学位論文要旨



No 127326
著者(漢字) 高橋,範夫
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ノリオ
標題(和) ラット腸骨リンパ管切除後における再開通リンパ管内皮細胞の特異的マーカーの発現と細胞学的機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 127326
報告番号 甲27326
学位授与日 2011.04.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3760号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 真田,弘美
 東京大学 講師 吉村,浩太郎
 東京大学 講師 長瀬,敬
 東京大学 講師 菅谷,誠
内容要旨 要旨を表示する

序文

リンパ系組織は血管系と共に脈管を構成する組織である。基本構造はリンパ節とそれに連結する輸入、輸出リンパ管から成り、血管系から漏出した血漿成分の回収や移送、電解質・栄養素やホルモン等生理活性物質の移送などの機能を有している。リンパ系組織の臨床的意義としては悪性腫瘍転移経路やリンパ流の障害によるリンパ浮腫のような難治性の臨床症状があげられる。これらの予防・治療法確立のためにはリンパ管を中心としたリンパ系組織の応答・動態の解明が重要である。またリンパ管が形成される過程は、個体初期発生の段階での<リンパ管発生>という概念と、既存のリンパ管よりの<リンパ管新生>という概念に大別でき、本論文では、これらの語句を明確に区別し記述した。

本研究では以下の仮説をたてた。ある個体のリンパ流が遮断された場合、どれくらいの期間でリンパ管が新生するのか。リンパ管新生において、その主要構成物であるリンパ管内皮細胞(Lymphatic Endothelial Cell、以下LEC)が重要な役割を果たしているのではないか。つまり新生されたリンパ管のLECは無傷の既存リンパ管のLECより高い増殖能、遊走能、浸潤能を獲得しているのでないかという仮説である。よって本研究では<リンパ管発生>の観察でなく、既存のリンパ管の障害より生じる<リンパ管新生>に着目し、その観察を行うことにした。

仮説に基づき我々は以下の実験を計画した。本研究ではラットを用いて、両側腸骨リンパ管を結紮・除去した後、末梢部の観察を行うのではなく、障害されたリンパ管の周囲を観察し、その周囲に何らかの再開通路が生じた場合、その過程や期間を直接観察することで、リンパ管新生を把握し得ると考えた。以後、その再開通路となったリンパ管を再開通リンパ管と称する。

さらに腸骨輸出、輸入リンパ管、再開通リンパ管を構成する各ラットリンパ内皮細胞(rat LEC、以下rLEC)の細胞学的機能解析を行うことにより既存リンパ管、新生リンパ管のLECの増殖能、遊走能、浸潤能を評価しうると考えた。

そこで、我々はラット腸骨輸出、輸入リンパ管、そして輸出入リンパ管を採取後に生じ得る再開通リンパ管を採取し、そのrLECの培養を行い、輸出、輸入リンパ管、再開通リンパ管由来3種のrLECの比較検討を行った。本研究はこのような仮説及び実験計画に基づき実験を行い、その結果いくつかの新しい知見が得られたのでここに報告する次第である。

方法

本実験には5~8週の雄のWistar ラットを用い、全身麻酔下で開腹し、パテントブルーによって染色された左右腸骨リンパ節を含む輸入、輸出リンパ管をクリッピングした後、一塊として切除した。2~10週間後に再開腹し、再開通リンパ管像を観察し、再開通リンパ管があれば切除した。切除後に再度パテントブルーを注入しクリッピングを施した部位の観察可能なリンパ管が消失したことを確認後、クリップを残した状態で閉腹した。初回開腹時の既存輸入、輸出リンパ管及び再開腹時の再開通リンパ管より内皮細胞を分離した後、培養した。培養細胞を抗Prox-1抗体による免疫細胞化学染色とCD31,VEGF-R3,Prox-1,LYVE-1 primerを用いたReverse Transcription Polymerase Chain Reaction(RT-PCR)を行い解析した。さらにMTS assayで増殖能、wound healing assayで遊走能、invasion assayで浸潤能を評価した。

結果

ラット左右腸骨リンパ管切除2-3 週後では、リンパ管の再開通はみられなかった。切除4-10週後では、片側、特に左側でリンパ管再開通がみられた。輸入、輸出、再開通リンパ管由来の培養細胞は抗Prox-1抗体による免疫細胞化学染色で陽性であり、RT-PCR にてCD31,VEGFR-3,Prox-1、LYVE-1の発現がみられrLECであることを確認した。MTS assayでは再開通リンパ管由来rLECの増殖能は既存リンパ管由来rLECより有意に高いことが示された。一方、wound healing assay、invasion assayでは輸出、輸入、再開通リンパ管由来rLEC間の遊走能、浸潤能において有意な差異は認められなかった。

考察

本研究の意義としては、ラット輸入、輸出、再開通リンパ管と考えられる脈管を採取し、その内皮細胞の培養を行い、VEGFR-3, LYVE-1,Prox-1という3種のLECの特異マーカー発現を解析し、再開通した脈管がリンパ管であると示したことである。さらに輸出、輸入、再開通リンパ管由来3種のrLECの増殖能、遊走能、浸潤能を比較検討し、機能解析を行ったことである。

以上2点は従来の報告に無く、本研究が初めてであり新奇性の高いものと考える。

先行研究では、リンパ管新生には実験モデルに若干違いがあるものの数週間単位の期間を要した報告があり、本実験では3週と4週を境に相違がみられた。

この構築された脈管が拡張もしくは新生により観察しうる程に再構築されたリンパ管と解釈し、その内皮細胞の培養を試みた。そして培養内皮細胞のcharacterizationによって再開通した脈管がリンパ管であるか否かを検討した。

即ち免疫細胞化学染色とRT-PCRにてLECの特異マーカーであるVEGFR-3、LYVE-1、Prox-1の発現を調べた。それらを検索することにより、再開通した脈管がリンパ管であることが確認できた。

またLECはRoom airより有意差をもって低酸素状態にて増殖する。その点に留意しrLECの培養を行い、得られた輸出、輸入、再開通リンパ管由来rLECの細胞学的機能解析を行った。

その結果培養された再開通リンパ管由来のrLECはリンパ路摘出前の既存のリンパ管由来のrLECに比べてその増殖能はより高かった。一方、細胞の遊走能、浸潤能について、3者の間に有意差は無かった。

前述のごとくリンパ管形成には、<リンパ管発生>と<リンパ管新生>という2つの概念がある。さらに<リンパ管新生>ではVEGF-Cにより既存のリンパ管よりの<発芽sprouting>と<過形成hyperplasia>という2つの経路があり、血管系に比してリンパ管では<過形成>が主に観察される。<発芽>は組織の無い部位に作成されるので、遊走能、浸潤能が関与するが、<過形成>はその組織部位が拡張するので増殖能が関与する。

先行研究と、リンパ管再開通の片側性や期間、既存リンパ管由来rLECと再開通リンパ管由来rLECの増殖能、遊走能、浸潤能の相違などの実験結果により考察を行うと再開通リンパ管は新たにリンパ管を形成したのではなく、このリンパ管は元々存在していたリンパ管自身が拡張したものと推定される。

つまり本研究での再開通リンパ管はVEGF- Cという因子により、遊走能、浸潤能が関与する<発芽>によってではなく、増殖能のみが関与する<過形成>により生じたと考えられる。よってラットにおいては4-10週という期間では全く新たなリンパ管を<発芽>できないにしても、今まで肉眼的に観察できなかった側副リンパ管が、<過形成>すなわち観察しうる径まで拡張をしたと考えられる。

これらのことより本実験にて我々が導いた結論は、ある個体が広範囲にリンパ管の損傷が生じた場合、LECは細胞間質を遊走し、組織間を浸潤し、新たにリンパ管を形成することなく、既存の細いリンパ管が増殖能を増し、ある期間内に代償しうるリンパ管を形成しうる。その際、両側を同時期に再生させるより、まずは緊急に片側を開通させ、リンパ循環動態を回復させることが、生体にとって合目的性があるということである。

リンパ組織は血管系組織が持たないリンパ節を有している。リンパ系組織はリンパ節で癌細胞が増殖するため、より転移に関与する組織となる。またリンパ浮腫はリンパ管閉塞が存在する部位で起きている。それ故、リンパ浮腫の治療にはリンパ管のバイパスが必要である。これらの臨床的問題の解決には細胞レベルの応答によるリンパ組織新生メカニズムの解明が重要である。そして本研究の結果や考察により、リンパ管再開通の状態、期間、再開通リンパ管のcharacterを考慮し、導いた細胞学的治療は、成長因子やその拮抗剤投与の時期や方法を調節することで、悪性腫瘍転移に対してはリンパ組織を萎縮させ転移を妨げ、リンパ浮腫に対してはリンパ路を増幅し浮腫を軽減しうる治療法に寄与するものと考える。

またこれらの治療をさらに具現化するためには、リンパ新生に関与するVEGF-C、MAP経路、AKT、アドレノメデュリン、HMGB1などに着目した分子メカニズムの解析も有用であり、今後検討を考慮したい。

本研究がリンパ関連疾患の解明、治療法確立の一助となれば幸いである。

審査要旨 要旨を表示する

リンパ系組織は悪性腫瘍転移経路やリンパ流の障害によるリンパ浮腫のような難治性の臨床症状に関与する。これらの予防・治療法確立のためにはリンパ管に関する研究が重要である。本研究はラット腸骨輸出、輸入リンパ管、そして輸出入リンパ管を採取後に生じ得る再開通リンパ管を採取し、その内皮細胞(Lymphatic Endothelial Cell、以下LEC)の培養及び輸出、輸入リンパ管、再開通リンパ管由来3種のLECの比較検討を行い、下記の結果を得ている。

1. ラット左右腸骨リンパ管切除2-3 週後では、リンパ管の再開通はみられなかった。切除4-10週後では、リンパ管の再開通がみられた。切除4週後のラットでは、8個体中2個体、切除5週後のラットでは、8個体中1個体が右側リンパ管の再開通がみられたが、その他のラットでは全て左側リンパ管の再開通がみられた。切除6-10週後のラットでも同様な傾向であった。ラット左右腸骨リンパ管切除後のリンパ管の再開通実験に用いた全ラット34個体中、4~10週間後に再開腹したラット28個体は左側リンパ管再開通24個体、右側リンパ管再開通4個体であり(左側86%、右側14%)有意に片測での観察可能なリンパ管再開通像がみられた。

2. リンパ管の内皮から細胞を採取し、培養した。培養第3継代の輸入、輸出、再開通リンパ管由来培養ラットリンパ管内皮細胞(rat LEC、以下rLEC)を抗Prox-1抗体にて免疫染色し、Prox-1の発現を確認した。さらにRT-PCRによりVEGFR-3, LYVE-1 ,Prox-1の発現を確認した。VEGFR-3, LYVE-1 ,Prox-1はリンパ管内皮細胞特異的マーカーにて、リンパ管から採取し培養した細胞はリンパ管内皮細胞であることが明らかになった。

3. 輸出、輸入、再開通リンパ管由来rLECの増殖能はMTS assayを用い、培養24時間後の吸光度を基準とし、培養48 ,72時間後の吸光度との比であるMTS スコアで評価した。その結果、輸出、輸入リンパ管由来rLEC間のMTS スコアには有意な差異は見られなかったが、再開通リンパ管由来rLECの培養48 ,72時間でのMTS スコアは他の2者と比較して統計学的に有意に高かった。この結果は再開通リンパ管由来rLECの増殖能は既存リンパ管由来rLECより有意に高いことを示すものである。

4. 輸出、輸入、再開通リンパ管由来rLEC培養皿に対して、ピペットチップによるスクラッチを付けた後0, 48, 96 ,144 時間のwound healing assayにてrLECの遊走能を評価した。顕微鏡画像を用い、経時的に遊走距離を測定した結果、遊走能については輸出、輸入、再開通リンパ管由来のrLEC間では有意な差異は見られなかった。

5. 輸出、輸入、再開通リンパ管由来rLECの浸潤能(% invasion)はinvasion assayを用い実験開始72時間後においてマトリゲルの無い膜を通過した細胞数に対してマトリゲル膜を通過した細胞数の比として測定した。このパラメーターはrLECの浸潤能を反映する。その結果、浸潤能については輸出、輸入、再開通リンパ管由来のrLEC間では有意な差異は見られなかった。

本論文は、これら実験結果と先行研究より、ある個体が広範囲にリンパ管の損傷が生じた場合、既存の細いリンパ管が増殖能を増し、ある期間内に代償しうるリンパ管を形成し、両側を同時期に再生させるより、まずは緊急に片側を開通させ、リンパ循環動態を回復させることが、生体にとって合目的性があるということを明らかにした。本研究の新奇性の高い事項として、ラット輸入、輸出、再開通リンパ管と考えられる脈管を採取し、その内皮細胞の培養を行い、VEGFR-3, LYVE-1 ,Prox-1という3種のLECの特異マーカー発現を解析し、再開通した脈管がリンパ管であると示したこと、さらに輸出、輸入、再開通リンパ管由来3種のrLECの増殖能、遊走能、浸潤能を比較検討し、機能解析を行ったことが挙げられる。

以上本論文は、悪性腫瘍転移に対してはリンパ組織を萎縮させ転移を妨げ、リンパ浮腫に対してはリンパ路を増幅し浮腫を軽減しうる治療法に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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