学位論文要旨



No 127268
著者(漢字) 城,真範
著者(英字)
著者(カナ) シロ,マサノリ
標題(和) 決定論的カオスとしての楽器音の研究
標題(洋) A Study on Sounds of Musical Instruments as Deterministic Chaos
報告番号 127268
報告番号 甲27268
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第306号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 数理情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 竹村,彰通
 東京大学 准教授 増田,直紀
 東京大学 准教授 鈴木,秀幸
 東京大学 講師 小林,徹也
内容要旨 要旨を表示する

楽器の音に共通する性質を探すため、弦楽器と管楽器の31種の楽器音を解析した。最初に遅れ座標系でデータをプロットした。複雑な軌道と特徴的な形が見られたが共通した性質は見つけられなかった。しかも、音の強さと長さを変えるだけで異なる形が得られた。遅れ時間座標を使うことは楽器音には向かない。そこで、Wayland統計を使った3種のサロゲートテストを行った。Phase-randomized Fourier-transformサロゲート、iterative amplitude adjusted Fourier transformサロゲート、pseudo-periodicサロゲートにおいて、多くの楽器音が非線形的で擬周期性以上の決定論性を持つという結論が出た。これは決定論的カオスであることと矛盾しない。カオス性を確認するため、Kantzの方法を用いて最大リアプノフ指数の推定を行った。多くの楽器でリアプノフ指数は正であった。これは楽器音が決定論的カオスであることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

音に対する人類の興味は古代ギリシャ時代に始まり、楽器の音をモデル化しようとする試みはルネッサンス期以来の課題である。しかしながら楽器の発する音は極めて複雑であり、それが線形過程で記述可能なのかどうか、さらには決定論的な過程で記述可能なのかどうかすら明らかでないまま、今日に至っている。科学者たちは長年、音の非線形性に言及しながらも、非線形的な解析手法が未発達であったため、フーリエ変換等を用いた線形的な音の解析か、楽器を構成する部分を抽出して数理モデルをたてる研究に終始せざるをえなかった。

楽器音の長い研究史に対し、決定論的カオスの諸性質の理解および非線形的な時系列解析方法はここ数十年の間に急速に進歩してきたものである。決定論的カオスの判定にはリアプノフ指数の推定が広く使われ、サロゲート法による時系列の分類手法は、非線形解析において今では一般的な手法となっている。楽器の音にこれらの方法を適用した結果、人の声、クラリネット、サキスフォン、シンバルにおいては、決定論的カオス性が指摘されている。しかしながら、現在に至るまで、その他多くの楽器音については、それが決定論的カオスであるかどうかは明らかでなく、満足のいく数理モデルは構築されていない。すなわち、前述の四つの解析例以外では、音に共通する性質は分かっておらず、数理モデルの構築が可能であるかどうかすら明らかになっていないのが現状であった。本論文は、これらの問題の解決を目指すものである。

本論文は「A Study on Sounds of Musical Instruments as Deterministic Chaos」(決定論的カオスとしての楽器音の研究)と題し、5章と3つのAppendixesからなる。

第1章「Introduction」(序論)では、音楽と音響学の研究史を記述し、研究の動機を提示している。また、解析においてデータの定常性が重要であることを指摘している。

第2章「Overview of Musical Instruments」(楽器の概説)では、音の発生メカニズムの観点から、弦楽器を二種(擦弦楽器と弾弦楽器)、管楽器を三種(リードを利用するもの、喉や唇を利用するもの、エアジェットを利用するもの)に大別し、解析対象とした31種類の楽器を分類し、それらの紹介と簡単な研究史を記述している。

第3章「Sample Data Used in This Study」(本研究で利用したデータ)では、解析に利用した音の波形とフーリエ変換した結果、遅れ座標系でのプロット、ニューラルネットワークによるモデリング、音を実際に耳で聴くことによる簡単な考察を示している。遅れ座標系でのプロットでは複雑な軌道と特徴的な形が見られたが共通した性質は見つけられず、音の強さと長さを変えるだけで異なる形が得られたことを指摘している。

第4章「Surrogate Tests of Musical Instruments」(楽器のサロゲートテスト)では、Wayland統計量を使い、phase-randomized Fourier-transformサロゲート、iterative amplitude adjusted Fourier transformサロゲート、pseudo-periodicサロゲートにおいて、解析対象とした楽器の音が非線形的で擬周期性以上の決定論性を持つという結論を得ている。これは楽器の音が決定論的カオスであることと矛盾しない。

第5章「Estimation of Maximal Lyapunov Exponent of Musical Instruments」(楽器の最大リアプノフ指数の推定)では、カオス時系列を正の最大リアプノフ指数をもつ時系列と定義し、Kantzの方法を用いてその推定を行っている。多くの楽器で最大リアプノフ指数は正であった。これは、これらの楽器音が軌道不安定性を有する決定論的カオスであることを示唆している。ただし、楽器の種類によって最大リアプノフ指数は大きく異なり、高い周波数の音や人の声では大きなリアプノフ指数が得られ、クラリネットでは小さなリアプノフ指数が得られた。

第6章「Conclusion」(結論)では、以上の結果に対するまとめと今後の研究展望を記述している。

Appendix 1「Programs to Convert between Windows Wav Files and ASCII Text」(Windows WavファイルとASCIIテキストファイルの相互コンバートプログラム)では、本研究用に開発された音声ファイルとASCII数値列との相互変換プログラムが記載されている。言語はC++である。

Appendix 2「Constructing Mathematical Models from Noisy Data」(ノイズのあるデータからの数理モデルの構築)では、低次元のモデルを仮定し、ノイズの大きなデータに対して1ステップの予測誤差とKullback-Leiblerダイバージェンスを併用してモデルを構築する手法を記述している。楽器の音に対してこの方法が失敗したことは、楽器の音の複雑さがノイズによるものではないことを示している。

Appendix 3「Failure of Luo's Test」(Luoの検定の失敗)では、pseudo-periodicサロゲートの一つとして提唱されているLuoによる検定法が、擬周期的データに対して適用できないことを指摘している。

以上を要するに、本論文では、様々な種類の楽器が発する音が、擬周期性以上の決定論性をもち、正のリアプノフ指数をもつことが示されている。これは、これらの楽器が発する音が決定論的カオスであることを示唆している。この事実は、楽器の音が決定論的な数理モデルによって記述可能であることを基礎づけ、その数理モデル化の方向性を与える。これは数理情報学および音響学上貢献するところが大きい。

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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