学位論文要旨



No 127322
著者(漢字) 呉,延花
著者(英字) Wu,Yanhua
著者(カナ) ゴ,エンカ
標題(和) 自治体公務員における職業性ストレスと抑うつ
標題(洋)
報告番号 127322
報告番号 甲27322
学位授与日 2011.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3756号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川上,憲人
 東京大学 准教授 島津,明人
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 准教授 李,延秀
内容要旨 要旨を表示する

「はじめに」

近年、労働者のストレスやメンタルヘルス上の問題が増加していると指摘され、社会的に大きな問題となっている。事業所の産業保健スタッフ等を対象とした調査では、多くの事業所がストレス性疾患の労働者を抱えており、全体としては抑うつが47.2%で最も多く、それらの事業所における長期休業者についても、抑うつによる者が70.8%で最も多かったと報告されている。自治体公務員においても、増加する長期休業の多くは精神的な健康問題に起因している。地方公務員健康状況等調査によれば、職員10万人当たりの疾病分類別長期病休者率について、精神的な健康問題による者が、平成14年度510.3人、平成15年度591.6人、平成16年度702.4人、平成17年度798.0人、平成18年度964.6人と年度ごとに増加しており、しかも精神的な健康問題による長期病休者のうち、抑うつによる者が約7割を占めた。

ここ十年ほどで、公務員制度改革や行財政改革、市町村合併による定員削減など、自治体公務員をとりまく環境は大きく変化してきた。定員削減などにより公務員1人当たりの仕事の負担や責任が増え、仕事のやり方を自分のペースでコントロールすることや、上司、同僚とコミュニケーションをとる時間や心理的余裕が減少していると指摘されている。他方で、自治体公務員の平均給与は年々減少傾向にあり、自治体公務員に対する世間の目も大変厳しく、しばしば批判にさらされることが多くなっている。その結果、自治体公務員が仕事から得る報酬―金銭・地位報酬、心理的報酬が低下してきている可能性もある。

このような、近年の自治体公務員をとりまく環境、仕事の状況から見ると、自治体公務員の精神的健康に対して、仕事の要求度、仕事のコントロール度、職場の社会的支援という側面から職業性ストレスを評価するJob Demand-Control model(JDCモデル)と、仕事上の努力と外在的報酬(心理的報酬、職の安定性報酬、金銭・地位報酬)という側面から職業性ストレスを評価するEffort-Reward Imbalance model(ERIモデル)の両面から職業性ストレスを評価する必要があると考えられる。

海外の公務員における先行研究により仕事の高負担度、低コントロール度、及びこれらの組み合わせの高負担度/低コントロール度状態、高努力/低報酬状態は、公務員においても抑うつや精神的健康度と関連すると考えられるが、必ずしも明確な結論は出ていない。

日本の自治体公務員を対象とした、仕事の負担度やコントロール度、職場の社会的支援と抑うつや精神的健康度との関連について調べた研究はまだ限られており、その結果は必ずしも一致していない。また努力―報酬不均衡状態あるいは報酬と精神的健康度との関連性について明らかにした研究は見当たらなかった。さらに、仕事の報酬のうち、心理的報酬、金銭・地位報酬など、どの側面が抑うつを含めた精神的健康度に関連するのかを明らかにした研究もない。

そこで本研究は、日本の自治体公務員を対象として、JDCモデル(仕事の負担度、仕事のコントロール度、社会的支援)及びERIモデル(仕事上の努力及び報酬)を用いて、職業性ストレスと抑うつとの関連について検討することを目的とした。

「対象と方法」

調査は2007年8月20日から9月5日にかけて、埼玉県の1自治体の市役所における全職員823人を対象として行った。無記名自記式質問紙調査により性別、年齢、管理職か否か、残業時間、喫煙、飲酒、運動時間などを調べた。職業性ストレスは、職業性ストレス簡易調査票及び努力-報酬不均衡モデル調査票により評価した。職業性ストレス簡易調査票による評価は標準化得点法を用いて、それぞれ仕事の負担度、コントロール度及び職場の社会的支援の尺度点数を求めた。仕事の負担度の点数が中央値より高く、かつコントロール度の点数が中央値より低い場合に、仕事の高strainグループとし、職場の社会的支援の点数が中央値より低い場合に、社会的支援の低いグループとした。努力―報酬不均衡状態(ERI)の判定方法について、努力/報酬比を対数変換し、対数指標の上位5分位をERIの高リスクグループとした。報酬の3つの下位尺度―心理的報酬、職の安定性報酬、金銭・地位報酬においても同様の判定方法を用いて、それぞれ努力/心理的報酬の高リスクグループ、努力/職の安定性報酬の高リスクグループ、努力/金銭・地位報酬の高リスクグループと区分した。また、努力と報酬に関する各項目の点数をそれぞれ合計し、連続変数として分析に用いた。抑うつの測定には、米国国立精神保健研究所疫学的抑うつ尺度(The Center for Epidemiologic Studies Depression Scale, CES-D)20項目を用い、16点以上の者を抑うつありと判定した。

多変量解析においては、抑うつを従属変数として男女それぞれ3つのロジスティック回帰モデルを構築した。モデル1はERIモデルに基づくものであり、モデル2はJDCモデルに基づくものであり、モデル3はその両モデルを同時に用いたものである。すべてのモデルにおいて、年齢、職位(管理職か否か)、学歴、喫煙、飲酒、残業時間と運動時間を調整変数として投入した。さらに、ERIモデルの報酬の3つの下位尺度―心理的報酬、職の安定性報酬、金銭・地位報酬(及びその努力との比)を独立変数とし、それぞれ上述のモデル1、モデル3に投入し同様の分析を行った。

「結果」

回収人数は684人で、回収率は83.1%であった。そのうち、性別或は年齢について無回答だった81人を分析対象者から外したため、分析に用いた対象者数は603人(73.3%)となった。男性が317人(52.6%)で、女性が286人(47.4%)であった。

仕事の高strainグループに属する者が、男女それぞれ17.3%、25.5%を占めており、「社会的支援が低い」者については、男女それぞれ42.6%、24.6%であった。ERIの高リスクグループに属する者は、男女ともに2割程度であった。抑うつについては、男性(49.1%)のほうが女性(41.3%)より、その割合が高かった。

男性における単変量検定では、職業性ストレスに関するすべての項目―高strainグループ(P<0.01)、「仕事の負担度が高い」(P<0.01)、「コントロール度が低い」(P<0.05)、「社会的支援が低い」(P<0.001)、及びERIの高リスクグループ(P<0.001)、高努力(P<0.001)、低報酬(P<0.001)、及び報酬の3つの下位尺度―低心理的報酬(P<0.001)、低職の安定性報酬(P<0.001)、低金銭・地位報酬(P<0.001)について、抑うつの有無で有意な差が見られた。女性における単変量検定では、「コントロール度が低い」(P<0.05)、「社会的支援が低い」(P<0.01)、及びERIの高リスクグループ(P<0.001)、高努力(P<0.001)、低報酬(P<0.001)、及び報酬の3つの下位尺度―低心理的報酬(P<0.001)、低職の安定性報酬(P<0.001)、低金銭・地位報酬(P<0.001)について、抑うつの有無で有意な差が見られた。

男性におけるロジスティック回帰分析では、ERIの高リスクグループあるいは低い報酬が抑うつと特に強く関連していた。また仕事の高strainあるいは仕事の負担度の高さ、社会的支援の低さも抑うつと関連していた。女性では、ERIの高リスクグループあるいは低い報酬、及び社会的支援の低さが抑うつと関連していた。男女ともに、ERIモデルのほうがJDCモデルより、抑うつと強く関連していた。また男女とも、仕事の報酬の3つの下位尺度のいずれも(及びその努力との比も)抑うつと有意に関連していた。

「考察」

本研究では、ERIモデルの高リスクグループあるいは低い報酬が、男女ともに抑うつと有意に関連していて、海外の公務員や一般労働者を対象とした先行研究と一致した結果が得られた。仕事の報酬を3つの下位尺度に分けた場合、男女とも、仕事の報酬の3つの下位尺度のいずれも(及びその努力との比も)抑うつと有意に関連していた。わが国の自治体公務員で金銭・地位報酬及び心理的報酬が抑うつと関連することを示唆すると同時に、安定した雇用状態にあると考えられるわが国の自治体公務員においても、職の安定性報酬についてさらなる検討が必要なことを示唆している。

仕事の高strainグループ、高い仕事の負担度は、男性のみで抑うつと有意に関連した。わが国の自治体公務員や海外の公務員及び一般労働者を対象とした先行研究においても、高strainグループあるいは高い仕事の負担度と抑うつや精神的健康度との関連が示されている

仕事の負担度は、男性のみであったが、単変量検定と多変量検定の両方で抑うつと有意な関連が見られた。しかし、ERIモデルの高努力は、男女ともに単変量検定で抑うつと有意差が見られた一方で、多変量検定ではその関連が見られなかった。仕事上の努力と抑うつとの関連に関してはさらに検討する必要があると思われる。

低い職場の社会的支援は、男女ともに抑うつと有意に関連した。自治体公務員、海外の公務員、一般労働者を対象とした先行研究においても低い職場の社会的支援と抑うつや精神的健康度との関連が示唆され、本研究の結果はこれらと一致した結果であった。

本研究では、自治体公務員における抑うつと関連する職業性ストレス要因として、男性では、ERIの高リスクグループ(または低報酬)、高strainグループ(または高負担度)、及び社会的支援の低さが示された。また、女性では、ERIの高リスクグループ(または低報酬)及び社会的支援の低さが示された。男女とも、仕事の報酬の3つの下位尺度のいずれもが抑うつと関連していた。わが国の自治体公務員においては、ERIモデルのほうがJDCモデルより抑うつとより強く関連する可能性ならびにERIモデルの3つの報酬のうちいずれもが重要であることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は自治体公務員において、仕事の負担度とコントロール度あるいはこれらの組み合わせ、職場の社会的支援、ならびに努力―報酬不均衡状態あるいは仕事の報酬が抑うつと関連するか否かを検討するため、職業性ストレスモデルであるJob Demand-Control model(JDCモデル)とEffort-Reward Imbalance model (ERIモデル)の両方を用いて、職業性ストレスと抑うつとの関連について調べたものであり、下記の結果を得ている。

1.JDCモデルにおいて、年齢、職位(管理職か否か)、学歴、喫煙、飲酒、残業時間と運動時間の関連要因を調整した多重ロジステイック分析を行ったところ、男性では仕事の高strain(高負担度かつ低コントロール度)あるいは仕事の負担度の高さ、社会的支援の低さが抑うつと関連し、女性では社会的支援の低さが抑うつと関連することが示された。

2.ERIモデルにおいて、上記と同様の関連要因を調整した多重ロジステイック分析を行ったところ、男女ともにERI(努力―報酬の不均衡状態)の高リスクグループあるいは低い報酬が抑うつと関連することが示された。また男女ともに、ERIモデルのほうがJDCモデルより、抑うつと強く関連することが示された

3.さらに、仕事の報酬の3つの下位尺度―心理的報酬、職の安定性報酬、金銭・地位報酬をそれぞれ独立変数とした多重ロジステイック分析を行ったところ、男女ともに、仕事の報酬の3つの下位尺度のいずれも(及びその努力との比も)抑うつと関連することが示された。

以上、本論文は、最近大きく変化する公務員の職場環境を背景に、1自治体で働く公務員全員を対象とし、職業性ストレスモデルのJDCモデルとERIモデルの両方を用いて、それぞれ異なる側面から職業性ストレスと抑うつとの関係を検討した独創的な研究である。その結果、自治体公務員において、ERIモデルのほうがJDCモデルより、職業性ストレスと抑うつとの関連をよく予測する可能性ならびにERIモデルの3つの報酬のいずれもが重要であることが示唆されており、この結果は今後の公務員のメンタルヘルス対策にも有用と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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