学位論文要旨



No 127260
著者(漢字) 金井,郁
著者(英字)
著者(カナ) カナイ,カオル
標題(和) 日本の雇用システムとパートタイム労働
標題(洋)
報告番号 127260
報告番号 甲27260
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第707号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大沢,真理
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 柳田,辰雄
 東京大学 教授 中村,圭介
 一橋大学 教授 橘川,武郎
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、雇用システムの国際比較の理論枠組みを援用して、パートタイム労働を含めた日本の雇用システムの特質を明らかにするとともに、企業内部、労働組合、社会政策におけるパートタイム労働の位置づけを重層的に考察する。この作業を通して、日本の雇用システムの特徴及びパートタイム労働の「日本的特質」の実相を明らかにすることが本論文の目的である。

正社員とパートタイム労働者(以下パート)の仕事の重なりが大きいという現状を踏まえて、パートを含めた日本の雇用システムを理論的に考察すると、日本では、正社員には仕事を柔軟に配分する「職能ルール」が適用されるが、パートには、雇用区分の設計上は、仕事を特定した「職務ルール」が、実際の運営上は「職能ルール」の要素が入り込むというように、2つの雇用ルールが混在している。そのため、パートについては、機会主義を抑制する方法が内在した雇用ルールとなっていないと考えられる。ここでの機会主義とは、基本的には協力し報い合うことを前提にした関係の中で、どちらか一方が自分の利益を追求するために、他方を欺き出し抜くといったことである。機会主義を抑制する方法は、雇用ルールに内在すると考えられ、雇用ルールごとに異なっているとされる。

これらの理論的検討を踏まえた実証研究として、企業におけるパートタイム労働の実態を、パートの昇格、正社員への転換といった側面から分析した。その結果、正社員とパートの労働市場は分断されており、企業内においても外部労働市場を通じてもパートから正社員への転換は限定されていた。一方企業内部では、パートの基幹労働力化が進み、正社員とパートの仕事の重なりが大きい。一部のパートには、上位層に昇格する者、正社員へ転換する者がおり、そうした雇用管理制度の整備は、パート個人の処遇を向上させる。しかし、該当者は圧倒的に少数であり、そうした制度をもって、非正社員全体の処遇改善に結びついたとは言えない。現状では、パートが上位層に昇格しても、パートの平均賃金よりは高水準になるものの、同じ仕事をこなす正社員との賃金格差は大きい。

事例企業では、正社員は「職能ルール」に、パートを含め非正社員は「職務ルール」に従うよう、人事制度が設計されていた。しかし職場の実態は、パートの「職務ルール」が徹底されずに、柔軟に仕事を配分する「職能ルール」の要素が入り込んでいた。具体的には、「職務ルール」に従うはずのパートに対して、昇格させる前に、昇格後のポジションの仕事を割り当てるケースが見られた。他のケースでは、職務記述書などで非正社員の仕事を特定化して「職務ルール」を徹底させようとしても、実際には正社員と非正社員の仕事の重なりが大きいために、仕事を遂行する中で、むしろ現場で一方的に非正社員への業務の追加が生じていた。これらはパートに対する経営の機会主義的行動といえ、現状ではそれを抑制できていない。

パートの昇格や正社員転換では、昇格後や正社員転換後に要求される技能をまず獲得してから、昇格や転換の試験を受ける。しかし、試験に合格しない場合も多く、技能形成が事後に承認されないという技能認定の問題が起こる。それが生じるのは、「職務ルール」に従うはずのパートに「職能ルール」の要素を適用して、柔軟に仕事の割り当てを行っているためといえる。

このように、企業内でパートタイム労働をめぐる機会主義が生じていることが明らかにされたが、パートを組織化した労働組合によって、なぜ是正されないのであろうか。企業別組合の事例研究からは、組合の意思決定過程への関与は正社員組合員の方が高く、パート組合員の方が低いという組織構造が明らかになった。そのため、企業別組合は正社員の利害代表となっている可能性があり、正社員に不利ではない技能認定の問題等、パートタイム労働への機会主義は、組合が取り組むべき「問題」とは捉えられていないことが示唆された。

しかし、パート組合員比率が50%以上の組合では、論理的にはパート組合員が主体的に機会主義を抑制しようと交渉することは可能である。それが生じにくい理由として、本研究からは、性別分業規範の問題を指摘できる。正社員・パート組合員双方で、男性の稼得役割、女性の家庭責任という性別役割分業規範を内面化しており、転勤や残業、休日出勤の有無といった家庭責任と密接に関わる拘束性の項目を、組合員自身が過大に評価していた。企業からの拘束性が正社員よりも弱いことが、より低位の処遇に対しての補償と考えられ、技能認定の問題を見えにくくしている。

このようなパートタイム労働の状況に対して、日本では「日本型均衡処遇ルール」と呼ばれる考え方を取り入れた改正パートタイム労働法が2007年に制定された。これは、ILOパート条約やEUパート指令の規制の原則とは大きく異なったものである。ILO条約やEU指令は、パートであることのみに基づく差別を禁止するという原則を定め、この原則から、「比較可能なフルタイム労働者」とパートとの間に少なくとも比例的な取り扱い以上の保護を求めている。これに対して日本では、「比較可能なフルタイム労働者」の概念を反転させ、正社員を基点に「比較可能なパートタイム労働者」を特定する方法で、差別禁止の規制が及ぶ範囲を極端なまでに限定した。

しかし日本でも、70年代までは少なくとも政策理念上は、パートを基点に、就いている仕事をベースにフルタイム労働者と比較し、パートであることのみに基づく差別を禁止するという規制概念があったと見受けられる。それは現在のILO条約やEU指令と同じ方向性をもつものだったといえる。ところが80年代以降、一転して、雇用慣行全体が正社員と同じかどうかが重視されるようになり、正社員を基点に比較可能なパートを特定しようとし、技能レベルが同じでも処遇レベルは低くてよいとされるパートの範囲を徐々に広げてきた。ILO条約やEU指令とは異なる「日本型」の傾向を強めてきたのである。その背景は、製造業の臨時工の扱いと対比することで明らかになる。製造業の臨時工は、社会問題化し解消されるべき存在とみなされた。これに対して、パートは「正社員化を望まない」、「家事等と就労の両立が容易なため、あえてパートを希望している」など、臨時工とは質的な違いがあると強調された。パートの意向についてジェンダー役割と密接に関連させて捉え、類似の業務に就いていても賃金等を低位にすることを政策的に正当化することになったのである。

2007年の改正パートタイム労働法で、取り扱い差別を禁止する「均等」待遇の適用は、(1)職務内容が通常の労働者(正社員)と同一、(2)人材活用の仕組みも雇用される全期間にわたって同一、(3)契約期間も同一という3要件がそろう場合とされた。この3要件がそろわない場合は、正社員とのバランスを図るという「均衡」処遇が適用される。

改正パートタイム労働法に結実した「日本型均衡処遇ルール」を雇用システムの理論から整理すると、「均等」待遇とは、すでに正社員と同じ雇用慣行が適用されている者のみにその範囲を限定するものである。つまり、実質的に「職能ルール」が完全に適用されていたパートに、正社員と同一直線上の「職能ルール」を名目的にも適用させる。それ以外の「均衡」処遇に該当するパートは、処遇決定の際に、職務だけでなく意欲や能力を考慮することを求めるなど「職能ルール」の要素を取り入れつつ、実際の雇用ルールは各企業の実態に任せるものになっている。パートの雇用区分は「職務ルール」に従うよう設計されていることが多いにもかかわらず、実質的な職場運営では「職能ルール」の要素を入り込ませるうえで、「日本型均衡処遇ルール」が促進要因ともなりうる。

全体をまとめると、日本の雇用システムは、正社員には「職能ルール」が適用され、パートにはあらかじめ仕事を特定化するという意味で、「職務ルール」に従う雇用区分が設計されながら、実質的には職務の境界をあいまいにしたり、組織への貢献を重視するといった「職能ルール」の要素が取り込まれている。パートタイム労働について、機会主義を抑制する方法が内在した雇用ルールが確立していないことが、日本の雇用システムの特徴だといえる。一般的には、仕事の重なりが大きい2つのグループの間で、異なる雇用ルールが適用されていれば、それぞれの条件を比較して、同じ扱いを要求することが予想される。しかし、日本では正社員とパートはジェンダーによる区分と重なり、性別役割分業規範をそれぞれが内面化し、家庭責任と密接にかかわる転勤の有無などの条件が過大に評価されてきた。そのため、同じ仕事に対して同じ技能認定を要求する動きが生じなかったばかりか、長い間、パートタイム労働における「職務ルール」と「職能ルール」の要素の混在という矛盾を抱えながらも、その矛盾が顕在化されずにきた。政策面では、むしろ経営側の機会主義を惹起する誘因となりかねないような「規制」が行われている。

これらによって、企業や労働組合でパートの重要性が増している一方で、パートの処遇改善が進まない状況が生み出されている。低い処遇のパート等の非正規労働者が増えてきたことが、主要国では例外的な平均賃金の低下、ひいては先進国では例外的なデフレーションといった日本の状況の背景にあるとすれば、パート自身が処遇に納得していれば問題がない、とはいえないであろう。

本論文の政策的インプリケーションは、パートタイム労働について機会主義を抑制する機能を内在させた雇用ルールを確立していく必要がある、という点にある。その際、正社員とパートの仕事の重なりが大きければ、雇用ルールを統一化していくことが求められる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、雇用システムの国際比較の理論枠組みを援用して、パートタイム労働を含めた日本の雇用システムの特質を明らかにし、企業内部、労働組合、社会政策におけるパートタイム労働の位置づけを重層的に考察・分析するものである。

第1章では、マースデンの雇用システムの理論枠組みを援用して、日本のパートタイム労働に適用される雇用ルールを検討している。理論的考察において踏まえるべき現状は、日本では正社員とパートタイム労働者の仕事の重なりが大きいことである。日本では、正社員には仕事を柔軟に配分する「職能ルール」が適用されるが、パートタイム労働者には、雇用区分の設計上は仕事を特定した「職務ルール」でありながら、実際の運営上は「職能ルール」の要素が入り込むというように、2つの雇用ルールが混在していることが明らかにされる。そのためパートタイム労働者については、機会主義を抑制する方法が内在した雇用ルールとなっていない。機会主義とは、基本的には協力し報い合うことを前提にした関係の中で、どちらか一方が自分の利益を追求するために、他方を欺き出し抜くといったことをさす。機会主義を抑制する方法は、雇用ルールに内在すると考えられている。

第2章では、ILOパートタイム労働条約やEUパートタイム労働指令の規制内容を検討する。それらの規制では、パートタイム労働者であることのみに基づく差別を禁止するという原則を定め、この原則から「比較可能なフルタイム労働者」とパートタイム労働者の間に、少なくとも比例的な取り扱い以上の保護を求めている。ところが日本では、正社員には「職能ルール」が適用され、パートタイム労働者には「職務ルール」と「職能ルール」が混在しているため、比較可能なフルタイム労働者の特定が困難である。さらに第7章は、「日本型均衡処遇ルール」の形成過程を歴史的にたどる。日本型均衡処遇ルールでは、正社員を基点に比較可能なパートタイム労働者を特定しようとし、雇用慣行全体が正社員と同じではない者は、技能レベルが同じでも処遇レベルは低くてよい、とされることが指摘される。

第3章から第6章までは、第1章での理論的検討を踏まえた実証研究として、企業内部、労働組合における日本のパートタイム労働の実態を明らかにしている。すなわち、日本の雇用システムでは、正社員には「職能ルール」が適用され、パートタイム労働者という雇用区分ではあらかじめ仕事が特定化されており、「職務ルール」に従う設計である。しかしながら実質的には、パートタイム労働者にも職務の境界をあいまいにしたり、組織への貢献を重視するといった「職能ルール」の要素が取り込まれていることが明らかにされた。本論文は、パートタイム労働について、機会主義を抑制する方法が内在した雇用ルールが確立していないことが、日本の雇用システムの特徴だと結論する。

マースデンによれば、一般的には、仕事の重なりが大きい2つのグループの間で、異なる雇用ルールが適用されていれば、それぞれの条件を比較して、同じ扱いを要求することが予想される。しかし本論文第6章の労働組合の研究によれば、日本では正社員とパートタイム労働者はジェンダーによる区分と重なり、性別役割分業規範をそれぞれが内面化し、家庭責任と密接にかかわる転勤の有無などの条件が過大に評価される。そこで、同じ仕事に対して同じ技能認定を要求する動きが起こらず、パートタイム労働における「職務ルール」と「職能ルール」の要素の混在という矛盾を抱えながら、その矛盾が長期間顕在化しなかった。

それだけでなく、第7章における政策面の分析が示すのは、むしろパートタイム労働に対する経営の機会主義的行動を惹起する誘因となりかねないような「規制」が行われている、という点である。

このように企業、労働組合、パートタイム労働政策それぞれが絡み合って、日本の雇用システムの特徴を創り出し、維持している。そこから、企業や労働組合でパートタイム労働者の重要性が増していても、パートタイム労働者の処遇改善が進まない状況が生み出されている。

本論文は日本におけるパートタイム雇用を、正規雇用の残余でなく並び立つものとして、そのルール解明し、正規とパートの相補的なあり方を雇用システムとして捉える。ここから、パートタイム労働者の低処遇が「職務ルール」と「職能ルール」の混在に起因する、と説明することができる。先行研究では、日本の雇用システムの理論構築に非正規雇用が含まれなかったのであり、本論文の独創性が評価される。独特のパートタイム雇用を抱える日本の雇用関係がいかなるものかについて、企業、労働組合、社会・労働政策の実証研究を積み重ねて、理論の再構築に貢献している点も高く評価される。

したがって、博士(国際協力学)の学位を授与できると認める。

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