学位論文要旨



No 127245
著者(漢字) 渡邊,正人
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,マサト
標題(和) 物理化学的相互作用解析を基盤としたTransducer of ErbB2,1(TOB1)のキャラクタライゼーション
標題(洋)
報告番号 127245
報告番号 甲27245
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第692号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 山田,雅
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 准教授 冨田(竹内),野乃
内容要旨 要旨を表示する

蛋白質のキャラクタライゼーションの手法には、現在、熱分析、分離分析、電磁気分析、電気化学分析などの技術が用いられており、それらはいずれも単離された目的蛋白質のデータから、既に解析された蛋白質の性質と照らし合わせ、性質を決めていく手法である。蛋白質、特に疾患関連蛋白質の性質の理解には、モデル生物を用いた観察や実験、細胞を用いた生理活性の評価が一般的ではあるが、一方で単離した蛋白質を物理化学的な手法で評価する利点について、以下の点が挙げられる。1)溶質として単離された蛋白質分子は、他の分子の影響を極力排除した状態で分子を評価できる。2)既に解析がなされた蛋白質分子の情報との比較により、類似した物性や構造の確認ができる。細胞質蛋白質の多くには種々の相互作用する相手分子(リガンド、パートナー分子)が存在し、それらと相互作用することで生命現象の発現に寄与している。相互作用解析で用いられる物理化学的解析技術として、等温滴定型熱量測定(ITC)、表面プラズモン共鳴(SPR)などが挙げられる。相互作用解析によって明らかとなる情報は、結合の親和性、化学量論比、結合/解離の速度定数、エンタルピー変化量、エントロピー変化量などがあるが、これらの数値は相互作用を担う蛋白質そのものの性質を判断できる情報を含んでおり、複合体の結晶構造解析の結果と照らし合わせて相互作用の詳細を議論することが可能になってきている。

本研究では、一部の領域を除いて2次構造、3次構造の情報が乏しく、パートナー分子が明らかにされている蛋白質として、Transducer of ErbB2,1(TOB1)に着目した。TOB1は細胞増殖抑制因子として知られる細胞内蛋白質である。転写制御因子複合体の一因子であるCNOT7と直接的な結合をすることが報告され、CNOT7にはmRNAのポリA鎖を分解する活性を有していることが明らかとなった(Ezzeddine N et al, Mol. Cell. Biol., 2007)。CNOT7と複合体を形成したTOB1は、成熟したmRNAの安定化に寄与しているPolyA-Binding Protein(PABP)とも相互作用し、CNOT7およびその他のデアデニラーゼによるポリA分解を促進させる。ポリAを分解されたmRNAはその後種々の分解酵素により分解される。ポリAの分解はmRNAの品質管理機構に大きく関与し、TOB1による細胞周期制御機構の一端を担っている。TOB1の生物学的役割は解明が進んでいるのに対し、その分子特性に着目し、各蛋白質との相互作用に関する詳細な解析を行った報告は皆無である。

本研究では、TOB1とCNOT7間の相互作用に着目し、物理化学的解析から各種パラメータを求めることによりTOB1の分子特性の解析を試みた。

解析に用いる蛋白質の発現系には大腸菌発現系を用いた。全長のTOB1を発現させたところ、大部分が不溶性画分として発現することが分かり、この性質は単離した蛋白質溶液中においても同様であった。更に、全長TOB1のサイズ排除クロマトグラフィーの結果からはこのC末端領域が凝集することでTOB1が4量体のサイズとして溶出されていることが分かった。複数種の構造予測プログラム、および結晶構造の報告(Nishida K et al, Acta Crystallogr. Sect. F Struct. Biol. Cryst. Commun., 2007)(Horiuchi M et al, J. Biol. Chem., 2007)より、TOB1のN末端領域1-115位ではBTGファミリーに共通のフォールドを持った領域であり、これよりC末端側の領域では天然変性状態を含む領域であることが示唆された。特に263-345位が不溶性化の要因と予測できたことから、欠失変異体を作成し、発現状況を調査した。作成した変異体は、C末端から13残基ずつ73残基まで除いた7種、BTGホモロジー領域と、特徴的な配列を有するpolyP、polyQ領域に着目したDM0(1-112位)、DM1(1-236位)、DM2(1-262位)、DM3(237-345位)、およびDM4(263-345位)である。7種の変異体では、C末端から除く残基数が多くなるほど可溶性が向上しており、この領域が不溶性化の要因であることが明らかとなった。DM1、DM2では総発現量、可溶性画分の割合が飛躍的に増大しており、DM3、DM4では発現量の低下と不溶性画分の割合の増大が起こっていた。

作成した欠失変異体のサイズ排除クロマトグラフィーの結果から、DM1、DM2について単量体、2量体および多量体として存在していることが判明した。発現量/可溶性画分に含まれる割合が共に高く、単離精製が容易であると考えられたため、精製し相互作用解析に用いることとした。

単離精製が可能なDM1、DM2について、円偏光二色性スペクトル(CD)測定を用いて2次構造を解析した。DM1、DM2はいずれもα-へリックス、β-シートを含んでおり、特性バンド強度の比較からDM1の方がその含量が低いことが示唆された。また、小角X線散乱測定法(SAXS)を用いて3次構造の比較を行ったところ、DM1は慣性半径はほぼ等しいにもかかわらずフォールドしている割合がDM2より大きいことが分かった。以上から、DM2のほうが2次構造の含量が多いにもかかわらず、3次構造に含まれるフォールドしている領域の少ない変異体であることが示された。

TOB1の、他のBTG蛋白質と相同性を持つ1-115位までの領域と全長CNOT7の複合体の結晶構造が既に報告されており、1:1で結合することが明らかとなっている。同じ領域のTOB1単独の結晶構造も報告されており、構造の比較からCNOT7との結合に際してTOB1側の構造変化は起きておらず、この領域のみが結合に関与していると考えられている。DM1、DM2はこの相同性を持つ領域を含んでおり、かつ単一の分子として溶液中で存在する成分の単離が可能であったため、精製後相互作用解析に用いることが可能であった。そこで、速度論的な結合活性を評価し、熱力学的パラメータを算出できる表面プラズモン共鳴法(SPR)を応用した装置BiacoreT-100を用いて相互作用解析を行った。DM1、DM2いずれも1:1の結合後、遅い解離が見られ、複合体が安定であることを示唆していた。DM2の方が速く、解離の遅い相互作用であり、CNOT7との結合においてDM2の方が高親和性であることが示された。

次に、結合の遷移状態についての知見を得るため、SPRによる熱力学的解析を行った。van't Hoff plotにより結合前後におけるエントロピー変化、エンタルピー変化を求めることができ、遷移状態に関してはEyring plotを行うことで各パラメータを求めることができる。DM1-CNOT7間、DM2-CNOT7間の遷移状態は、いずれもエントロピー損な状態であった。結合前後のΔG変化量はほぼ等しく、SPRの結果を裏打ちするものであった。特にDM2-CNOT7間ではより大きくエントロピー損な状態であり、蛋白質構造の誘起あるいは水和を伴う結合である可能性を示唆していた。Eyring plotに着目すると、DM1-CNOT7間では温度上昇に伴い結合速度が増大していた。これは通常の分子間結合に見られるような分子運動が激しくなることによる衝突確率の増大の結果であると考えられる。一方DM2-CNOT7間では逆に温度上昇に伴い結合速度が減少しており、DM1とは異なる現象が観察された。蛋白質のフォールディング速度は高温領域で減少することが報告されており、高温における傾きの類似性から、DM2-CNOT7結合は蛋白質のフォールディングを伴っている可能性が強く示唆された。

TOB1とCNOT7との結合の際フォールディングが起こり、その前後で蛋白質の2次構造の絶対量が変化することが予測されることから、円偏光二色性(CD)スペクトルにより検出が可能ではないかと考えた。蛋白質主鎖の2次構造(α-へリックス、β-シート、ランダムコイル)は特徴的なCDスペクトルを与えること、またCDスペクトルには加算性があることが知られており、2次構造成分の割合を決定する方法も開発されている。

そこで、単離したDM1、DM2、およびCNOT7の単独のCDスペクトルを測定し、それぞれの混合物DM1-CNOT7、DM2-CNOT7のスペクトルを計算により求めた。各蛋白質を1:1の割合で混合、インキュベート後CDスペクトルを測定し、算出されたスペクトルと比較した。DM1とCNOT7との混合溶液について、スペクトルは190nm-250nmの領域で重なっており、蛋白質の混合の前後で2次構造の含量は変化していないことが示唆された。一方、DM2とCNOT7との混合溶液については190nm-200nmの領域でずれが生じており、結合前後に2次構造の変化が起こっている可能性が示唆された。

全長TOB1について、発現時に大部分が不溶性化していたこと、C末端を介して4量体化していたことから、C末端領域はTOB1自身か、他のパートナー分子との複合体を形成するためのドメインである可能性が示唆された。また発現量が少ないこと、C末端領域を除去すると発現量が著しく向上すること、構造予測プログラムの結果などから、BTGホモロジー領域よりC末端よりの領域では天然変性状態を含む領域となっており、大腸菌内のプロテアーゼの影響を受けやすくなっていた可能性が示唆された。SPRを用いたDM1、DM2とCNOT7との相互作用解析の結果は、DM2の方が高親和性で結合することを示し、直接結合に関与しないと考えられていたpolyQ, polyP領域の影響があることを示唆していた。熱力学パラメータの算出結果から、DM2とCNOT7との結合は構造の誘起あるいはフォールドを伴うものであることが示唆され、これはpolyP、polyQ領域の影響であると考えられる。polyP、polyQを含む領域は、ランダムコイル構造に近いヘリックス構造をとると考えられており、polyP、polyQ領域より数-十数残基上流の領域はこの影響を比較的受けやすいものと考えられる。CNOT7との結合における遷移状態、結合後の状態において2次構造レヴェルでの変化がみられていることから、直接結合に影響するアミノ酸残基を含まない領域の2次構造が、パートナー分子との結合によって変化するという機構を有している可能性が考えられ、極めて興味深い。TOB1のC末端領域にはpolyA-binding proteinのPABCドメイン、抑制型SMADであるSMAD6/7の結合サイトを有していることが示唆されている(Yoshida Y et al, Mech. Dev., 2003)。CNOT7との結合が引き金となり、結合前には存在しなかった高次構造が現れ、第3のパートナー分子の結合が促されている可能性が考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

当該論文は全7章より構成されている。第1章は序論である。第2章は,解析に用いるTransducer of ErbB2,1(TOB1)蛋白質とCNOT7蛋白質の調製系の確立を目的とし検討を行うと共に、発現・精製段階での各蛋白質の状態を分子量の観点から考察している。大腸菌発現系において発現させた全長のTOB1は、封入体を形成していたため、凝集抑制剤、界面活性剤を用いた可溶化と精製を行っているが、単離は困難であった。一方、CNOT7に関しては単量体を得る条件を確定できている。第3章は,TOB1の1次配列に着目し、7種類の欠損変異体を調製する系を確立している。発現状況から不溶性化の要因を含んでいる領域を303位からC末端までと特定している。特徴的な配列であるpoly P, poly Q配列に着目し作成したDM1(1-236)、DM2(1-262)のサイズ排除クロマトグラフィーの結果からは、溶液中での最小サイズが2量体程度であることが示され、球形からはかけ離れた形状であると考察している。

第4章では、DM0(1-112)、DM1、DM2の溶液中の構造の解析を行っている。DM1と比較し、DM2は緩くフォールドされた分子であるにも関わらず、2次構造含量が多く、poly P、poly Q領域がTOB1の立体構造の維持に寄与しているとの情報を得ている。小角X線散乱法(SAXS)で得られたデータを用いて行ったDM1とDM2の分子モデリングでは、共に棒状の分子であることが示され、サイズ排除クロマトグラフィーの結果を裏打ちする結果となっていた。第5章ではTOB1-CNOT7間の相互作用解析を共精製、等温滴定型熱量計(ITC)、表面プラズモン共鳴法(SPR)の手法を用いて解析している。SPRを用いて結合前後、遷移状態の熱力学的パラメータ変化量を算出し、poly P、poly Q配列の効果によって結合に伴い非結合領域の構造変化が生じているとの考察を行っている。相互作用解析を通じて、TOB1の天然変性領域に関する性質を提案できている技術的な点と、第3の相手分子の結合活性が変化する可能性を含んでおり、大変興味深い結果となっていた。第6章では、円偏光2色性(CD)スペクトルをTOB1-CNOT7混合溶液に関し行うことで、第5章でのDM2が起こす構造変化の検出を試みている。DM2においては2次構造の減少が起こっていることから、DM2は遷移状態で2次構造、3次構造の変化を起こしていることが示唆されている。第7章は総括となっており、TOB1の関与するmRNA分解における更なる考察を行っている。

以上、当該研究では,TOB1の欠損変異体とCNOT7の結合前後における構造と、熱力学的な解析により、TOB1の天然変性領域が起こす変化を検出することに成功している。一方、天然変性領域に対する他の蛋白質の結合活性の変化が考えられることから、TOB1の関与する細胞内イベントに与えている影響も大きいと考えられ、生物学的視点からも重要な示唆を与えるものと思われる。

審査において以上の点を評価し、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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