学位論文要旨



No 127249
著者(漢字) 南雲,直子
著者(英字)
著者(カナ) ナグモ,ナオコ
標題(和) カンボジア中央部セン川下流域に立地するプレアンコール期王都と地形環境
標題(洋) Pre-Angkor capital city and surrounding geomorphology in lower reach of the Stung Sen River, central Cambodia
報告番号 127249
報告番号 甲27249
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第696号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 准教授 穴澤,活郎
 早稲田大学 教授 久保,純子
内容要旨 要旨を表示する

長期の河川プロセスによって形成される沖積平野は居住地や食糧生産の場として,あるいは政治・経済の拠点として古代より文明繁栄の舞台となってきた.しかし,こうした地域では自然災害や人為の地形改変による水文・地形環境変化の影響を受けて河川のふるまいが変化する可能性が考えられることから,河川のふるまいを十分に理解した上で過去の人間社会の盛衰を評価することは重要である.また,近年では,地形や堆積・水文環境の動態やその変動に着目した定量的な研究と,遺構や遺物に基づく考古学的研究の双方からのアプローチによって古代社会を復元しようとする取り組みが積極的に行われるようになってきている.

インドシナ半島中央部に位置するカンボジアでは,プレアンコール時代 (紀元前後~800年頃)とアンコール時代 (800年頃~1432年)に由来する多くの遺跡の存在が認められている.フランス植民地時代よりこうした遺跡の重要性や歴史的価値が認識されるようになったが,1970年代以降の内戦の影響によって,十分な研究が進められることはなかった.内戦終結以降,少しずつ研究は進展してきたが,その多くは古くから存在が認められていたアンコール時代の遺跡に集中している.しかし,モンスーンによる季節変化を受ける環境の下,カンボジア史の最盛期とされるアンコール時代が成立した背景を明らかにするには,遺跡周囲の地形や水文環境に着目したプレアンコール時代の社会に関する知見の蓄積が必要である.そこで本研究では,プレアンコール時代の王都に比定されるサンボー・プレイ・クック遺跡群を対象とし,隣接するセン川の動態や水環境の季節変動に特に着目して,王都建設や人々の居住の背景にある地形・水文環境を明らかにする.そして王都の立地という視点から周囲の自然環境を評価した上で,特に河川との係わりから,王都の機能や存立基盤について議論を行う.

第1章では,古代社会と河川地形との関係,地球科学分野と考古学分野との学際的研究の必要性について述べた.さらにカンボジア史を概観したのち,カンボジアの自然環境や古代社会に関する既往研究のレビューを行い,研究の目的と論文の構成について述べた.

第2章では,調査対象地域の概要としてカンボジアとセン川流域の地勢・地理について述べた.また,主な対象地域であるサンボー・プレイ・クックについて述べ,この遺跡に関する先行研究のレビューを行った.

第3章では,プレアンコール時代からアンコール時代初期の主要な5ヶ所の都城 (都市) 遺跡を対象とし,空中写真判読による地形分類図の作成や現地調査による遺跡周囲の地形分析から,それぞれの都城がどのような土地条件のもとに建設されたのか考察した.その結果,調査対象とした都城遺跡はいずれも雨期の洪水氾濫の影響を受けにくい地形面上に建設されていることが確認された.そして,いずれの都城遺跡も国内のほかの地域や南シナ海に通じる河川や湖を近傍に持ち,水上交通を主な交通動線として重視していた可能性が示唆された.また,プレアンコール時代の都城は「神の区域」として,残丘を利用した聖山や人為的に作られた聖域を近傍に持つ一方,アンコール時代初期になると都城内部に中心寺院を建設し,聖域そのものを都城内部に取り込む構造に変化することを指摘した.

第4章では,サンボー・プレイ・クックに隣接するセン川の河川プロセスと地形発達の視点から,サンボー・プレイ・クックが立地するセン川下流域の地形環境について検討した.その結果,以下の点が明らかになった.

・セン川下流域の地形は台地と氾濫原に分けられ,台地は高位のものから順に,起伏に富んだ台地I面,雨期の氾濫でも浸水の可能性が低く,比較的平坦な台地II面,氾濫原との比高が2 m程以下の台地III面に,氾濫原は後背湿地I面,後背湿地II面,後背湿地III面,湖岸平野I面,湖岸平野II面,湖岸平野III面,自然堤防,メアンダースクロール,旧河道,砂州,そして谷底平野,水面に地形区分できる.

・セン川は深さ6~7 m,幅70~100 mほどの箱型の河道を形成し,幅7kmほどの氾濫原の中央付近を蛇行しながら流下する.自然堤防はほとんど形成されず,台地から河道方向に向って地盤高は低下し,河道沿いは特に低湿となる.これは,地下水面の変化が現河道に近づくほど大きく,酸化還元が繰り返されて堆積物中に斑紋を示すことと調和的である.

・セン川の河床堆積物は主に砂で構成され,下流へ向うほど中央粒径は小さくなる.また,雨期のセン川の掃流力はサムレとサムロムの間で減少する.一方,氾濫原堆積物は3つのユニット (Unit A, Unit B, Unit C)に区分され,それぞれ,氾濫原基底堆積物 (Unit A),後背湿地堆積物 (Unit B),チャネル堆積物 (Unit C)に解釈される.

・氾濫原堆積物は,氾濫原基底堆積物 (Unit A) 上に,後背湿地堆積物 (Unit B) がチャネル堆積物 (Unit C)を挟みながら,少なくとも10 mは累重する.このうち,後背湿地堆積物 (Unit B)の堆積速度は約0.1~0.6mm/yrで,少なくとも35000年は堆積が連続する.この堆積速度は,カンボジア平原北部の他の先行研究とも調和する.その一方で,河道と旧河道,メアンダースクロールからなるメアンダーベルト内では,数十年単位での河道変化やそれに伴う堆積物の移動が卓越する.メアンダーベルトそのものが大きく移動した可能性は低く,こうした地形形成パターンはプレアンコール時代から現在まで大きな変化はなかったと指摘できる.

・台地の成因に関してはより詳細かつ広範な堆積物調査を行った上での議論が望まれるが,石英を主体とする中砂~細砂で構成される侵食性の地形であり,堆積性の地形に比べてより長期のスケールで地形形成が進んでいる可能性が指摘できる.その一方で,台地面を流下する雨期の表流水や人為的な攪乱によって,局地的な堆積物の移動は顕著であると考えられる.

第5章では,プレアンコール時代の人々の長期的な居住や都城の建設,そして効率的な水上交通運営という視点で,セン川下流域の地形を評価した.第4章で得られたセン川の地形の特徴から氾濫原をゾーン区分し,都城の建設には台地が適し,水上交通運営には氾濫原が適する,という考えのもとに議論した.その結果,セン川下流域において雨期の水上交通を効率的に利用しつつも,世代を超えて安定的に居住するのに最も適する場所は,まさに現在サンボー・プレイ・クックが立地しているエリアであると指摘できた.

第6章では,サンボー・プレイ・クックの存立基盤について,主に交通動線としてのセン川の機能に着目して議論した.その結果,サンボー・プレイ・クックはセン川を中心とする水上交通路によってその繁栄が支えられていたこと,また,プレアンコール時代は河川に依存し,国土の支配を河川によって構築しようとした時代であったが,アンコール時代に入ると,その支配を陸上交通路によって構築しようとした時代に変化したと指摘した.

これまでほとんど得られていなかったカンボジア内陸部の河川地形に関する地形学的知見が得られたこと,さらに,その結果に基づいてプレアンコール時代の都城の立地や存立基盤について議論を行った点に本論文の意義と独自性があると考える.

審査要旨 要旨を表示する

長期の河川プロセスによって形成される沖積平野は,居住や食糧生産の場,政治・経済の拠点として古代より文明繁栄の舞台となってきた.同時にこうした地域では水文・地形環境変化の影響を被りやすく,河川を中心とした効果的な水利用が文明の発展に不可欠であった.古代社会の復元には,地形や堆積・水文環境の動態やその変動に着目した定量的な研究と,遺構や遺物に基づく考古学的研究の融合が必要である.

熱帯モンスーンアジア気候下のカンボジアでは,多くの遺跡群が存在する.こうした遺跡の研究はフランス植民地時代より進められてきたが,プレアンコール時代の遺跡調査はアンコール時代と比べて遅れている.しかし,他に類を見ない大規模石造建造物を伴い,カンボジア史の最盛期とされるアンコール時代の成立背景を明らかにするには,プレアンコール時代の社会に関する知見の蓄積が必要である.プレアンコール時代の王都に比定されているサンボー・プレイ・クック遺跡群はセン川に隣接し,世界の他の文明と同様,王都繁栄には河川環境が密接に関係していた可能性がある. 以上をふまえ,本論文は,カンボジアのサンボー・プレイ・クック遺跡群とセン川下流域を対象として,古代都市成立の背景にある自然環境要因について,特に河川地形に着目して検討した.

本論文は以下の7章によって構成されている.

第1章では,既往研究に基づき,古代社会と河川地形との関係,考古学分野と自然科学分野の学融合研究の必要性を述べ,従来のカンボジア古代社会研究の問題点を説明している.またカンボジア史を概観し,本論文の構成について説明している.

第2章では対象地域であるカンボジアとセン川流域の地勢・地理について述べ,サンボー・プレイ・クックとセン川の概要説明と,サンボー・プレイ・クックに関する先行研究がレヴューされている.

第3章では,プレアンコール時代からアンコール時代初期に建設された5つの都城を取り上げ,それらが持つ構造や機能と周辺環境との関係について考察した.その結果,これらの都城中心部はいずれも雨期の洪水氾濫の影響を受けにくい地形面上に建設され,周囲は天水田による稲作や減水期稲作が可能な比較的平坦で水を得やすい土地であること,さらに水上交通路として機能する河川や湖に近接すことが示された.

第4章では,セン川下流域の地形分類と現地調査,採取試料の分析を行い,以下の点を明らかにした.すなわち,セン川は深さ7 m,幅100 mほどの河道を形成し,氾濫原を蛇行しながら流下する.メアンダーベルト内では河道位置が変化しやすく,短期間で堆積物が入れ替わる.他方メアンダーベルト外の氾濫原では,過去35000年間にわたって約0.1~0.6mm/yrの堆積が続いてきた.台地と氾濫原においては,プレアンコール時代以降に大きな地形変化は認められない.

第5章では,プレアンコール時代の都城建設と効率的な水上交通運営の両立という視点で,セン川下流域の地形を評価した.都城建設は台地が適し,水上交通運営には氾濫原上の微高地が適すること,これらを両立しうる場として,現在のサンボー・プレイ・クックが合理的に選択されたことを指摘している.

第6章では,第5章までの議論を基にサンボー・プレイ・クックとセン川の下流域の地形環境との関係について総合考察している.プレアンコール時代当時には,セン川を中心とする水上交通路によってその繁栄が支えられていたこと,アンコール時代には陸上交通路に依存した線的な支配を行う統治形態に変化したことを指摘している.

以上を踏まえ,第7章では結論を述べている.

このように,本研究は,現地調査を重ね,雨季と乾季の季節変動の激しいカンボジアのセン川の沖積平野と周辺台地の生い立ちと微地形の分布の特徴を明らかにして,プレアンコール社会の存立基盤としての河川の重要性を実証的に論じたものである.当時の社会が,災害発生源としての河川および交通路としての河川の存在に強く依拠し,河川の理解が不可欠であった様子が浮かび上がってきた.道路建設による新たな動線の確保と広大な後背地の開発が,人口の急増とアンコール期への発展に結び付けられて論じられており,土地開発と自然環境の関わりの変化史の一端をもとらえている.理科系と文科系を融合する幅広い視点に立って,モンスーン地域の河川環境と古代社会の関係に,新たな知見をもたらすことに成功した本研究のオリジナリテイは高く評価できる.

なお,第4,5章は,須貝俊彦・久保純子との共同研究であり,申請者を筆頭とする共著論文として公表されたものであるが,申請者が主体的に取り組んだ成果であり,博士論文研究の一部として,認定できる.

以上の理由により,博士(環境学)を授与できると認める.

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