学位論文要旨



No 127275
著者(漢字) 山中,卓
著者(英字)
著者(カナ) ヤマナカ,スグル
標題(和) イベント発生強度に基づくポートフォリオの信用リスク評価モデル
標題(洋)
報告番号 127275
報告番号 甲27275
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第313号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 数理情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉原,正顯
 東京大学 教授 竹村,彰通
 東京大学 准教授 松尾,宇泰
 東京大学 准教授 鈴木,秀幸
 一橋大学 准教授 中川,秀敏
内容要旨 要旨を表示する

融資や社債などの債権の保有者は,融資先の企業や社債を発行する企業が債務を契約通りに履行しないリスクにさらされている.このようなリスクを信用リスクという.信用リスクの大きさを評価するためには,企業の信用格付け変更やデフォルトといった信用イベントの発生を予測することが必要になる.特に,多数の企業の債権を保有している場合,債権の集合である信用ポートフォリオ全体で信用イベントが発生する様子をとらえることが必要になる.また,ポートフォリオ・クレジットデリバティブと呼ばれる金融商品のリスク解析や価格評価においても,信用イベントの発生を予測し,ポートフォリオの信用リスクを評価することが必要になる.

本論文ではイベント発生強度を用いて信用イベント発生のモデル化を行い,ポートフォリオの信用リスク評価への応用を検討する.特に信用イベント発生のモデル化においては,企業間の信用イベント発生の依存関係をとらえるモデルを考える.モデルの応用としては主に,複数のポートフォリオの信用リスクの同時評価を行う.

信用イベント発生のモデル化の方法には,ボトムアップ・アプローチとトップダウン・アプローチがある.本論文ではまず,トップダウン・アプローチにもとづいて,信用イベント発生のモデル化を行う.すなわち,信用リスクの評価対象となるポートフォリオを含む上位のポートフォリオの信用イベント発生強度モデル(トップパート)と,上位ポートフォリオのイベント発生強度から対象ポートフォリオのイベント発生強度を与える細分化モデル(ダウンパート)で構成されるモデルを考える.トップダウン・アプローチに基づく信用リスク評価に関する先行研究では,信用リスク評価の対象となるポートフォリオに対して信用イベントのモデル化を行っており,単一のポートフォリオの信用リスク評価,あるいはそのポートフォリオ内の個々の企業の信用リスク評価に主眼が置かれていた.それに対し本論文のモデルでは,対象ポートフォリオを含む上位のポートフォリオに注目することで,複数の対象ポートフォリオのリスク評価を同時に行うことができる.本論文のモデルでは,複数の信用ポートフォリオを同時に扱うことが可能なため,信用ポートフォリオ間のリスク依存関係を分析することができる.本論文では,モデルの推定方法を示すとともに,仮想融資ポートフォリオのリスク解析を行った数値例を通して,提案モデルによってポートフォリオ間のリスク依存関係がとらえられることを確認する.

本論文ではトップ・パートにおける信用イベント発生のモデル化を自己励起性をもつイベント発生強度を用いて行う.自己励起性とはイベントの発生によって強度が高まるという特徴である.イベント発生強度の自己励起性によって,イベント発生の伝播をとらえることができるため,先行研究においても自己励起性をもつ強度モデルが提案されてきた.その多くが,イベント発生時にジャンプするという特徴と,イベント発生の合間ではある水準に回帰するという特徴をもったモデルである.本論文では,これまで提案されてきたイベント発生強度モデルの特徴を考慮しつつ,格付け変更のモデルとして扱いやすいように自己励起性ジャンプの大きさを調整した強度モデルを提案する.また本論文では,これまで提案されてきた強度モデルのジャンプの特徴および回帰の特徴を組み合わせていくつかの強度モデル候補を構成し,どのモデルが日本の格付け変更データに対して良く当てはまるモデルであるかについてモデル選択を行う.強度モデルのモデル選択の基準の一つとして赤池情報量基準(AIC)が知られている.そこで本論文においても,格付け変更強度モデルの選択基準としてAICを用いることにする.

先に述べたように,トップダウン・アプローチによる信用リスク評価においては,企業間のリスクの伝播をとらえることを目的として,自己励起性をもつ信用イベント発生強度モデルが用いられてきた.そこで本論文では,日本の信用格付変更履歴データに対して自己励起性強度モデルの推定を行うことで,信用格付変更の自己励起性に関する分析を行う.具体的には,推定された自己励起性強度モデルのジャンプの大きさから,格付け変更の自己励起性と格下げ・格上げ間の相互作用性を確認する.さらに,自己励起インパクトの大きさが格付変更発生時に観測される説明変数によってどのように説明されるかを分析する.説明変数としては,変更元の格付け,変更後の格付け,変更幅,格付け変更発生時間間隔を考える.また,どの説明変数が自己励起インパクトの大きさを説明するうえで重要であるかを,モデル選択によって明らかにする.

本論文で提案するトップダウン・アプローチに基づく信用リスク評価の枠組みでは,信用リスク評価対象となるポートフォリオのイベント発生強度モデルを直接には構成しない.したがって,対象ポートフォリオの信用リスク評価を行うにあたってはダウンパートのモデル,すなわち上位ポートフォリオの強度モデルから確率的細分化を行って対象ポートフォリオのイベント発生強度を構成するモデルが必要となる.本論文ではまず,先行研究で提示された細分化モデルを参考にしながら,基本的な細分化のモデルとしてポートフォリオ内の格付け分布(各格付け毎の全企業数に対する対象ポートフォリオに属する企業数の割合)によって特徴付けられるモデルを提案する.また,ポートフォリオ内での格付け変更発生頻度は,格付け分布以外の情報にも依存すると考えられることから,格付け分布以外の情報もポートフォリオの固有のファクターとして取り入れた細分化のモデルも提案する.本論文では,モデルのパラメタ推定方法を示すとともに,実際のクレジット・ポートフォリオ・デリバティブの参照ポートフォリオに対する実証分析を行う.また,業種による格付け変更発生頻度の違いをモデルによってとらえられることを示し,ポートフォリオを構成する企業の業種の違いがポートフォリオ全体のリスクへ与える影響を数値実験を通して分析する.

トップダウン・アプローチによる信用リスク評価モデルは,ポートフォリオ全体に対するイベント発生強度を考えるため,ポートフォリオ全体のリスク依存関係をとらえる上で扱いやすいモデルといえる.一方で,ポートフォリオを構成する個々の企業のリスク依存関係をとらえる上では,個々の企業のイベント発生強度に注目するボトムアップ・アプローチに基づくモデルがより扱いやすいモデルであるといえる.そこで本論文では,ボトムアップ・アプローチに基づくモデルの実証分析と複数ポートフォリオのリスク評価へ向けたモデルの提案も行う.

本論文では,ボトムアップ・アプローチに従う強度モデルの中で基本的なDuffie et al. (2007)のモデルを用いて,格付け変更データに関する実証分析を行う.このモデルは,格付け変更強度が株価や金利などの観測可能な変数で説明されるモデルであるが,観測可能変数ではとらえられないリスクを考慮するためにfrailty変数と呼ばれる潜在変数を取り込んだモデルも近年提案されてきている.そこで,本論文においても,複数のポートフォリオの信用リスク評価を行うことを目的として,frailty変数を取り込んだイベント発生強度の新たなモデルを提案する.具体的には,全企業に共通なfrailty変数およびポートフォリオ別のfrailty変数をもつ強度モデルを提案する.さらに,ポートフォリオ別のfrailty変数をモデルに取り入れる効果を数値実験で確認する.

審査要旨 要旨を表示する

金融機関のリスク管理および金融商品のリスク解析においては、信用リスクの評価が不可欠であり、信用リスク評価を行うための数理モデルが数多く提案されてきた。とくに近年では、信用ポートフォリオ全体のリスク評価の重要性やポートフォリオ・クレジット・デリバティブの普及から、ポートフォリオに対する信用リスク評価モデルが金融工学分野の大きな研究テーマの一つとなっている。

信用リスク評価モデルとしては、様々なものが提案されているが、主要なものの一つに、信用イベント発生強度に注目したモデルがある。モデル化の枠組みの違いから、ボトムアップ・アプローチとトップダウン・アプローチに分類される。本論文は「イベント発生強度に基づくポートフォリオの信用リスク評価モデル」と題し、ポートフォリオの信用リスク評価モデルとして、このボトムアップ・アプローチ、トップダウン・アプローチに基づいたモデルを提案し、その実データへの応用を論じたものである。

本論文の構成は、第1章「はじめに」、第2章「信用イベントデータ」、トップダウン・アプローチについて論じている第3章から第6章、ボトムアップ・アプローチについて論じている第7章と第8章、第9章「おわりに」から成る。

第1章「はじめに」では、これまでの信用リスク評価モデルを概観し、本論文の概要を述べている。

第2章「信用イベントデータ」では、モデル化の対象となる信用格付け変更の実データの説明とその特徴をまとめている。

第3章「トップダウン・アプローチによる複数ポートフォリオのリスク評価の枠組み」では、これまで単一のポートフォリオのリスク評価に主眼が置かれていたトップダウン・アプローチにおいて、複数の信用ポートフォリオのリスク評価を同時に行う考え方とモデルを提示し、その応用について論じている。そこでは自己励起性をもつ強度モデルの新しいタイプを提案し、実データへの適合度も検証している。また、数値実験を通してモデルの特徴を確認し、特に提案モデルによって信用ポートフォリオ間のリスク依存関係が捉えられることを指摘している。

第4章「経済全体の格付変更強度モデルの選択」では、先行研究および第3章で提案した様々なタイプのイベント発生強度モデルに対して、日本の格付け変更データに当てはまりの良いモデルの選択を行っている。

第5章「格付け変更データの自己励起性の分析」では、強度モデルを用いて、信用格付け変更の特徴である自己励起性に関する分析を行っている。そこでは、格付け変更の自己励起性、相互作用性といった特徴を確認するとともに、自己励起性を説明する要因について論じている。

第6章「ポートフォリオの特性を考慮した細分化モデル」では、トップダウン・アプローチにおいて部分ポートフォリオのモデルを得るための方法である細分化モデルの提案を行っている。これまでの細分化モデルがポートフォリオを構成する企業の格付け情報のみで特徴付けられていたのに対し、本章では格付け情報以外のポートフォリオの特性を反映できる形に拡張したモデルを提案している。そして、モデルの推定方法を示すとともに、数値実験を通してモデルの特徴を確認している。またモデルの応用として、業種のリスク分析やクレジット・ポートフォリオ・デリバティブのリスク解析についても論じている。さらに、それまでに論文中で提案したトップダウン・アプローチに基づくモデル全体の実証分析を行い、実データに対してモデルが棄却されないことを確認している。

第7章「個別企業のイベント発生強度モデルによる実証分析」では、ボトムアップ・アプローチに基づくモデルの一つで、マクロ変数と個別企業属性の両方でデフォルト発生強度を特徴づけるDuffie等(2007)のモデルを、日本企業の格下げイベントに適用して実証分析をしている。また、分析結果をもとに、第3章のトップダウン・アプローチに基づく強度モデルとの特徴の違いについても論じている。

第8章「Frailty変数をもつ個別企業のイベント発生強度モデル」では、frailty変数をもつ強度モデルの新しいタイプを提案している。frailty変数とは、観測可能変数ではとらえられないリスクを考慮するための潜在変数である。これまでの強度モデルでは経済全体のリスクおよび個別企業のリスクをとらえることを目的としたfrailty変数が取り入れられてきたが、ここでは複数のポートフォリオのリスク評価を行うという観点から、ポートフォリオ別のfrailty変数をもつモデルを提案している。さらに、パラメタ推定方法を示すとともに、提案モデルによってポートフォリオ固有のリスクがとらえられることを数値実験によって確認している。

以上を要するに、本論文は、複数の信用ポートフォリオに対する信用リスク評価を行うという観点から、信用イベント発生強度に注目した信用リスク評価モデルを提案し、その応用について論じたものであり、数理情報学の重要な分野である金融工学の発展に寄与するものである。

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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