学位論文要旨



No 127238
著者(漢字) 鄭,秀蓮
著者(英字)
著者(カナ) チョン,スヨン
標題(和) 前立腺がんに対する新規治療標的遺伝子の同定と機能解析および前立腺がん感受性領域8q24上のnon-coding RNAの機能解析
標題(洋) Identification and functional analysis of novel molecular targets for prostate cancer therapy and biological function of non-coding RNA in 8q24 with prostate cancer susceptibility
報告番号 127238
報告番号 甲27238
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第685号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 松田,浩一
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 中井,謙太
 東京大学 准教授 渋谷,哲朗
 東京大学 准教授 加藤,直也
内容要旨 要旨を表示する

1. Identification and functional analysis of novel molecular targets for prostate cancer therapy

[背景]

前立腺がんは、欧米において男性の悪性腫瘍罹患者数で第1位、死亡者数では肺がんに続き第2位を占めている。近年では、日本を含むアジア諸国においても、生活様式の欧米化、高齢者数の増加に伴い、前立腺がんの罹患率および死亡率がともに急増している。前立腺がんの発症および進行には、男性ホルモンであるアンドロゲンによるシグナル経路が深くかかわっていることが明らかになっているため、アンドロゲンの産出を抑制し、その機能を阻害する内分泌療法(内科的または外科的去勢)が外科的切除や放射線療法とともに前立腺がんに対する標準的治療として行われ、高い有効性を示している。多くの患者においては、このホルモン療法による治療効果が期待できるが、約20-30%の患者においては、治療期間中にホルモン療法の効果がなくなり、骨やリンパ節に転移のあるホルモン不応性前立腺がんとして再燃する。ホルモン不応性前立腺がんは、既存の抗がん剤を中心とする化学療法はあまり奏功せず、現在の医療では有効な治療法がないため、新たな分子標的治療薬の開発が急務である。

本研究では、ホルモン不応性前立腺がんの発症・進展メカニズムの解明と新規治療法開発を目的として、ホルモン不応性前立腺がん細胞で発現が亢進している分子、PKIB (cAMP-dependent protein kinase inhibitor β)とSTYK1 (Serine/Threonine/Tyrosine Kinase 1)を見出し、その機能解析を行った。

[方法と結果]

当研究室で作成された前立腺がんに対する遺伝子発現プロファイルから前立腺がん、特にホルモン不応性前立腺がんで高頻度に高発現している遺伝子の抽出を行い、臨床検体と前立腺がん細胞株のcDNAを用いて実際の発現を半定量的RT-PCRで確認した。また、これら遺伝子産物を治療薬のターゲットとした場合の副作用を回避できるようにするため、正常組織での発現をnorthern blot解析にて確認し、その結果から、正常重要臓器(脳、心臓、肺、肝臓、腎臓)での発現が低く、前立腺がん細胞で高発現している2つの遺伝子、PKIBとSTYK1を同定した。

候補遺伝子に対しては、まず、RNAi実験にて前立腺がん細胞の増殖に与える影響について検討を行った。それぞれの遺伝子に特異的なsiRNA配列を選択し、shRNAとして細胞内で発現させたところ、ノックダウン効果がみられた細胞では、増殖が抑制されることが確認され、これらの遺伝子の発現が前立腺がん細胞の増殖に重要であることが示唆された。次に、タンパク質レベルでの発現を確認すため、それぞれの分子に対する特異的抗体を作製して前立腺がん組織を用いた組織免疫染色を行った。PKIB, STYK1ともに前立腺がん、特にホルモン不応性前立腺がん組織での顕著な発現上昇が確認された。

PKIBは、組織免疫染色で前立腺がんの悪性度を表す組織学的分類であるグリーソンスコアに相関して発現が上昇しており、前立腺がんの増殖だけでなく浸潤や転移にも関わっている可能性が示された。そこで、PKIBの発現をsiRNAで抑え、細胞の浸潤能に与える影響についてMatrigel invasion assayを行ったところ、PKIBの発現が抑えられた細胞では浸潤能の顕著な低下が観察された。また、PKIBは相互作用タンパク質であるprotein kinase A (PKA)を介してAktのリン酸化を上昇させることが明らかになった。PKIBを一過性に高発現させた細胞では、Aktのリン酸化の増加が認められ、反対にPKIBの発現を抑えた細胞においてはAktリン酸化の減少が観察された(Fig.1)。Aktは、多くの癌細胞で、リン酸化によりその機能が活性化され、細胞死の抑制や増殖促進、運動能の増加などを誘導することから、PKIBの発現上昇による前立腺がん細胞の増殖促進や浸潤能の亢進はAktシグナル経路を介して起こることが明らかになった。

STYK1はそのアミノ酸配列からkinase domainを持つと予測されており、実際にkinaseとしての活性を持っているのかについて検討を行うため、リコンビナントタンパク質を作製してin vitro kinase assayを施行した。STYK1の基質は同定されていなかったため、前立腺がん細胞株のcell lysateを用いて検討したところ、リン酸化されていると考えられるバンドが確認できた(Fig.2)。このようなSTYK1のkinase活性ががん細胞の増殖に重要であるかを調べるために、wild type(wt)STYK1とkinase-dead(KD)STYK1の発現ベクターを作成して細胞に導入した。その結果、wtでは細胞増殖が促進されていたが、KDでは増殖促進効果は観察されず、STYK1のkinase活性が前立腺がん細胞の増殖に重要であることが明らかになった(Fig.3)。

[考察]

今回同定した2つの遺伝子はともに悪性度の高いホルモン不応性前立腺がんで高発現しており、前立腺がんの増殖に重要であることが認められた。特に、PKIBは、がんの進展によって発現が上昇し、がん細胞の浸潤にも関与していること、さらに、PKAを介してがん細胞の増殖に関わるAktを活性化させることが明らかになった。この結果は、過去に報告されているPKIBの機能とは異なったものであり、前立腺がん特異的かつ新しい機能であると考えられる。

今後、さらなる検討が必要ではあるが、本研究の結果はホルモン不応性前立腺がんの進行メカニズム解明や新規治療薬開発につながるものと考えられる。

2. Biological function of non-coding RNA in 8q24 with prostate cancer susceptibility

[背景]

がんは、遺伝的要因と環境要因の2つが相互作用することで引き起こされると考えられている。がんに対するリスク因子は、がん種によって様々であり、遺伝的要因が強く関わるものもあれば、環境因子がより強く働く場合もある。前立腺がんの発症リスクを高める環境要因として代表的なのは、食生活である。いくつかの研究結果により、動物性脂肪の高摂取が前立腺がんの発症を高めるということが明らかになってきており、実際に、食生活の欧米化に伴い、日本でも前立腺がんの罹患者数は急増している。しかしながら、欧米に比べるとその割合は低く、さらに家族歴がある場合は発症する確率が高いという統計結果から、前立腺がんの発症には遺伝的背景が大きく関与しているのではないかと推測される。

最近では、国際HapMap研究やシークエンス技術の発展によりゲノムワイドな解析が可能になったことから、疾患に関連する遺伝子多型解析が盛んに行われている。前立腺がんに対する解析も行われており、2007年には欧米人における前立腺がん発症リスクに関連する複数の遺伝子多型が同定された。それらの多型は染色体8番の長腕q24の複数箇所に位置しており、関連領域から約200kb下流にがん遺伝子であるMycが存在していることから、Mycの発現などに影響を及ぼし前立腺がんの発症リスクを上げるのではないかと予測されているが、いまだ詳しいメカニズムはわかっていない。日本人集団においても8q24領域は前立腺がんと最も強い相関を示すことがわかったが、最低でも5か所あると考えられる8q24領域の内、8q24 region2が最も強く前立腺癌の発症に関わっていることが確認された。

本研究では、日本人の前立腺がん患者集団における8q24領域内の疾患感受性遺伝子の同定を目的として行われ、日本人集団でもっとも強い関連を示す領域を確定し、その領域において新規のnon-coding RNA(ncRNA)を同定して機能解析を行った。

[方法と結果]

8q24領域内で最も強く関連する領域を特定するため、1504例の前立腺がん患者DNAサンプルと1554例の健常人DNAサンプルを用いてfine mappingとre-sequencingを行った。Fine mappingでは、HapMap-JPTから8q24 region2(chr8:128.14-128.28MB)内の57 tag SNPを選択してmultiplex PCRとinvader assayにてタイピングし、強い関連を示すSNP, rs1456315(chr8: 128,173,119, p=2.31x10-21)を確認した。このSNPを含んだ約22kbに対して、94例の前立腺がん患者DNAを用いてダイレクトシークエンス法によるre-sequencingを行い、前立腺がんと有意に関連している新規の34SNPを含む95SNPを同定した。その中で新規のSNP(SNP34)が最も強い関連(p=1.68x10-23, OR=1.75, 95% CI=1.57-1.95)を示しており、このSNPを含む約15kb (rs1016342-SNP34)の領域を候補領域として遺伝子の探索を行った(Fig.4)。

遺伝子の探索は、RT-PCRとRACE (Rapid Amplification of cDNA End)法を用いて行った。候補領域にはデータベースに登録されている遺伝子(ESTを含む)がなかったため、任意でプライマーを設計し、RT-PCRにて転写産物の有無を検討したところ、前立腺がん細胞株で転写産物が発現していることを確認することができた。Northern blot解析の結果では約13kbのサイズにバンドを認めており、RACE法にて全長の同定を試みたところ、約12kbのイントロンを持たないpolyAが付加されたnon-coding RNA(ncRNA), PRNCR1を同定した(Fig.5)。

前立腺がん細胞での機能について、PRNCR1に特異的なsiRNAを作製して検討を行った。細胞増殖に与える影響についてMTT assayを施行した結果、前立腺がん細胞の増殖が抑制されることが明らかになった(Fig.6)。さらに、前立腺がんで重要な役割を担っているアンドロゲン受容体(AR)への影響についてluciferase reporter assayを用いて検討したところ、PRNCR1の発現を抑えた細胞ではARの転写活性が低下していることが確認された(Fig.7)。

[考察]

日本人集団において最も強い前立腺がんに対する感受性領域を同定し、候補領域に発現している新規のnon-coding RNAの存在を確認した。また、PRNCR1に対する機能解析を行った結果、PRNCR1が前立腺がん細胞の増殖に関与していることやARの転写活性を制御していることが明らかになった。さらに、機能解析の結果ではPRNCR1が前立腺がんの発症に関わっている可能性が示唆されたことから、前立腺がん発生メカニズムの解明にもつながると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、近年急増している前立腺がんに対する新規治療法開発のための標的分子を同定することと前立腺がん発症と遺伝的要因との関連についての解明を目的としている。本論文は2章からなり、第1章は前立腺がんに対する新規治療薬開発のための標的分子の同定と機能解析、第2章は前立腺がん感受性領域8q24上の新規non-coding RNAの機能解析について述べられている。

第1章では、前立腺がんの中でも進行性・転移性前立腺がんである去勢抵抗性前立がんにおいて発現が亢進している遺伝子、PKIBとSTYK1に対する解析結果が前・後半に分けて述べられている。これらの遺伝子は論文提出者が在籍している研究室の先行研究で作成された去勢抵抗性前立腺がんに対する遺伝子発現プロファイルをもとに前立腺がん細胞において高頻度に高発現している遺伝子として同定された。

1. PKIB:RT-PCR法、ノザンブロット解析法を用いて前立腺がん臨床検体および前立腺がん細胞株での高発現と正常臓器での発現低下を確認している。正常臓器では胎盤での発現が認められているが、その他の重要臓器における発現が極めて低い事から、今後PKIBをターゲットとした治療薬開発において副作用を最小限に抑えられると考えられる。また、PKIBに対する特異的抗体を作製し、組織免疫染色も行っており、その結果、去勢抵抗性前立腺がんにて発現が亢進していることが認められた。特に前立腺がんの悪性度の指標であるグリーソンスコアとPKIBの発現上昇が相関していることから、前立腺がんの悪性化に関与している可能性が示唆された。さらに、PKIBに対する特異的なsiRNAを用いて行った遺伝子発現阻害実験では、PKIBの発現抑制によってがん細胞の細胞周期が停止し増殖が阻害されることが明らかとなった。この結果は、PKIBの発現ががん細胞の増殖・生存に必須であることが示すものである。組織免疫染色においてPKIBの発現が前立腺がんの悪性化に関与している可能性が示唆されたことから、細胞浸潤能に与える影響についても検討を行っている。その結果、PKIBの発現を阻害した細胞では浸潤能の低下を認めた。一方、PKIBを過剰発現させた細胞においては、これらの増殖・浸潤能の亢進を確認している。さらにPKIBの活性化が癌化にどの様に関わるかについて解析を進めたところ、PKIBの結合タンパク質であるPKA-Cが重要な役割を担うことが明らかとなった。In vitro kinase assay等の検討から、PKIBはPKA-Cを活性化し、PKA-Cの基質であるAktのリン酸化を亢進することでがん細胞の増殖や浸潤を正に制御することが示された。

2. STYK1 :発現解析により、前立腺がん細胞での高い発現と正常臓器における低発現を確認している。特異的抗体を作製し行った組織免疫染色の結果では、去勢抵抗性前立腺がんにおいて発現が上昇していることを確認した。また、STYK1の発現を特異的に阻害するsiRNAを前立腺がん細胞に導入したところ、がん細胞の増殖が抑制された。これは、PKIBと同様前立腺がん細胞の増殖・生存にSTYK1の発現が重要であることを示唆する結果である。STYK1はin silico予測で一回膜貫通ドメインとキナーゼドメインを持つとされていたため、その局在とキナーゼ活性について検証を行っている。細胞免疫染色や細胞分画を分けたサンプルでのウエスタンブロット解析の結果、STYK1は細胞内のミクロソームに局在することが明らかになった。さらにSTYK1のリコンビナントタンパク質を精製し、癌細胞株の細胞抽出液を基質としてin vitro kinase assayを行ったところ、STYK1がキナーゼとして働く可能性が示唆されている。さらに、キナーゼ活性を消失させた変異体を用いて検討した増殖アッセイの結果から、STYK1のキナーゼ活性が前立腺がん細胞の増殖促進に関与している可能性が考えられた。

第2章では、前立腺がんの感受性領域として同定されている8q24内において、アンドロゲン受容体の機能制御を介して前立腺がん発症に関与すると考えられる新規のnon-coding RNAの同定と機能解析について述べられている。日本人における全ゲノム関連解析の結果、欧米人を対象に行われた結果とは異なり日本人集団においては8q24 内のregion 2と定義されている領域が最も強く関連していることが明らかとなった。さらにこの領域が前立腺がん発症においてどのような意義があるのかということを解明するため、遺伝子の探索を行い13kbにわたる新規のnon-coding RNA(PRNCR1)を同定している。前立腺がん臨床検体を用いて行った定量的RT-PCR法により、PRNCR1ががん細胞で発現上昇していることが確認された。また、PRNCR1特異的なsiRNAを前立腺がん細胞に導入したところ、がん細胞の増殖が抑制されることから、PRNCR1の発現が前立腺がん発症と関与している可能性が示唆された。さらに、前立腺がん細胞の増殖と強く関連するアンドロゲン受容体の活性に与える影響についてレポーターアッセイにて検討した。その結果、PRNCR1の発現を阻害した細胞ではアンドロゲンに対する反応性の低下が認められ、PRNCR1がアンドロゲン受容体活性制御に関与している可能性が考えられた。

以上、本論文は去勢抵抗性前立腺がんに対する新規治療標的分子であるPKIBとSTYK1の機能解析により、これら分子が前立腺がんの増殖、悪性化に関わることを明らかとした。また前立腺がん発症リスクに関連する遺伝子座の解析によって新規のnon-coding RNAを同定、前立腺がん発症に機能的に関与する可能性があることを解明した。これらの結果は、新規治療薬開発のターゲットとしての臨床応用が期待されること、また前立腺がん発症リスク予測による早期発見や発癌メカニズムの解明等に重要な貢献をなすと考えられる。

なお本論文は、中川英刀、久保充明、柏谷琴映、醍醐弥太郎、松田浩一、中村祐輔との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(生命科学)の学を授与できると認める。

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