学位論文要旨



No 127277
著者(漢字) 三浦,貴大
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,タカヒロ
標題(和) 聴覚による障害物知覚と仮想音響提示に関する研究
標題(洋)
報告番号 127277
報告番号 甲27277
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第315号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 システム情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嵯峨山,茂樹
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 講師 小野,順貴
 東京大学 講師 鈴木,隆文
内容要旨 要旨を表示する

視覚障害者は,視覚情報に頼ることが困難である.そのため,触覚や聴覚などの他感覚を頼りに環境知覚を行っている.特に,聴覚経験が豊富な視覚障害者は,周囲環境中の障害物の存在や距離などを音情報によって知覚する「障害物知覚」を行っている.しかし,この聴覚による障害物知覚についてのメカニズムは詳しく分かっておらず,体系的な訓練手法・システムは開発されていない.一方で,このメカニズム解明が進み,訓練手法が創出できれば,今後増加が予想される視覚障害者のQOL向上に貢献できる.そこで,本論文では,聴覚による障害物知覚のメカニズム解明を行った上で,安全かつ簡便に障害物知覚を訓練できるシステム開発を行うことを目的とした.

第一に,障害物の存在する状況下で,ダミーヘッドマイクロホンを用いて,音響伝達関数を測定し,分析を行った.この結果,障害物の存在によって生じる音響ゲイン,カラーレーション,両耳間音圧レベル差の変化が障害物知覚に寄与しうることがわかった.次に,この音響伝達関数を環境音を模擬したピンクノイズに畳み込んで刺激音を作成した.その上で,障害物知覚ができる視覚障害者にこの刺激音を聞かせ,障害物の方向定位を行わせた.その結果,一部の被験者は障害物の方向を正しく定位できた.ただし,障害物が提示されているときの応答回数は,正しく定位できたもの・そうでないもので大きな差はなかった.正しく定位できなかった被験者がいた理由は,ダミーヘッドマイクロホンの頭部形状と,被験者の頭部形状との不一致だと考えられる.また,音響伝達関数の分析結果と,音響伝達関数による畳み込み音の定位結果とを比較して,カラーレーションが最も障害物の知覚に用いられやすい音響的要因であると結論づけた.

第二に,音響伝達関数を操作して畳み込み音を生成して聞かせることで,障害物を分かりやすく仮想音響提示する手法を提案し,効果を確かめた.結果より,簡易的な音響伝達関数操作でも,障害物の距離感や存在感を制御できることがわかった.この結果は,移動支援機器への応用が期待できる.

第三に,訓練システムに生かすことを目的に,行動時に行われる障害物知覚について調べた.この際,特に頭部運動について着目し,歩行時の障害物の距離知覚や,静止時の細い幅の障害物の距離知覚について実験的に調べた.これらの結果,頭部運動によって,障害物の距離知覚が高精度化することが示された.よって,訓練システムの改良に当たっては,頭部運動による音響的変化を考慮に入れた設計が重要であるとわかった.

第四に,音響伝達関数を利用しての障害物の仮想音響提示による,障害物知覚の訓練システムを提案し,効果を予備実験で検討した.本論文の範囲では,頭部運動などの効果を含めないシステムであったが,結果より,訓練を繰り返すことで障害物の方向定位能力が向上することが示された.また,実環境における障害物の方向知覚の訓練効果が期待できると分かった.今後,頭部運動を考慮したシステムを製作して,訓練を行えるようにすることで,さらなる効果が期待できる.

第五に,今後の訓練システムの改良のために,音響伝達関数を効率よく測定するためのスピーカ開発について述べた.さらに,視覚障害者への情報提示方法として,スピーカマトリクスによる方法の有効性について確認した.

本研究で得られた成果は,視覚障害者の障害物知覚の訓練や支援に用いることが可能である.また,音響バーチャルリアリティの要素技術としても利用可能である.例えば「音の壁」を提示して,誘導するなどの応用などが考えられ,新しい音環境デザインなどにも,本研究の結果が利用可能と考えられる.

以下に,各章の要約を述べる.

第1章および第2章では,視覚障害者を取り巻く様々な支援の現状について述べたあと,障害物知覚の訓練手法の提案の意義について述べた.その際,障害物知覚における音響的要因と知覚的要因の関連性を明らかにする意義について述べ,ダミーヘッドを用いた音響伝達関数を用いて分析する方法の有用性について示した.

第3~4章においては,障害物知覚のメカニズム解明について述べた.特に,第3章では,ある障害物が空間中に存在する状況を設定した上で,ダミーヘッドに内蔵した両耳マイクによって音響伝達関数を計測し,分析した.障害物の有無で音響伝達関数を比較したところ,障害物の存在によって,耳の位置での音響特性が変化することが確認された.特に1 kHz以上の周波数帯域における,障害物の有無でのゲイン変化,障害物による反射音などの影響で生じるスペクトルの変調(スペクトルリプル)変化,および両耳間レベル差の変化は知覚されうる大きさであり,これらが障害物の知覚の手がかりとなることが示唆された.また,これらの手がかりは,音源が正面よりも側方に配置されていたときの方が大きいことが示された.

第4章では,音響伝達関数を操作した刺激音を視覚障害者に提示することで,障害物感を提示可能か検討した.それに当たり,まず音響伝達関数を操作した刺激音を作成し,空間知覚ができる全盲の視覚障害者に聴かせた.その上で,障害物の知覚距離や障害物の存在感について評価させた.この結果,障害物がスピーカの音を反射する状況下のとき,距離が大きくなっても,正答率の変化が小さいことが分かった.また,障害物の方向定位に関しては,一部の被験者が正しく定位できていた.さらに,第3章および第4章の結果の比較から,障害物の距離変化に伴って変化するカラーレーションが,障害物の距離知覚への寄与が最も大きいことが明らかになった.

上記の章では,音響伝達関数を用いる状況を想定したため,行動時の障害物知覚については調べられていなかった.そこで,第5~6章では,行動に伴って起こる音響的要因が,実環境で行われる障害物知覚にどのように寄与するか調べた.

特に第5章では,まず歩行時の動きに伴う音響的変化の,障害物知覚の寄与の可能性を調べた.この結果,静止時・歩行時の障害物の距離知覚の精度を,視覚障害者で調べた.この結果,歩行時の方が高精度に障害物の距離を定位できた.一方で,この要因が歩行時の頭部運動にも起因すると考え,まず歩行時の頭部回転角度について調べ,この際発生しうる音響的要因についての弁別閾を調べた.この結果,頭部運動に伴う音響的要因として,両耳間のカラーレーション差が弁別可能であり,障害物の距離知覚に寄与する可能性があることが示された.また,頭部回転と歩行の両方が起こっている場合の,距離変化の弁別について調べた.この結果,歩行と頭部運動があることで,より音響的変化を知覚しやすくなる可能性が示された.

また第6章では,頭部運動による音響的変化によって,頭部幅より細い障害物も知覚可能であることを示した.第5章および第6章の結果から,音響伝達関数を用いた訓練システムの改良指針を提案した.具体的には,頭の動きに伴う音響的変化を提示することで,より実践的な障害物知覚の訓練環境が創出できると考察づけた.

上記の第3~6章では,主に障害物知覚における知覚メカニズムや行動要因を調べることが主であった.以下の章では,障害物知覚を訓練できるシステムの開発に関する研究を行なった. 第7章では,音響伝達関数を操作した上で畳込んだ音によって障害物の存在感提示が,制御できるか検討した.ユーザ個人の音響伝達関数を使うのが最も有効ではあるものの,ユーザごとに取得する場合,従来からの手法ではユーザに多大な負担がかかるためである.具体的な操作は,音響伝達関数のスペクトル振幅を単純にある定数でかけることによって,スペクトルキューを相対的に強め,これにピンクノイズを畳み込むというものである.この結果,相対的にスペクトルキューを強めることで,障害物のない条件下の音響伝達関数でも,障害物感を提示可能であることが分かった.また,スペクトルキューを強めた場合は障害物からの反射音,弱めた場合は,障害物による遮蔽感が知覚されることが考察付けられた.

第8章では,音響伝達関数を畳み込んだ刺激音を用いた,障害物知覚の訓練システムについて提案し,簡易的に効果を確かめた.このシステムは,ヘッドホン受聴によるものであり,ジョイスティックによる結果の入力ができるようにしたものである.障害物方向の学習については,前もって障害物の方向に対応する音を聞かせ,覚えさせるようにした.なお,本論文では,予備的に頭部運動などの効果を含めないシステムで検討を行った.この結果,実験回数を繰り返すことで,障害物の方向定位精度が向上することが示された.ただし,この結果は,音響伝達関数の畳み込み音を用いた実験環境において,定位精度が向上したことのみを示すものである.よって,実際の障害物の方向定位精度が向上するかどうかは明確には言えない.しかしながら,従来研究では,本手法による訓練によって,実環境における障害物の方向定位精度が向上すると考えられる.そのため,本システムにより得られた結果は,実環境における障害物の方向知覚の訓練効果が期待できる.

第9章および第10章では,提案した訓練システムを,高臨場感を与えられるバーチャルリアリティシステムとして改良することを目的に,要素技術の提案を行なった.第9章では,音響伝達関数の畳込み音の重畳の際のクロストークを最小化するため,音放射部が0.5cmのスピーカを開発した.開発したスピーカを用いて,音響伝達関数の測定が行えることを確認した.

第10章では,障害物の存在以外の視覚情報を,視覚障害者に提示する手法として,スピーカマトリクスを用いた手法を提案した.その上で,簡易的な実験を通じて,この手法の有効性を示した.この手法は上述した音響伝達関数を用いた手法とは異なり,システム構成が複雑になるなどの難点がある.しかし,音響伝達関数の相性といった個人差などを考慮しない方法として有用であるため,より多くの人に適用しやすい訓練システムが実装できる可能性があるものである.

第11章では,本研究から得られた結論や結果についてまとめ,本研究の今後の展開や応用可能性について述べた.

審査要旨 要旨を表示する

本論文では,聴覚経験が豊富な視覚障害者が周囲環境中の障害物の存在や距離などを音情報によって知覚する「障害物知覚」について,安全かつ簡便に訓練できるシステム開発を行うことを目的に,メカニズム解明を試みた上で訓練システムを提案している.特に,従来はほとんど調べられていなかった音響的要因に対する知覚について,音響分析や心理物理実験を通じて定量的な分析を試みている.

本論文は11章から構成される.第1章および第2章では,視覚障害者を取り巻く様々な支援の現状,および障害物知覚の訓練手法の提案の意義について述べている.この章では,障害物知覚における音響的要因と知覚的要因の関連性を明らかにする意義やダミーヘッドを用いた音響伝達関数を用いて分析する方法の有用性について書かれている.

第3~4章においては,静止時の障害物知覚のメカニズム解明が行われた.特に,第3章では,ある障害物が空間中に存在する状況を設定した上で,ダミーヘッドに内蔵した両耳マイクによって音響伝達関数を計測し,分析が試みている.障害物の有無で音響伝達関数を比較した結果,障害物の存在によって起こる音響的変化のうち,ゲイン変化,カラーレーション,両耳間音圧レベル差の変化が障害物知覚の手がかりとなる可能性が示された.

第4章では,音響伝達関数を畳み込んで作成した刺激音を視覚障害者に提示し,変化が弁別できたかを応答させている.ここで得られた弁別率に対して,第3章で得られた各音響的要因の寄与を重回帰分析によって調べた結果,障害物の反射によって発生するカラーレーション変化が特に重要であることが明らかにされた.

第5~6章では,行動に伴って起こる音響的要因が,実環境で行われる障害物知覚にどのように寄与するかが調べられた.第5章では,まず歩行時の動きに伴う音響的変化の,障害物知覚の寄与の可能性が調べられた.静止時・歩行時の障害物の知覚距離の精度が調べられ,歩行時の方が高精度に障害物距離を定位できることを明らかにした.この原因について,歩行時の頭部運動にも起因する音響的変化の知覚が高精度な障害物距離の知覚に寄与すると考え,頭部回転と歩行の両方が起こっている場合の,距離変化の弁別について調べられた.結果より,歩行と頭部運動があることで,より障害物の距離変化を弁別できることが示唆された.第6章では,頭部運動による音響的変化を知覚することで,頭部幅より細い障害物も知覚可能であることが示された.第5章および第6章の結果を踏まえ,音響伝達関数を用いた訓練システムを開発する際,使用者の頭の動きに伴う音響的変化の提示ができれば,効果的な障害物知覚の訓練できると考察づけられた.

第3~6章では,主に障害物知覚における知覚メカニズムの調査が主であった.以下の章では,障害物知覚を訓練できるシステムの開発や音響バーチャルリアリティへの応用について書かれている.第7章では,音響伝達関数の操作した上でノイズに畳み込んで作成した音によって,障害物の存在感提示が制御できるかが検討されている.提示音の作成は,音響伝達関数のスペクトル振幅を強調してスペクトルキューを相対的に強め,これにピンクノイズを畳み込むという手順で行われた.この音源を視覚障害者に評価させたところ,障害物の存在感が制御可能であることが明らかになった.

第8章では,音響伝達関数を畳み込んだ刺激音を用いた,障害物知覚の訓練システムが提案されており,簡易的に効果を確かめられている.このシステムは,ヘッドホン受聴によるものであり,ジョイスティックによる結果の入力ができるようにしたものであった.障害物方向の学習については,前もって音を聞かせて対応する障害物方向を覚えさせた.本論文においては,頭部運動などの動きの効果を含めないシステムで予備的に検討が行われた.この結果,実験回数を繰り返すことで,障害物の方向定位精度が向上することが示され,実環境における障害物の方向知覚の訓練において,本システムが有効である可能性が示された.

第9章および第10章では,提案した訓練システムを,高臨場感を与えられるバーチャルリアリティシステムとして改良することを目的に,要素技術の提案が行なわれている.第9章では,音響伝達関数の畳込み音の重畳の際のクロストークを最小化するため,音放射部が0.5cmのスピーカが開発され,音響伝達関数の測定に有効であることが示されている.

第10章では,障害物の詳細形状といった視覚情報を,音で提示する手法として,スピーカマトリクスを用いた手法が提案されている.マトリクス上で音の出る位置を逐時変えることにより,音源の軌跡を提示するというものである.ホワイトノイズを提示音に用いたところ,簡単な図形を提示できることが明らかになった.

第11章は,以上の章から得られた結論や結果についてまとめ,本研究の今後の展開や応用可能性について述べられている.

以上のように,本論文では,視覚障害者の聴覚による障害物知覚の能力について明らかにするとともに,訓練手法について提案を行い,さらに音響バーチャルリアリティ手法としての改良に当たっての要素技術についても提案している.本論文の成果は,視覚障害者の訓練方法および訓練システムのみならず,誰でも利用出来るような音響バーチャルリアリティシステムへの応用が期待できる他,視覚障害者を想定したバリアフリー音環境を創出するなどの社会的な貢献も期待できるものである.

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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