学位論文要旨



No 127241
著者(漢字) 福田,剛
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,ツヨシ
標題(和) 神経管形成におけるヒストン脱メチル化酵素Fbxl10/Kdm2bの機能解析
標題(洋) Fbxl10/Kdm2b Deficiency Accelerates Neural Progenitor Cell Death and Leads to Exencephaly
報告番号 127241
報告番号 甲27241
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第688号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 教授 渡邊,俊樹
内容要旨 要旨を表示する

【目的】

本研究では生体での働きが不明であるヒストン脱メチル化酵素 Fbxl10/Kdm2bが、中枢神経系に与える影響および、その分子メカニズムの解明を目指す。

【背景】

脊椎動物の中枢神経系 (脳、脊髄)の発生は、胎生期に神経管と呼ばれる管構造原基が形成される事に始まる。神経管は神経上皮細胞で構成される神経ヒダの両端が立ち上がり、近接、融合することによって形成される。この形成過程は多くの遺伝子が関与する複雑なプロセスから成り、それぞれの遺伝子が及ぼす詳細なメカニズムついては未だ不明な点が残されている。神経管形成の異常は外脳症/無脳症や二分脊椎といった重篤な先天性疾患を引き起こす。そのため神経管形成に関わる遺伝子の同定やメカニズム解析は生物学のみならず医学的にも重要な課題といえる。

DNAのメチル化やヒストン修飾に代表されるエピジェネティックな遺伝子発現制御は、個体発生や細胞の分化において非常に重要な役割を担っている。例えば胎生期のニューロン新生からグリア新生への切り替わりには、時期特異的なヒストンメチル化状態の変化が重要な要因となっていることが報告されている。またがんや神経変性疾患などで、しばしばこれらの制御異常が確認されており、エピジェネティックな変異は様々な疾患に対しても大きく関与していると考えられている。ヒストンのリジン残基メチル化は近年までその熱力学的安定性から不可逆的な修飾と考えられてきた。しかし2004年にその定説を覆すヒストンリジン脱メチル化酵素 (KDM)の存在が証明された。以後、JmjCドメインを持つタンパクが次々とリジン脱メチル化活性を有すことが示され、新たなヒストン修飾酵素群の個体発生や疾患に対する役割に注目が寄せられる一方で、これらの生理的機能はほとんど明らかにされていない。

Fbxl10/Kdm2bは2006年にヒストン3リジン36 (H3K36)に対する脱メチル化酵素であることが示されたJmjCドメイン含有タンパクである。これまでFbxl10は、細胞の増殖やアポトーシス、老化、腫瘍形成に関与することが示唆されてきたが、研究グループまたは用いる細胞種により異なる結果が報告され依然として議論の余地が残されている。さらにその生体での生理的機能は不明である。データベースによるとFbxl10は受精卵やES細胞、胎生初期に発現量が高いことが示されており、マウスの初期発生において重要な役割を持っていることが考えられた。そこで本研究では初期発生におけるFbxl10の機能を、遺伝子改変マウスを作製することにより解析した。

【結果】

まず、Fbxl10の発生初期における発現様式を確認するため、胎生期のマウスおよび成体マウスの各組織に対しノザンブロット解析を行った。Fbxl10の発現量はES細胞や胎齢 (E)8.5日胚において高く、胎齢の経過に伴ってその発現量は低下していた (図1)。また成体組織では胸腺や脳、脾臓で発現が確認できたほか、精巣で顕著に高い発現が見られた。次に胎生期におけるFbxl10の発現を空間的に解析するため、E8.5~9.5胚に対しホールマウントin situ hybridizationを行い、Fbxl10がE8.5~9.5胚において頭部の神経上皮細胞特異的に発現することを明らかにした (図1)。このことからFbxl10は胎生期の神経上皮細胞において役割を持っていることが予想された。そこで、Fbxl10の個体レベルでの生理的機能を解析するためにFbxl10欠損マウスを作製した。Fbxl10欠損マウスは約44%の割合で外脳症を呈し、それらの個体は出生直後に死亡した (図2)。一般的に外脳症は胎生期の神経管閉鎖不全 (NTDs)によって引き起こされる。そこで頭部神経管が閉鎖した直後のE9.5胚を観察したところ、対照マウスでは正常に神経管が形成されたのに対し、一部のFbxl10欠損マウスでは神経ヒダが開いたままであった (図2)。これらのことからFbxl10は胎生期における神経管形成において重要な役割を果たしていることが示された。

正常な神経管形成には神経ヒダを構成する神経上皮細胞と周囲の間充組織の増殖、アポトーシスおよび分化が絶妙なバランスで調整されることが必須である。一方でFbxl10は細胞増殖や細胞死を制御することが報告されている。Fbxl10欠損マウスに見られたNTDsの発生機構を調べるため、E9.5胚の組織切片を作製しFbxl10欠損胚の増殖、アポトーシスおよび神経分化をそれぞれ、リン酸化ヒストンH3抗体 (PH3:分裂期細胞マーカー)による免疫染色、TUNEL解析およびニューロンマーカーTuj1による免疫染色で評価した。その結果、分裂期の細胞数および神経分化に顕著な差は見られなかった。しかし対照胚に比べFbxl10欠損胚ではNTDsの有無に関わらず、神経上皮細胞および神経堤細胞由来の間充織細胞においてアポトーシスが有意に亢進していた (図3)。このことからFbxl10は神経管形成期の神経上皮細胞および神経堤細胞のアポトーシスを負に制御していることが示唆された。

Fbxl10はH3K36とH3K4に対する脱メチル化酵素である。K36とK4のメチル化は近傍遺伝子転写の活性化標識であるため、これらの脱メチル化酵素であるFbxl10は転写抑制因子であると考えられている。Fbxl10の標的遺伝子にはc-junやrRNA、p15、p16Ink4a、p19ARFなどが報告されている。これらの標的遺伝子の中でc-junとp19ARFはアポトーシス誘導因子としての機能を持っている。そこで、Fbxl10欠損胚で観察されたアポトーシス亢進はこれらの遺伝子発現量が増加したために引き起こされたことを予想した。この仮定を検証するため、またFbxl10の欠損が標的遺伝子の転写に及ぼす影響を調べるため、対照およびFbxl10欠損E8.5胚からRNAを抽出し、定量的RT-PCRを用いてこれら標的遺伝子の発現量を解析した。その結果p19ARFの発現量がFbxl10欠損胚において亢進する傾向が観察された (図4)。このことからFbxl10は発生初期においてp19ARFの発現を抑制していることが示唆された。また同様の現象はマウス胎児繊維芽細胞 (MEF)を用いた実験でも確かめられた。Fbxl10を特異的にノックダウンするshRNAを発現させたMEFではp19ARFおよびp16Ink4aの発現量が有意に亢進した。またFbxl10発現ベクターを導入したMEFではこれらの遺伝子の発現量が低下する傾向が観察できた。以上の結果から、Fbxl10は少なくともp19ARFの発現調節を介して胎生期における神経上皮細胞および神経堤細胞のアポトーシスを制御し、正常な神経管形成に貢献していることが明らかとなった。

【考察】

本研究によりヒストンリジン脱メチル化酵素Fbxl10は神経管形成が起きる胎生初期胚の頭部神経上皮細胞および神経堤細胞特異的に発現し、正常な神経管形成に必要であることが明らかとなった。また、Fbxl10の欠損は神経上皮細胞および神経堤細胞の細胞死を亢進し、その原因の一端はp19ARFの発現量亢進にあることを突き止めた。

神経管閉鎖不全 (NTDs)はヒトでは1000人に1人の割合で発症する大変重篤な疾患である。これまで200以上のNTDsを発症するマウスが作製されており、その過程でNTDsは神経上皮細胞の増殖や細胞死、分化パターン、極性パターン、アクチンの異常などにより引き起こされることが分かっている。中でも細胞死の制御は重要な要因であり、神経上皮細胞の細胞死が低下しても亢進してもNTDsが引き起こされる。したがってFbxl10欠損胚で見られたNTDsの直接的原因は神経上皮細胞および神経堤細胞のアポトーシス亢進にあると考えられる。先行研究によりFbxl10はゲノムのInk4a/Arf領域に結合し、近傍のH3K4/K36を脱メチル化することによりp16Ink4aとp19ARF遺伝子の転写を抑制することが示されている。p19ARFはp53をタンパクレベルで安定化することによりp53依存的な細胞死や細胞周期の停止を制御している。本研究で見られたFbxl10欠損胚におけるp19ARFの発現量亢進は同胚で見られたアポトーシスの亢進を引き起こす原因となっている可能性が考えられる。

多くのNTDs変異マウスの表現型の浸透度が100%ではないのと同様に、Fbxl10欠損マウスでも全ての個体でNTDsを呈すわけではない。この原因として、Fbxl10のホモログであるFbxl11が一部機能を代償している可能性が考えられる。Fbxl11はFbxl10同様H3K36に対する脱メチル化活性を有する相同性の高い遺伝子である。Fbxl11の発現はユビキタスであり、胎生期の胚や、成体の各種組織にも発現している。両遺伝子の機能的重複性を検証するためには将来的にFbxl10/11ダブルノックアウトマウスを作製する必要があると考えている。

NTDsを呈す遺伝子欠損マウスは数多く存在するがヒストンのメチル化/脱メチル化を制御する遺伝子においてはFbxl10が初めての報告となる。本研究の発見は神経管形成においてもヒストンのメチル化制御が大きな役割を担っていることを示唆するものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、遺伝子改変技術を用いてFbxl10遺伝子を破壊したマウスを作製・解析することで、Fbxl10の個体レベルでの生理的機能を明らかにしている。

脊椎動物においてヒストンのメチル化制御は、個体発生や細胞分化において非常に重要な役割を担っており、ヒストンメチル化酵素を欠損したマウスの多くは発生に重大な欠陥をきたす。近年までヒストンのメチル化は不可逆的修飾と考えらており、ヒストン脱メチル化酵素が存在するかは不明であった。しかし2004年以降、ヒストン脱メチル化酵素が次々と同定され、この新規ヒストン修飾酵素群の発生・分化における機能に注目が寄せられている。Fbxl10は2006年にH3K36に対する脱メチル化酵素であることが報告された遺伝子である。Fbxl10は細胞レベルでは増殖やアポトーシス、老化、腫瘍形成等に関与することが示唆されているが、その個体レベルでの生理的機能は不明であった。またデータベースによるとFbxl10はマウスの発生初期に発現が高いことが示されている。このことから本論文ではFbxl10が初期発生において重要な役割を持っていることを予想し、ノックアウトマウスを作製することでFbxl10の生理的機能の解明を試み、以下の結果を得た。

1.Fbxl10のマウス発生初期における発現様式を確認するため、胎生期胚に対しノザンブロット解析を行った。Fbxl10の発現量はES細胞や胎生 (E)8.5日において高く、胎齢の経過に伴ってその発現量は低下していた。胎生期におけるFbxl10の発現を空間的に解析するため、E8.5~9.5胚に対しホールマウントin situ hybridizationを行い、Fbxl10がこれらの時期において頭部の神経上皮細胞および神経堤細胞に強く発現することを明らかにした。このことからFbxl10は胎生期の神経上皮細胞および神経堤細胞において役割を持っていることが予想された。

2.Fbxl10の個体レベルでの生理的機能を解析するためにFbxl10欠損マウスを作製した。Fbxl10欠損マウスは約44%の割合で神経管閉鎖不全 (NTDs)を呈し、それらの個体は出生直後に死亡した。このことからFbxl10は胎生期における神経管形成において重要な役割を果たしていることが示された。

3.Fbxl10欠損マウスに見られたNTDsの発生機構を調べるため、E9.5のFbxl10欠損胚に対し免疫組織学的解析を行った。その結果、コントロール胚に比べFbxl10欠損胚では神経上皮細胞および神経堤細胞においてアポトーシスが亢進していた。このことからFbxl10は神経管形成期の神経上皮細胞および神経堤細胞のアポトーシスを負に制御していることが示唆された。

4.Fbxl10は転写抑制因子であるがその標的遺伝子にはc-JunやrRNA、p15Ink4b、p16Ink4a、p19ARFなどが報告されている。そこでFbxl10の欠損が標的遺伝子の転写に及ぼす影響を調べるため、E8.5のコントロールおよびFbxl10欠損胚からRNAを抽出し、定量的RT-PCRを用いてこれら標的遺伝子の発現量を解析した。その結果、アポトーシスの誘導因子であるp19ARFの発現量がFbxl10欠損胚において有意に亢進していた。このことからFbxl10は発生初期においてp19ARFの発現を抑制していることが示唆された。

5.Fbxl10がp19ARFの発現と細胞死を制御することをさらに確認するため、マウス胎児線維芽細胞 (MEFs)においてFbxl10をノックダウンした。Fbxl10の発現を抑制したMEFsではp19ARF発現量が有意に亢進し、さらにアポトーシスを起こす細胞の割合も上昇した。このことからFbxl10はMEFsにおいてもp19ARFの発現と細胞死を抑制していることが示唆された。

以上、本論文はこれまで生理的機能の不明であったヒストン脱メチル化酵素Fbxl10の発生における重要性を明らかにした。Fbxl10の欠損は神経管閉鎖不全を引き起こし、その原因として神経管を形成する神経上皮細胞と、神経堤細胞のアポトーシス亢進を発見した。さらには細胞死亢進の分子メカニズム解明の一端としてp19ARFの発現量亢進を見出している。本研究は神経管形成とエピジェネティクスを関連付けるモデルとしても有用であると考えられる。

したがって博士 (生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50470