク質MST1の相互作用の役割について述べられている。

第1章では、論文提出者はチオレドキシンの基質を探索することでタンパク質の酸化修飾によるシグナル伝達を解明することを目的としている。そして、チオレドキシンの基質を単離する新しいスクリーニング系を構築し、実際に新規の基質候補としてCRMP2を同定した。なお、このスクリーニング系は論文提出者の独自に考案したものである。論文提出者はチオレドキシンとCRMP2の相互作用の解析を推し進め、神経細胞を用いたin vitroの実験から、マウス胎児を用いたin vivoの実験まで幅広く実施し、チオレドキシンとCRMP2の相互作用がセマフォリンによるシグナル伝達に重要であることを突き止めた。

さらに、論文提出者は多岐にわたる生命科学の実験を駆使してその分子メカニズムを解析し、チオレドキシンがCRMP2のリン酸化を促進することでセマフォリンシグナルを伝達することを解き明かした。その分子メカニズムとは、まずセマフォリンによって産生された活性酸素によってCRMP2は酸化され、ジスルフィド結合で連結されたホモ二量体を形成し、次にこのホモ二量体がチオレドキシンとジスルフィド結合による一時的な複合体を形成、さらにこの複合体がリン酸化を受ける、というものである。この、異なるタンパク質がジスルフィド結合で連結されることでリン酸化レベルが変化する、という分子メカニズムは本論文がはじめて報告するものであり、その新規性の高さを顕してしている。

第2章では、論文提出者は活性酸素によるMST1の活性化に、多量体化したペルオキシレドキシンが重要なのではないかと仮定し、その相互作用について解析している。論文提出者は多岐にわたる生命科学の実験を駆使し、活性酸素によって多量体化したペルオキシレドキシンはMST1と特異的に結合することで、MST1を自己阻害から解放してその自己リン酸化を促進し、MST1を活性化させていることを突き止めた。

さらに、論文提出者はがん細胞やp53遺伝子の破壊された細胞を用いた実験から、多量体ペルオキシレドキシンによるMST1の活性化が、p53や抗がん剤シスプラチンによるがん細胞の死滅に重要であることを突き止めた。本論文は、活性酸素によるMST1の活性化の分子メカニズムをはじめて解明するものであるとともに、ペルオキシレドキシンの多量体のシグナル伝達における役割をはじめて解明するものである。

本論文では第1章、第2章のにおいて、タンパク質の酸化修飾による新しいシグナル経路をそれぞれ見出しており、ともにその生命科学における価値は高い。特に、セマフォリンシグナルにおける、ジスルフィド結合で連結された異なるタンパク質からなる複合体の形成によるシグナル伝達、という新しい分子メカニズムの発見は、新規性、重要性の両面から高く評価できる。そして、これらの発見を可能とした論文提出者の、論理的に実験結果を解釈する思考力、新たな仮説を提案する発想力、確実に実験を遂行する技術力、そして生命科学に対する強い情熱には特筆すべきものがあるといえよう。以上より、論文提出者は博士(生命科学)の学位に値する資質を有していると結論できる。

なお、本論文第1章は、山田真弓、糸総るり香、船戸洋佑、吉村祐太、中村史雄、吉村武史、貝淵弘三、五嶋良郎、星野幹雄、上口裕之、三木裕明との共同研究であり、第2章は、船戸洋佑、上杉加奈美、三木裕明との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50466