学位論文要旨



No 127309
著者(漢字) 前田,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,ケンタロウ
標題(和) 市民を雇わない国家 : 国際比較から見た日本の公務員数の規定要因についての考察
標題(洋)
報告番号 127309
報告番号 甲27309
学位授与日 2011.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第257号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田邊,國昭
 東京大学 教授 城山,英明
 東京大学 教授 谷口,将紀
 東京大学 教授 齋藤,誠
 東京大学 教授 水町,勇一郎
内容要旨 要旨を表示する

要旨

資本主義社会において国家の役割の大きさをどの程度に定めるべきかという問題は、政治学の最も重要な課題の一つであるだけでなく、近年の先進諸国における中心的な政治争点となってきた。我が国においても、中曽根政権や小泉政権に見られるように「小さな政府」を明確に志向する政治指導者が登場し、様々な形で公共部門の改革を試みてきた。この状況の中でしばしば見落とされるのは、既に日本の政府の規模が多くの点で他の先進諸国に比べて小さいということである。これまで、日本の積極的な産業政策は海外の研究者から経済発展の原動力として注目され、同時に幅広い経済的規制も研究の対象となってきた。こうした国家の市場への介入がクローズアップされる一方で、日本では主要産業の国有化はほとんど行われず、財政規模も先進国の中で最低の水準に留まってきたのである。

本論文は、日本の小さな政府の一つの側面として、その公務員の数に注目する。日本の人口に占める公務員の割合は、他の先進国に比べると極端に低い水準となっている。日本は、市民を雇わない国家であるという点において先進国の中でも際立っているのである。それでは、日本の公務員の数はなぜ他の先進国よりも少ないのか。これが、本論文の取り組む問いである。

まず頭に入れておく必要があるのは、従来の研究で示されてきた理論を当てはめればこの問題が解けるわけではないということである。これまで、所得の再分配や経済活動の規制において国家の果たす役割の大きさを説明する理論は数多く作られてきた。特に、第二次世界大戦の終結から1970年代の石油危機に至るまでの「福祉国家の黄金時代」における公共部門の拡大と、その後の流動的な経済状況への各国における政策的対応の多様性を説明することは比較政治経済学の中心的なテーマとなってきた。しかし、それらの理論が説明対象として念頭に置いていたのは、公務員数ではなく社会保障支出などの財政規模であった。また、日本を主たる対象とする研究に関しても、その公務員数を説明することを直接の目的とする研究はほとんど存在していない。従って、日本の公務員数が少ない理由を探るには、改めて日本の事例を検討することを通じて新たな理論を構築し、その知見の妥当性を他国との比較を通して確認する必要がある。

本論文は、日本の公務員数を説明する重要な要因の一つが、人事院勧告を中心とする公務員の給与制度にあると考える。この制度の下で、政府が公務員の給与を景気動向や財政状況の変化に応じて抑制する手段を欠いていたことが、経済発展の早い段階での行政改革の開始を促し、日本の公務員数を低い水準に留めた、というのが本論文の想定するメカニズムである。その根拠を示すべく、本論文の各章では次の順序で問いを立てながら考察を進める。

・現在の日本の公務員数は本当に他の国よりも少ないのか(第1章)

・いつから日本の公務員数は他の国よりも少なくなったのか(第2章)

・日本の公務員数の増加が早い時期に止まったのはなぜか(第3章・第4章・第5章)

・他の先進国ではいかなる経緯で公務員数の増加が止まったのか(第6章・第7章)

第1章では、事実関係の確認を行う。これまで、日本の公務員数が他の先進諸国よりも少ないことはしばしば指摘されてきたものの、その差異が公務員の定義の国際的な多様性を考慮してもなお存在するという明確な証拠は示されてこなかった。そこで、この章では日本の公務員数を様々な定義に従って数えるだけでなく、国際機関や研究機関の実施した調査に基づいて、複数の角度から公務員数の測定の方法を検討し、現在までに示されてきた定義を用いる限り、日本の公務員数が実際に他の国々よりも大幅に少ないと考えられることを示す。

第2章では、そうした公務員数の差異を説明する方法について述べる。ここでは、現在の公務員数が、経済発展に伴う公共部門の拡大の速度だけでなく、行政改革によってその拡大に歯止めが設定された時点にも依存すると考える。行政改革には、行政機構改革から行政整理まで様々な意味が存在するものの、本論文ではその中でも行政組織の人員規模を抑制するための改革としての行政改革に焦点を当てる。この見方に従えば、日本の公務員数が少ないのは、経済発展の早い段階で、公共部門の規模が小さいうちにその拡大を抑制した結果である。実際に、過去に遡って日本の公務員数の推移を確認すると、戦前において発展途上国であった頃の日本では経済発展と共に公務員数が急速に増加していたのに対し、戦後においては早い時期にその傾向に対して明確な歯止めがかかっていることが分かる。この事実は、戦前・戦後を通じて公務員数の増加が続いた欧米諸国とは対照的である。

第3章から第5章までは、日本において他の国よりも早い時期に行政改革が開始された理由を探る。ここで重要な要因として本論文が注目するのは、公務員の給与の上昇に伴う人件費の増大である。第3章で示す通り、1960年代に行政改革を開始するという日本の政治エリートの判断の背景に存在した一つの重要な要因は、日本がしばしば国際収支問題に直面して財政を引き締める必要に迫られていたにも関わらず、人事院勧告の存在により、公務員の給与の抑制手段を欠いていたことであった。その意味で、日本における行政改革のタイミングの早さは、戦後改革によって形成された公務員の給与制度と深い関係がある。

第4章では、戦後改革の過程を検討し、人事院勧告を中心とする公務員の給与制度がその後の国際収支問題への対応を考慮することなく選択されたことを示す。給与制度は労働組合運動の攻勢への占領軍の対応として導入される一方、1ドル=360円という為替相場は、米ソ冷戦に対応したアメリカ本国主導の占領政策の転換の帰結として設定されたのである。こうして外生的に選択された制度は、占領後も大きく変化することなく定着した。

第5章では、以上のような制度選択の高度経済成長期における帰結を検討する。春闘の本格化と共に民間部門の賃金上昇が始まると、1960年以降は公務員の給与も人事院勧告を受けて上昇傾向に入り、池田政権期から繰り返し行政改革による公務員数の抑制が試みられることになった。特に、第一次臨時行政調査会を初めとする一連の行政改革の試みは、人事院勧告への直接的な対応としての側面を明示的に持っていた。社会経済の近代化に従って公共部門の規模が拡大するというのが多くの国々に見られる一般的な歴史的発展の過程であるとするならば、この時点で日本はその道筋を外れたのである。こうして公務員数の増加が抑制される一方で、公務員に代わって公共サービスの供給を担う主体として、中央省庁と地方自治体は数多くの外郭団体を設立することになった。

第6章と第7章では、日本の事例から得られた理論的な知見の妥当性を確認するために、他の先進諸国で行政改革が開始された経緯を検討する。第6章では、厳しい国際経済の制約の下で、公務員の給与を団体交渉で設定する制度を採用していた事例として、戦後のイギリスを取り上げる。この章では、イギリスの歴代政権がポンド相場の維持に腐心する一方で、行政改革ではなく公務員の給与の抑制によって度重なる国際収支問題に対処し、そうした対応が1970年代における労使紛争の激化によって困難になった時点で公共部門の拡大を止めたことを明らかにする。特に重要なのは、イギリスの公務員数の増加に歯止めをかけたのが、新自由主義的改革の旗手として知られる保守党のサッチャー政権ではなく、「IMF危機」に直面した労働党のキャラハン政権だったということである。

第7章では、欧米先進国の1970年代半ば以降についての時期に関する比較分析を行う。ここでは、先進諸国における公務員数の増加傾向が現在までにほぼ消滅したことを確認した上で、各国が政権政党のイデオロギーとは関わりなく、様々なタイミングで行政改革に踏み出して公務員数の増加を止めたことを示す。それに続いて、国際収支問題によって財政的な制約を課せられた国の中でも、政府が公務員の給与を抑制できた国では行政改革の開始される時期が遅れたことを明らかにする。

本論文は二つの点で国家と市場の関係についての研究に貢献することを目指す。第一は、公務員数の国際比較に関する事実関係を確認することである。これまで、公務員数の国際的な比較可能性の難しさが指摘される一方、実際に存在する資料の範囲は必ずしも明らかではなかった。そこで、本論文では現時点で可能な限りの材料を収集し、検討を加えている。第二は、公務員数から見た政府の規模を説明する新たなメカニズムを提示することである。本論文は、現在の公務員数を規定する要因として行政改革のタイミングに注目し、従来は注目されてこなかった公務員の給与制度という要因の重要性を見出した。こうした発見を通じて、国際比較から見た日本の国家と市場の関係を、従来の研究とは異なる側面から示すことが可能となる。それは同時に、人事院勧告を中心とする我が国の公務員の給与制度に新たな角度から評価を加えるための手掛かりを提供するものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

日本の公務員数が他の先進国に比べて少ないことは、しばしば指摘されてきた。本論文は、この事実を多面的に検討して確定し、日本の公務員数の増加が経済発展の早い時期に止まったことを明らかにした。その上で、このような行政改革が、国際収支、財政との関連で起こったメカニズムを、人事院勧告を用いた国家公務員給与制度という制度選択に起因する意図せざる結果として、幅広い視野から国際比較の観点も踏まえて分析した。従来の行政改革研究が1980年代以降を主として対象としている中で、1960年代の行政改革に注目し、そのメカニズムを財政制度、人事制度をも視野に入れた幅広い枠組みの中で位置付けることで、行政改革に関する新たな知見をもたらした研究であるといえる。

以下、内容の要旨を紹介する。

「第1章 日本の公務員の数」では、事実関係の確認を行う。これまで、日本の公務員数が他の先進諸国よりも少ないことはしばしば指摘されてきたのもの、その際、公務員数の定義の国際的な多様性を考慮してもなお存在するという明確な証拠は示されてこなかった。そこで、この章では、日本の公務員数を様々な定義に従って数えるだけではなく、様々な国際機関や研究機関の実施した調査に基づいて、複数の角度から公務員数の測定の方法を検討し、現在までに示されている定義を用いる限り、日本の公務員数が実際に他の国々よりも大幅に少ないと考えられることを示す。

「第2章 小さな政府への道」では、そうした公務員数の差異を説明する方法について述べる。ここでは、現在の公務員数が、経済発展に伴う公共部門の拡大の速度だけではなく、行政改革によってその拡大に歯止めが設定された時点にも依存すると考える。行政改革には、行政機構改革から行政整理まで様々な意味が存在するものの、本論文ではその中でも行政組織の人員規模を抑制するための改革としての行政改革に焦点を当てる。この見方に従えば、日本の公務員数が少ないのは、経済発展の早い段階で、公共部門の規模が小さいうちにその拡大を抑制した結果である。実際に、過去に溯って日本の公務員数の推移を確認すると、戦前において発展途上国であった頃の日本では経済発展と共に公務員数が急速に増加していたのに対し、戦後においては早い時期にその傾向に対して明確な歯止めがかかっていることが分かる。この事実は、戦前・戦後を通じて公務員数の増加が続いた欧米諸国とは対照的である。

第3章から第5章までは、日本において他の国よりも早い時期に行政改革が開始された理由を探る。ここで重要な要因として本論文が注目するのは、公務員の給与の上昇に伴う人件費の増大である。

「第3章 改革の起源」では、1960年代に行政改革を開始するという日本の政治エリートの判断の背景に存在する一つの重要な要因として、日本がしばしば国際収支問題に直面して財政を引き締める必要に迫られていたにもかかわらず、人事院勧告の存在により、公務員の給与の抑制手段を欠いていたことを指摘する。その意味で、日本における行政改革のタイミングの早さは、戦後改革によって形成された公務員の給与制度と深い関係にあるとする。

「第4章 制度の選択と定着」では、戦後改革の過程を検討し、人事院勧告を中心とする公務員の給与制度が、その後の国際収支問題への対応を考慮することなく選択されたことを示す。給与制度は労働組合運動の攻勢への占領軍の対応として導入される一方、1ドル=360円という為替相場は、米ソ冷戦に対応したアメリカ本国主導の占領政策の転換の帰結として設定された。こうして外生的に選択された制度は、占領後も大きく変化することなく定着した。

「第5章 給与と定員」では、以上のような制度選択の高度成長期における帰結を検討する。春闘の本格化と共に民間部門の賃金上昇が始まると、1960年代以降は公務員の給与も人事院勧告を受けて上昇傾向に入り、池田政権期から繰り返し行われる行政改革による公務員数の抑制が試みられることとなった。特に、第一次臨時行政調査会を始めとする一連の行政改革の試みは、人事院勧告への直接的対応としての側面を持っていた。社会経済の近代化に従って公共部門の規模が拡大するというのが多くの国に見られる一般的な歴史的発展の過程であるとするならば、この時点で日本はその道筋を外れた。こうして公務員数の増加が抑制される一方で、公務員に代わって公共サービスの供給を担う主体として、中央省庁と地方自治体は数多くの外郭団体を設立することになった。

第6章と第7章では、日本の事例から得られた理論的な知見の妥当性を確認するために、他の先進諸国で行政改革が開始された経緯を検討する。

「第6章 イギリスの改革」では、厳しい国際経済の制約の下で、公務員の給与を団体交渉で設定する制度を採用していた事例として、戦後のイギリスをとりあげる。この章では、イギリスの歴代政権がポンド相場の維持に腐心する一方で、行政改革ではなく公務員給与の抑制によって度重なる国際収支問題に対処し、そうした対応が1970年代における労使紛争の激化によって困難になった時点で公共部門の拡大を止めたことを明らかにする。イギリスの公務員数の増加に歯止めをかけたのは、新自由主義的改革の旗手として知られる保守党のサッチャー政権ではなく、「IMF危機」に直面した労働党のキャラハン政権だった。

「第7章 先進諸国の国際比較」では、欧米先進国の1970年代半ば以降の時期に関する比較分析を行う。ここでは、先進諸国における公務員数の増加傾向が現在までにほぼ消滅したことを確認した上で、各国が政権政党のイデオロギーとは関わりなく、様々なタイミングで行政改革に踏み出して公務員数の増加を止めたことを示す。それに続いて、国際収支問題によって財政的な制約を課された国の中でも、政府が公務員の給与を抑制できた国では行政改革の開始される時期が遅れたことを明らかにする。

本論文の長所としては以下の点をあげられる。

第1に、日本の公務員数を様々な定義に従って数えるともに、国際機関や研究機関の実施した様々な調査に基づいて、複数の角度から公務員数の測定の方法を検討し、現在までに示されている定義を用いる限り、日本の公務員数が実際に他の国々よりも大幅に少ないと考えられることを確認した。さらに、経済発展段階に即した公務員数の変化に焦点に当てることで、日本における公務員数が1960年代という経済発展の相対的早期の段階で抑制されたことを明らかにした。先行研究においても日本の公務員数の相対的少なさは他の先進国との比較において指摘されてきたが、そのような事実を多面的かつ丁寧な手続きを通して確認するとともに、その歴史的性格を明らかにしたことの意義は大きい。

第2に、行政組織の人員規模を抑制するための改革として機能的に行政改革を把握し、そのような視角から1969年の総定員法の導入に至る1960年代における行政改革の展開を丁寧に分析し、外郭団体等の協働を不可避とするシステムの形成過程を明らかにした。第一次あるいは第二次臨時行政調査会の活動といった可視的なイベントとしての行政改革に注目するのではなく、人員規模抑制という機能的観点から可視性の必ずしも高くない継続的な行政改革を分析するという視角は斬新なものである。また、従来の行政改革研究においては、日本では1980年代の第二次臨時行政調査会や橋本内閣における行政改革会議、国際的には1980年代以降のニューパブリックマネジメントの導入といった事象が主として分析の対象とされてきたが、本論文は1960年代の日本の行政改革を実証的に分析した点でもユニークな研究であるといえる。

第3に、公務員数抑制という行政改革のメカニズムを、国際収支、財政と国家公務員給与に関する人事院勧告制度という制度的配置との関係で明らかにした。国際収支上の理由で赤字財政への制約が高い中で、公務員の給与額を柔軟に調整できない人事院勧告制度は、一定の時差を持って意図せざる結果として経済発展の相対的早期段階で公務員数の抑制をもたらさざるを得なかったというわけである。従来の行政学の業績においても、定員管理制度、財政制度、国家公務員給与制度といった個々の制度については研究の蓄積があるものも、国際収支の天井という構造的制約の下でのこれらの諸制度の相互連関をダイナミックに分析した点は著者の俯瞰的分析能力の高さを示しているといえる。また、このようなメカニズムの存在を、戦後国際収支の危機に見舞われながらも公務員給与が交渉により決定されていたため公務員数の抑制が1970年代にずれ込んだイギリス等との比較を通して検証した点も重要な貢献であるといえる。

しかし、本論文にも、欠点がないわけではない。

第1に、公務員数抑制という行政改革、国際収支、財政、国家公務員給与の人事院勧告制度の相互の関係についての論証は主として当時の新聞報道や国会議事録における議論の分析を通して行われている。このような論証の素材を、広範なものに広げていけば、より説得的な議論になったと思われる。

第2に、総定員法によって公務員数の管理が行われている国家公務員に対して、そのような制度のない地方公務員については、公務員数の抑制が進んでいくメカニズムが必ずしも十分明らかにされていない

第3に、一般的に正規社員について給与の下方硬直性が指摘される日本の民間企業における給与・人事システムと公共部門における給与・人事システムの異同についても、さらなる研究が可能であると思われる。

しかし、以上の短所は新たな観点から俯瞰的分析を行った本論文の価値を損なうものではなく、今後のさらなる研究の展開可能性を示しているものであると思われる。

以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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