学位論文要旨



No 127251
著者(漢字) 元,尚土
著者(英字)
著者(カナ) サキモト,ナオト
標題(和) 収着熱測定による石炭へのガス貯留メカニズムの解明 : Enhanced Coalbed Methane Recoveryにおける基礎研究
標題(洋)
報告番号 127251
報告番号 甲27251
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第698号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 島田,荘平
 東京大学 教授 影本,浩
 東京大学 教授 大島,義人
 東京大学 准教授 徳永,朋祥
 東京大学 准教授 大友,順一郎
内容要旨 要旨を表示する

背景・目的

2007年のIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)第4次報告書により、地球温暖化は人為的要因により進行していることが示され、CO2が地球温暖化の原因であると多くの人に認識された。報告書では地球温暖化の現状とその原因と共に、いくつかのシナリオにおける将来予測も行っている。その予測では、2000年時点からエネルギー使用の高効率化、使用量の削減を行っても、今後の気温の上昇は避けられないとしている。地球温暖化の解決には、削減や高効率化だけでなく、CO2を地中に固定するCCS技術(Carbon Capture and Storage)を視野に入れていく必要がある。

本研究ではCCSの中でもECBMR(Enhanced Coalbed Methane Recovery)を研究対象とした。ECBMRは、CO2の貯留とエネルギー資源の二次回収を目的とした技術である。炭層に井戸を掘り、炭層内のメタンを主成分とした炭層内ガス(CBM:Coalbed Methane)を回収する。CBMの生産量が減衰したところで井戸を追加し、CO2を圧入する。CO2を圧入することで、炭層内のCBMとCO2が置換され、CO2の貯留とCBMの増産が行われる。

CCS全般に言えることだが、貯留されたCO2が炭層からリークすることで、地下水汚染など様々な影響を及ぼす可能性がある。そのため、リークについて十分な検討を行わなければならないが、その際の検討のベースとしてCO2の貯留メカニズムを理解する必要がある。貯留メカニズムは、CO2のリークだけでなく、貯留層への圧入、貯留容量や貯留サイトの性能評価、万一のリークに対する対策や監視技術、効率的かつ安全・安定的な貯留などECBMRのほとんどの局面においても検討のベースとなる。

石炭へのCO2貯留メカニズムは多くの研究者によって調べられており、その研究結果からCO2が石炭に物理吸着するとされている。一方で、石炭とCO2の間では、膨潤現象など物理吸着だけでは説明できない現象も報告されており、物理吸着という結論に疑問を呈する研究者もいる。

そこで、本研究の目的は、ECBMR実現のために、石炭へのCO2貯留メカニズムが物理吸着なのかどうかを確認し、もし物理吸着ではないのなら、貯留メカニズムが何なのか調べることとした。吸着量と吸着熱を実測し、その結果からガスの貯留メカニズムを検討していく。石炭は原料植物の違いや石炭化の条件により性質が異なるため、測定試料は8種の石炭を用いた。また、比較のためCO2が物理吸着する活性炭1種の測定も行った。

ATR-FTIR

石炭の化学構造は石炭化度によってある程度の傾向があり、この化学構造を官能基の量で同定した。官能基の量はATR-FTIR(Attenuated Total Reflection Fourier Transform Infrared)によって測定し、石炭の分類を行った。同定された官能基はOH基、COOH基、脂肪族CH、芳香族CHである。測定結果から石炭化度が高まると全ての官能基が減少した。このことは、溶剤を用いて官能基を同定した文献でも報告されており、石炭官能基の同定に対するATR-FTIRの有用性が示された。

吸着熱・吸着量測定

吸着現象において吸着熱は、吸着媒と吸着質の相互作用を直接示すため、非常に重要な情報である。しかし、石炭へのガス吸着は多くの研究者によって調べられているが、吸着熱については数えるほどしか測定されていない。また高圧での吸着熱になると一切文献がないのが現状である。その点だけでも本研究の意義は大きいことがわかる。

吸着熱の測定はSETARAM社のC80D熱量計を用いて行った。熱量計は吸着量測定装置に組み込まれており、吸着量と同時に吸着熱を測定している。吸着量の測定には定容法を用いている。吸着熱等温線の形状はLangmuir型となった。

測定された吸着等温線の形状は吸着熱と同様にLangmuir型となり、報告されている文献と一致した。吸着等温線はD-A(Dubinin-Astakhov)式で良く説明されており、D-A式から算出した飽和吸着量を石炭化度によって比較すると、文献で示されるように、炭化度の上昇と共に減少し、極小値が得られた後に再び上昇した。

等量吸着熱

等量吸着熱とは、ある吸着量を持つ石炭に次の吸着ガスが吸着する時に発生する吸着熱で、石炭とCO2の相互作用の種類によってその値が変わる。この等量吸着熱の特性を用いることで貯留メカニズムを検討できる。等量吸着熱は各測定ステップの吸着熱増加量を吸着増加量で割り、温度補正することで推算することができる。Fig.1に夕張炭、太平洋炭、オーストラリア炭の等量吸着熱と圧力の関係を示す。破線が実測値で実線が理論値である。

等量吸着熱の変化は、全ての石炭で最初に大きな値が得られた後、圧力の増加と共に減少することがわかった。このような現象は不均一表面への吸着で確認されている。石炭表面の不均一性のためにCO2が相互作用の大きい吸着サイトから順に吸着していくが示された。また、等量吸着熱の大きさは、全ての石炭で15~40kJ/molとなった。化学吸着の場合、等量吸着熱は数百kJ/molとなるため、化学吸着がないことがわかる。

次に、等量吸着熱の実測値と理論値を比較する。理論値はCO2が石炭に物理吸着するとして計算されている。物理吸着するとされる活性炭で比較を行ったところ、理論値で実測値がよく説明されていることがわかった。しかし、石炭の場合、Fig.1からわかるように、実測値は理論値と異なる値となった。最初実測値は理論値よりも大きくなり、圧力が高くなると実測値が理論値を下回る。低圧部分では物理吸着よりも強く吸着し、高圧部分では、本来あり得ないが、凝縮熱よりも小さい値で吸着していることになる。これらから、石炭とCO2の間で起きる現象は物理吸着だけではないことがわかる。

ほとんどの石炭で実測値と理論値が一致しなかった一方で、Mao Khe炭1種だけは実測値を理論値でよく説明できた。Mao Khe炭と他の石炭との違いは、Mao Khe炭はほとんど官能基を持っていないことである。石炭の官能基と吸着の関係は2つ文献から推察することができる。ひとつは、SEM(Scanning Electron Microscopy)とX-ray CT(Computed Tomography)を用いて、CO2が吸着したときに石炭のどのマセラル成分に良く吸着するのか、またどのような影響を与えるか観測した文献である。文献によると、VitriteやInertiteにCO2は良く吸着し、それらを膨潤させると述べている。もうひとつは、これらのマセラル成分にどのような官能基が含まれているか調べた文献である。FTIRを用いて石炭のマセラル成分に含まれる官能基を調べたところ、VitriteにはOH基、InertiteにはCOOH基が多く含まれていることが報告されている。Mao Khe炭の結果と2つの文献から、理論値と実測値の違いは膨潤現象が関係していると推察できる。

上述された事実からCO2貯留メカニズムは以下の様に推察される。含酸素官能基の多いマセラル成分で膨潤が多く観測されることから、膨潤は水素結合が断ち切られ、石炭構造が緩むことで起きていると考えられる。この水素結合の切断が、CO2が吸着することで起きる。CO2には可塑化作用があると言われており、CO2によって高分子の構造が緩む現象は他の物質でも観測されている。また、石炭は石炭化度に係わらず多くの芳香環を持つ。芳香環同士の結合であるπ-π相互作用は水素結合よりも弱いので、この結合もCO2の吸着によって切断されると推察される。CO2は水素結合、π-π相互作用を切断しながら染み込むように石炭分子と石炭分子の間に入り込んでいき、石炭を膨潤させる。

高分子間への吸着質の浸入は、インターカレーション現象と同様に、広義の溶解現象に含まれる。そのため、吸着状態よりもエントロピーが増加した状態となる。また、水素結合等の切断にはエネルギーが必要となる。このエントロピーの増加と切断のエネルギーのために等量吸着熱の実測値が理論値を下回った。Fig.1に示された石炭はオーストラリア、太平洋、夕張の順番に石炭化度が高まる。予想された様に、等量吸着熱の実測値と理論値の乖離は石炭化度が低く官能基が多い石炭ほど大きくなった。

膨潤量と1H-NMR

本研究の夕張炭と同じロットナンバーの石炭を用いて、北海道大学でCO2吸着による膨潤量の測定と1H-NMR(1H Nuclear Magnetic Resonance)によるT2緩和時間の測定を行った。膨潤量は吸着量と共に増加し、T2緩和時間から石炭中のプロトン間距離もCO2の吸着によって増加することがわかった。プロトン間の増加はCO2が石炭分子間に入り込んだことが原因であるという仮定の下に溶解量とプロトン間距離および膨潤量を比較した。その結果、溶解量、プロトン間距離、膨潤量には相関があることがわかった。

シミュレーター

最後に、溶解の影響を島田研究室のECBMRシミュレーターECOMERS-UTで検討した。その結果、CH4生産速度、CO2貯留速度にはあまり影響を及ぼさないが、生産終了のタイミングであるブレークスルーに影響を与えることがわかった。溶解を考慮することによってブレークスルーが変化し、累積CH4生産量や累積CO2貯蔵量が変化する。最終的に経済性にまで影響が及んだ。また、溶解量の変化によっても結果が大きく異なることから、溶解の考慮は慎重に行う必要があることもわかった。

Fig.1:Comparison between experimental and theoretical isosteric heat of sorption.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ECBMR(Enhanced Coalbed Methane Recovery)におけるCO2、CH4、N2の貯留メカニズムの検討を行うことを目的としている。石炭へのガス貯留メカニズムは、吸着媒の情報(ATR-FTIR)と吸着量によるガスと石炭の相互作用の変化(等量吸着熱)、ガスによる吸着媒の変化(膨潤量、1H-NMR)の3つの情報から検討している。

本論文は全9章で構成されており、各章の要約は以下の通りになっている。

第1章は、ECBMRの概要と目的、現在考えられている貯留メカニズムとその貯留メカニズムの矛盾点についてまとめている。

第2章では、石炭および吸着、吸着熱に関連する基礎事項を記載している。

第3章ではATR-FTIR法で石炭の官能基のスペクトル強度を測定し、スペクトル強度によって石炭の官能基量を比較している。石炭化度によってC=O基、COOH基、脂肪族のCH基、芳香族のCH基、OH基の官能基量がどのように変化するか調べた。石炭化度によってそれぞれの官能基量を比較した結果、石炭化度が高くなるにつれ全ての官能基の量が減少することを示している。

第4章では、等量吸着熱を算出する際に必要なガス吸着量を測定している。各石炭の吸着等温線やそれら吸着等温線を予測するのに一番適切な吸着等温式について検討している。各ガスの吸着等温線の形状は圧力の上昇に伴って飽和吸着量に漸近するLangmuir型となり、また、各ガスの吸着量はD-A (Dubinin-Astakhov) 式で良く説明できることを示している。

第5章では、等量吸着熱を算出する際に必要なガス吸着熱を測定し、吸着量と吸着ガスが吸着熱へ与える影響について示している。各ガスの吸着熱の等温線は吸着量と同様にLangmuir型となっている。各ガスの吸着熱と吸着量の相関から、吸着熱は吸着相とガス相の内部エネルギー差と吸着量の影響を受けることを示している。

第6章では、吸着量と吸着熱の測定結果から等量吸着熱を算出し、石炭-ガス間の相互作用について考察している。各ガスと石炭との相互作用の大きさや化学反応の有無について考察している。また、等量吸着熱の理論値との比較から、各ガスと石炭との相互作用について考察している。各ガスの等量吸着熱の大きさはCO2で7.4~38.0kJ/mol、CH4で4.0~27.0kJ/mol、N2で6.5~26.0kJ/molとなり、化学反応がなく、CO2、CH4、N2の順に石炭との相互作用が弱くなることを示した。理論値との比較からは、低吸着量域でCO2は石炭と強い相互作用を示し、高吸着量域ではいずれのガスでも吸着以外の反応があることを示している。

第7章では、石炭がガスに曝されことで膨潤することから、ガス貯留メカニズムを検討するために、膨潤によって石炭にどのような変化が現れるか調べている。まず夕張炭のCO2による膨潤量を測定し、1H-NMRを用いて、膨潤することで石炭中のプロトン間距離にどのような変化が起きたかを調べた。また、膨潤量とプロトン間距離の比較から、これらの相関について示している。石炭の膨潤はHeガスではほとんど起きないが、CO2では0.15~2.3%の膨潤量が得られた。また、走向に垂直、水平方向の膨潤量を比較したが、違いは得られなかった。この膨潤量と1H-NMRで測定されたプロトン間距離を比較し、相関があることを示している。

第8章では、ATR-FTIRと等量吸着熱と膨潤量、1H-NMRの結果からガス貯留メカニズムを検討している。CO2の場合、低吸着量域でOH基と強い相互作用を持つが、それ以外のガスは物理吸着する。吸着量が増加すると化学ポテンシャルの差によって石炭構造が緩み、濃度差によってガスが石炭に溶解したと説明している。CO2の場合、このときOH基と芳香環の弱い結合も切ると推察している。ATR-FTIRと等量吸着熱の結果から構造変化しやすい石炭ほど溶解量が多くなると推察している。

第9章では、本論文で明らかになった事項と、示唆された事項をまとめている。

本論文では、今まで測定されたことのなかった石炭へのCO2、CH4、N2吸着熱を初めて測定している。また、今まで石炭へのガス貯留メカニズムは物理吸着のみとされてきたが、CO2の場合、石炭と強い相互作用を持つことを見出している。また今回測定に用いられたCO2、CH4、N2ガスについて、ガス-石炭間に吸熱反応があることを示した。論文の最後では、既往の知見とATR-FTIR、等量吸着熱測定、膨潤量測定、1H-NMRの結果から、この吸熱反応が溶解現象であることを示唆している。以上の様に、石炭にガスが物理吸着するとされてきた従来のガス貯留メカニズムの概念に新しい見解を加えた点で、本論文のECBMR技術における寄与は大きいと判断する。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク