学位論文要旨



No 127259
著者(漢字) 松本,悟
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,サトル
標題(和) 調査と権力 : 世界銀行への異議申し立てに見る事前影響評価の機能
標題(洋)
報告番号 127259
報告番号 甲27259
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第706号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 佐藤,仁
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 中山,幹康
 東京大学 教授 堀田,昌英
 東京大学 教授 村山,武彦
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、調査がどのような機能を果たしているかを発展途上国の開発プロジェクトを通じて明らかにすることにある。現代は、何かを開始するのにも、変更するのにも、あるいは終了するのにも調査が求められる時代である。一方、調査の信憑性をめぐる批判も少なくない。調査の重要性が認識される割には、調査の働きについて分析的な研究がほとんどなされていない。開発協力の分野においても、事業によって悪影響を受ける住民数に見られるように、事前調査による予測と結果の間には大きな食い違いがあることが明らかになっている。しかも、こうした調査を担う機関は、すでに多くの専門家を抱え、調査の技術的な側面においては国際的に高い水準にある。

上記のような問題意識から、本研究では「度重なる調査の方法・手続きの改善にもかかわらず、調査が所期の目的である実態の把握に失敗するのはなぜか」という問いに取り組んだ。調査の「機能」に着目したのは、方法が改善されている以上は技術的な側面は棚上げにした上で、調査が何か別の目的を果たしていると考えるのが合理的だと考えたからである。

本論文では、第1章で問いと仮説を提示した後、第2章で、開発援助研究、影響評価研究、政策科学等の調査の働きに関する諸研究における既存研究を批判的にレビューし、分析対象と方法を示した。本研究では、批判的な先行研究レビューに基づき、調査の内容と担い手である専門家の組織的な立場を結びつけて分析し、方法としては、「メタ分析」を援用して調査報告書の質的な読み解きを分析アプローチとした。

第3章では、まず、世界銀行の独立審査委員会を分析の対象とした理由を明らかにした。第一に世界銀行は発展途上国の事業の調査を司る政策を持っており、調査の目的や必要な手続きをコントロールしている。第二に政策遵守のため第三者専門家によって独立審査委員会が作られている。第三に政策の中には何度も改定を行なった「成熟した政策」がある。独立審査委員会が現在の制度になった1999年4月から2009年4月までに42件の審査が行なわれたが、その中で、不遵守の指摘が多かったのは、環境アセスメント、非自発的住民移転、先住民族の三政策である。これらの政策は、過去25年以上に渡って改定を繰り返してきた。本研究では上記42件のうち、この三政策の不遵守が指摘された17の事業を事例研究し、独立審査委員会による政策不遵守に関する最終報告書と、それに対する世界銀行の見解書、延べ英文四千ページを分析対象とした。

分析の結果、政策不遵守を指摘された事項の多くは調査の「不在」だった。具体的には、特定の地域や特定の人たちの調査、あるタイプの影響や開発オプションの調査、それ以外にも、調査が意思決定に反映されなかった、政策で定められた独立した専門家の活用がなかった、影響や補償の算出根拠が適切でなかったことが、政策不遵守と指摘された。

第4章では、前章で明らかにした政策不遵守事項について、調査が実態の把握という目的を達成していない原因として四つを挙げた。第一に「専門家の経験知」である。10つの事業で、専門家の経験から調査を実施しなかったことが政策不遵守につながったと指摘された。第二に「調査のタイミング」である。世界銀行の政策上、調査はあくまで世界銀行が融資する前の準備段階で実施され、それが融資という意思決定に反映されることを目的としている。しかし、12の事業プロジェクトにおいて、調査が事前に行なわれなかったり、意思決定に反映されていなかったりしたことが政策不遵守とされた。第三に「はかり」の違いなどの「所与の条件」である。所与の条件とは、当該国や地域で開発プロジェクトを実施するにあたって、事前の段階から想像がついている前提状況を指す。7つの事業で「はかり」の違いが原因と考えられた。第四に「借入人の利益」である。借入人である民間企業や発展途上国政府の利益に配慮して政策不遵守となったケースが4つあった。

以上の四点はいずれも独立審査委員会の指摘を世界銀行が認めている。これに対して、調査の有無をめぐって両者が対立した事例もいくつかあった。調査の機能という視座からは二つの分析が可能である。一つ目は調査の多さが調査の存在を隠すという働き、もう一つは、調査結果が何通りかに読めるという多面性である。こうした事例研究に基づき、調査が目的を達成していない原因として六つを挙げた。

第5章では、調査の目的不達成の原因と考えられた専門家の経験知や「はかり」が、専門家自身に依拠するものなのか、世界銀行という組織の影響によるものなのかを文献研究をもとに分析した。本研究で分析対象とした世界銀行の三政策は、世界銀行ではエコノミスト以外の社会科学の専門家を指す「社会科学者」によって策定されてきた。そうした「社会科学者」を抱えていながら、なぜ調査をめぐる政策不遵守が起きているのか。D.モスによる世界銀行内部の観察や、2000年以降の文献をもとに明らかになったのは四つの手がかりである。

第一に博士号の取得者数に顕著に見られる「社会科学者」の専門家としての立場の弱さ、第二にエコノミストと比較すると出世コースに位置していない点、第三に上司であるエコノミストからの圧力、第四に開発パラダイムの主流への「社会科学者」の進出である。つまり、世界銀行の中で社会科学者が置かれている状況は、開発プロジェクトへの貸し出しを速やかに行ないながら、国際的に最も高い水準と評価されている環境社会配慮政策を守り、同時に「社会科学者」として生き残りをかけなければならない、というものである。これらを全て達成するには、込み入った調査は融資決定後に行なうようにし、しかも悪影響を受けた人たちの生活を「元通りにする」のではなく、「より良くする」ことを目的に掲げるのが得策である。それによって、政策不遵守を事後的に解消し、「社会科学者」の活躍の場を作ることにことが可能になると同時に、世界銀行の融資規模を維持・拡大し、環境社会配慮政策を策定した「社会科学者」の役割を果たし、更に、自らの新たな活動の場を作ることにつながる。

以上のような考察から、政策不遵守の原因と考えられた専門家の経験知や「はかり」の違いは、融資という組織存続に欠かせない意思決定までは世界銀行の産物として、融資決定後は「社会科学者」という専門家のレゾンデトールとして、開発プロジェクトに影響を与えていると考えられる。調査がいつ実施されるのかという点と調査の内容、それにそれを担う専門家の「はかり」を関連付けて分析することで、新たな発見につながった。

最終章では、第4章で示した本研究の問いに対する直接的な結論と、第5章での組織と専門家の分析結果を受け、調査の機能について考察を行なった。結論として導き出したのは4つの結論である。第一に、調査は「はかり」を通じて知を階層化させる機能を持つ。意思決定段階においては、科学的な普遍性を重んじる「はかり」が、その場に応じた文脈的な有り様を重んじる「はかり」に比べて優位に立つ。一方で、事業の実施段階になると、後者の「はかり」にも活躍の場が現れる。普遍性を重んじる「はかり」が生み出す知(エピステーメー)の優位性を浮き彫りにしただけでなく、時間軸を考察に入れることで異なる「はかり」が生む「それ以外の仕方でもありうる」知(フロネーシス)が表舞台に登場する場面を特定した。第二に、調査は権力関係を反転させ、調査させた側を従属的な立場に追いやる機能を持つ。実践的な調査では、AがBに調査をさせるという顕示的な権力関係が見られる。しかし、目的を達成していない調査の事例研究を通じて、調査が権力関係を反転させ、調査をさせていた側が、いつのまにか目的を達成できていない調査を受け入れるようになっていた。調査をめぐる主体化権力の介在を明らかにした。第三に、調査はそれに用いられる「はかり」の選択時期を通じて、組織や専門家を構造的に維持している、これは第5章の分析に基づくものである。そして、それら三つを併せ持つ形で、第四に、実践的な調査の対象者を統治する機能を果たしている。住民たちの多くは、第一の機能で意思決定段階では下層化されたフロネーシスによって説明可能な生計を営んでいる人々である。それをエピステーメーで切り取れば、恐らくは数値で表される貧しさばかりが浮き立つであろう。それを否定しようと異なる調査を求めても、第二の機能によって次第にエピステーメーに切り取られた自分自身の現状を受け入れざるをえなくなる。そして、最終的には自ら支援を求めて第三の機能で生き残った専門家たちと生計向上のプロジェクトを始めることになる。以上のメカニズムで、調査は、困難を抱えている調査対象者を価値と有用性の中に導き統治していると考えた。

最後の結論は新たな仮説の提示に留まって部分もあり、また、知の分類の中で技術的な側面(テクネー)を扱うことができなかったなど、調査と権力の分析という点では今後に課題を残している。その一方で、これまでの調査に関する研究が、調査方法と調査の担い手や調査対象となる人たちなどアクターに二分する傾向がある中で、調査の方法とそこから導き出される知の性質、これが及ぼすアクターや社会への働きを重層的に解き明かした点に本研究の意義があると言える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は発展途上国における開発プロジェクトが度重なる調査の改善を経てきたにもかかわらず、実態の把握に失敗しているという前提から出発し、その理由を説明しようとする研究である。具体的には、国際開発の分野における調査能力という観点からは定評のある世界銀行の独立審査員委員会での議論を事例とし、質的メタ分析を主な方法として用いた。その結果、調査に参加する様々な専門家の「はかり」がもつ質的な違いが、知のあり方に階層性を生みだし、経験や文脈を重んじる知が捨象されていく構造的な仕組みがあることを明らかにした。「それ以外の仕方においてありえないもの=エピステーメ」の独走を許さず、「それ以外の仕方においてあることができる=フロネーシス」という別の知を回復する必要性がここから示唆される。

従来、社会改良を前提とする調査の分野では、いかにして調査方法を改善し、「実態」を明らかにするかという点に議論が集中してきたのに対して、本論文は調査が所期の目的とは異なる何かを維持しているからこそ、実態から離れた調査が繰り返されているのではないかという仮説を立てた。論文の中核部分では、普遍性への志向が強い「はかり」による状況依存的な実践知の捨象と、そうした実践知を得意とする専門家の組織における立場の弱さで、この維持構造の説明を試みる。

第一章「調査・権力・開発協力」では、分析に先立って調査にまつわる研究の背景や概念の整理が行われ、仮説が提示される。失敗した調査は、より改善した別の調査で補うという発想に囚われている世界では、失敗する調査が何の役に立っているかという観点がなかった。第二章は先行研究を扱い、とくに開発援助研究、影響評価研究、調査の働きに関する主に社会学的な諸研究が丹念に渉猟されている。第三章は独立調査委員会を分析対象にしたことの正当性と意義を述べ、所期の目的を達成できない調査の記述的な紹介が行われる。類型化された独立審査委員会への申し立てから、環境アセスメント、非自発的住民移転、先住民政策の登場頻度が高いことわかった。これらの政策が大きな問題として顕在化した17の事業すべての政策不遵守に関する最終報告書、およびそれに対する世界銀行の見解書の分析を行った。ここから、そもそも「調査の不在」が不遵守の原因になっており、不在の背景に「専門家の経験知」が横たわっていた事実が判明する。

第四章では調査が実態の把握という目的を達成できない説明を更に踏み込んで行う。専門家の経験知に頼り調査を実施しなかった事例、調査のタイミング、そもそも案件を評価する際に用いられる「はかり」の違い、世銀の融資を受け入れる借り入れ人の利益に配慮した結果が政策不遵守になった事例などが明らかになる。一連の事例から確認できるのは、専門家の経験知や「はかり」の違いが転換役となって生じる「権力の反転」である。独立審査委員会に申し立てを行う立場だった住民は、世界銀行から新たな活動を引き出す立場になり、貸し手としての世界銀行は返済を確保しなくてはいけない立場でもあることが明示化される。

第五章では、世界銀行における専門家の知の特性分析に踏み込み、とくにエコノミストと「社会科学者」と呼ばれる人類学者や社会科学らとの政治的な関係を考察する。普遍的な知に対抗していておかしくないエコノミストとは異なる専門家を世界銀行は多く抱えているはずだからである。この分析から分かるのは、「普遍性」を強調する上で優位に立ちやすい知を扱う経済学者に対して、地域の文脈を重んじる社会学者や人類学者は常に劣位に立たされることである。その背景には学位やポスト、世銀以外への就職の選択肢などが関係する。そして、人類学者らも、移転住民の補償のような局面では事後的に有益な役割を果たすので、エコノミストと社会科学者はある種の棲み分け関係ができあがる。興味深いのは、実態を捉えられない調査結果の誤謬が結果として社会改良への関心を喚起し、新たな活動を正当化するサイクルができあがることである。著者は、ファーガソンを援用しながら、これを媒介効果と呼ぶ。

以上のように、本論文は、開発援助分野における知の政治学を明らかにした労作であり、政治学、社会学、開発学、影響評価研究など複数の既存分野にまたがる学融合的な研究としてユニークである。他方で、「実態」の定義や扱い方が一貫していないこと、実践的な示唆に対する著者の態度が不明瞭であること、申し立てを受けた案件だけをサンプルとして扱ったことの偏りと正当化の手続きが不足していることなどの問題点も指摘された。しかし、開発援助分野における「調査の機能」という新しい領域を切り開き、それを追試可能な形で提示したことの意義は大きく、審査委員会は本論文に対して博士の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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