学位論文要旨



No 127253
著者(漢字) 木,麻衣
著者(英字)
著者(カナ) タカギ,マイ
標題(和) ハウスダストを介した小児の化学物質曝露に関する研究
標題(洋)
報告番号 127253
報告番号 甲27253
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第700号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 吉永,淳
 東京大学 教授 大島,義人
 東京大学 教授 森口,祐一
 東京大学 教授 柳沢,幸雄
 東京大学 准教授 吉田,好邦
内容要旨 要旨を表示する

第1章 緒言と目的

有害化学物質に対する脆弱性への懸念から,胎児期,小児期の微量有害化学物質曝露による健康影響への関心が高まっている.ヒトの有害化学物質曝露とその健康リスク評価を行うにあたり,大部分の時間を過ごす室内環境の重要性が指摘されている[1].室内において揮発性の低い化学物質は室内空気よりハウスダストに分布すると考えられ,さらに小児のHand-to-mouth行動などのハウスダストを摂食しやすい行動特性を考慮すると,ハウスダストが有害化学物質の重要な曝露媒体となりうる.

本研究では,第一にハウスダストの有害化学物質曝露媒体としての重要性を明確にすることを目的とし,第二にハウスダストが健康リスクに大きく寄与しうる化学物質について,リスク低減化に資する情報を提供することを目的とする.図1に本論文の構成を示す.

第2章 ハウスダストを介した日本人小児の化学物質曝露による暫定リスク評価

2.1. 目的

ハウスダストを介した有害化学物質曝露量を推定し,その健康リスク評価を行うとともに,ハウスダストへの対策が小児の健康リスクの削減に大きく寄与する可能性がある化学物質をスクリーニングすることを目的とする.

2.2. 対象物質

ハウスダストに蓄積しやすいと考えられる代表的な金属類と有機化合物で,これまでにハウスダスト中濃度の報告値のあるものを選択した(InAs,Cd,Cr,Cu,Hg,Mn,Ni,Pb,Sb,Se,Sn,U,フタル酸エステル類,臭素系難燃剤類,パーフルオロオクタンスルホン酸,ビスフェノールA,ノニルフェノール,DDT,ペンタクロロフェノール,ポリ塩化ビフェニル,ダイオキシン,多環芳香族炭化水素類(PAHs),クロルピリホス).これらが,本研究の出発点となる.

2.3. 方法

ハウスダストを介した各化学物質曝露量は式(1)を用いて算出した.

ここで,Intakehはハウスダスト経由の化学物質推定曝露量(μg kg-1 day-1),Chはハウスダスト中の化学物質濃度(μg g-1),IRはハウスダスト摂食量(mg day-1),BWは小児の体重(kg)を示す.Ch,IR,BWにそれぞれ分布を与え,Crystal Ball(Decisoneering Inc.)を用いたモンテカルロシミュレーションを行い,各化学物質曝露量を分布として推定した.推定曝露量の50%値および95%値と,各機関が設定しているTDI(Tolerable Daily Intake)等とを比較し,ハザード比(HQ,式2)および,過剰発がんリスク(式3)を算出した.

*SF: Slope factor [2]

2.4. 結果と考察

推定曝露量の95%値で,HQが0.1以下,発がんリスクが10-5以下を許容範囲と設定した.これを超過したPb,Sb,DEHPのHQ,およびPAHs,InAs,ダイオキシンの発がんリスクを表1に示す.その他の化学物質は,設定した許容範囲内であった.

さらに,これらの化学物質に対して,空気,食事,土壌経由の曝露を考慮し,推定全曝露量の健康リスクに占めるハウスダストの寄与を推定したところ,InAs,Sb,ダイオキシンは食事経由が主であった.一方,Pb,DEHP,PAHsは,推定曝露量の95%値でハウスダストが50-96%を占めた.

2.5. まとめ

Pb,DEHP,PAHsを,ハウスダストへの対策が小児の健康リスクの削減に大きく寄与する可能性がある化学物質として選択した.

第3章 ハウスダスト中PAHsの実測濃度に基づくリスクの再評価

3.1. 目的

第2章で選択したPb,DEHP,PAHsのうち,我が国における実測例が全くなかったPAHsについて実測を行い,実測濃度に基づく発がんリスクの再評価を行うことを目的とする.

3.2. 試料

首都圏および静岡の一般家庭40軒より提供された掃除機ごみを,ステンレス製篩で篩い,粒径250 「m以下を分析対象とした.

3.3. 分析方法

環境省の大気汚染物質測定法マニュアルを一部改変して,ハウスダスト中のPAHs分析に適用した.フローを図2に示す.

3.4. 結果と考察

実測濃度を基に,第2章と同様の方法でハウスダストを介したBaPeq曝露量を推定した. 50%値,95%値はそれぞれ0.19,0.87ng kg-1 day-1であり,第2章の推定値に比べて大幅に低かった.それぞれの曝露量における発がんリスクを算出した結果,50%値で7.0×10-7,95%値で5.8×10-6と,設定した許容リスクの範囲内であった.

3.5. まとめ

我が国のハウスダスト中PAHsについては,対策が急がれるレベルではないと判断した.

第4章 生体試料中の高精度鉛同位体比分析に基づく鉛曝露に対するハウスダストの寄与の検証

4.1. 目的

第2,3章で選択した鉛について,生体試料分析を組み合わせたアプローチにより,実際の鉛曝露に対するハウスダスト寄与を推定することを目的とする.本章は,(1)指標とする生体試料・環境試料中の高精度鉛同位体比分析に関する検討を行い,(2)鉛同位体比分析に基づくハウスダストの寄与解析に適用した.

4.2. (1)MC(マルチコレクター型)-ICPMSを用いた高精度鉛同位体比分析に関する検討

4.2.1. 検討項目

必要な鉛量,測定精度,許容マトリクス濃度について,NIST SRM 981(鉛同位体比標準物質)を用いて検証した.

4.2.2. 結果と考察

測定精度は,曝露源解析に十分な値が得られたが,ICP四重極MSよりマトリクスの影響を受けやすく,試料のマトリクス分離が不可欠であると判断した.

4.3. (2)鉛同位体比分析に基づく鉛曝露に対するハウスダストの寄与解析のケーススタディ

4.3.1. 対象と試料

静岡県内の某病院において,血中鉛濃度調査の協力の得られた小児のうち,曝露媒体試料提供の同意の得られた小児4名(7-8歳)を対象とした.各小児の家庭を訪問し,小児の家庭環境から,潜在的な曝露媒体試料として,ハウスダスト,1日分の飲食物,土壌,降下煤塵,(たばこ)を採取した.

4.3.2. 前処理と測定

土壌,ハウスダスト,食事は疑似胃液(グリシン溶液,HCl pH 1.5)による抽出を行い,血液,降下煤塵,たばこは全含有の鉛を取り出すため硝酸加熱分解を行った.抽出および分解液は,陰イオン交換樹脂およびキレート樹脂を用いてマトリクスを除去し,Tlを用いた外部補正法で,鉛同位体比をMC-ICPMSを用いて測定した.

4.3.3. 鉛曝露の寄与

対象小児1名の血中鉛同位体比と曝露媒体中鉛同位体比の分布図(207Pb/206Pb,208Pb/206Pb)を図3に示す.

サンプリングと同時に行った保護者への質問票により,曝露の可能性のない媒体を除き,食事と1つの土壌とハウスダストの同位体比と濃度,血中鉛同位体比と濃度を用いて,線形計画法によりハウスダストの寄与率を算出した結果,31-54%であった.他の小児に関しても同様の解析を行ったところ,2名で解が得られ,ハウスダストの寄与はそれぞれ47-54,44-59%であった.今回対象とした小児の鉛曝露の半分程度は,ハウスダスト由来であることが同位体比から示された.

4.3.4. ハウスダストの摂食量の推定

ハウスダストの寄与率が推定できた小児について,ハウスダスト摂食量を算出したところ,40-107mg day-1と推定された.鉛同位体比を用いることで,ハウスダスト摂食量の推定が可能であることを示した.

4.4. まとめ

MC-ICPMSを用いた生体試料中の高精度鉛同位体比分析法を確立し,小児の鉛曝露源解析に適用した.小児の鉛曝露にはハウスダストが半分程度寄与する例があった.また,曝露評価を行う上で非常に重要でありながら,実測が困難であったため,これまで限られた推定値しか存在しなかったハウスダスト摂食量を推定できる方法を示すことができたことは,今後の曝露評価において有益である.

第5章 ハウスダスト中の鉛・DEHPの汚染源解析とリスク削減に向けた提言

5.1. 目的

第3章までの結果,ハウスダストへの対策がリスク削減に有効と判断した鉛とDEHPについて,汚染源を解析することを目的とする.主に鉛について,実験的な解析を試みた.

5.2. 試料

これまで我々が鉛濃度の調査を行った全国70軒程度のハウスダスト試料のうち,鉛濃度が全体の分布の90 パーセンタイル以上の試料(10軒)を対象とした.なお,鉛粒子の特定ができるように,250 「m以上の画分を分析対象とした.

5.3. 分析

鉛含有物の探索には,蛍光X線分析(XRF)を用いた.元素マッピングにより,鉛含有物をスクリーニングし,元素スペクトル分析によって元素組成を調べた.鉛含有物の形状,色,元素組成から鉛含有物の特定を行った.

5.4. 結果と考察

元素マッピングにより,10軒中4軒から,鉛含有物(概算鉛濃度: >1%)7種類が発見された.これらの中の1つのマッピング画像,スペクトルを図4に示す.色,形状,元素組成から判断すると,含鉛赤色顔料の1種を用いた塗料片であると考えられた.さらにこの塗料片と考えられるものからは,先進諸国が定める鉛濃度の基準値を大幅に超える鉛が検出され,規制のない国に由来する可能性が考えられた.その他,鉛顔料を使用したと考えられる塗料系のもの,塩化ビニル(安定剤として鉛を使用)も発見された.これらのような鉛含有物の破片が汚染源となっている可能性が考えられる.

5.5. まとめとリスク削減への提言

鉛顔料を使用した塗料などの使用の規制,また規制のない国からの輸入品の適切な管理を行うことでハウスダストへの鉛の混入を防ぐことが可能であると考えられる.一方,DEHPは,塩化ビニルの可塑剤としての使用が大部分であり,また,プラスチック製品がわれわれの生活の中にくまなく利用されている現状を考えると,ハウスダストからの曝露を低減するためには,特定の物品の使用などを制限するのは有効ではなく,可塑剤としての使用を制限することがハウスダストを含むあらゆる環境媒体中DEHP濃度の低減に寄与することは明白である.

第6章 結論

本研究ではハウスダスト中濃度データを用いたリスク評価,生体試料・曝露媒体試料中の高精度鉛同位体比分析に基づく小児の鉛曝露に対するハウスダストの寄与解析により,小児の鉛曝露にハウスダストが大きく寄与していること,ヒトが実際にハウスダストを摂食していることを裏付けることができた.今後の国や各機関が行う化学物質リスク評価において,ハウスダストを含めた曝露調査が必要不可欠であることを提起することが可能であるとともに,本研究のハウスダスト摂食量の推定方法が役立つと期待される.

[1]Spengler and Sexton, 1983, Science, 221, 9-17 [2]US EPA, Integrated Risk Information System

図1 本論文の構成

図2 ハウスダスト中PAHsの分析フロー

表1 ハウスダストを介した化学物質曝露のハザード比 (HQ)と過剰発がんリスク

図3 小児1名の血中鉛同位体比と曝露媒体中鉛同位体比の分布図(207Pb/206Pb,208Pb/206Pb)

図4 鉛含有物の実態顕微鏡写真(左上)蛍光X線マッピング画像(Pb Lα,左下)鉛含有物の蛍光X線スペクトル(右)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「ハウスダストを介した小児の化学物質曝露」をテーマとし,化学物質の曝露媒体としてハウスダストが重要であることを明らかにすることを主たる目的とした論文であり,全6章で構成される.

第1章では,小児の化学物質曝露媒体としてハウスダストに着目することの重要性と課題を,既往文献に基づいて論じている.また,本研究の目的と研究全体の概要を述べている.

第2章では,国内外のハウスダスト中の化学物質濃度に関わる既往の文献を参照し,代表的な有害物質25物質について,ハウスダストを介した化学物質曝露量の推定と,暫定的なリスク評価を行っている.ハウスダストからの鉛・アンチモン・無機ヒ素・フタル酸ジエチルヘキシル(以下DEHP)・ダイオキシン類・多環芳香族炭化水素類(以下PAHs)の推定曝露量からもとめた健康リスクは,設定した許容レベルを超過し,これらをハウスダストを介した曝露が懸念される化学物質として選択している.さらにこれらの化学物質について,食事,土壌,大気を介した曝露量との比較を行い,ヒトの化学物質曝露に占めるハウスダストの相対的位置づけを明らかにしている.

第3章では,第2章でハウスダストの寄与が大きいと推定された鉛・DEHP・PAHsのうち,我が国でハウスダストの実測例が全くなかったPAHsについて,測定法の検討と実測を行い,第2章で推定したリスクを再評価している.日本家屋から採取したハウスダスト中PAHsの実測に基づく発がんリスクは設定した許容範囲内にあり,対策が急がれるレベルではないと判断している.第3章までの曝露評価は,曝露媒体中の濃度と曝露媒体の摂取量(摂食量や換気率)を掛け合わせて推定する方法が用いられている.

第4章では,第3章までにおいて,リスクが懸念され,ハウスダストの寄与が大きいと推定された鉛について,第2・3章とは異なる,生体試料を用いたアプローチにより実際の小児の鉛曝露に対するハウスダストの寄与の検証を行っている.本章は,指標とする生体試料・環境試料中の鉛同位体比の高精度測定法の検討と,鉛同位体比に基づく小児の鉛曝露に対するハウスダストの寄与解析のケーススタディから成る.小児4名のケーススタディの結果に基づき,ハウスダストが小児の鉛曝露に半分程度寄与する可能性を指摘している.さらに,この結果よりハウスダストの摂食量の推定も行っており,今後の化学物質曝露評価に役立つ貴重な情報を提供している.

第5章では,第3章までにおいてハウスダストへの対策がリスク削減に大きく寄与すると判断された鉛とDEHPについて,ハウスダスト中のこれらの成分の汚染源について述べている.鉛については,高濃度に鉛が検出されたハウスダスト試料中の粗大粒子を対象に,蛍光X線分析を用いた鉛含有物の探索を行ない,鉛顔料を使用した塗料片と考えられる薄片,鉛を安定剤として含む塩ビ片と考えられるものを発見している.これらがハウスダスト中鉛の汚染源である可能性を指摘し,これらのハウスダストへの混入を防ぐことが有効な鉛のリスク削減策の一つであると提言している.DEHPについては,DEHPの用途から判断すると,塩ビ製品の可塑剤としての利用が大部分であるため,可塑剤としての利用を制限することが有効なDEHPのリスク削減策の一つであると提言している.

第6章では,化学物質曝露媒体としてのハウスダストの重要性についてまとめるとともに,今後のリスク評価・リスク管理に向けた提案,今後の展望について述べている.

以上要するに,本論文は,これまで化学物質のリスク評価の際に注意が払われてこなかった,ハウスダストを介した化学物質曝露に着目したものであり,ハウスダストを介した小児の化学物質曝露評価とリスク評価,生体試料を用いた鉛曝露に対するハウスダストの寄与の検証,ハウスダスト摂食量の推定,汚染源解析を通して,ハウスダストの化学物質曝露媒体としての重要性を示し,新しい室内環境問題としての重要性を提起しただけでなく,今後の我が国の行政的な調査および対策の足がかりとなるような貴重な知見やデータを提供している.本論文の環境学への貢献は大きいと判断する.

なお,論文第2章および第3章は吉永 淳と,第4章は吉永 淳,田中 敦,瀬山 春彦,柴田 康行,上松 あゆ美,加治 正行と,第5章は吉永 淳,田中 敦,瀬山 春彦,柴田 康行との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.したがって,博士(環境学)の学位を授与できると認める.

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