学位論文要旨



No 127300
著者(漢字) 竹中,一仁
著者(英字)
著者(カナ) タケナカ,カズヒト
標題(和) 大規模神経システムのダイナミックネットワークマイニング
標題(洋) Dynamical network mining of large-scale neural system
報告番号 127300
報告番号 甲27300
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第338号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 知能機械情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國吉,康夫
 理化学研究所 チームリーダー 藤井,直敬
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 神崎,亮平
 東京大学 講師 高橋,宏知
内容要旨 要旨を表示する

概要

脳のしくみを研究する試みは古くから行われて来たが、従来はある脳機能に対応する脳部位について論じる各論研究が主体だった。一方近年の計測技術の発達により、脳の単一領域ではなく脳全体の活動がどのように時間とともに変化していくかを計測できるようになってきた。脳が環境に即して行う情報処理は複数の脳部位が担う様々な脳機能が互いに連関し合っていると考えられるが、このような脳内の連関を解析するためには、適切な時間・空間スケールで計測した情報に対し、脳全体のシステムとしての解析を行うことが必要である。このような目的に適した時空間分解能を持つ計測手法として、頭蓋内から複数電極によって脳表面の電位を計測するECoGが近年よく使われるようになってきた。しかしECoGの計測データを扱い、脳全体のシステムを取り扱うような解析手法は未だ確立されていない。そこで本論文では、ECoGデータから脳の情報的なネットワーク構造を解析する手法の開発に取り組んだ。以下の各章ではECoGデータからの特徴抽出、脳内の情報の分布、脳のネットワーク構造の教師なし抽出について実験を行い、学術的考察を加えた。

第1章:序論

ここでは脳の活動の多くが本質的に外部観測不可能な内部状態である事について述べるとともに,大規模な神経活動データから教師なしに情報構造を抽出することが内部状態を推定すること手段として有効であることを説明した.また,脳の複数領野を覆う多点同時計測性と高時間解像度を両立することがこのような解析法にとって重要であることを示し,それを満たす計測手法としてECoGを用いてこれに適した情報抽出法を提案することを本論文の目的とした.

第2章:神経活動計測手法の発達と大規模データ解析

本章では,神経活動計測手法の発達とそれに伴い発達してきた解析手法について述べた.計測対象が単一領域の神経活動から複数領域さらに脳全体の神経活動へと広がると同時に、解析対象も単一領域の脳機能から複数領域の連関、そして脳全体のネットワーク構造と変化してきた背景について述べた.そしてそれぞれの解析において用いられる統計手法について系統的に述べ,本研究において目指す教師なしのネットワーク構造抽出手法について本論文の位置づけと理論的な基礎付けを行った.

第3章:ECoGによる神経活動計測とダイナミックネットワークマイニング

本章では,ECoGによる神経活動計測の特性について詳しく述べ,ECoGにより複数領域の関係性に基づいた神経活動に内在する構造を教師なしに抽出することが可能となることを説明した.ECoGは他の神経活動計測手法に比べて多点同時計測、高時間解像度、計測の長期安定性という要素のバランスという観点で優れており、これにより神経活動の複数領域の関係性すなわちネットワーク構造が、時間と共に変化する様子を、統計的な手法を用いることで抽出できる。そしてこのような解析を実現する手法として複数領域の相関や因果関係を表現した関係性行列の時系列データに対して混合ディリクレ過程(Dirichlet Process Mixture:DPM)と無限関係モデル(Infinite Relational Model:IRM)を組み合わせた解析を行うダイナミックネットワークマイニングを提案し、これによって事前知識を必要とせずに神経活動データに内在する情報構造を教師なしに抽出できることを示した.

第4章:前肢運動デコーディングによる脳内情報の時間変化に対する解析

本章では,ECoGによる計測データがもつ情報についてサルの前肢運動を神経活動から回帰することで解析した.特にサルの前肢位置を同時刻に計測した複数領域の神経活動から回帰することで運動に対する情報が脳内で空間的に分布している様を解析し、その結果中心溝前方に情報が局在することを確認した.さらにある時刻における前肢位置の情報は、過去へ行くほど脳内の中心高からより前方に、未来に行くほど中心溝を越えて脳内のより後方に局在すること発見した.このような広い領域における情報分布の比較を高い時間解像度で行うことは他の計測手法では困難であり、ECoGによる解析の優位性を示した.

第5章:関係性特徴による視覚刺激の判別

本章では,多点同時計測したECoGによる神経活動データのうち、単一の計測点から得られる局所特徴と複数点の関係によって定義される関係性特徴について、サルに提示した視覚刺激をそれぞれの特徴量を用いて判別することで比較した。その結果,視覚提示の有無に対しては、局所特徴である視覚野における各電極の周波数パワーが判別に有効だったものの、提示刺激の種類の判別に対しては関係性特徴である視覚野内の神経活動の相関が有効であった。特に同一の視覚刺激が異なる方向に移動する場合には、視覚野内の神経活動の時間差つきの相関特徴が有効であることを確かめた。さらにこの時間差が刺激の移動速度と対応することを実験的に確かめ、そこからECoGによって計測される視覚野の各点における情報は、その瞬間に見える視野内の一点の画素変化と対応していることを理論的に考察した.

第6章:神経活動からのダイナミックネットワークマイニング

本章では,サルに対して2つの実験を行い、それぞれの計測データに対して混合ディリクレ過程(Dirichlet Process Mixture:DPM)と無限関係モデル(Infinite Relational Model:IRM)を組み合わせたダイナミックネットワークマイニングを適用し、繰り返し出現する特徴的な関係性構造を抽出することを確認することで,教師なしで神経活動に内在する情報構造を抽出することの有効性を検証した.ダイナミックネットワークマイニングにおいてはまず計測した神経活動間の関係性を示した関係性行列を各時刻で計算する。そしてこの関係性行列の時系列データに対してDPMを適用することで各時刻を少数のクラスタに分類する。それぞれのクラスタ中心となる関係性行列は繰り返し出現する関係性構造を示す。この複数の関係性行列対してIRMを適用してECoGの電極を分類することで複雑な関係性行列からネットワーク構造を抽出する。

まずサルに麻酔投与実験を行い,ダイナミックネットワークマイニングによって時間と共に変化する脳の情報ネットワーク構造を解析した。関係性の抽出においては複数の周波数の相関と因果関係指標を用いた。DPMによる時間のクラスタリングの結果、麻酔中は麻酔前とはネットワーク構造は大きく変化し,麻酔から回復するとともに麻酔前と同じ構造へと復帰すること,およびこのネットワーク構造の変化が麻酔薬や拮抗剤の投与と共に徐々に変化する過渡的な応答であることを確認した。さらにIRMによる電極のクラスタリングの結果、個々のネットワーク構造における複数の特性を発見した。

・60Hz以上の高周波の相関においては覚醒時に強い値を示した前頭葉と側頭葉前部の関係性が麻酔時には消失する

・15-30Hzの周波数の相関においては麻酔時と覚醒時でネットワーク構造は大きく変化しない

・因果関係においては、覚醒時に目を開けていたときに特異的に現れ、目を閉じると共に消失した視覚野内で強い関係性を示すネットワーク構造が、麻酔時にも同様に現れる

またより早い情報構造の変化を捉える試みとして、サルに他のサルと競合する環境下でのエサ取り課題を行わせ、麻酔実験と同様にダイナミックネットワークマイニングによってネットワーク構造を解析した。その結果、エサへの注目、エサの獲得といったイベントに対応して発生するネットワーク構造の存在を確認した。またこのイベントに関連する関係性構造の切り替わりに比べ、他個体のサルとの社会的上下関係といった社会性に対応するネットワーク構造の変化は顕著ではないことを確かめた。

第7章:結論

本論文の学術的貢献は,以下のようにまとめられる.

・ミリ秒オーダーで時間変化するような神経活動に含まれる情報の時空間分布について、脳内の広い領域を同時計測するECoGによってその解析が可能となることを示した。

・局所ではなく複数の脳部位の神経活動の関係性が持つ情報について解析し、特に視覚野において複数部位の時間差付き相関が重要な意味を持つことを示した。

・従来実現困難であった神経活動に内在する情報構造の抽出を実現する方法として、関係性行列に対して混合ディリクレ過程と無限関係モデルを用いるダイナミックネットワークマイニングを提案した。

・麻酔実験およびエサ取り実験においてダイナミックネットワークマイニングを適用しその有効性を検証することで、外的な情報に寄らない教師なしアプローチの重要性を示した.

本論文で開発した手法により,コントロールされた実験条件間において神経活動からその違いを検出する従来の仮説検証型の解析とは全く異なり、自由な実験環境下から神経活動に内在する構造を発見する構造発見型の神経活動解析が可能となった。これはこれはで実現困難であった外部観測から推定できない脳の内部状態に対する解析を行うことの端緒となる.今後,より詳細に脳の情報ネットワーク構造を解析するためには、皮質表面だけでなく深部脳からも同時に高時間解像度で神経活動を計測する手法の発展が期待される。またBrain Machine Interface技術の発達によって脳に対して外部から操作が可能になれば、抽出したネットワーク構造を実際に操作することでより詳細な脳システムの検証が可能となると予想される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「大規模神経システムのダイナミックネットワークマイニング」と題し,高時間解像度で計測した多点神経活動データから脳の情報ネットワーク構造をボトムアップに抽出する手法の開発と評価についてまとめたもので,全7章からなる.神経活動解析の歴史は長いが,従来は特定の脳部位について外的に設定された特定の状況や事象と関連する活動を解析する個別機能研究が主流であり,システム全体の内部ダイナミクスは対象外であった.一方,近年の計測技術の進歩により,脳全体の活動を対象とした多点の時間変化を同時に計測できるようになった.特に皮質表面に多数の電極を配置するElectrocorticography (ECoG)は,高時間解像度での多点同時計測に適した最近の手法である.そのデータから,多数の脳部位の活動連関すなわちネットワーク構造の時間変化を抽出する解析法を実現すれば,脳のシステム全体の内部ダイナミクスの理解に大きく寄与すると考えられる.以下の各章では,上記の目的に向けて,ECoGで計測される神経活動に関する考察と,大規模神経データから教師なしに情報構造を抽出する新たな解析法の開発,評価,考察を行っている.提案手法は,サルのECoGデータのみから麻酔および覚醒状態に特有のネットワーク状態とその変化や,エサ取り課題におけるエサへの注目といった各時刻特有のネットワーク状態を教師なしに抽出できた.

第1章「序論」では,脳の活動の多くが本質的に外部観測不可能な内部状態である事について述べるとともに,大規模な神経活動データから教師なしに情報構造を抽出することが内部状態を推定する手段として有効であることを説明している.また,脳の複数領野を覆う多点同時計測性と高時間解像度を両立することがこのような解析法にとって重要であることを示し,それを満たす計測手法としてECoGを用いてこれに適した情報抽出法を提案することを本論文の目的としている.

第2章「神経活動計測手法の発達と大規模データ解析」では,神経活動計測手法の発達とそれに伴い発達してきた解析手法について,単一領域の脳機能の解析から脳全体のネットワークとしての解析へと変化してきた背景について述べる.さらにそのような大規模なデータの解析に必要となる統計手法について述べ,本論文の位置づけと理論的な基礎付けを行う.

第3章「ECoGによる神経活動計測とダイナミックネットワークマイニング」では,ECoGによる神経活動計測の特性について詳しく述べ,ECoGにより複数領域の関係性に基づいた神経活動に内在する構造を教師なしに抽出することが可能となることを説明する.そしてこれを実現する解析手法として複数領域の相関や因果関係を表現した関係性行列の時系列データに対して混合ディリクレ過程(DPM)と無限関係モデル(IRM)を組み合わせた解析を行うダイナミックネットワークマイニングを提案する.

第4章「前肢運動デコーディングによる脳内情報の時間変化に対する解析」では,ECoGによる計測データがもつ情報についてサルの前肢運動を神経活動から回帰することで解析している.これにより脳内の情報は特定の部位に局在しており,この部位が時間と共に変化していくことを確認している.

第5章「関係性特徴による視覚刺激の判別」では,複数部位の関係を示す相関や因果関係特徴が持つ情報についてサルに提示した視覚刺激を神経活動から判別することで解析する.その結果,視覚刺激の判別に対しては視覚野内の相関特徴が有効であり,同じ視覚刺激が異なる方向に移動する場合には,視覚野内の時間差つき相関特徴が有効であることを確かめ,そこからECoGによって計測される視覚野の情報はその瞬間に見える視野内の情報と直接対応していることを考察している.

第6章「神経活動からのダイナミックネットワークマイニング」では,二つの実験に提案手法を適用し,特徴的な関係性構造が繰り返し出現することを確認することで,教師なしで神経活動に内在する情報構造を抽出することの有効性を示している.まずサルに麻酔投与実験を行い,脳全体の関係性が麻酔中に大きく変化し,麻酔から回復すると麻酔前と同じ関係性へと復帰すること,およびこの変化が麻酔薬と投与と共に徐々に変化する過渡的な応答であることを確認している.また視覚野内の活動の因果関係において,覚醒開眼時に見られる関係性構造が閉眼麻酔時にも再現していることを発見している.さらにエサ取り実験においては,エサへの注目に対応した時間帯に特定の関係性構造が出現することを確認している.

第7章「結論」では,以上を総括した上で,高時間解像度,多点同時計測という性質を持つ神経活動計測データから関係性構造を教師なしに抽出するダイナミックネットワークマイニングの開発とその有効性の検証が本論文の学術的寄与であると結論づけている.

以上,これを要するに,本論文は,神経活動の解析において,従来とは全く異なる大規模データからの内在構造の抽出というアプローチを提唱し,多点同時計測データからネットワーク構造の時間変化を抽出する新たな解析法の開発を行い,その有効性を示したものである.これは,従来の仮説検証型と相補的な構造発見型という新しい神経科学のアプローチを提示し,その実現への端緒を開くものといえる.

以上の理由から,本論文は知能機械情報学上貢献するところ大である.よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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