学位論文要旨



No 127319
著者(漢字) 加藤,永子
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,エイコ
標題(和) 小脳顆粒細胞あるいはプルキンエ細胞の誘導除去が運動制御と神経回路網に及ぼす影響に関する研究
標題(洋) Studies on the Effects of Inducible Ablation of Cerebellar Granule or Purkinje Cells on Motor Control and Neuronal Network
報告番号 127319
報告番号 甲27319
学位授与日 2011.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3753号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 狩野,方伸
 東京大学 教授 岡部,繁男
 東京大学 准教授 中村,元直
 東京大学 准教授 松田,尚人
 東京大学 講師 山口,正洋
内容要旨 要旨を表示する

小脳は、運動の制御と学習に重要な役割を果たしており、構成ニューロン、及び各ニューロン間のシナプス結合パターンが詳細に解明されている脳部位である。本研究では、小脳を構成している主要なニューロンが運動制御と神経回路網の維持にそれぞれどのような役割を果たしているかを検証するため、小脳顆粒細胞あるいはプルキンエ細胞を、選択的かつ時期特異的に誘導除去可能なマウスを作成した。そして、成体小脳で顆粒細胞またはプルキンエ細胞を選択的に除去し、運動機能と神経回路網へ及ぼす影響をそれぞれ行動学的、及び免疫組織化学的に解析した。

成体小脳で顆粒細胞あるいはプルキンエ細胞を選択的に誘導除去するために、次のようなマウスシステムを組み合わせて利用した。一つは、変異プロゲステロン受容体のホルモン結合領域と遺伝子組み換え酵素Creリコンビナーゼの融合蛋白(CrePR)遺伝子を脳部位特異的遺伝子のプロモーター下に組み込んだ、脳部位特異的にCrePRを発現するCrePRマウスである。もう一つは、Creリコンビナーゼの組換えによってジフテリア毒素A鎖(DTA)を発現するマウスであり、神経特異的エノラーゼ(neuron-specifc enolase)遺伝子(Eno2)の3' 非翻訳領域に loxP-STOP-loxP-IRES-DTA を挿入したノックインマウス(Eno2-STOP-DTA, Eno2DTA/DTA)を使用した。これら両遺伝子をもつマウスでは、CrePRを発現している脳部位では、プロゲステロン受容体拮抗薬(RU-486)によってCre組換え酵素が活性化されDTA が発現する。従って、RU-486の投与により任意の時期に特定の脳部位で細胞を誘導除去することが可能となる。

小脳顆粒細胞選択的誘導除去マウスを得るために、小脳顆粒細胞特異的にCrePRを発現するECP25トランスジェニックマウス (+/GluRε3-CrePR)と、Eno2-STOP-DTAマウス(Eno2DTA/DTA)を交配した。また、小脳プルキンエ細胞選択的誘導除去マウスを得るために、小脳プルキンエ細胞特異的にCrePRを発現するD2CPRマウス(GluRδ2+/CrePR)と、Eno2-STOP-DTAノックインマウスを交配した。これらの交配により得られた生後7週令の両組換え遺伝子を有するマウスにRU-486を経口投与して細胞除去を誘導し、小脳顆粒細胞選択的マーカーであるneuronal nuclei (NeuN)と小脳プルキンエ細胞選択的マーカーであるカルビンジンの二重免疫染色を行って、各細胞数を経時的に定量した。コントロールとしてRU-486を投与したEno2-STOP-DTA遺伝子のみをヘテロに有する(Eno2DTA/+)マウスを用いた。

その結果、GluRε3-CrePR遺伝子と、Eno2-STOP-DTA遺伝子をそれぞれヘテロに有する(GluRε3-CrePR/+; Eno2DTA/+)マウスでは、0.3 mg/g体重のRU-486経口投与により、小脳4/5葉における単位面積あたりのNeuN陽性顆粒細胞数が投与5日でコントロールの約10%にまで減少した。一方、GluRδ2-CrePR遺伝子と、Eno2-STOP-DTA遺伝子をそれぞれヘテロに有する(GluRδ2+/CrePR; Eno2DTA/+)マウスでは、RU-486非投与の状態で小脳正中切片中のカルビンジン陽性プルキンエ細胞数がコントロールマウスの約半分に減少していた。さらに、0.3 mg/g体重のRU-486経口投与により、投与5日でプルキンエ細胞数がコントロールの約5%にまで減少した。

そこで、これらのマウスに対して行動学的解析を行い、運動機能への細胞欠損の影響を検討した。まず、1~40 rpmの間で回転速度を段階的に変化させ、各回転数での滞在時間を測定するrotarodを実施した。その結果、投与7日後において顆粒細胞欠損マウスもプルキンエ細胞欠損マウスも、rotarodから落下するまでの滞在時間がコントロールマウスに比べて有意に減少していた。顆粒細胞欠損マウスとプルキンエ細胞欠損マウスでは有意な差はみられなかった。

さらに、投与14日後、21日後に同様のrotarodテストを再実施した結果、コントロールマウスは再試行による滞在時間の有意な増加を示した。しかし顆粒細胞欠損マウスおよびプルキンエ細胞欠損マウスは、どちらも再試行による滞在時間の有意な増加を示さなかった。この結果、どちらの変異マウスも運動協調が重篤に障害されていることが示された。変異マウス間でrotarodの滞在時間に統計的に有意な差はなかったが、低速度の回転数における滞在時間に注目すると、顆粒細胞欠損マウスは非常に遅い速度にも関わらず滞在時間が短い傾向が観察され、顆粒細胞を欠損させた方がプルキンエ細胞を欠損するより運動協調への影響が大きいことが示唆された。

そこで、各細胞の除去による運動制御への影響の違いを明らかにするため、顆粒細胞、プルキンエ細胞の部分的除去を試みた。RU-486の投与量を減少させ各細胞の定量を行った結果、RU-486用量依存的に顆粒細胞あるいはプルキンエ細胞を選択的に除去できることが明らかとなった。そこで、0.06 mg/g 体重のRU-486経口投与により顆粒細胞を約30%に減少させた顆粒細胞部分欠損マウス、及び0.01 mg/g 体重のRU-486経口投与によりプルキンエ細胞を約20%にまで減少させたプルキンエ細胞部分欠損マウスについて解析を行った。

まず、小脳矢状切片について、登上線維終末マーカーVGluT2の免疫染色を行い、登上線維のプルキンエ細胞支配領域の変化を検討した結果、登上線維の支配領域に有意な変化は認められなかった。また、平行線維終末マーカーVGluT1の免疫染色を行ったところ、顆粒細胞部分欠損マウスではわずかにVGluT1のシグナルが減少していたが、プルキンエ細胞部分欠損マウスでは顕著な変化は認められなかった。

さらに以下の行動学的解析を行った。第一にthin rodテストを行った結果、顆粒細胞部分欠損マウスおよびプルキンエ細胞部分欠損マウスのどちらも、thin rodに滞在する時間がコントロールに比べて有意に短かった。また、顆粒細胞部分欠損マウスのほうがプルキンエ細胞部分欠損マウスより滞在時間がより減少した。

第二に15 rpmの定速rotarodテストを行った結果、どちらの変異マウスも試行を重ねることによって滞在時間を増加させたが、滞在時間がコントロールに比べて有意に減少していた。変異マウス間では滞在時間に有意な差はなかった。

第三に、前述と同様に1~40 rpmの間で回転速度を段階的に変化させ、各回転数での滞在時間を測定するrotarodを行った。その結果、顆粒細胞部分欠損マウスもプルキンエ細胞部分欠損マウスも、投与7日後のテストでは、コントロールマウスと比較して滞在時間に有意な差がなかった。投与14日、21日後の再試行の結果、プルキンエ細胞部分欠損マウスはコントロールマウスと同様に滞在時間の有意な増加を示した。しかしながら、顆粒細胞部分欠損マウスは滞在時間の有意な増加を示さなかった。

これまでに、顆粒細胞やプルキンエ細胞が変性した自然発生変異マウスの運動機能に関する多くの報告があるが、これらの変異マウスは細胞欠損の特異性に欠けるとともに、発生時期の神経回路網形成に異常があることが知られている。本研究では、分子遺伝学的手法を用いることにより、小脳の顆粒細胞あるいはプルキンエ細胞を選択的にかつ時期特異的に誘導欠損可能なマウスを作成することに成功し、RU-486の経口投与によって用量依存的に再現性よく定量的にプルキンエ細胞あるいは顆粒細胞を誘導除去出来ることを示した。そして、様々な行動学的解析を行い比較することで、顆粒細胞欠損とプルキンエ細胞欠損が運動機能に異なる影響を及ぼすことを明らかにした。また、小脳皮質唯一の出力細胞であるプルキンエ細胞を欠損させるよりも顆粒細胞を欠損させる方が、運動機能により大きな影響を与えることが示され、プルキンエ細胞とプルキンエ細胞にシナプスを形成している顆粒細胞との間の神経回路網のバランスが運動制御に重要であることが示唆された。小脳神経回路網の構造的特徴から、顆粒細胞の欠損は平行線維-プルキンエ細胞シナプス数の減少を引き起こしていると考えられる。そのため、1つ1つのプルキンエ細胞は統合される2つの興奮性入力のバランスを崩した状態になり、運動機能により大きな影響を与えたのではないかと考えている。この仮説を検証するため、顆粒細胞部分欠損マウス、及びプルキンエ細胞部分欠損マウスの平行線維-プルキンエ細胞シナプスの電子顕微鏡解析、及び電気生理学的解析が今後必要であると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、構造と機能が完成した大人の小脳において、主要なニューロンである顆粒細胞とプルキンエ細胞を選択的に欠損させると運動制御及び小脳神経回路網にどのような影響を及ぼすかを検討するため、分子遺伝学的手法を用いることにより、小脳のプルキンエ細胞あるいは顆粒細胞を選択的にかつ時期特異的に誘導欠損することが出来るマウスを作成し、運動機能と神経回路網の解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1、小脳顆粒細胞選択的誘導除去マウスを得るために、小脳顆粒細胞特異的にCrePRを発現するECP25トランスジェニックマウス (+/GluRε3-CrePR)と、Eno2-STOP-DTAマウス(Eno2DTA/DTA)を交配した。これらの交配により得られた両組換え遺伝子を有するマウスにRU-486を経口投与して細胞除去を誘導し、小脳顆粒細胞選択的マーカーであるneuronal nuclei (NeuN)と小脳プルキンエ細胞選択的マーカーであるカルビンジンの二重免疫染色を行った。NeuN陽性顆粒細胞数の定量の結果、0.3 mg/g体重のRU-486経口投与によって、投与5日後に顆粒細胞をコントロールの約10%にまで減少できることが示された。

2、小脳プルキンエ細胞選択的誘導除去マウスを得るために、小脳プルキンエ細胞特異的にCrePRを発現するD2CPRマウス(GluRδ2+/CrePR)と、Eno2-STOP-DTAノックインマウスを交配した。これらの交配により得られた両組換え遺伝子を有するマウスにRU-486を経口投与して細胞除去を誘導し、NeuNとカルビンジンの二重免疫染色を行って、細胞数を経時的に定量解析した。カルビンジン陽性プルキンエ細胞数の定量の結果、0.3 mg/g体重のRU-486経口投与によって、投与5日後にプルキンエ細胞をコントロールの約5%にまで減少できることが示された。なお、RU-486非投与の状態で小脳正中切片中のカルビンジン陽性プルキンエ細胞数がコントロールマウスの約半分に減少していることが示された。

3、0.3 mg/g体重のRU-486を投与することにより大部分の顆粒細胞あるいはプルキンエ細胞を欠損させたマウスについて、1~40rpmの間で回転速度を段階的に変化させ、各回転数での滞在時間を測定するrotarodを実施した。その結果、顆粒細胞欠損マウスもプルキンエ細胞欠損マウスも、投与7日後においてコントロールマウスと比べてrotarodから落下するまでの滞在時間が有意に減少していることが示された。顆粒細胞欠損マウスとプルキンエ細胞欠損マウスでは有意な差はないことが示された。

4、投与14日後及び21日後に同様のrotarodテストを再実施した結果、コントロールマウスでは、再試行時にはrotarod上の滞在時間が1回目の試行より有意に増加するが、顆粒細胞欠損マウスおよびプルキンエ細胞欠損マウスでは、どちらも再試行により滞在時間を有意に増加させないことが示された。この結果、どちらのミュータントマウスも運動協調が重篤に障害されていることが示された。Rotarodの滞在時間に統計的に有意な差はなかったが、低速度の回転数における滞在時間に注目すると、顆粒細胞欠損マウスは非常に遅い速度にも関わらず、rod上の滞在時間が短い傾向が観察され、顆粒細胞を欠損させた方がプルキンエ細胞を欠損するより運動協調への影響が大きいことが示唆された。

5、RU-486の投与量を減少させ、NeuNとカルビンジンの二重免疫染色を行い、顆粒細胞あるいはプルキンエ細胞を用量依存的に除去できることが示された。また、0.06mg/g 体重のRU-486経口投与でNeuN陽性顆粒細胞数をコントロールの約30%に、0.01mg/g 体重のRU-486経口投与でカルビンジン陽性プルキンエ細胞数をコントロールの約20%に減少できることが示され、顆粒細胞あるいはプルキンエ細胞を部分的に欠損させたマウスが作成できることが示された。

6、小脳顆粒細胞を約30%に減少させた顆粒細胞部分欠損マウス、及びプルキンエ細胞をコントロールの約20%にまで減少させたプルキンエ細胞部分欠損マウスの小脳矢状切片について、登上線維終末マーカーVGluT2の免疫染色を行い、登上線維のプルキンエ細胞支配領域の変化を検討したところ、登上線維の支配領域は有意な変化がないことが示された。また、平行線維終末マーカーVGluT1の免疫染色を行ったところ、顆粒細胞部分欠損マウスではわずかにVGluT1のシグナルが減少していたが、プルキンエ細胞部分欠損マウスでは顕著な変化がないことが示された。

7、顆粒細胞部分欠損マウス、プルキンエ細胞部分欠損マウスに対して、thin rodテストを行ったところ、顆粒細胞部分欠損マウスおよびプルキンエ細胞部分欠損マウスのどちらも、コントロールと比べて、thin rodに滞在する時間が有意に短いことが示された。さらに顆粒細胞部分欠損マウスのほうがプルキンエ細胞部分欠損マウスよりthin rod滞在時間がより減少していることが示された。

8、顆粒細胞部分欠損マウス、プルキンエ細胞部分欠損マウスに対して、15 rpmの定速rotarodテストを行ったところ、顆粒細胞部分欠損マウスおよびプルキンエ細胞部分欠損マウスは、どちらも試行を重ねることによって滞在時間を向上させたが、コントロールに比べて有意に滞在時間が短くなっていることが示された。また、顆粒細胞部分欠損マウスとプルキンエ細胞部分欠損マウスでは滞在時間に有意な差がないことが示された。

9、顆粒細胞部分欠損マウス、プルキンエ細胞部分欠損マウスに対して、1~40rpmの間で回転速度を段階的に変化させ、各回転数での滞在時間を測定するrotarodを行った。その結果、顆粒細胞部分欠損マウスもプルキンエ細胞部分欠損マウスも、投与7日後のテストでは、コントロールマウスと比較して滞在時間に有意な差がないことが示された。

10、顆粒細胞部分欠損マウス、プルキンエ細胞部分欠損マウスに対して、投与14日、21日後に1~40rpmのrotarodの再試行を行った結果、コントロールマウスと同様にプルキンエ細胞部分欠損マウスは滞在時間を有意に増加させることが示された。それに対して、顆粒細胞部分欠損マウスは、滞在時間を増加させないことが示された。

以上、本研究は、誘導的かつ選択的に顆粒細胞およびプルキンエ細胞を欠損させることで、発達時期における小脳の神経回路網形成の異常の影響を除外し、小脳の顆粒細胞を除去した場合と、プルキンエ細胞を除去した場合では運動機能に異なった影響を及ぼすことを行動学的に明らかにすることができた。また、小脳皮質唯一の出力細胞であるプルキンエ細胞と、プルキンエ細胞にシナプスを形成している顆粒細胞との間の神経回路網のバランスが運動制御に重要であることを示唆した。開発した小脳プルキンエ細胞あるいは顆粒細胞を誘導除去できるマウス系統は、構造と機能が完成した大人の小脳において神経回路網のバランスを変化させ、小脳の機能と神経回路網がどのように変化するかを探求する上で有用なツールを提供することになると考えられる。以上より、本研究の成果は小脳の機能の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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