学位論文要旨



No 127230
著者(漢字) 今井,博貴
著者(英字)
著者(カナ) イマイ,ヒロタカ
標題(和) H5N1インフルエンザウイルス高病原性発揮の分子基盤
標題(洋) The molecular basis for the high virulence of H5N1 influenza viruses
報告番号 127230
報告番号 甲27230
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第677号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 客員教授 間,陽子
 東京大学 准教授 川口,寧
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

A型インフルエンザウイルスは、オルソミクソウイルス科に属し、8本に分節化したマイナス鎖の一本鎖RNAをゲノムとして持つ。ウイルス粒子表面上の2つのタンパク質であるヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)の抗原性の違いによって複数の亜型に分類され、HAとNAの組み合わせによりH1N1からH16N9までの亜型名が付けられている。高病原性H5N1インフルエンザウイルスは、1997年香港で18名に感染し、うち6名が死亡するアウトブレイクを引き起こした。その後流行は終息したかに見えたが、2003年にベトナムで再び流行し始め、その後、アジア、中東、アフリカで人への感染が確認されている。2003年~2010年までの8年間に合計500名以上の感染例が報告されている。死亡者も300名を超え、その致死率は約60%である。現在までのところH5N1インフルエンザウイルスの人への感染は限られており、人から人へ感染する能力は獲得していないと考えられる。一方2009年4月メキシコ及びアメリカで確認された新型インフルエンザウイルスは2010年にかけて世界的大流行を引き起こした。この新型インフルエンザウイルスはH1N1亜型で、高病原性H5N1インフルエンザウイルスに比べると病原性が低いが、人への感染力は極めて強い。高病原性H5N1インフルエンザウイルスがこの様な強い感染力を得て新たな世界的大流行を引き起こした場合、社会に及ぼす影響は甚大である。

先行研究により、病原性に関与するインフルエンザウイルスタンパク質のアミノ酸残基が同定されている。例えばA型インフルエンザウイルスのHAタンパク質はタンパク質分解酵素によって2つに開裂することで細胞とウイルス粒子の膜融合に関わるが、高病原性のH5N1亜型はこの開裂部位に塩基性アミノ酸残基を連続して持つため、全身の細胞に普遍的に存在するタンパク質分解酵素によって開裂し全身で増殖が可能と考えられている。このようなインフルエンザウイルスの病原性を決定するアミノ酸残基の違いは複数報告されており、それぞれのアミノ酸残基に対して解析が進められている。しかし既知の病原性を決定するアミノ酸残基が全て同一であるにも関わらず、病原性の異なるウイルス株が存在しており、未知の病原性決定アミノ酸残基の存在が示唆される。

[目的]

H5N1インフルエンザウイルスの新規病原性決定アミノ酸残基を同定し、その病原性発揮の分子メカニズムを解明する。

[着眼点]

インフルエンザウイルス感染のモデル動物であるフェレットを用いて、13株のH5N1インフルエンザウイルスを感染させたところ、67%の致死率を示すウイルス株A/Vietnam/UT3062/04(UT3062株)と、0%の致死率を示すウイルス株A/Vietnam/UT3028/04(UT3028株)を見出した。この病原性の大きく異なる2株に注目し、両者の違いを調べることでH5N1インフルエンザウイルスの病原性メカニズムを明らかにできると考えた。ゲノム配列解析の結果、UT3062株とUT3028株のタンパク質のアミノ酸残基は0.4%(18ヶ所)異なっていた。しかし先行研究によってH5N1インフルエンザウイルスの病原性に関わるアミノ酸残基として知られていたHAタンパク質の開列部位やPB2タンパク質の627番目及び701番目アミノ酸残基は両者のウイルス間で同一であったため、病原性を決定する新規のアミノ酸残基の存在が予測された。

[方法]

ウイルスゲノムとウイルスタンパク質をコードしたプラスミドを細胞にトランスフェクションするリバースジェネティクス法を用いると、遺伝子を組み換えたリアソータントウイルスを作製することが可能である。この方法を用いてUT3062株とUT3028株のリアソータントウイルスを作製し、フェレットに感染させて、UT3062株の病原性を決定するアミノ酸残基を同定した。続いて、(1)フェレットの各臓器におけるウイルス増殖及び病理学的解析、(2)細胞とウイルスの結合力の解析、(3)感染細胞におけるインターフェロン応答の解析、を行った。このうち(2)と(3)の実験は、本研究で見出した病原性決定因子であるHAタンパク質とNS1タンパク質の既知機能に基づいている。

まず臓器におけるウイルス増殖を解析するためUT3062株とUT3028株、並びにそのリアソータントウイルスをそれぞれフェレットに接種し、接種後1、3、5、7日目に安楽死させ、各臓器におけるウイルス感染価を測定した。また採取した肺のマクロ及び組織病理解析を新矢恭子先生(神戸大学)との共同研究により行った。次に、細胞とウイルスの結合力を調べるため、インフルエンザウイルスのレセプターを持つニワトリ赤血球を用いたウイルス溶出アッセイを行った。赤血球とウイルス(64HA価)を4℃で1時間静置して、赤血球凝集を起こさせた後、37℃における、ウイルスの赤血球からの溶出を経時的に測定した。最後に、インターフェロン応答を解析するために、ミンク肺上皮細胞(Mv1Lu細胞)にウイルスを接種して12、18、24時間後に上清を回収した。この上清中にはインターフェロンとH5N1インフルエンザウイルスが含まれると考えられるので、紫外線と中和抗体を用いてH5N1インフルエンザウイルスを不活化した。このウイルス不活化上清を新しいMv1Lu細胞に処理して22時間培養した。その細胞を用いて水泡性口内炎ウイルス(VSV)の感染効率を、プラークアッセイにより測定した。VSVの感染価はインターフェロン産生量に相関し、H5N1ウイルスのNS1のインターフェロン拮抗作用が強いとVSVの感染価は高くなると考えられる。

[結果と考察]

作製したリアソータントウイルスのうち、HAとNSと呼ばれる遺伝子分節が両方ともUT3062株由来であるとフェレットに対して強い病原性を示し、いずれかがUT3028株由来であるとフェレットに対して弱い病原性を示した(図1)。次にフェレットの各臓器でのウイルス増殖の違いを調べたところ、UT3028株は接種後1~3日目において主に呼吸器で増殖するのに対し、UT3062株は接種後7日目まで持続的に全身の臓器で増殖した。またHAとNSのみがUT3062株由来で残りの遺伝子分節がUT3028株由来のリアソータントウイルスも、UT3062株同様に全身の臓器で持続的に増殖した。このことから、HAとNS遺伝子が、フェレットにおける持続的な全身感染を決定していることが分かった。

また病理解析の結果、UT3062株とUT3028株間で3つの大きな違いが観察された。まず接種後1日目の生体反応の違いとして、UT3062株を接種したフェレットでは、気管支周囲や気管支上皮細胞間への好酸球浸潤が見られたのに対し、UT3028株を接種したフェレットでは、肺胞や細気管支内腔への好中球浸潤が顕著であった。次に、接種1日目の所属リンパ節でのウイルス増殖をウイルスに対する抗体を用いて解析したところUT3062株はウイルス増殖が観察されたがUT3028株は観察されなかった。最後に、UT3062株を接種したフェレットでは3日目においてもウイルス抗原が検出され続け、個体によっては5及び7日目にもウイルス分布が拡大していた。またこのような個体ではリンパ球・マクロファージ浸潤の程度が乏しかった。一方、UT3028株を接種したフェレットでは1例を除いて3日目以降は肺炎病巣にウイルス抗原が検出されず、炎症反応も好中球からリンパ球・マクロファージの浸潤と再生性変化に置き換わっていく像が観察された。またHAとNSのみがUT3062株由来で残りの遺伝子分節がUT3028株由来のリアソータントウイルスについては、3日目及び7日目の病理解析のみ行ったが、UT3062株と同様のウイルス抗原の広がりと炎症反応が観察された。

続いてHA遺伝子にコードされるHAタンパク質の細胞への結合能とNS遺伝子にコードされるNS1タンパク質のインターフェロン拮抗作用に注目して解析を進めた。

まずUT3062株とUT3028株のHAタンパク質と細胞の結合力の違いを調べるため、ニワトリ赤血球からのウイルス溶出アッセイを行った。その結果、UT3028株のHAを持つリアソータントウイルスは1~4時間後までにウイルスが溶出したのに対して、UT3062株のHAを持つリアソータントウイルスは20時間後においてもウイルスの溶出は観察されなかった (図2)。このことは、HAタンパク質の134番目のアミノ酸の違いによって、UT3062株がUT3028株よりも細胞のレセプターに強く結合していることを示している。この性質がUT3062株の高病原性に関与していると考えられる。

次にNS1タンパク質のインターフェロン拮抗作用の違いを調べた。その結果、UT3028株の感染24時間後の細胞上清を処理した細胞では、mock感染に比べて有意にVSVの増殖を抑えた。一方、UT3062株のそれはmock感染と比べて有意な差が見られなかった(図3)。またNS遺伝子のみUT3028株で、残りの遺伝子をUT3062株にしたリアソータントウイルスと、その逆の組合せのリアソータントウイルスを用いた実験から、これらのVSV増殖における差はインフルエンザウイルスのNS遺伝子によって制御されてことが示された。このことは、NS1タンパク質の200及び205番目アミノ酸の違いによって、UT3062株がUT3028株よりも強いインターフェロン拮抗作用を持つことを示唆している。この性質もUT3062株の高病原性に関与していると考えられる。

本研究によりH5N1インフルエンザウイルス株A/Vietnam/UT3062/04の新規病原性決定アミノ酸残基としてHAタンパク質の134番目アミノ酸残基及びNS1タンパク質の200及び205番目アミノ酸残基を見出した。また、HAタンパク質の134番目アミノ酸はレセプター結合に関与すること、NS1タンパク質の200及び205番目アミノ酸はインターフェロン拮抗作用に関与することを明らかにした。

図1. HAとNS遺伝子分節がフェレットにおける病原性に関与している

図2. UT3062株とUT3028株は赤血球からのウイルス溶出が異なる

図3. UT3062株のNSはインターフェロン拮抗作用を促進する

審査要旨 要旨を表示する

本論文はH5N1インフルエンザウイルスの高病原性発揮の分子メカニズムについて解析したものである。インフルエンザウイルス感染のモデル動物であるフェレツトを用いて、複数の異なる人から分離されたH5N1インフルエンザウイルスの病原性を比較した。その結果、H5N1インフルエンザウイルスは、株によってフェレットに対する病原性が異なることを示した。

用いたH5N1ウイルス株のうち、高い致死率を示すウイルス株AIVietnam/UT3062/04(UT3062株)と、低い致死率を示すウイルス株A/Vietnam/UT3028/04(UT3028株)に着目し、両者の違いを調べることでH5N1インフルエンザウイルスの病原性メカごズムの解明を試みた。2株を選択する際、ゲノム配列を調べて、既知の病原性を決定するアミノ酸に違いがないことを確かめたことで、新規病原性決定因子の存在を確実にしている。

ウイルスゲノムとウイルスタンパク質をコードしたプラスミドを細胞にトランスフェクションするリバースジェネティクス法を用いて、強毒のUT3062株と弱毒のUT3028株の遺伝子分節を組み換えたリアソータントウイルスを作製し、フェレットに感染させて、UT3062株の病原性を決定するアミノ酸残基の同定を試みた。作製したリアソータントウイルスのうち、HAとNSと呼ばれる遺伝子分節が両方とも強毒のUT3062株由来であるとフェレットに対して強い病原性を示し、いずれかが弱毒のUT3028株由来であるとフェレットに対して弱い病原性を示した。両株のHAとNS遺伝子分節の配列を調べた結果、HAタンパク質のアミノ酸1箇所、NS1及びNS2タンパク質のアミノ酸4箇所に違いを見出した。これらのH5N1インフルエンザウイルスの病原性を決定するアミノ酸はいずれも新規のものであり、ウイルス学における重要な知見である。

また、フェレットの各臓器におけるウイルス増殖の違いを調べるとともに、肺のマクロ及び組織病理解析を行った。その結果、強毒のUT3062株は弱毒のUT3028株に比べて長期間に渡り持続的にかつ全身の臓器で増殖することを示した。またHAとNS遺伝子分節のみが強毒のUT3062株由来で残りの遺伝子分節が弱毒のUT3028株由来のリアソータントウイルスも、UT3062株同様に持続的に全身の臓器で増殖した。これによりHAとNS遺伝子分節が、フェレットにおける持続的な全身感染に関与していることを示した。また病理解析の結果、UT3062株とUT3028株間で3つの大きな違いを明らかにした。まず接種後1日目の生体反応の違いとして、強毒のUT3062株を接種したフェレットでは、気管支周囲や気管支上皮細胞間への好酸球浸潤が見られたのに対し、弱毒のUT3028株を接種したフェレットでは、肺胞や細気管支内腔への好中球浸潤が顕著であった。次に、接種1日目の所属リンパ節でのウイルス増殖をウイルスに対する抗体を用いて解析したところ強毒のUT3062株はウイルス増殖が観察されたが弱毒のUT3028株は観察されなかった。最後に、強毒のUT3062株を接種したフェレットでは3日目においてもウイルス抗原が検出され続け、個体によっては5及び7日目にもウイルス分布が拡大していた。またこのような個体ではリンパ球・マクロファージ浸潤の程度が乏しかった。一方、弱毒のUT3028株を接種したフェレットでは1例を除いて3日目以降は肺炎病巣にウイルス抗原が検出されず、炎症反応も好中球からリンパ球・マクロファージの浸潤と再生性変化に置き換わっていく像が観察された。またHAとNS遺伝子分節のみが強毒のUT3062株由来で残りの遺伝子分節が弱毒のUT3028株由来のリアソータントウイルスについても、UT3062株と同様のウイルス抗原の広がりと炎症反応が観察された。これらの成果は、ウイルス学・免疫学の両学問領域において重要な知見である。

更に、両株間で違いのあったHAタンパク質のユ34番目のアミノ酸の役割を解明するため、レセプター結合能の解析を行っている。HAタンパク質の立体構造を基に、134番目のアミノ酸がレセプター結合部位の近傍に位置していることから、論文提出者はこの機能に着目している。また既存のアッセイ系では差が見られなかったため、従来は別の目的で用いられていだアツセイ系であるウイルス溶出アツセイを転用してHAのレセプター結合能の違いを調べている。その結果、HAの134番目のアミノ酸がレセプター一結合能に関与することを明らかにした。

最後に、NS1の200番目・205番目アミノ酸の役割を調べるため、NS1の主要な機能として知られるインターフェロン拮抗作用に着目して解析を行っている,インターフェロンに対して感受性の高い水泡性口内炎ウイルス(VSV)を用いることで、両株のインターフェロン拮抗作用における微小な差の検出を試みた。その結果、強毒のUT3062株のNS1が弱毒のUT3028株のNS1よりも強いインターフェロン拮抗作用を持…つことを示した。またNS1の200番目と205番目の両方のアミノ酸がこのインターフェロン拮抗作用に重要であることも示した。フェレットは優れたモデル動物であるが、遺伝子情報・抗体・細胞など解析に必要な情報・材料が十分に入手できない現状がある。この点を、アッセイ系の工夫によってうまく克服して解析を進めたことは評価に値する。本論分において、論文提出者はH5N1インフルエンザウイルス株AIVietnam/UT3062/04の新規病原性決定アミノ酸残基としてHAタンパク質の134番目アミノ酸残基及びNS1タンパク質の200及び205番目アミノ酸残基を見出した。また、HAタンパク質の134番目アミノ酸はレセプター結合に関与すること、NS1タンパク質の200及び205番目アミノ酸はインターフェロン拮抗作用に関与することを明らかにした。

本研究から得られた知見は、ウイルス学・免疫学などの諸分野においてインパクトを持つと同時に、治療薬・ワクチン開発などにおいても役立つことが期待される。これらの研究成果は、PLoSPathogensに掲載された。

なお、本論文は新矢恭子、高野量、木曽真紀、村本裕紀子、坂部沙織、村上晋、伊藤睦美、山田晋弥、MaithiQuynhbe、ChairulANidom、坂井(田川)優子、高橋慧、大森康之、野田岳志、下島昌幸、角川学士、五藤秀男、岩附(堀本)研子、堀本泰介、河岡義裕との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計画および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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