学位論文要旨



No 127231
著者(漢字) 岩崎,信太郎
著者(英字)
著者(カナ) イワサキ,シンタロウ
標題(和) 小分子RNA複合体の形成過程とその機能
標題(洋)
報告番号 127231
報告番号 甲27231
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第678号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 泊,幸秀
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 准教授 伊藤,耕一
 東京大学 准教授 深井,周也
内容要旨 要旨を表示する

近年の研究により、タンパク質をコードしない18-30塩基程度の小分子RNAが遺伝子発現を制御していることが明らかになってきた。この機構はRNAサイレンシングと呼ばれ広く真核生物に保存されており、発生、細胞増殖、細胞周期、稔性、がん化、トランスポゾンの抑制など、多岐に渡る生命現象を調節していることが知られている。またこの機構を利用した「RNA干渉」は、任意の遺伝子を特異的にノックダウンできることから、現在では生物学の研究に欠かせない手法となっている。

通常、小分子RNAはその配列と相補的な配列をもつmRNAを負に制御する。しかしながら、小分子RNAはそれ単独で機能できず、RNA-induced silencing complex (RISC)と呼ばれるRNA-タンパク質複合体を形成し、初めて機能することができる。小分子RNAと直接結合し、RISCの中核を成すのがArgonaute (Ago)と呼ばれるタンパク質である。Agoは自身が取り込んだ小分子RNAと相補的な配列をもつRNAに結合し、mRNAの切断、翻訳の抑制、poly(A)鎖の短縮、mRNAの分解といった複雑かつ多様な反応を引き起こすことが知られている。

近年の研究によってRNAサイレンシング経路のアウトラインは明らかなったものの、不明な点が数多く残されている。特に、どのようにRISCが形成されるのか、またどのようにRISCが標的mRNAの翻訳抑制を起こすのか、についてはRNAサイレンシングの中核部分であるのにかかわらず、明確な結論は得られていない。私はこれらの点を解明するためにショウジョウバエ胚及びS2細胞抽出液を利用したin vitro系を用いて研究を行った。

I章 Hsc70/Hsp90シャペロンマシナリーによるRISC loading

代表的な小分子RNAとしてmicroRNA (miRNA)とsmall interfering RNA (siRNA)がよく知られている。これらの前駆体はそれぞれ異なるが、miRNA/miRNA*二本鎖、siRNA二本鎖と呼ばれる小分子RNA二本鎖中間体として生合成される点で共通している。

小分子RNA二本鎖からRISCが形成される過程をRISC assemblyと呼ぶ (図1)。RISC assemblyは少なくとも2つの素過程を経る。始めに小分子RNA二本鎖がAgoへと取り込まれる。この素過程をRISC loading (Agoへの小分子 RNA二本鎖の積み込み)と呼ぶ。この時、一時的に形成される小分子RNA二本鎖とAgoの複合体をpre-RISCと呼ぶ。その後、pre-RISC中で小分子RNA二本鎖のうち、片方のRNA鎖が解離し、もう片方のRNA鎖のみがAgoに保持される。この素過程をunwinding (小分子RNA二本鎖の一本鎖化)と呼ぶ。最終的に形成される一本鎖小分子RNAとAgoの複合体をRISCと呼ぶ。

これまでの研究によりRISC loadingにはATPの加水分解が必要であること、また精製したAgoだけでは小分子RNA二本鎖を取り込むことができないことが分かっていた。これらの結果は、RISC loadingにはAgo以外にATPの加水分解を行う何らかの因子が必要であることを示唆する。しかし、それが一体どのような因子なのかについては全く分かっていなかった。そこで私は、RISC loadingを担う因子を同定することを目的として実験を行った。

ショウジョウバエにはAgo1およびAgo2と呼ばれる2種類のAgoが存在する。RISC loadingを担う因子の手がかりを得るためにAgo1、Ago2に結合する因子の同定を試みた。その結果、Hsp70の恒常的発現性ホモログであるHsc70-4、Hsp90のホモログであるHsp83、またHsc70やHsp90の活性を補助する因子であるHopやDroj2がAgo1、Ago2共通の結合タンパク質として同定された。これらの因子はHsc70/Hsp90シャペロンマシナリーを形成することが知られている。Hsc70、Hsp90の特異的阻害剤を用いてHsc70、Hsp90がRISC assemblyに必要かを検証したところ、Hsc70/Hsp90シャペロンマシナリーはAgo1とAgo2のRISC loadingに必要であるのに対し、unwindingには必要ないということが明らかになった。またヒトのRISC loadingにおいても同様の結果が得られた。

さらにAgo2、Dcr-2/R2D2、Tanslin/Trax、Hsc70-4、Hsp83、DroJ2、Hop、p23の10精製タンパク質とsiRNA二本鎖によって、RISC assemblyを再構成することに成功した。これをRISC assembly pure systemと名付けた。この結果はRISC assembly反応には以上の11因子で十分であることを意味している。

通常、Hsc70/Hsp90シャペロンマシナリーはATP依存的に、結合したタンパク質の構造を変化させ活性を制御することが知られている。以上の結果から、「RISC loadingとはHsc70/Hsp90シャペロンマシナリーがATPを消費し、Agoの構造変化を促すことで小分子RNA二本鎖と結合できる状態にする反応である」というモデルが考えられる (図2)。

実際にHsc70/Hsp90シャペロンマシナリーによってAgoの構造変化が起きているのか、またAgo1のRISC assemblyにはどんな因子で十分なのかなど、今後詳細に研究されるべきである。

II章 ショウジョウバエAgo1およびAgo2による翻訳抑制機構

これまでの研究から小分子RNAが標的mRNAの翻訳を抑制することが明らかにされてきた。しかしながら、その具体的メカニズムについては諸説あり、明確な結論は得られていない。これまで、生物種によって複数個存在するAgoタンパク質間の違いに関してはほとんど解析されてこなかった。私はAgoごとに翻訳抑制のメカニズムが異なることによって矛盾した結果が生じているのではないか、という仮説を立てた。私はAgoごとの作用機序の違いに着目し、小分子RNAによる翻訳抑制機構の解明を目的として研究を行った。

ショウジョウバエでは小分子RNA二本鎖はその構造的特徴により、Ago1とAgo2のどちらに取り込まれるかが決定される。miRNA/miRNA*二本鎖のように中心付近にミスマッチがある場合はAgo1へ、siRNA二本鎖のようにミスマッチがない場合はAgo2へと取り込まれる (図3)。これを「小分子RNA二本鎖の振り分け機構」と呼ぶ。この振り分け機構を利用することによって、ショウジョウバエ胚抽出液中で小分子RNAをAgo1とAgo2のどちらに取り込ませるかを厳密に制御することが可能になった。また、ショウジョウバエ胚抽出液中では翻訳反応を再現することが可能である。これらを組み合わせることによって、Ago1とAgo2による効果を厳密に区別し、小分子RNAによる翻訳抑制を再現できるin vitro系を構築することに成功した。この実験系を用いた解析から、Ago1、Ago2はいずれもが翻訳抑制を引き起こすが、その様式に明確な違いがあることが明らかとなった。

mRNAの翻訳は翻訳開始因子eukaryotic initiation factor 4E (eIF4E)、eIF4G、eIF4Aなどを含んだ複合体がcap構造を認識して始まる。Ago1はこれらの因子によるcap構造の認識段階には作用せず、より下流の翻訳段階を抑制する (図4A)。また、同時にATP依存的な標的mRNAのpoly(A)鎖の短縮を引き起こす。通常翻訳中のmRNA上ではpoly(A)鎖に結合するpoly(A)-binding protein、eIF4G、eIF4E、cap構造を介したloopが形成され、翻訳が効率的に起こる。poly(A)鎖の短縮が起こるとこのloopが壊れ、翻訳の効率が低下すると考えられる。さらにAgo1によるcap構造の認識以降の翻訳抑制とpoly(A)鎖の短縮の両方の経路にAgo1結合タンパク質であるGW182が必要であることが明らかになった。

これに対し、Ago2による翻訳抑制poly(A)鎖の短縮を伴わず、またGW182も関与しない。Ago2はeIF4Eに結合し、eIF4EとeIF4Gとの結合を阻害することでcap構造の認識段階を阻害する (図4B)。Ago2とeIF4Eとの結合は、Ago2が標的RNAと結合している場合、強固になる。このメカニズムによってAgo2は標的mRNA上のeIF4Eと結合しやすくなり、また標的以外のmRNAの翻訳が抑制されるのを防いでいると考えられる。

本研究によってショウジョウバエAgo1、Ago2による翻訳抑制のメカニズムに大きな違いがあることが明らかとなった。この結果はこれまでの矛盾した報告を説明できる可能性がある。一方で、Ago1の翻訳抑制がcap構造の認識以降に作用していることが明らかとなったが、それが具体的にどの段階なのかについては明らかになっていない。また、ヒトではAgoは4つ存在するが、それらによる翻訳抑制のメカニズムに違いがあるのかという点についても不明である。これらの点についてさらなる解析が望まれる。

RNAサイレンシングを理解することは、その中核を成すAgoの性質を理解することであると言い換えられる。I章とII章はAgoの性質を多角的に検証したものであり、本研究によってRNAサイレンシングの理解がより深くなったと考える。

図1 ショウジョウバエにおけるRISC assemblyの模式図

図2 Hsc70/Hsp90シャペロンマシナリーによるRISC loadingのモデル図

図3 ショウジョウバエにおける小分子RNA二本鎖の振り分け機構の模式図

図4 ショウジョウバエAgo1 (A)とAgo2 (B)による翻訳抑制機構のモデル図

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、様々な生命現象を緻密に制御することが知られているsmall interfering RNA (siRNA)やmicroRNA (miRNA)などの小分子RNAがどのようにして働くのかという大きな疑問に対し、そのエフェクター複合体であるRNA-induced silencing complex (RISC)の形成と機能に着目した研究成果をまとめたものである。本論文は2章からなり、第1章はRISCの形成過程について、第2章はRISCによる翻訳抑制について述べられている。

第1章では、RISCの形成過程のうち、小分子RNA二本鎖がRISCのコアタンパク質であるArgonauteタンパク質に取り込まれる際に、Hsc70/Hsp90シャペロンマシナリーの作用が必要であるのに対し、その後の小分子RNA二本鎖RNAの一本鎖化および標的の切断には必要無いという知見が述べられている。これは、小分子RNA二本鎖の取り込み段階がArgonauteの大きな構造変化を伴うものであることを強く示唆している。これまでに、精製されたArgonauteと小分子RNA二本鎖だけではRISCの形成が起こらないこと、またRISC形成にATPの加水分解が必要なことが分かっていたが、その理由は全く分かっていなかった。本研究結果は、RISC形成過程に「シャペロンによるコアタンパク質の構造変化」という全く新しい視点をもたらすものであり、高く評価できる。

また第2章では、RISCの中核をなすArgonauteの種類によって、その翻訳抑制の様式が大きく異なるということを、ショウジョウバエをモデルとして用いて証明したことが述べられている。具体的には、Argoanute1は、相互作用因子GW182を介し、ATP依存的脱アデニル化反応およびcap構造認識より後の段階での翻訳抑制を引き起こすのに対し、Argonaute2は、脱アデニル化反応を介さず、翻訳開始因子eIF4EとeIF4Gとの相互作用を阻害することによって、capの機能そのものを阻害する。これまで、小分子RNAを介した標的mRNAの翻訳抑制に関しては、様々な仮説が提唱されてきたが、その内容は相矛盾するものを含んでおり、明確な結論は得られてこなかった。本研究によって得られた知見により、これまでの矛盾点を統一的に整理できる可能性があり、miRNAの作用機序の解明に大きく貢献するものである。

なお、本論文第1章は依田真由子・小林真希、第2章は川俣朋子との共同研究部分を含むが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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